神奈川/海老名 エブリデイ海老名イ (original) (raw)

神奈川県海老名市、小田急/海老名駅からの歩き旅です。

(2011年2月当時)

▼前回記事の神奈川/座間② 寺社からの聖地へにて旅した座間市と同じ日に訪問した、隣の海老名市の記事となり、やはりこれもまた今から10年前のものとなります。

海老名駅は、小田急以外に相鉄、JRと駅があり、いくつかの駅舎を越えた後の駅前にこの「海老名中央公園」がありました。

1985(昭和60)年に開園したというこの公園、現在地はその入口にあたりますが、ここから色々見る事ができ、これは嬉しい誤算でした。

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▼海老名中央公園を歩いて行きます。

公園、といっても前回記事の座間のような自然風景の公園ではなく、アスファルトで固められた広場にショッピングセンターなどができた都市公園的なものです。

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▼そのショッピングセンターのメインのひとつに、この「ViNA WALK(ビナ・ウォーク)」があります。

公園よりもずっと後の2002(平成14)年に開業したもので、その前にはVINA1番館、2番館として1989(平成元)年に開業していましたが、一部を一旦閉じる形で、ViNA WALKとして生まれ変わったといいます。

それまで海老名市は中核となる部分をもたない街の構造だったといいます。

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▼海老名中央公園の最も象徴的な存在としてこの「七重塔」があります。

これはホントに来て良かったし、見れて良かったと思いました。

相模国分寺の七重塔をモチーフに、実際に建てられていたであろう建物の1/3のスケールで造られたといいます。

大きな模型チックではありますが、ドーンとインパクトがあって存在感があって、こういう駅前のショッピングセンター群内に浮いてる感じもしますが、できたのはこっちが先という事で。

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▼七重塔のバックにOIOIがあったりして、不思議な光景です。

そしてそのOIOI(MARUI)の建物から取って付けたような渡り廊下が出ていました。

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歴史のさんぽみち 周辺案内

というマップが出ていました。

座間もそうですが、相模国分寺のあったこの海老名もまた歴史ある街で、特に国分寺跡がクローズアップされていますが、それだけでも見る価値大いにありと思います。

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ビナウォークに色んな店舗が入っているのが見えます。

10年前の様子につき、多少顔ぶれは変わっているかもしれませんが…。

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ビナウォークの立体駐車場がすごくカラフルで、ある意味海老名に居て大きなインパクトのあったひとつでした。七重塔も印象的でしたが、このカラフルさの目に飛び込み具合が個人的にすごかったです。

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▼駅前から各方面への標識がありましたが、相模国分寺跡も海老名駅も約400mという事で、海老名駅からでも1km足らずの徒歩圏内で行けるので、国分寺跡へ行く事にしました。

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国分寺跡まで約100mまで近づいた地点に地図と標識がありました。

海老名駅から1kmのところで、結局海老名駅から相模国分寺跡まで1km越えてるやん、となりました(笑)

国分「尼」寺の方へは、ここから更に1.2kmほどを要する事となり、この時は尼寺の方へは行きませんでした。

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▼海老名の大ケヤキ

がありました。

「け 県央に さすが海老名の 大欅」なる川柳の句も添えられていました。この周辺には、こういうかるた形式にて名所や名物的なものの紹介がなされていました。

またここに「県央に」とあるように、海老名市は神奈川県のほぼ真ん中に位置しています。

この欅は神奈川県指定天然記念物に指定されており、国分寺参道入口の象徴的な存在です。

元々は船繋ぎ用の杭として売ったものが発芽して大きくなったといわれ、根回りは15m余り、高さは20m余りにもなるといいます。古くよりケヤキ林が自然植生していたといいますが、そんな中でもとりわけ保護されて残ってきた個体のようです。

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▼**高野山真言宗 国分寺**

の碑にて表示がありました。

モロに国分寺?とビックリしましたが…。というのも大体「○○国分寺跡」という形で出ていて、現役のお寺として国分寺という形で見た事がなかったので…。

↓お寺のサイトがありました。

www.s-kokubunji.or.jp

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国分寺の本堂へ。

国分寺なので、聖武天皇の治世からの歴史がありますが、この本堂は1994(平成6)年の再建によるものだそうです。

真ん前の高い塔?が印象的でした。

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国分寺梵鐘(ぼんしょう)です。

釣鐘な訳ですが、国分寺建立時に造られたものが火災などもあり、室町時代に現在地へ移転したといわれています。

移転前は鎌倉末期に国分季という人物が物部国光という人物に鋳造させたとありました。鐘は大正時代には重要文化財に指定されていたといい、鐘楼としては1976(昭和51)年に完成したもの、とありました。

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▼いかにも国分寺跡、と思わせるような礎石跡がありました。

これぞ国分寺跡という感じでした。

「て 天平の 礎石が語る 国分寺」とありました。

相模国分寺を区画する寺域は東西240m✖南北300mともいわれています。

こんな広い土地に色んな建物が建っていて、人々が行き来していた事を想像してみますが、バックの住宅街があるとそれがなかなか難しいと感じました。しかしこのスペースだけで考えると、広がる景色にいにしえをちょっと想像でき…ませんか?

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国分寺の概要掲示はかなり色褪せていましたが、環境整備事業としての掲示もなされていました。

1990(平成2)~1996(平成8)年にかけて、各塔の発掘調査を実施し、資料をそろえていったそうで、現存する礎石は現在地で保存する計画、と2000(平成12)年当時の掲示板にて記されていました。

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国分寺跡の敷地を出て、塀周りを歩いているところです。

地名も「国分南」とあり、国分寺の名前が残ったものとなっていました。

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海老名駅へ戻ってきました。

海老名=相模国分寺のイメージが強かったですが、訪問前はただの都会の街ぐらいにしか思っていなかったので、実際に歩いてみて良い収穫が得られました。

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