きのうのワイン+映画「蝶採り」「アナライズ・ミー」 (original) (raw)

イタリア・ピエモンテの赤ワイン「バルベラ・ダルバ(BARBERA D’ALBA)2022」

(写真はこのあとメインの肉料理)

イタリア北西部、アルプスの山々に囲まれたピエモンテ州でワインづくりを行っている老舗ワイナリー、プルノットの赤ワイン。

ピエモンテ州を代表するブドウ品種、バルベラ100%。

軽やかでピュアな果実味があって飲みやすいワイン。

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたフランス・ドイツ・イタリア合作の映画「蝶採り」。

1992年の作品。

原題「LA CHASSE AUX PAPILLONS」

監督・脚本オタール・イオセリアーニ、出演ナルダ・ブランシェ、アレクサンドル・チェルカソフ、アレクサンドラ・リーベルマン、タマーラ・タラサシビリほか。

旧ソ連ジョージア出身で政治的圧力に負けじとパリに移り住んだオタール・イオセリアーニ監督作品。

フランス郊外の古い城館に、持ち主であるマリ=アニエス(タマーラ・タラサシビリ)と彼女のいとこの老婦人(ナルダ・ブランシェ)が暮らしている。車椅子に乗るマリ=アニエスは城内でピストル射撃に興じ、いとこの老婦人は町のオーケストラに参加したり弓矢で池の魚を獲ったりと、それぞれのんびりと気ままな日々をすごしていた。

一方、隣人である公証人アンリ(アレクサンドル・チェルカソフ)は、彼女たちの城館を日本企業に売却斡旋しようと企んでいるが、老婦人はかたくなにこれを拒否していたが・・・。

日本では2004年開催の特集上映「イオセリアーニに乾杯!」で初公開。

「素人こそ名優」と信じるイオセリアーニ監督らしく、主役の老婦人を演じるナルダ・ブランシェは、監督の自宅の近所に住んでいた女性。「見事な身振りや言葉の勘所をわきまえた本物の老婦人」を探した結果、彼女に白羽の矢を立てたとかで、ぴったりの役を好演していた。

映画を見ていて、始め不審に思ったのは登場する人物がなぜか女性ばかりだったこと。やがて軍服姿の男たちの亡霊が出てきてわかった。この古城に住む女たちは戦争未亡人たちで、彼女らは現世に生きているが、一方でここには戦争で死んだ男たちが亡霊として暮していて、古城の歴史を語っているのだなと。

城の持ち主マリ=アニエスは、夫と思われる将官の亡霊(監督のイオセリアーニが演じている)が現れたとたん、急死してしまう。マリ=アニエスの遺言で遺産を相続したのはロシアに住む妹で、妹の娘は亡霊が現れてもまるで平気。現代っ子らしく古城の歴史なんてまるで興味がないらしく、「こんな古い城なんていらないわ」とばかり日本企業に古城を売却してしまう。映画の最後に、日本企業に買収された古城の門の扉が閉められると、そこには大きく「財」という文字が浮かび上がる。

監督は、歴史なんかより富や財産ばかりを求める現代人をからかいたかったのだろうか。

タイトルに「蝶採り」とあるが、チョウはまったく出てこない。

原題の「LA CHASSE AUX PAPILLONS」も同じ意味だが、フランスの国民的吟遊詩人として知られるジョルジュ・ブラッサンスが作詞・作曲し1952年に発表した曲に同名の作品がある。イオセリアーニ監督はこの曲をヒントを得て映画のタイトルにしたのではないだろうか。曲の内容は、青春真っ盛りの男女が野原にチョウを採りに出かけるが、結局、採らずにいる、というもので、「LA CHASSE AUX PAPILLONS」には「捕まえることのできないものを追いかける」といった意味があるのかもしれない。

ということはつまり「LA CHASSE AUX PAPILLONS」とは、人を危険な方向に導く“甘い誘い”を意味しているのかもしれない。

フランスの香水にも「LA CHASSE AUX PAPILLONS」という商品名の香水があるが、こちらは、チョウを追って迷い込んだ花の園をイメージしたフレッシュフローラルブーケの香りだとか。

