uraniwamiyuki’s diary (original) (raw)
じわじわと紅葉シーズンに入ってきてる感じですね。
先日、一泊で信州へ行ってきました。
今回は、仕事付きのマタタビではなく、買い出し旅でありました。
紅葉のいい写真が撮れてなかったので、いまの季節らしい写真を。
峠の道沿いのりんご園です。
こんな風に、フェンスはあるものの、道路まではみ出してりんごがなっています。
そろそろシナノスイートは終わりで、サンふじの収穫が始まったところだそうです。
いつも信州方面へ行くと、必ず寄る直売所があるのです。
実はわたしは、道の駅ウォッチャーでありまして、直売所にはちょっとうるさい。
いままで訪れたなかでナンバーワンではないかと密かに思っている直売所が、松本市にあるのです。
「いまい恵みの里」という道の駅内にある直売所なのですが、品揃え、価格幅、にぎわい、どれもすばらしい。
地元の人も、遠方からの人もわんさか来られてます。
そして、大量に買って帰られます。
辛味大根をそんなに大量にどうするんですか? 業者さんですか?
でもそんな感じでもないですよね?
みたいにカートに山盛り積んで、ドンとお支払いしていかれます。
ほんと謎。コストコよりすごいですよ。
外のテントには、りんごテントと長いもテント、白菜・野沢菜・大根テントがあり、こちらのりんごテントは箱入りの贈答用がメインです。
直売所室内には、お家用のちょっとキズがあるとか、割れがあるけど全然問題ないでしょ、なリンゴが袋入りでどど~~~んと陳列されています。
いっぱいありすぎてどれを買ったらいいかわからないくらい。
せっかくなので、箱入りのを買って帰るか、と外テントのシナノゴールドとサンふじとぐんま名月のセットを選びました。
わたしはぐんま名月が好きなんですけど、なぜかここでは「名月」とだけ書かれていて。ほかのところでは「ぐんまの名月」と書かれているところもあり、群馬産じゃないのよ、ということなんでしょうかねー
シナノスイートも好きなんですけどあまり並んでおらず、翌日、通りすがりに写真のりんご園で買って帰ったという次第です。
野沢菜はお漬物にするだけではなく、小松菜のように炒めて食べてもおいしいらしいのですが、とにかく大量に売られているので、そんな買っても食べきれる気がしない、、、、と腰が引けましたが、丸々ずっしりと重い白菜(200円)は買いました。
車での旅行はこれができるのがうれしい。
わさび農場や、善光寺、戸隠神社も行ったので、またブログに書きますね。
先日お知らせしていました ”スウィングマーケット” ですが、いよいよ明日になりました。
場所:スウィングキッチンYour(京都市右京区龍安寺衣笠下町29)さんの店内
日時:11月17日(日)10時~15時
占術:生年月日・手相・タロットカード
見料:20分2000円(延長10分ごとに1000円)
どうぞお気軽においでくださいませ。
お待ちしています~
11月直前に扇風機を片付けました。
こんなに遅くまで必要だった年はなかったんちゃうかなと思います。
今日もいいお天気で、窓全開で過ごしていますが、さすがに長袖にはなりました。
さて、イベント占いの告知です~
スウィングキッチンYour(京都市右京区龍安寺衣笠下町29)さんの店内で隔月開催されています ” スウィングマーケット ” に出店いたします。
日時:11月17日(日)10時~15時
占術:生年月日・手相・タロットカード
見料:20分2000円(延長10分ごとに1000円)
今回、二度目の参加です。
7月は、手相とタロットカードだけだったのですが、今回は生年月日での占いもいたします。
気づけば2024年も終盤。
書店には、2025年の占い本がずらりと並んでいて、来年の運勢が気になってくる季節ですよね。
今回は、ご予約もお受けすることにし、10時から14時30分始まりまでの間で承ります。
ご予約の方は、待ち時間もありませんし、あらかじめ命式を作成しておきますので、その分お時間がおトクにもなります。
どうぞお気軽にこちらまでお問合せください。
・メール kyotouraniwa@gmail.com
・電話 09028049716
京都のお店に通っているころは、通勤路であるデパ地下を週4で歩いていたのですが、4月以降、街中へ出ることがほとんどなくなりました。
わたしにとって秋のたのしみといえば生筋子! でありまして、鮮魚売り場で値動きをチェックするのが常でした。
昨年、家の近所にある直売所の鮮魚売り場でも見かけたことがあったので、今年はそこで買うかなー と思っていたのですが、結局遭遇しないまま冬がやってきそうです。
シーズン恒例のワクワクをひとつ捕まえ損ねたみたいで無念、、、、
と、ガッカリしているわたしをよそに、夫の手なる干し柿が粛々とベランダに吊るされていくのでありました。
秋ですわー
先週末から今週頭にかけて、念願の初マタタビ占いを敢行しました。
いや~ たのしかった~~~!
