檸檬の日記 (original) (raw)
9/1〜9/4で台湾に行ってきました!
英語圏の旅行ばかりしている自分にとってかなり衝撃的なところや、面白いところがあったのでまとめていきたいと思います!
※一つの記事にするにはちょっと盛りだくさんすぎるので、全体で3つの記事に分割してます。
前半では全体の流れと1,2日目、後半では3,4日目+ホテルや旅のTipsを中心に記載します。
故宮博物院は記載が増えるので別の記事に記載します。
⭐︎前半はこちら
⭐︎故宮博物院はこちら(未掲載)
目次
旅の概要(再掲)
今回の旅行は以下のスケジュールを予定していました。
航空券とホテルの予約はJTBのツアーを利用しました。
2日目:散策(迪化街、霞海城隍廟、行天宮)、台湾料理 、故宮博物院、北京ダック
3日目:散策(十份、九份)、夜市
4日目:お土産調達、帰国
3日目
十份へ行く
この日のメインは十份と九份ということで、十份からスタートしました。
十份への行き方は主に電車になります。十份まで行く電車は国営台湾鉄道になり、台湾市内を走る地下鉄とは違う電車になります。
台北市内の台湾鉄道の駅は主に台北駅と松山駅がありますが、地下鉄からの乗り換えがいい感じなのは台北駅のみになります。なので我々はまず台北駅まで行き、台北駅から乗ることにしました。
十份へは直通電車がないためまず瑞芳駅を目指し、瑞芳駅で平渓線へ乗り換えて目指すことになります。平渓線は1時間に1本、多くても2~3本しか走っていないため、狙って乗る必要があります。
今回は時間を短縮するために行きに特急電車に乗ることにしました。通常の各停電車(区間号と呼ばれる電車種別)であれば約55分かかるところが、特急(自強号という種別)に乗ると35分程度で瑞芳駅まで行くことができます。
自強号は全席指定制となっており、インターネットや駅の窓口のほか、駅の券売機で買うことができます。駅の券売機は多言語対応しており、日本語を選択することで比較的スムーズに切符を購入することができます。券売機での支払いはクレジットカードにも悠遊卡を利用できます。
電車に乗る際は改札を通りますが、各停に乗る際はSuicaで電車に乗るように悠遊卡で改札を通ればOKです。特急券を購入して切符を利用する際も日本で切符を購入した場合と同じように改札に投入口があるので、投入口に差し込み出てきた切符を回収すれば問題ありません。特急券は運賃と特急料が含まれているので、特急切符を利用する際には悠遊卡を利用する必要はありません。
という様々な面倒を乗り越え、いよいよ電車に乗り瑞芳で4分間のダッシュ乗り換えの後、4両編成の平渓線に乗って十份を目指します。
平渓線の車両には御手洗いが設置されており、なんとこのお手洗いが水洗で感動しました。手を洗う場所もハンドソープ完備の自動でお水が出る自動水栓で、下手に十份でお手洗いに行くより綺麗かもしれないくらいよかったです。
平渓線で30分くらい行くと十份につきます。
平渓線は急勾配を斜面に合わせてゆるゆると登っていくのでカーブも多く、箱根登山鉄道のような感じがする電車です。崖を切り開いた場所や土手を走っていくので、今地震きたら終わりだわと思いながら乗っていました。景色はど田舎を超えて山とか渓流が多いです。時々思い出したように民家が登場します。
個人的に一番似た感じと思ったのは黒部渓谷鉄道トロッコ列車でした。トロッコ列車ほどオープンエアーでもなく、渓谷が大きく広がるわけではないのでちょっと圧迫感は強めですが、景色はやや似ています。中国大陸の山奥ほど水墨画のような景色とはいかないものの、十分日本の渓谷とは違う雰囲気を味わえます。
特急券を買って電車に乗った場合は十份で乗り越し清算をします。19元で現金のみの利用となります。悠遊卡で各停に乗ってきた場合は、日本の無人駅にある簡易自動改札のようなマシンにタッチで完了です。
少し話がそれますが、十份の駅には古い形のポイント切り替え用ハンドルが残されていました。現役かは不明ですが、今や日本では見ることのできなくなったものを台湾で見かけて少し感動しました。
十份
十份に着くとランタン飛ばしの熱烈勧誘を受けます。ランタンを飛ばしたい人は勧誘への反応が良いらしく、無反応でいると興味ない判定をされてすぐに別の人へ勧誘を始めるので、興味がない場合はサクサクスルーで乗り切れます。
ここではマンゴージュースを飲みました。やや薄かったですが、全体的にちょっと観光地価格だったので、比較的良心的なお店だったと思います。お店の人は日本語が通じる方だったので、かなりスムーズに注文から商品の受け取りまでできました。お店のメニューには「スターバックスカフェラテ」と日本語でメニューに書かれてて、読み上げたら店員さんに「スターバックスは無い」と言われ爆笑しました。
マンゴージュースを飲んでいると韓国人のツアー御一行が私たちの立っていた辺りに集まり、何やら説明をし始めました。しばらくすると線路から退くように注意して回る人が現れ、走行しているうちに電車がやってきました。十份では線路を囲う柵が不十分なので、すぐ目の前に電車が走っていくという経験ができます。
成安宮天燈媽
十份といえばランタン!のランタン飛ばし発祥の道教のお寺だそうです。
訪れた際にはご近所さんが酒盛りしていました。
ここは媽祖廟ということで媽祖を祀っていますが、媽祖は海の守り神でありよく港町に作られるものです。日本では横浜や長崎に港に入港する船の航海が守られるようにと媽祖廟があるのが代表例ですね。そのため山奥に媽祖廟があるのは謎に感じました。
調べたところ福建広東あたりで飢饉が起きた際にある4兄弟が十份に移住し、染料の栽培と輸出を始め、その輸出が船を使うために航海が守られるようにと媽祖を祀ったのが始まりだそうです。
媽祖廟のお祭りでは船から降ろした媽祖の御神体を媽祖廟まで運ぶといったことがしばしば行われますが、当時のこの媽祖廟ではどういうお祭りが行われていたか少し気になりました。
十份瀑布
十份のナイアガラ(とアピールされ)呼ばれている滝です。