甘い香りもまた“危険な誘い”のような気もするが・・・。

ついでにその前に観た映画。

民放のBSで放送していたアメリカ映画「アナライズ・ミー」。

1999年の作品。

原題「ANALYZE THIS」

監督ハロルド・ライミス、出演ロバート・デ・ニーロビリー・クリスタル、リサ・クードロー、チャズ・パルミンテリ、ジョー・ヴィテレリほか。

ロバート・デ・ニーロ扮するノイローゼになったマフィアのボスと、強引に彼の主治医にされた精神科医のおかしな関係を描いたコメディ。

NYを牛耳るマフィアのボス、ヴィッティ(ロバート・デ・ニーロ)は、実はストレスに悩んでいた。そんなある日、自分の腹心が偶然知り合った精神科医ベン(ビリー・クリスタル)を訪ねたヴィッティは、そのセラピーに大感激。だが、それがベンにとっては不幸の始まりに。

ベンに心酔したヴィッティは時間も場所もお構いなしに彼を呼び出し、ベンの私生活はメチャメチャになってしまう。その挙げ句、ヴィッティはベンの結婚式が行なわれているマイアミのホテルにまでやって来て、そこはマフィア同士の銃撃戦の現場に・・・。

泣く子もだまるマフィアのボスがパニック障害に悩まされているという話で、精神科医に冷たくされると「オレを見捨てるのか」とオイオイ泣き出すシーンがあり、さすがロバート・デ・ニーロの名演技が光る。

精神科医のベンは精神分析を専門とする医者みたいだが、ボスの症状の訴えを聞いてパニック障害と診断し、薬物療法を始めようとする。これに対してボスは「オレはドラッグはやらない」と治療薬と違法薬物を一緒くたにして拒むが、いかにもヤクザ的発想で笑ってしまう。

そこでベンは精神分析による治療を行うのだが、2人をめぐるドタバタ騒動はますます盛り上がって、ボスとベンは深い信頼関係で結ばれるようになり、ついにボスの子どものころのPTSD心的外傷後ストレス障害)に似た出来事を本人の口から明らかにさせる。

ボスの父親もマフィアで、ボスが子どものころ、父親が銃で撃たれるのを気づきながらも父親に知らせることができず、そのときの罪悪感をずっと持ち続けていたのだった。

それを知ったベンは、ボスを「エディプス・コンプレックス」と診断する。

エディプス・コンプレックスとは、精神分析学者のフロイト命名した精神分析学の用語で、男児が同性である父親を憎む一方で母親を性的に思慕する無意識の心理状態を指す。ギリシャ神話に登場するエディプス王の悲劇的な運命に由来しており、エディプス王は、父親を殺し、知らずに母親と結婚してしまったという運命を辿る。

実は精神科医のベンも同じエディプス・コンプレックスを患っていて、2人はますます意気投合していく。

こうして、ベンのアナライズ(分析)により、ボスの深層心理があらわとなり、ボスはあらためて自分自身を見つめなおすことでパニック障害から立ち直る。

それだけで本当に病気が治るものなのか、首をかしげるところもあるが、映画だから許されるのかも。

それに、日本ではパニック障害の治療は薬物療法認知療法、行動療法を組み合わせて行うのが一般的で、基本的に第一選択とされるのは薬物療法といわれる。しかし、アメリカでは対話を用いた治療、いわゆる心理カウンセリングが広く行われていて、ちょっとした悩みごとでもすぐに受診するという文化が定着している。したがって、薬物療法のその前に薬に頼らないサイコセラピー(心理療法)が行われることも多いのではないのだろうか。

本作はけっこう評判だったらしく、続編として同じロバート・デ・ニーロビリー・クリスタルのコンビにより「アナライズ・ユー」(原題ANALYZE THAT、2002年)がつくられた。ロバート・デ・ニーロが「ウェストサイド物語」の「トゥナイト」や「マリア」「サムウェア」などを熱唱するシーンがあり、大爆笑。