約50年ぶり、約20年ぶり、約10年ぶりの同級生らに(みんな別々に)会って話したり、1年ぶり、2年ぶりの友人知人にも会い、お客さまにもお会いできました。
わたしの初マタタビは、
会いたい人たちにてんこ盛り会う! そして、占いも!
というぼんやり持っていたイメージ通りのものになりました。
なんとも上出来すぎ。
なかでも矢掛町にあるカフェ ”月と灯り” さんで開いてくださったイベント占いが大充実で、ありがたかったです。
のどかな山間にある人気のカフェは、こんなかわいい扉から入ります。
店内に急遽こしらえてくださった占いブースはこんな感じ。
何これステキ!
目隠し用のラティスは手づくりです。
ありがたい~
そしてスタンバイ。
12時~16時の営業時間いっぱいを使い、お客さまは8名。
みなさん初めましての方ばかりです。
ということは、誰ひとりとしてわたしのことはご存知ないということです。
有名でもなんでもない、未知の占い師に占ってもらおうって、なかなか腰が上がらないんじゃないかと思うんですよ。
それなのに、満員御礼ということは、一重にお店の信用から、ってことにほかなりません。
月と灯りさんの集客力! すごいですよね。
かわいいお店の雰囲気と相まって、どの方も初対面のわたしにガードを緩めてお話しくださり、とても話しやすかったです。
みなさま、ありがとうございました!
翌日、再訪問して、ゆっくりケーキセットをいただきました。
リンゴと紅茶のチーズケーキとチャイ
毎日数種類用意されるケーキ、クッキーやパウンドなどの焼き菓子は、素材にこだわって手づくりされていて、どれもとてもおいしいんですよ。
コーヒー、紅茶なども、たっぷりとしたマグやカップで提供され大満足。
県外からも訪れる人が多いというのも頷けます。
季節ごとにケーキの種類を変え、店内のレイアウトやディスプレイも変え、いつも新しい「おいしい」と「かわいい」に出会える、オススメのカフェです。
こちらは、京都でお会いすることが多かったので久し振り感はあまりなかったのですが、考えてみたらお店へ伺うのはいったい何年振りかしら、、、、というくらい振りの蟲文庫さん。
10月下旬とは思えない気温で、夕方なのにお店へたどり着いたときには汗だくでした。
古書店の蟲文庫店主・田中美穂さんは、とても素敵な文章をお書きになる方で、どの著書も魅力的。
美穂さんの本を買うならば蟲文庫さんで、と思っていて先延ばしになっていた『星とくらす』をやっと入手できました。
表紙カバー裏にも星空が印刷されているのがグッときます。
亀の本も苔の本もとてもたのしく読めるので、お子さんからうんと大人の方にまでオススメです~
今回、イベント以外の占いのお客さまとお会いした場所は、イオン倉敷内のフードコート、倉敷駅北のアリオ倉敷内にあるタリーズコーヒー、コメダ珈琲大安寺店でした。
初めてのところばかりで新鮮。
みなさま、ありがとうございました!