十份瀑布まで行って帰ってくると1時間程度かかります。ルートが2本あり、炭鉱時代のトロッコなどが展示されている自然あふれる川沿いルートと、バリアフリー整備されている遊歩道があります。十份駅から歩くと、最初に川沿いルートの入り口が見えます。遊歩道ルートへ行きたい場合は川沿いルートの入口をスルーし、ひたすら直進すると入口がみえてきます。
川沿いルートは吊り橋、溶接が激甘の階段、タッチできそうなほど側を通る電車を見ることができます。また、謎の馬や麒麟のブロンズがたくさん置いてあるゾーンもあります。
遊歩道は森の中を歩く感じになります。遊歩道の入り口近くに何故かマーライオンの置物がいます。
滝は割とこじんまりしており、滝の一番上に人工物を置いて滝全体に流れる水量の調節をしているという、かなり人間の手が入っている滝でした。夏に行ったということもあり、とにかく植物が生い茂っってあまり滝が見えないという状態でもありました。
九份に向かう
十份から平渓線に乗り瑞芳駅まで戻り、バスに乗って九份を目指します。
ここで行き先をよく確認せずにバスに乗った結果、真逆に向かって目的地から離れていってしまうというハプニングがありました。googleマップで想定ルートを見ていたため気づきましたが、気づかずにいると1時間かけて2つ隣の市まで行くところでした。
バスの運転手のおっちゃんに相談して瑞芳駅まで戻り、今度こそ正しいバスに乗り九份に無事辿り着きました。
九份は九份老街のバス停で降りると坂道を下る形で動けるから楽という情報を聞いていたので、九份老街でおりました。
九份
九份では草餅を食べ、自称湯婆婆の屋敷として有名な阿妹茶樓へ行きました。
草餅は様々なところで紹介されている阿蘭草仔粿です。どの味も人気で常にバックでこねて作っていました。今回は緑豆味を食べました。日本では草餅と聞くと甘い小豆餡が入っているものを想像しますが、台湾の草餅は甘くないのが通常のようで、緑豆味の草餅もだいぶしょっぱかったです。餅自体も甘くないので、日本の草餅に慣れている身としてはアンバランスさを感じる味わいでした。
阿妹茶樓ではティータイムということでお茶をいただきました。
ティータイムは外国人か中国人(厳密には中国語でコミュニケーションができるか否か)によって出されるメニューが変わります。外国人であればメニューは一択となっており、中国語が喋れればお茶などを選べるようです。
外国人向けメニューではお茶菓子4種(きなこのかかったわらび餅みたいな餅、甘梅干、甘い落雁、胡麻煎餅)をいただきながら烏龍茶を暖かいのか冷たいのどちらか選んだものをいただく形になります。
冷たい烏龍茶を選ぶと急須に冷たいお茶を淹れて出されます。おかわり自由でどんどん急須に追加のお茶を淹れてもらえます。
暖かい烏龍茶を選ぶと中国茶専用のセットが登場し、店員さんのレクチャーを受けながら飲む形式になります。茶葉もどっさり使いきれないほど渡されます。茶葉はスタッフから持ち帰り用の袋をもらって使ってない茶葉を持ち帰ることができます。
お茶もおいしかったですが、落雁がとにかくおいしかったです。
九份の景色
九份といえばあの提灯にあかりが灯った姿ということで、少しお土産を調達しつつ日没を待ち見てきました。日が沈むか沈まないかの頃に夕立のような雨が降り、傘を持っていない人たちは右往左往していました。
帰り道
特に帰り道の方針はなかったのですが、帰ろうと思って乗ったバスがちょうど台北市内まで向かうバスだったためそのまま乗って帰りました。途中までこんなノロノロで台北まで迎えるのか心配していたのですが、気がついたら高速に乗って100km/h近くで爆走しており、なんだかんだで1時間と少しで台北市内まで戻ってきました。
ベトナムで乗った爆走するヒュンダイのバスよりはまだ乗りごごちがマシでしたが、下を向くと一発で酔う気がしたのでずっと遠い目をしていました。サスペンションが固く、シートも硬いためお尻にダメージが来るバスでした。
夕食
特にレストランで食べる元気もないということで、バス降りて目の前にあったSOGOの地下1階フードコートで各々食べたいものを食べる形になりました。
私は屋台で食べられなかった蚵仔煎(牡蠣のオムレツ)、魯肉飯(ルーローハン)、わからないスープ、よくわからない野菜のセットを食べました。
牡蠣はどうしても屋台で食べるのが怖かったので、フードコートで食べることができてよかったです。全体的にすごくおいしくてペロリと食べられました。
夜食
どうしても牛肉麺が食べたいということで、SOGOの近くにあった竣師父牛肉麵をテイクアウトして帰りました。また、SOGOの食品売り場でマンゴーが安く売っていたので、マンゴーも買って帰りホテルに戻ってから食べました。
牛肉麺はどうも王道ではなかったようでラーメンみたいでした🤣テイクアウトは考えられていて、麺が伸びないようにスープが袋に入っていました。電車に持ち込んでめっちゃ迷惑じゃないかドキドキしていました。
マンゴーは甘くておいしくて嬉しかったです。夜市の屋台でもカットマンゴーは売っていますが、かなり割高なのでどこか高級スーパーでマンゴーを買ってくる方がリーズナブルです。
4日目
台北101
一応台湾来たし、台北101見ておかなきゃじゃない?ということで、チェックアウト前にダッシュで真下から見てきました。まさかの登ってはいません。
台北101の下にある商業施設ではお土産をいい感じに買うことができます。
松山空港はお土産コーナーが貧弱でほとんどお土産を選ぶ余地がありません。そのため事前に計画的にお土産を買えるスポットで調達していく必要があります。
中にある高級スーパーではロボニャンが販売促進させられていて面白かったです。
帰国
6時間遅れの離陸から始まった旅行も帰りは無事に飛行機が飛び帰国となりました。
前述の通り松山空港は非常に中の店舗がしょぼいので、食べ物も含めてあまり期待しない方が良いです。
ホテル
今回宿泊したのはリージェント台北でした。
日本語を話せるスタッフがおり、フロントではあまり英語が通じない感じでした。そのため、日本人だと説明した上でgoogle翻訳を使ってどんな話をしたいのかスタッフに伝え、対応をお願いする形になっていました。
