「エスノメソドロジー(ethnomethodology)という学習科学」 ~ 教育・学習と社会学 ~ (original) (raw)

今回は、エスノメソドロジーethnomethodology)という学習科学」というテーマで考えてみます。

エスノメソドロジーethnomethodologyというのは、いわゆる社会学の分野の話ですね。

エスノメソドロジーethnomethodology

人間、学習者も「社会」の中で生きているわけですから、社会学を考えるのは、「教育・学習」にも重要なことです

社会学というのは、

社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を体験・統計・データなどを用いて分析することで解明する学問。

社会の仕組みと、人間との関係を研究、分析を行う。 仕組みが違えば行動がどう変わる、人間の行動によって仕組みがどう変わっていくなど。

という学問であり、その中に**エスノメソドロジー**もあります。

エスノメソドロジーethnomethodology

社会学の一分野で、人々が日常生活を過ごす上でどのように理解し、行動するかを研究する手法。人々がどのように相互作用を行い、社会的な秩序を生み出しているかを分析し、それによって社会現象がどのように形成されているかを明らかにすることを目指す。

アメリカの社会学ハロルド・ガーフィンケルによって1960年代に提唱された。

人々が日常生活で当たり前のように行っている行動やコミュニケーションが、実は高度に組織化された「方法論(メソド)」に基づいているという主張。

それまで社会学が主に大きな社会構造や制度に注目していた視点を、個々の人々の日常的な行動にシフトさせた。

エスノ(民族)」と「メソドロジー(方法論)」を組み合わせた言葉で、日常生活における行動やコミュニケーションを「民族誌的に」観察し、それらがどのような「方法論」に基づいて行われているのかを分析する研究アプローチ。

ということです。

この**エスノメソドロジー「教育」の分野にも適用(学習科学として取り入れる**)しようという考えもあります。

学校や教室の微視的な相互作用や学習行動を分析するための手法として、質的分析を行う、、、ということのようです。

教師と生徒、生徒同士のコミュニケーションや行動のパターンを観察し、それらが教育的な目標達成や学習効果にどのように影響しているのかを調査。

学校や教室が特定の社会的な価値観や規範をどのように生み出し、維持しているのかを明らかにする。

といった感じで、一部の研究者や学校が行っているようです。

こういった試みで、「教育・学習」の環境や方略が改善されれば、それは何よりだと思います。

社会というのは、常に変化し続けている

モノです。その変化する社会の中に生きる人間、学習者は、社会の影響を受けざるを得ません

それゆえ、「教育・学習」の分野は、「社会学」を意識するべきなのです。

「教育・学習」の分野は、教育学を基盤に、心理学、経済学、哲学、情報工学の影響により、様々な理論やモデル、シミュレーションといったモノが生み出されてきました。

しかし、「社会」や世界、環境がこれほどまでに変化しても「教育」というモノは戦前から、いや、ギリシャ時代に哲学者が文字の読めない人たちに本を読んで教えていた形式(ご講演座学)が今もメインで、何も変わっていません

教える「内容」だけ変わって、その「方略」は大昔のままという、**ガラパゴス的な分野**だと考えています。

また、社会学」「エスノメソドロジーのアプローチだとして、

”特定の人が特定の状況で発揮する能力について説得力ある説明を与える”

などという、よくある「優秀社員のコンピテンシー分析」などという、” 全く意味のない ” 方向に進んでいる場合もあります。

そうではなくて、

”普通に社会を生きている人たちが社会生活を営むのに用いている方法論があり、その方法論を明らかにする ”

という**エスノメソドロジーの根本論理に注目し、分析することにより、よりベターな「教育」、よりベターな「学習」を見いだすツール**とするべきなのだと思うのです。

学校や企業の教育現場は、上で述べたようにギリシャ時代からほとんど変わっていません」

社会、世界がギリシャ時代からどれほど変化したことかを考えれば、その愚かさが理解できると思います。

それは伝統でも文化でもなく、

・何も考えない

・変えるのが面倒

・とにかく無難に

・言われことを、言われたままやる

・学ぶのは嫌だ

ということです。

ただ、エスノメソドロジーというコトバも社会学という学問分野も、残念ながら一般的にはなっていない状況です。

何も分析せず、思いこみだけで「今でしょ!なんていう前に、

「今とは、どのような状況」

「何が、何に、どのような、影響を与えている」

といったことを社会学」の分野も巻き込んで「教育・学習」の分野は変わっていくしかないと感じます。

エスノメソドロジーの観点には、

1. 説明可能性(accountability)

説明を、実践に対して外野が後付けする二次的なものとは考えない。「説明できる」ということを、日々の実践がもつ重要な特徴とみなす。日々の実践は、(自覚されているかどうかはともかく)一定の秩序に則って、その実践をする人であれば誰でも理解できるような秩序に則ってなされる合理的なものであり、ランダムで好き勝手になされるわけではない。

2. 再帰性(reflexivity)

実践が通常どおりに回っているときだけ成り立つわけではない。通常どおりでない実践がなされた場合も、その実践は関連する秩序に照らして(たとえば「例外的なことをするだけの理由があるはずだ」というふうに)理解される。行為者は、どんな実践をしたりされたりする場合でも、既存の秩序を参照してその実践の意味を理解・説明することになる。

3. 状況依存性(indexicality)

どんな状況でなされたかによって実践の意味が変わってしまう。しかし、普通は、自分や他人の実践がどんな意味をもつかの判断を人々はうまくやれる。人々はどのようにしてそれをうまくやっているのか。

4.メンバーシップ(membership)

ある実践をうまくやれる人は、その実践にかかわる集団のメンバーとみなされる。

というのがあります。

このような観点で、「学習者分析」を行うというのも、もしかするといいのかもしれません。