真言宗 共生庵 (original) (raw)

明日は馬頭観音様の御縁日です。

お供え物を買いに行って、明日の準備を進めていました。

今日はやたらと物を落としたり、何かをこぼしたりする日。

そんな自分にイライラする1日でした。

いかんいかん…。

何か失敗する度に、そんなことを思っていましたが…。

短気なことも勿論いけませんが、なによりも「こんなんじゃいかん」と、「自己否定」していることが好ましくない。

実はこれが、余計に心に負担をかける原因です。

「こんな日もある」と、「受け入れた上で受け流す」のが理想的。

つまり「受け止めない」こと。

それは、気に留めないのではありません。

正面から受けずにダメージを逃がす感覚。

「こんなんじゃいかん」

「これはおかしい」

「本当はこんなもんじゃない」

すべてプレッシャーとなります。

こういうときは、「こんな日もある」と「認めた上で逃げる」。

そして、一旦作業を中止することも有りです。

因みに、私はこういうとき、近所の神社へ瞑想しに出掛けます。

瞑想しながら、聖域でイライラを溶かすイメージです。

ご多分に漏れず、今日も神社で瞑想。

小春日和な気候の中、とても良い時間を過ごせました。

結果、イライラを溶かしてくださった神仏へ、感謝出来る日になりました。

先日書いた、回復祈願の施主様から連絡があり、意識が戻ったとのこと。

まだまだ予断は許さないですが、山は越えれる可能性は高いとの診断。

発語も見られ、表情の変化もあったそうです。

しっかりと験が現れてくれました。

ひとまず、生命が守られたことに安心。

施主様も、普段から社会貢献されている方なので、その徳も確実に作用していると思います。

更なる加護を祈願します。

心に起こる苦しみや渇望などは、物質的なものによって解決されることはない、と言われています。

これはとても難しい問題です。

欲しいものを得ることが幸せに繋がるとは限りません。

欲しいものを得ることで、より一層欲望に支配されるケースもあります。

また、得たものを他者と比べて、悲観することも。

幸せとは、欲しいものを得ることによる充足感だけではない。

もっと単純なものです。

朝起きたときに「いつも通り起きることが出来た」というだけで、本当はとても幸福なこと。

単純なことだと気付くことが出来れば、もっと幸せの幅は広がるのですが…。

なかなか説いても伝わらない。

体験するのが最も効果的です。

数日でもいいので、文明から遠ざかった生活をするのも1つです。

体調が悪く、入院された方の「回復祈願」を依頼されました。

発見が遅くなってしまい、かなり悪化している状態とのことです。

今は意識もはっきりしておらず、コミュニケーションも取れないと仰っていました。

どこが悪くて、今の状態になっているか分かっていますので、馬頭観音様に具体的な祈願が可能。

病気平癒、病魔退散ではなく「この方の〇〇が悪くなってるので、そこを治してください」と伝えることが出来ます。

また、祈祷の底上げでしている「技」についても、具体的な状態や部位が分かることはかなりのアドバンテージです。

直接的に「力」を送ることが出来ます。

この1週間が山とのこと。

馬頭観音様の御加護がありますように。

「断捨離」という言葉が、少し前に流行って以来、「正しいこと」として未だ認知されています。

無論、間違ったことではないが、絶対的に正しいことでもありません。

弊害はあります。

拘らない、という意味では正しいのですが、捨てる行為自体が正しい訳ではないのです。

断捨離依存に陥ってる方の話を時々聞きます。

捨てないと落ち着かない。

捨てるものを常に探している。

人の物まで捨ててしまう。

ゴミ屋敷が出来てしまう過程と同じです。

強迫的に気持ちが働いています。

「照明器具も断捨離する」と捨ててしまい、暗闇で過ごす人がいらっしゃると。

おかしい、と断罪するつもりはありません。

しかし、手段と目的が逆転しているかもしれないと、自問はしてほしい。

心の余裕や、時間を生み出す為の断捨離。

それを「もっと」と求めた時点で、逆転は始まっています。

メリットがある行為は、必ずデメリットをはらんでいます。

手放しにメリットだけしかない、なんてことは有り得ません。

すべて、裏と表があるのです。

因みに、断捨離は仏教用語ではありません。

直接的ではありませんが、関連する言葉や修行はあります。

人が亡くなる夢を見た方が、不安になっていました。

私自身は夢占いに詳しくありませんが、意外に誰かが亡くなる夢は、悪い意味を持たないと言われます。

実際のところ、虫の報せはあると思います。

しかし、殆どは「潜在的な心配事」などが夢に現れると考えています。

つまり、「自分の内面にあるものが見えた」に過ぎないということ。

気持ちの良いものではないので、不安になってしまうのは理解出来ます。

そういうときこそ、神仏に祈ってみてください。

きっと不安や心配を払拭してくださいます。

地元の神社の参道で、民芸品などの露店が並んでいました。

こういうの、結構好きなので見て回ります。

中には仏像や仏具などが、売られていることもあり、結構掘り出し物が見付かることもあります。

師匠曰く、探してる仏像があるなら、露店などや古物商を覗いてみるのも1つとのこと。

ただし、これは結構慎重にしないと大変なことになります。

理由は「中身に何が入ってるか分からない」からです。

出自が不明の仏像や仏具は、危険。

中に「悪い念」が入っていることもあります。

例えば、「呪詛」や「利己的な祈願だけ」してたような仏像や仏具が代表的です。

仏様自体は「高エネルギー」の結晶ですから、それらに侵されることはありません。

しかし、悪い使われ方をしていると、「業」を纏ってしまいます。

これは、良いも悪いも関係なく積み重なるものなのです。

人を呪うことや、他者を蹴落とすようにして得る自己の利益は、とても悪い業を積み上げます。

それらは、自身の周りにも染み付き、所持した者に影響をおよぼします。

露店では、こういう仏像や仏具が販売されている可能性は、十二分にあります。

私の師匠クラスでは、そういうのを買っても「魂抜き」をやすやすとやってのけるでしょうが…。

私の場合は、まだ「やすやすと」とはいきません。

なので、よほど欲しいものでない限り、購入は少し躊躇します。