リージェント台北ではなんと大浴場があり、追加料金なしで入浴することができます。大浴場と日本語では呼んでいるものの、実際にはジム&サウナのサウナ部分になっており、サウナと一緒に大きな湯船がある形になります。日本と比べて非常に浴槽が深く、身長154cmの私は立ったときにおへそあたりに水面があるくらい深かったです。
お風呂へ向かうときはドレスコードがないのですが、ホテルの構造の関係上ロビーを抜ける必要があり、なかなか部屋着では行きにくいといった感じでした。しかし、やはり湯船に浸かると疲れが取れるので頑張って通いました。
朝食はビュッフェスタイルで、一部の台湾ローカル料理はこちらで食べることができます。全体的に普通においしいですし、台湾のお料理は一番おいしいです。
親曰くコーヒーはめっちゃまずいとのことでした。お茶も烏龍茶以外は微妙でした……
旅のTips
両替
さまざまなところでできますが、郵便局や銀行でやると一番手数料が安くお得です。郵便局は両替を扱っていないところがあるので要確認となります。
いずれにせよ両替する際はパスポートが必要になります。また、破れている日本札は両替してもらえないため、綺麗なお札を用意しておく必要があります。
現金は悠遊卡にチャージする時や屋台での買い物で必要となります。
夜市を楽しみたい場合は多めに、クレジット決済が可能な場所が多い場合は少なめに両替しておく感じになると思います。
今回の目安としては3泊4日で一人1万円も両替しなくてよかったかなという感じです。
チップ
旅行会社からチップを渡すように言われますが、チップ不要と思われました。高級な飲食店ではサービス料を加算するシステムになっています。荷物を持ってきたベルボーイへチップを渡したところ、やけに驚いていたので一般的ではなさそうです。
悠遊卡
とりあえず買っておけば移動はどうにかなります。
地下鉄、台湾鉄道、バス、コンビニ、自販機など、日本における交通系ICカードようにどこでも使えます。一番スタンダードなタイプは各地下鉄の駅の窓口で購入できます。かわいいカードを購入したい場合はコンビニにて購入できますが、かわいいカードは少し高いことが多いので、よくお値段を確認して買う必要があります。
チャージが現金でしかできないことと、チャージできる場所が各駅の券売機とコンビニくらいしかないので、あらかじめ見越してチャージしておく必要があります。
払い戻しは原則やっておらず、最終利用から10年間の有効期限になっています。
コミュニケーション
想像しているよりもずっと英語は利用できません。一方で脅威の識字率と感じるくらい皆さん文字が読めます。そのため、コンビニもタクシーも全てgoogle翻訳で画面を見せ合って会話する形になります。
台湾に行く際には必ず通信できる状態でなんらかの翻訳ツールを持って行った方がいいです。
入国審査
台湾(中華民国)入国にあたって1人1つの入国書類を書くor事前電子申請する必要があります。書式は中国語、英語併記版の1種類しかないので、心配な人は記入サンプルの解説を持っていくか、事前電子申請をすると良いです。JALでは機内サービスのモニターから記入例を確認することができます。
9/1〜9/4で台湾に行ってきました!
英語圏の旅行ばかりしている自分にとってかなり衝撃的なところや、面白いところがあったのでまとめていきたいと思います!
※一つの記事にするにはちょっと盛りだくさんすぎるので、全体で3つの記事に分割してます。
前半では全体の流れと1,2日目、後半では3,4日目+ホテルや旅のTipsを中心に記載します。
故宮博物院は記載が増えるので別の記事に記載します。
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⭐︎故宮博物院はこちら(未掲載)
目次
旅の概要
今回の旅行は以下のスケジュールを予定していました。
航空券とホテルの予約はJTBのツアーを利用しました。
2日目:散策(迪化街、霞海城隍廟、行天宮)、台湾料理 、故宮博物院、北京ダック
3日目:散策(十份、九份)、夜市
4日目:お土産調達、帰国
1日目
出発
飛行機は朝8:55のJAL097便 羽田空港発 松山空港行きに乗って12時くらいには台湾に到着しているはずでしたが、前日0:33に出発が2時間遅れる連絡が。
当日になり予定より少し遅めに空港に向かいチェックインしたところ、2時間の遅延に対して1,500円分の回るクーポンが搭乗券と一緒に出てきました。
このクーポンは使えるところが限られているようで、JAL097便に乗る予定の人はほぼ同じ店に吸い込まれていました。
チェックインを終えた後に散歩がてら羽田空港第3ターミナルの5階にある滑走路が見られるデッキに行くと、すぐ目の前の駐機場所に乗る予定の飛行機がいました。ただ何やら飛行機の前輪部分に人だかりができており、「たぶん車輪故障で遅延したんだねー」などと話していました。
そんなこんなで時間を潰し、いよいよ保安検査場と出国審査も通過して免税品を書いつつ、搭乗口付近で待機するも、一向に搭乗開始の連絡が来ません。いよいよ遅延後の出発時刻になったところで、さらに機材変更による遅延を知らせるアナウンスが出ました。再遅延後の出発予定時刻は16:20(ただし確定ではなく推定)、ミールクーポンをもう一度配布との連絡がありました。
この1500円分を母と私はお寿司に、父はバーガーにしていました。完全な余談ですが、このお寿司はおいしいとは言い難かったので避けるのが吉です。
このあとは更に3時間ほど時間を潰す必要があり、人生で初めてクレジットカードで利用できる空港内ラウンジを利用しました。お茶やジュースなどソフトドリンクが飲み放題でWi-Fiも無料、コンセントがあってとてもよかったです。椅子もふかふかでお手洗いも綺麗で、次から積極的に利用したいですね。ゴールドのパパカード※を利用してのラウンジ利用だったので、持っててよかったパパカードでした!