この秋初めてのキンモクセイの香りに遭遇しました。
あたりを見回しても木の姿は確かめられず、風にのって流れてきたのだと思うと、その字のごとく風流だなあと感じました。
今年は秋が短いという長期予報が訂正され、ゆっくり冬が来るらしいですよ。
うれしいですね。
今週末の矢掛町での出張占いは、ご予約満了となりました。
ありがとうございます!
あとは万全の体調で伺うのみ。とってもたのしみです。
数日前に読んでいた『長い読書』 島田潤一郎著のなかに、
本を読みなさい。
ぼくのまわりに、そんなことをいう人はいなかった。
という一文がありました。
わたしは子どものころから本を読むのが大好きで、誕生日もクリスマスも「欲しいものは?」と訊かれたらいつも「本!!」と答えていました。
学校の図書館の開館日には必ず行って上限冊数まで借りてきます。
小学校から高校まで、ほぼずっと図書委員という、図書館好き。
島田さんは「本を読みなさい」という人がまわりにいなかったと書いてらっしゃいましたが、わたしの場合は読みなさいどころか母からは「本ばかり読んでいてはダメ」と叱られていました。
「目が悪くなる」というのが主な理由だったのですが、
「せっかく買ってやっても、ものの数時間で読み切ってしまっては価値がない」
と嘆かれ、中学くらいになると、
「あんたがそんなひねくれた性格になったのは、本を読み過ぎたせいや」
と、本のことはかなり悪者扱いされていました。
両親とも読書好きではなく、異常なほどに本を好み、著しく子どもらしさに欠けるわたしの存在をちょっと気味悪く思っていたのかもしれません。
今日、
本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。太宰治
という文章を引用した東畑開人さんのポストがXで流れてきました。
授業中に先生の目を盗んで読むSFが最高であったように、読書とは能動的に外界を遮断して、自分だけの世界に没入するための方法である。楽しい授業だったら、SFを読む必要がないのと同じで、外界が楽しければ、何も本を読まなくてもいいのだろう。受け身の孤独から、積極的な孤独への転換が読書である。
どちらの文章も、まったくそうだなあと腑に落ちました。
わたしが子どものころ、本を読んでいたのは、物語が好きということももちろんあったけれど、それよりももっと切実な現実逃避にほかなりませんでした。
両親はいさかいばかりで家のなかはギスギスしていたし、母から愛されていないということからも目を背けたかった。
本のなかには異世界がいくらでもあって、そこにいる間、わたしの存在は消えるのです。
当時、いまのようなゲームがあれば、本よりもゲームの世界に没頭していたかもしれません。そちらのほうがもっとイージーに違う世界に入り込めたと思うので。
けれど、そのころゲームがなくてよかったです。
ゲームよりも本のほうが、豊かな「ことば」にあふれているから。
新しいことば、より適切な表現に触れることは、とてもワクワクすることでした。
いま、わたしが本を読むのは現実逃避のためではなくなり、知らない世界、自分とは違う考え、ハッとする表現に出会うためになりました。
本を読むことで、こころのどこかをリセットしているような感覚もあります。
読書は高尚な趣味なんかじゃなく、むしろ読まずにいられない「業」みたいなものがあるくらいの嗜好です。
こんなわたしでも、年を取って、読んだ文章を理解できなくなったり、さっき読んだところを瞬時に忘れてしまうようになったら、もう本を読むことはなくなるんでしょうかねー
そうなってもページをめくり、文字を追っていそうな気はしているのですけれど。
お天気の長期予報を見ていましたら、しばらくは気温高めが続き、急に寒くなっていく、みたいな話でした。
今年もまた秋が短いのかあ、、、、
ちょうどいい季節が、春も秋もどんどん短くなっていってしまいますねぇ。
先日、お知らせしました矢掛にあるカフェ ”月と灯り” さんでの出張占いは、あれよあれよという間にご予約が埋まりまして、残り1枠のみとなりました。
ご予約いただきましたみなさま、ありがとうございます!