※パパカードとは、父親の家族カードで名義は自分であるが引き落とし先が父親の口座となっているクレジットカードのこと
16:00頃になり、改めて搭乗ゲート近くに行くと今度はちゃんと飛行機の準備が整えられている様子でした。しばらく待った後に搭乗手続きが開始され、16:45に5時間50分遅れでの出発となりました。
9月の羽田発台湾行の機内食は資生堂パーラー監修メニューめちゃめちゃおいしかったです。
JALでは事前に機内食を検索することができるのでメニューは事前に知っていたのですが、遅延すると機内食がなくなることがあるという情報を見かけて、食べられなかったらどうしようとしょぼしょぼしてたので嬉しかったです。
台湾到着
1日目だというのに尋常でない疲れと共に約6時間の遅れで台湾に到着しました。意外と荷物が出てくるのが遅く、飛行機を降りてから入国するまでも時間がかかりました。
空港からホテルへはツアーに付属していた送迎で送ってもらいました。
松山空港の到着ロビーを出ると様々なカウンターがありますが、看板の主張は控えめで人が多くマップがほとんど無いため、寄りたい場所がある場合は事前に確認しておくのをオススメします。
夕食
飛行機が着陸した頃はまだ空が明るかったのですが、ホテルに着く頃にはすっかり真っ暗でした。時間は19時になっており、朝ごはん、昼ごはん、機内食と3食既に取ったお腹にすぐ夕食を詰め込む必要に迫られていました。
前述の通りすでに疲れ果てていたため、近場で適当にということで旅行会社からサービスとして配られていたミールクーポンの対象店舗である金品茶樓に行きました。金品茶樓はホテルから徒歩5分くらいの場所にあり非常に近かったたことに加え、有名店の1つということを空港お迎えアテンドのスタッフから聞いたため行きました。
メニューは以下の5品です。
- 5種の小籠包(ノーマル、抹茶、キムチ、麻辣、カレー)
- 酸辣湯
- 青菜の炒め
- 角煮まん
- 桜エビの炒飯
台湾に到着したてて疲れ果てていた体にとっておいしく、比較的中華街で食べたことある味に近かったので、気持ちが落ち着くひとときでした。
実際に利用したミールクーポンの詳細はこちら
このあとはコンビニで悠遊卡を調達するなどしつつホテルに戻り1日目が終了しました。
2日目
2日目は1日目に行く予定だったところを一部詰め込みつつ、故宮博物館を目指すスケジュールでした。
西門(西門紅楼)
2日目は地下鉄で西門駅まで移動しスタートしました。
旅行ガイドによく載っている台湾の原宿的なポジションの街です。
西門で有名なのは西門紅楼という建物になります。西門紅楼は台湾が日本統治下にある時代に日本人建築家によって設計、建築された赤いレンガ造の建物で、現在は日本の赤レンガ倉庫同様に商業施設として利用されています。
前日に飛行機が飛ばなかった影響で休館日の月曜に行くことになったため、内部の様子は見られませんでした。
龍山寺
西門から歩いて台湾の住宅街を見つつ、龍山寺まで移動しました。
台湾で最も古いお寺の一つです。
非常に多くの金の貼られた仏像が本殿に並んでおり、近づいてみることはできないですが日本お寺との違いを実感できます。
行った日はちょうどお祭りの日だったらしく、境内に所狭しとお供物や奉納品が並んでいました。
本殿の門の手前には昔奉納された人工の滝があり、面白いです。
反対側には噴水があり、色々と奉納の仕方も日本と違うことがわかる風景でした。
迪化街
龍山寺の後は地下鉄に乗って雙連駅に行き、迪化街散策へ行きました。
迪化街は主に乾物系の問屋街となっており、普段スーパーで見かけるような調味料、香辛料、食材の他に燕の巣やもはやどう調理していいか知らないアイテムまで、さまざまなものが売られています。
日本の検疫は海外からの動植物の持ち込みを状態によらずほとんど禁止しているため現地で消費できる程度でしか購入することができません。なので、見て楽しむことがメインになります。
奥の方へ行くと数店舗ほど漁師網バッグという台湾で有名なナイロン製のバッグを購入できるところがあります。こちらのお店は漁師網バッグの他に様々なものを編んで作られたバッグや籠を売っています。木製のスプーンや調理道具もありました。若干高かったですが、お土産にと買っている人も多かったです。
また、途中にドリンクショップがありますが、あんまりおいしくなかったです……(写真撮り忘れました)
ここではまさかの緑と黄色のネコのトラックを発見し、うーん日本と変わらない……と思わされました。
霞海城隍廟
縁結びの神様が祀られているという場所でした。
場所は迪化街の真ん中あたりにあり、そこそこ人で賑わっていました。
外の壁にお参りの仕方が日本語で解説されており、ステップが10個くらいある覚えきれないほど複雑な参拝方法でした。
お昼
お昼は台湾料理をということで、龍鮑翅というお店に行きました。
フカヒレスープなどが食べられるお店ですが、他のフカヒレスープ提供店と比べて比較的リーズナブルです。
日本ではフカヒレスープのフカヒレの種類を選べないお店が大半ですが、ここでは背鰭か胸鰭か鰭の種類を選ぶことができます。また、ナマコ料理も提供されていたので、フカヒレスープ、伊勢海老のなんか、ナマコの醤油煮の3種を楽しみました。
行天宮
台湾で一番有名と思われる関帝廟です。
お昼を食べた場所の近くにあったため寄りました。
こちらでも行った日はお祭りの日だったようで、お供え物を携え参拝される人が多かったです。
空いているタイミングであれば係の方がお参りの方法を丁寧に教えてくださるそうです。
こちらも丹塗りの建物で非常に鮮やかで面白かったです。
故宮博物院
ここからは2日目のメインである故宮博物院に地下鉄で一気に移動していきました。
博物院最寄り駅である士林からはバスかタクシーで向かいますが、当日は時間がなかったためタクシーで向かいました。タクシー代はだいたい200元以内です。
通常の開館日カレンダーでは月曜が定期休館日となっていますが、この日は祝日だった影響で特別開館日になっていました。
故宮博物院の展示などに関する話はこちら(未掲載)
饒河街観光夜市
この時点で食べまくりで消化が間に合っておらず、非常に胃がしんどい状況に陥っていたため、この日の夕食は予定を変更して夜市へと向かいました。
饒河街観光夜市では狙っていた屋台がいくつかあったのですが、うち一つが当日は出店していなかったようで食べられませんでした。
お腹がすでにいっぱいだったので、狙っていた屋台の一つである胡椒餅を食べ、フルーツを売る屋台で気になったフルーツを調達して帰るにとどまってしまいましたが、台湾の空気を味わえる場所の一つで非常に面白かったです。
饒河街観光夜市の近くには松山慈祐宮という媽祖廟があります。
こちらは夜になるとライトアップすることで有名な場所となっており、饒河街観光夜市に行く際にはおすすめな場所です。
また、饒河街観光夜市の最寄り駅である松山駅の駅前広場には日本の愛媛県松山市から送られた道後温泉近くにある物にそっくりなからくり時計があります。
唐突に道後温泉を感じる雰囲気で少しシュールでした。
ホテルに戻った後
夜市からはそのままホテルへ戻り、夜市でゲットしたフルーツを食べました。夜市で買ったフルーツは釈迦頭(バンレイシ)というもので、日本では見かけることのできないフルーツです。
釈迦頭は見た目が螺髪のあるお釈迦さまの頭のようにゴツゴツしており、言葉に表し難い甘いけどなんかさっぱりしている感じの味になっています。熟してないところを食べるとかなり青臭いです。
熟している場合はゴツゴツの一つ一つが手でもげる状態になっており、ナイフを使いながらというよりは手でもぎながら食べるものだそうです。
正直、今回食べたものは次は買わないかなという感想になる味でしたが、色々面白かったです。たぶんちゃんと熟していればもっとおいしいのだろうなと感じました。
ここで2日目が終了となり、3日目に続きます。
3日目以降は後半の記事へ
後半の記事はこちら
先日飲み会で中学受験の話になり、中学の入学式と大学の入学式で「あなた方は神に選ばれてここにいます。」と言われたことを思い出した。
私は中学受験をしてミッションスクール(プロテスタント宣教師によって設立されたキリスト教学校)の中高一貫校に進学し、大学も予期せずプロテスタントを掲げる女子大へ進学した。
中学の入学式では校長からのメッセージで冒頭のこと言われたことが非常に衝撃的だった。当時、受験を終えたばかりの自分にとっては試験を勝ち抜いてきたからここにいるのであって、神の意思など関係ないと考えていたからだ。
大学の入学式でも同じようなメッセージを受けた。こちらは中学で一度聞いていたことに加えて、このメッセージはミッションスクールの入学式あるあるだと知っていたため、予想通りだった。
中学の入学式も、大学の入学式もそれぞれ校長のメッセージにそんなこと言われたって、と全然納得していなかった。自分の力で入試を終えた結果だと思っていたし、学力勝負の結果が神の意思によって左右されてたまるかと思っていた。
特に大学は中高の温室を出て初めて広がる世界が嫌になり、不貞腐れていた時期もちょっと長かった。人間関係も、大学生活も、強い希望は元からなかったが自分の予想を遥かに超える苦手な人たちとの出会いに面食らってばかりだった。だからより一層、神に私の人生を変えられたく無いと思ったし、神は私を救ってくれないと恨んだりもした。
しかし、改めて飲み会の帰り道にふと、神に導かれていると入学式で伝えられるのは一つの救いだなと思った。
思った形での受験とならずに落ち込んだ人にとって、今いるところが神に導かれた先なのだと自分の中で折り合いをつける手段になるからだ。もちろん前述の私のように納得できない人はたくさんいるだろうし、気持ちの折り合いの付け方として一時的かもしれない。苦しい気持ちもわかるし、やはり神に左右されてたまるかという気持ちになるかもしれない。
しかし、全ては自分の意志と努力で決めると考えたとき、失敗した現実も選択を間違えたという後悔も全てが自分に跳ね返ってきてしまう。自分が選び勝ち取ったという言葉は聞こえが良いが、辛くなったときに自分の逃げ道を無くしてただ自分を追い込むことになってしまう。
そう思えば、子供騙しのように感じるかもしれないが、言葉一つで一つの山を越えて気持ちを落ち着けて、次の目標を見据えることができるのならば利用して損はないと思う。
受験や就活に限れば、行きたかった学校に行けなかったけれど、10年後振り返ればその選択が最良だったかもしれない。
実際に私は中学受験で落ちた学校が中高在学中に週刊誌にいじめでホットトピックとして扱われていた。就活で行けなかった企業は株価暴落したり鳴り物入りのプロジェクトがコロナによって当初と比べて大きな計画変更を余儀なくされ事業撤退に追い込まれている。
現在の私は落ち込んだ時に声をかけてくれる中高の友人に恵まれ、1ヶ月前に決めたアメリカ弾丸旅行に行ったりするし、会社はなんかテレビでニュースになり株価上がってるらしいし、会社の同期と酒飲み旅行に行ったりなんてことも。
その瞬間の悔しさに囚われずに前を向いて走ったほうが世界が広がって思っていたよりも楽しくなっていいと思っている。
仕事においても自分では納得できないことは多々あるし、自分で動いてもどうにもならないことがないとはいえない。
そんなときはこれが今私の前に敷かれたレールだけれど、どこかに切り替えポイントがあるはず、だからこの分岐点を作ったり見つけたりするまで一つ与えられた道を頑張って走ってみようと思うようにしている。
人生悔いてばかりよりも失敗は失敗として受け止めつつ前を見たほうが良いに決まってる。逃げたいときは逃げちゃうし、それでも生きてれば何かしら楽しいこともあるはず。
ということで、次の炎上プロジェクトを楽しみに私もまだまだ頑張ってサラリーマンするどー!
気がつけば社会人4年目が目前で25歳になって「ああどうしよう!」と叫ぶ毎日を送ってます。
叫ぶ理由は割と単純で仕事が辛いから。
仕事が辛いと言っているものの、労働が嫌いなわけでもなくSEという仕事もたぶん向いている状況で何に文句があるのだと自分でも思います。
とはいえ、人は精神的に追い詰められれば苦しいと感じるものですから、なんとなく感じてもいないプレッシャー諸々に苦しんでいるのでしょう。
実際に普段温厚なマネージャーが私に激詰めしてくる夢を見る程度には精神的に負担が大きい様子です。
こんなことを言いつつも意外とシステム開発の仕事は好きで辞めるつもりはありません。ただ嫌になる瞬間は来るので「あいつのこと末代まで呪ってやる」「最低でもあいつを煉獄に落としてやる。失敗しなければ地獄だ。」とは頻繁に思ってます。だって恨むのはタダですからね!