おそらくはみなさん「はじめまして」の方ばかりではないかと思います。
どんなお話が聴けるのかドキドキ。とってもたのしみです。
どうぞよろしくお願いします。
まだまだ先、と思っていましたが、来週末なんですよねー
いいお天気だといいなあ。
先日、能勢町に行ってきました。
以前から一度訪ねてみたいカフェ&ギャラリーがあり、ちょうど好きな陶芸作家さんの個展が開かれているというのを知って、この機に! と思い立って。
わたしは知らない道をドライブするのが好きなので、今回もいままで通ったことのない道を選んで走ってきました。
郊外に入ると急にのどかな風景になり、信号が少ない農道のような道をのんびり運転して、とても気持ちがよかったです。
この時季の能勢町は、絶賛栗シーズン!
道の駅に寄るのも目的のひとつだったのですが、なんと、道の駅に入る駐車場渋滞が発生するほど盛況で、びっくりしました。
少し離れたところに臨時駐車場があったので、そちらへ停めさせてもらってあぜ道を歩いて行きました。
彼岸花が咲き、コンバインの音が空に響いていて、これぞ秋。
ところが今年は栗が不作だそうで、目玉であるはずの栗がたいへん品薄みたいです。
この日も「栗売り切れ」と看板が出ていたのですが、ちょうど持ち込まれた栗が少し並んでいて、あとふたつになっていたところを買えました。ラッキー。
持ち帰った栗は3日ほど冷蔵庫のチルド室で追熟させ、蒸しました。
それでもちょっと甘味が足りないかな、という感じだったので、実をくりぬいて、こして栗きんとんにしてみました。
わたしは、岐阜・中津川の栗きんとんが大好物なのですが、それには遠く及ばない見た目&お味。
けれども、そこそこおいしく、遠慮なくもりもり食べられるのが手作りのいいところです。
週末にドライブに行けるのも、手のかかるおやつを作れるのも、お店をたたんで時間と気持ちにゆとりができたからなんですよねー
ありがたいなと思っています。
先日のブログで、
マタタビ占い始めに岡山・倉敷方面に行きます~
と書いていましたら、カフェで占いしませんか? と願ってもないありがたいお声をかけていただきました。
日時:10月19日(土)12時~16時
見料:20分2000円(延長10分1000円)+ ワンドリンクお願いします
ご予約につきましては、月と灯りさんのInstagramにて取りまとめしてくださいますので、DMにてお問合せください。
月と灯りさんは、とにかくとってもとってもかわいいカフェで、手づくりのケーキやお菓子が、たいへんおいしくて人気のお店です。
実は、かわいい二人姉妹の店主さんのことは、赤ちゃんのときから知っていまして、長いおつき合いになります。
え、、、こんなところに? と思うような山間にあり、車でないと行きにくいのですが、倉敷からでも案外時間はかかりません。
のんびりした風景を愉しめるいいところです。
お店としても占いは初めての試みで、お客さまがおいでくださるかどうかわからないんです、、、、とおっしゃるのですが、わたしはあのかわいいカフェに半日ゆっくり居られるだけでとてもハッピー♪
たのしみでなりません。
どうぞお気軽にご予約くださいませ。
その5日前の14日(月・祝)は、お庭で、こちらも初めてのミニマルシェを開催されるのだそうです。
お天気に恵まれますように!
すごい! ホントにお彼岸に真夏が終わった!!