みんな呪いで死んだっぽくても、善い人生だったはずが地獄でも私のこと恨まないでね!てへぺろ☆(・ω<)
プライベートに視線を向けると毎週馬に乗っている人でしかない私は、馬に乗っているSEというだけで変わり者じゃないかとはたと思うのです。
人と会話する時はもっとまともな趣味を出さねばと思いつつ出せるワードは「観劇」「日本酒」「パソコン」など。完全におっさんなのか女性なのかわからない、むしろアイデンティティの塊みたいな趣味してます。
傍から見ればこんな趣味が変でややこしそうな人と付き合ってくれる友人には感謝しかありません。
毎年春になるとたくさんの友人が色々と誘ってくれます。
そんな友人を大切にしつつ、これからもずっと面倒な人になるつもりです。
みなさんよろしくお願いします。
気がつけば3月も折り返し、1Qが終わろうとしている。
4月になれば私はいよいよ新人とは言えなくなる。社会人として独り立ちする日が来るのである。特に肩書きが変わることへの希望はなく、今と同じような日常が続くのだろうと漠然と思っている。
入社から2年間の間、私たちはコストの安い新人として扱われる。この期間に名ばかりのOJTで仕事に対する理解度を上げ、戦力になるよう努力を求められるのだ。
私のOJT期間は、特殊なプロジェクトにいた関係で研修が終わった直後からお客様対応、お客さんと何かあった時に矢面に立ったのは自分だった。
キャリアの観点では正直なところお客様対応なんて5年目などの中堅レベルで初めて経験でいいと思っている。もっとエンジニアリングや基礎知識を身につけたかった。しかしこれは新人のわがままなのだろう。
プロジェクト単位での仕事をしている人はご理解いただけると思うが、アサインによって要求されるスキル、身につくスキルは大きく変わる。
私はもっと黒い画面と向き合いたかったと今になって思う。ファーストアサインはローコードツールによる開発だった。他PJからもらったアセットを利用したミニ開発、非IT出身の新入社員にとっては適したアサインだったのだろう。しかし私はこのPJを通じて何もかもが嫌になってしまった。おまけに別のアサインを探すときに「あなたのコストでその技術力では、うちのPJでは開発をお願いできない」と言われる始末である。
ローコードも、他社パッケージのカスタマイズ導入も、シンプルな開発も、お客様対応も、全部苦手でできない私にどんなキャリアが残されているというのか。
こんな状態でため息が止まらないが、さらに悲しいことに上司はアサイン探しに非協力的で、1度availableに突入するとなかなか次のアサインが決まらない。世間では親ガチャという言葉が一時期話題になったが、ここでは部門ガチャ、上司ガチャだろう。
ここまでネガティブな言葉を並べてきたが、私も雇われの身。逃げることばかり考えるのも面白くないので、プロジェクトという働き方ができるのをポジティブに捉え、めげずにやりたいことにチャレンジしてみようと思う。
欲深くリードの職位を手に入れてから転職を狙うのも楽しいかもしれない。
社会人生活がスタートし、研修が終わったな〜とぼんやりしていたら、夏も終わりかけていた檸檬です。
今回は自作キーボードにチャレンジした記録を残しておこうと思います。
どうして自作キーボードに興味を持ったか
初めて自作キーボードを知ったのは、「マツコの知らない世界(TBS, 2020年7月21日放送)」で自作キーボードが扱われていたときでした。 そこで初めてキーボードを自作できることを知りましたが、特に興味を持つことはなかったです。
その後、複数の知人が自作キーボードを利用しており、様々な情報を得ることで自分にもできるかもと感じ、チャレンジしてみることにしました。
自作用のアイテムを用意する
自作キーボードといえば…そう!遊舎工房さん! ということで、秋葉原の実店舗に行き、キーボードの展示を見ながら選ぶことにしました。
遊舎工房
今回購入してきたアイテムたちはこれ!ということでひとつずつ見ていきたいと思います。
戦利品
キーボードセット(右・白い箱)
キーボードを自作しようと考えたときに、一番最初に決めるものはキーボードセットになります。 このセットにはキー入力を制御する基盤であるPCBやPro Microなどが同封されています。
キーボードセットを選んだ時点で利用できるキースイッチやキーキャップが変わるので、どうしても利用したいアイテムがある場合は注意する必要があります。
スイッチ(左下)
今回はKailh BOX Silent スイッチ(ピンク軸)を選択しました。 遊舎工房ではキースイッチを実際に触って感触を確かめることができます。 Choco60のようなキースイッチをはんだ付けをする形のキーボードセットの場合は、後から変更しにくいのでよく考えたほうが良いです。
キーキャップ(左上・黒い箱)
Tai-Hao ABS Cubic Midnight Sunを選択しました。 かわいいキーキャップは探せば探すほどあるので、当日に決めなくてもネットで探すのもありだと思います。 キーキャップは後からいくらでも変えることができるので、その場で気に入ったものを買ってしまうのも良さそうです。
その他必需品
- TRRSケーブル:分割キーボードを接続し1つとして扱うためのケーブルです。分割型キーボードを選択した場合は用意必須です。
- Micro-B端子を持つケーブル:PCとキーボードを接続するためのケーブルです。手持ちでもOKですが、モバイルバッテリー充電用では充電専用の場合があり、データ送信ができない場合があるので要注意です。
作る
1.ダイオードを基盤につける
基盤(たくさんの穴が空いている板)にダイオードをはんだで付けていきます。ダイオードは設置する向きがあります。Choco60では、基盤に設置向きが書かれているので、指示に従って取り付けをしていきます。
基盤(手前)とダイオード(左奥)
はんだ付け完了
ダイオードに関しては、ちょっとガタガタでもしっかりついていれば大丈夫です。 10年ぶりのはんだ付けでもなんとかなったので、心配はいらないと思います!!
2. TRRSジャックの取り付け
分割キーボードを接続するためのTRRSジャックを取り付けます。 大量のはんだを流し込むとジャック内に流れ込み、正常に認識できなくなってしまうので要注意です。
取り付けたTRRSジャック
3. タクトスイッチの取り付け
Pro Microをリセットするためのタクトスイッチを取り付けます。
取り付けたタクトスイッチ
4. スタビライザーの取り付け
スタビライザーを取り付けていきます。 Choco60のキットに含まれているものはPCBマウントのスタビライザーです。
スタビライザーは横幅の長いキーの場所に、軸の摩耗などを目的として設置しますが、とにかくカチャカチャとうるさいです。 うるさいのが苦手な人は、過去にスタビライザーの音と戦ってきた人たちのブログがあるので、それを参考に対策をしたほうがいいです。
また、PCBマウントのスタビライザーは装着するのが難しいです。 少しでも浮いていると、キースイッチの取り付けがうまくいかなくなってしまうので、しっかり全力で押し込んで取り付けます。
スタビライザーの取り付け
5. キープレートの取り付け
基板の上にキープレート設置していきます。 Choco60では、ここのネジを閉めるのが難しいです。 ペンチとドライバをそれぞれ手に持って締めるとうまくいきます。
ノリノリで作業をしていたので、写真を撮り忘れました。
6.キースイッチの取り付け
いよいよ、キースイッチを取り付けていきます。 5で付けたキープレートにはめ込んでいく形になります。 しっかりはめることができたら、キーボードを裏返して、各スイッチにつき2箇所はんだ付けを行います。
はめ込み方が甘いと、はんだ付けがうまくいかず、キーが反応しなくなってしまうことがあります。 ここも、しっかりと押し込んでいく必要があります。
キースイッチ取り付け
7.Pro Microの取り付け
キーボードとして使えるようにするPro Microをつけます。
遊舎工房で購入したセットには、コンスルーが2種類入っています。 右側は従来のコンスルー、左側ははんだ付けがPro Microとのみで利用できるコンスルーです。
左側のコンスルーを利用することで、はんだ付けが減らせます。 また、Pro Microが壊れた際に交換しやすくなる優れものです。
コンスルー
8.キーキャップの取り付け
キーキャプを付けていきます。 自分の好きな配列で、長さがを考えつつ付けていきます。
ほぼ完成したキーボード
9.キーフォーマットの設定
今回のキーマップ設定にはGUIで設定ができるVIAを選択しました。
Cocoa40 ・ Choco60 ビルドガイドに沿って設定できます。keys.recompile.net
完成…?
ここで「完成!」と叫びたかったのですが、問題が発生。
⭐︎左側上から2列目が丸ごと反応しない
Pro Microのはんだ付けが甘い状態でした。
私は「Pro Microにはんだ付けをやりすぎると壊れる」と聞いて、ビクビクしながらやった結果、はんだ付けがうまくいっておらず反応していませんでした。
⭐︎Rキーだけ反応しない
キーが反応しない原因は複数考えられますが、今回の原因はキースイッチが浮いており、キースイッチと基板のはんだ付けがうまくいっていないことでした。
キースイッチが浮いている状態
対処法としては、はんだ吸い取り線でキースイッチのはんだを取り、丸い穴からキースイッチを押し出して外し、再度取り付けし直すことです。
完成
ということで、最後の最後に動かないと焦りましたが、何度か無事動くことを確認して完成させることができました。
パソコンと繋いだ自作キーボード
完成に至るまでにTwitterで友人に聞きまくったり、再度店舗へ向かい店員さんに質問したり、いろいろ助けていただきました。ありがとうございました。
「さあ使ってみよう!」と、このブログを書く際に利用したところ、普段のタイピングがだいぶアクロバティックらしく、指が大パニックを起こして動けなくなったので、練習が必要ですね!
自分がキーフォーマットを決めたのに…と思わなくもないですが、慣れ親しんで長く使っていければと思います。
無事大学を卒業できそうなので、今回は「キリスト教と私」というテーマで振り返ってみたいと思います。
キリスト教学校の思い出
私は中高から大学をキリスト教学校で過ごしました。 どちらも日々の礼拝とキリスト教に関して学ぶ授業があり、各イベントでは特別な礼拝が守られることもありました。 気がつけば物心がついてからの半分以上の時間をキリスト教の世界で過ごしてきたわけですが、振り返ってみるとさまざまな出来事があったなと感じます。
中高
中高では各キリスト教関連のイベントの礼拝に加え、特別礼拝という形でハンセン病に関する理解を深めることや、国際問題を扱うこと、その他さまざまな社会問題に触れる機会がありました。
中高のイースター、ペンテコステ、クリスマスの他、宗教改革や収穫感謝では賛美礼拝や特別な礼拝が行われました。 特にクリスマス礼拝はキリスト教にとって大きなイベントであり、中高でも特別な行事として扱われました。 クリスマスの前のアドベントに入ると校内にリースやツリーが飾られ、日々の礼拝もクリスマスキャロルを歌うようになります。 渡り廊下にはJr.1が美術の授業で制作したステンドグラスが飾られ、馬小屋の飾りも置かれます。 クリスマス礼拝ではクリスマスページェント(降誕劇)とハレルヤコーラスを行います。
ハンセン病や国際理解の礼拝では、実際に経験したことや支援を行なっている人がお話ししてくださり、自身の生きている世界の狭さを感じるとともに、支援をすることへの難しさを感じました。
また、修養会と呼ばれる聖書に関する合宿型の勉強会もJr.1,Sr.1,Sr.3で行われました。 Jr.1の時に行われた修養会ではスタンツ(寸劇)を行い、私は放蕩息子(ルカ15:11-32)に出てくる不満を抱く兄の役を行ったことを今でも覚えています。 Sr.1の修養会では寒さのあまり体調を崩す人が続出したことや、部屋に人数分の布団が敷ききれず雑魚寝する事態、キャンドルサービスで友人の前髪が燃えたことなどがありました。さらに、講師として東日本大震災で被災された教会の方がいらっしゃり、オリジナルの賛美歌「エマオのおまえ」を紹介され、皆で歌いました。この「エマオのおまえ」は修養会後に隣のクラスでブームが起き、毎日終礼の時間になると隣の教室から聞こえてきていました(しかも熱唱してて、めっちゃうるさかった)。 Sr.3の修養会では日々の疲れと、中高最後の旅行ということで張り切り過ぎて礼拝中、聖書講話中に爆睡してました(本当にごめんなさい)。 その他、全ての修養会でキャンドルライトサービスが行われます。 普段は見ることのできないキャンドルの灯りのみの空間は忘れることのできない光景です。