と感動していたのですが、昨日あたりからまた暑いです。
けれどもとにかく朝晩が涼しくなった、というだけでホッとしますよね。
今年の夏は暑すぎたし、長すぎました。
これが今年だけとは思えませんし、来年以降も同じように暑い夏が続いていくのでしょう。
いままでの農作物に適した気候がどんどんズレていってしまうのではないかと心配です。
海水温も高くなっているので、それぞれの地域で獲れる魚の種類も変わっていってるみたいですしね。
人間も変化に適応していかないことにはどうにもならないんだろうな、と感じます。
そんなことを考えたのは、先日、『ひっくり返す人類学 生きづらさの「そもそも」を問う』奥野克巳著を読んだからかもしれません。
このなかに、人間と動物を分けて考えるのは傲慢だし、人間も自然の一部である、いや、人間は自然のほんの一部でしかない。
それなのに、自分たちが生きていくのに都合がよいように壊したり、変えたりし続けていてよいのか。ましてや制御したつもりになってはいけない、といった内容の部分がありました。
たとえば、ヒトが自分の足で移動できるスピードをはるかに超えた移動手段を得、鳥でもないのに空を飛び、エアコンで過ごしやすい室温を得る。
そんなことはいまの文明ではごく当たり前のことになってしまっていて、疑問にすら思わない日常です。
その疑問にすら思わない社会で生きていたら考えもしない価値観もあるのだなあ、ということを教えられた本でした。
当たり前を疑ってみる、ということはよく言われますけれど、そういうのとはちょっとニュアンスが違い、固まってしまった価値観や社会、そもそもの考え方を一度ひっくり返してみよう、という提案です。
そもそも学ぶってどういうことなのか
貧富の格差や権力が集中しないことってそもそも不可能なのか
心の病ってそもそも何なのか
私たちは死に対してもそもそもどのように向き合うべきなのか
そもそも人間は自然から切り離されるべきものなのか
といったことに対し、人類学を通して順に説いていかれます。
主に、現代の文明から遠い地域で生活する民族や部族と生活をともにするフィールドワークの知見からの意見です。
わたしがいちばん驚いたのは「貧富の格差や権力が集中しないことってそもそも不可能なのか」のところでした。
ボルネオのプナンの人たちは、狩りをして得た獲物を公平に分配するのだそうです。
分配作業はリーダーが担うわけですが、与えられた人は「お礼を言わない」というのです。
公平に分け与えられることは当然で、分けてくれた人、狩りをしてきた人に対してすら感謝しません。
部族の中には、狩りが得意な人がいたり、ひんぱんに獲物を得る努力をする人がいる一方、まったく狩りに参加しない人、もらってばかりの人もいるわけです。
それでも、誰にも公平に分けられる。
プナンの社会では、それは当然のことだから、獲ってきた人にも、分けてくれる人にもお礼は言わない。
ということなのですが、わたしたちが生きる社会においては、それはホントに公平と言えるのか? とつい考えてしまいます。
努力した人もしない人も同じって、むしろ不公平なんじゃないか、って。
この部族ではリーダーだからといって、尊敬されもしないし、特別扱いもされないのだそうです。
分ける人や、たくさんの食料を獲ってくる人に感謝すれば、エラい人になってしまいます。
そうなれば、エラい人の存在は特別になり、その人の意向で周りが左右されることにもなりかねません。
だんだんとエラい人は権力を持つことになり、富も集中していく。
だから、権力や富を集中させないために、誰もエラくなく、誰もが同じ、を厳守する。
それがプナン族がたどりついた知恵であったということなのです。
まさに価値観や社会通念をひっくり返されます。
けれども、それをいまの日本にそのまま持ってくることはできません。
もちろん、そうしよう、という意図で書かれたものではなく、わたしたちの常識や、価値観は自分たちが考える以上に凝り固まってしまっていると自覚しよう、ということです。
人間が暮らしていくために、便利さ快適さを追求する文明社会において、適応することを求められ、同調していかざるを得ないと思い込んでいるところから、少し離れて考えてみる。
「社会に適応する」ってどういうことなのか、「同調」とは何なのか。
そのあたりの「そもそも」を考え直してみるのは必要かも、と感じたのでした。
国だけではなく、合わない社会で同調を強要されるのは耐えがたいことだと思います。
それならば、自分の意識を変えるか、違う社会に身を置くことを考えたらよいのではないか。
著者がいうところの「ちゃぶ台返し」は、そういう意味もあるのなのかなと思いました。