大学
大学のキリスト教学の授業は中高ですでに教わったものばかりでした。 私の大学の日々の礼拝では、キリスト教の講義を担当する先生や、近隣の教会から講師を招きお話ししていただく形式でしたが、どの先生のメッセージも同じような内容で、聞くだけで疲れてしまうようになりました。 中高の各行事と比べるとどのイベントも華やかではなく、礼拝に参加すると中高時代の楽しかった日々が思い出されるようになり、自然とキリスト教から距離を置くようになりました。 次第に聖書も開かなくなり、大学構内でほんの少しキリスト教を感じる程度になりました。
キリスト教と私
私が一番最初に出会った聖句は、ルカによる福音書10章27節
彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
でした。 中高ではこの聖句に対して、「自身を愛していない上に、利己的な人間である私が隣人を愛せるわけがない、そもそも隣人なんて誰なのかわからない。」と感じていました。 中高では様々なことを経験しましたが、隣人に対する愛や他者のために働くことが全くわかりませんでした。
中高を卒業した後、意図せず大学もキリスト教主義学校になり、さらに4年同じような世界が続くことになりました。 大学ではキリスト教を学んだことを活かして、他の一神教を学び比較することに興味を持ち、主にユダヤ教やイスラム教との違いを学んでいました。
大学生活が後半に入った頃から、自分にとってキリスト教がどんなものだったかを考えるようになりました。 私にとってキリスト教は、初めて触れ、深く学んだ宗教でした。 その教えは私にとって大きく影響を与え、今でもその教えをもとに日々を歩んでいる面もあります。 この後半の日々では、特に自身が世になすべき務めを考えていました。 就活で将来を深く考えるタイミングだったこともあり、これまでを振り返った結果、私は隣人のために働きたいと感じました。 このとき、中高時代にはわからなかった、「隣人を愛する」こと「他者のために働く」ことがなんとなくわかるようになりました。 現在はキリスト教の考えから、義務を果たし、隣人を愛して与えられた役割を果たしていきたいと考えています。
私と宗教
私はこのような世界にいましたが、悩んだ結果キリスト教を信仰しないことを選択しました。 理由は神の与えし試練は全て乗り越えられるというキリスト教の考えでした。東日本大震災直後の4月に中学へ入学した私は、礼拝のお祈りの中で何度も「どうしてあなたはこのような試練を与えられたのか」という問いを聞きました。 震災から数年経っても立ち直れない人々を見て、本当に私たちは全ての試練を乗り越えられるのだろうかと疑問を持ちました。 また、神が本当に全知全能で私たちの願いを聞き入れてくださる存在なら、なぜ苦しみ続ける人がいるのかといった疑問を抱えました。 これらの疑問は解消できず、結果的にキリスト教に対して親しい感情を持ちつつ、別の宗教を信仰することを選びました。 (もちろん、教会に通っていたわけでもなく、中高の日々を通じて知った教えをもとに考えたので、間違っている点はあると思います。)
長い間、キリスト教学校に通い様々な経験をする中で、キリスト教の文化やイベントは好きでした。アドベントに灯される4本のろうそくやイースターエッグ作り、Thanksgiving Dayに食べるパンプキンパイなどなど。 今でも礼拝にお邪魔させていただくこともあります。キリスト教の思想を全て否定するわけでもなく、部分的には自身の考えに取り入れ、生かそうとしている部分もあります。 一方で、どうしても一神教を受け入れることができず、私は多神教の考えなんだなあと微かに感じました。 そして、様々なものに神がいて欲しいし、神には得意不得意があって、すごく人間っぽい神がいて欲しいと思ったのです。 神様だって完璧じゃなくていいし、なんとなく助けて欲しいときに、なんとなく助けてくれる神様が気楽でいいなと思いました。 超越した力を持つ存在を信じつつ、日々の生活は神に頼らず自分で頑張ることを中心に考えたいと思い、最終的には神社に通うようになりした。
終わりに
私は宗教が大好きです。 宗教を知るということは、人間を知ることだと考えているからです。 私は日本ではタブー視されがちな宗教を、生活の基盤の一つだと考えています。旧約聖書には歴史書に分類される書物(ヨシュア記〜エステル記の12の書)がありますし、日本には日本書紀があります。 これらは、民族の由来を説明し、アイデンティティを形成するものといえます。 宗教と文化は密接に結びついており、他の文化を理解するためには宗教を知る必要があると考えています。アメリカの大統領の就任式で聖書の上に手を置いて宣誓を行いますし、様々な文学、建築、哲学などにもキリスト教の影響が現れています。 また、宗教はその宗教が生まれた土地の風俗や共同体を営む上で必要なルール、生活に関する知恵を伝承するツールの一つだと考えています。旧約聖書の創世記から申命記はモーセ五書と呼ばれ、律法についてを扱っています。 律法は神との契約で、破ってはならないものです。 その中身は礼拝のやり方などを含みますが、殺人や盗み、偽証を禁じる部分もあります(出エジプト記20章12〜17節『十戒』の一部)。 このように、宗教は自治を円滑に行うツールでもあったと言えるでしょう。 宗教は生活に大きく関わっており、切り離せない関係であるとわかります。
何かの宗教を信仰する事で強くなれることや、逆に脆くなることがあると思います。 しかし、何かを頼れることは素敵だと私は考えます。 私はキリスト教に出会い、勉強し、自身の知らない世界を知ることができたと共に、良き友人に囲まれました。 これらは私がどこにいようと大切にできる宝物です。 中学の入学式の日に私の名前を呼び、選ばれ、この機会を与えてくださった神に感謝して、終わりにしたいと思います。
最後に、私の好きな聖書箇所を一つ紹介させてください。
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求めるものは受け、探すものは見つけ、門をたたく者には開かれる。(マタイ7:7-8)
私の友人たち、その他ご縁があった全ての人に私以上の御恵みがありますように。