好きな小説と文体、感想文 (original) (raw)

今週のお題「好きな小説」

わたしはここ数年小説をあまり読んでいません。でも書いてみます。

どちらかといえば物語的、寓話的、非現実的な小説が好きです。

しんしんと降り積もる雪の中に閉じ込められるような、ぽんと置き去りにされるようなタイプのものが好みです。余韻大好きです。SF、翻訳物も好きです。

文体では、透明感がある、湿度が高い、叙情的な文体が好きです。翻訳物特有の文体も好きです。どういうものかと言われると困るんですが、やはり違う言語を翻訳しているので真摯で理知的なように思います。

歌うような、言葉遊びのような、詩のような、迷宮のような美しさのあるものが好きです。いっぽうで明晰な文体も好きです。

好きな作家を挙げます。

泉鏡花中勘助堀江敏幸須賀敦子カズオ・イシグロ塩野七生山田詠美小川洋子川上弘美島本理生舞城王太郎西尾維新乙一伊坂幸太郎ジョン・スタインベックアーネスト・ヘミングウェイテネシー・ウィリアムズトルーマン・カポーティ。リチャード・ブローディガン。スティーヴン・キングジョン・アーヴィングエミリー・ブロンテアガサ・クリスティ。エリナ・ファージョン。トルストイチェーホフダフネ・デュ・モーリアサン・テグジュペリ。アンリ・ボスコ。U.K.ル・グウィン。ジェイン・ヨーレン。など多数。

感想文は、2021年春にnoteに書いて無料公開しているものを再掲します。読み返すと当時も恥ずかしかったけど今はさらに恥ずかしいですね。わたしは書きたい熱がバーっと上がり掌が熱くなるような感覚が出ないと感想を書けないのですが冷静になるとまあまあ凹みます。いいかげんだいぶ慣れましたが。あほな自分に。よかったら読んでやってくださいませ。

※ネタバレあります。ご注意ください
わたしがその本を読んだのは2006年のことだ。好きな作家の久しぶりの新刊でわくわくしながらページをめくった。面白くて読み出すとやめられなかった。
それでいて、速く読むのは難しい作品だった。言葉一つ一つをじっくり味わい、細やかな描写、謎めいた物語の仕掛けに、注意深く神経を払わないと読み進められないのだ。
時々本を閉じて、わたしは物語の世界を味わい言葉を反芻した。
はやる心を抑え、胸をどきどきさせながら物語の森をゆっくりと手探りで進んでいった。
やがて少しずつ霧が晴れるように全貌が明らかになったとき、わたしは言葉を失い、ただ涙を流した。
わたしの人生で好きな小説ベスト3に入る作品となった。

最後のシーンがずっと忘れられない。架空の世界であるというのに、その風景はとても鮮明でいまも胸にやきついている。
わたしはそこで、風に耳をすます。
主人公のように。

いつかそこへ行く日のために、わたしはハンドルを握っている。
この世界のどこかにきっと、その場所はあると思う。

わたしが車を運転出来るようになったのはつい最近のことだ。具体的に言うと2021年から。

運転免許を取得したのは1992年で、比喩ではなくギリギリのラインでかろうじて取得した。自動車学校も転校している。仮免許取得の時点であまりの見込みのなさにやめようとしたのだ。
当時の交際相手で現在の夫に猛説得(人生初めての膝詰め談判)されてしぶしぶ転校し、なんとか卒業まで漕ぎつけた。夫に説得されなければ間違いなくやめていた。
取得のために人の倍以上の時間とお金を費やし、取得後も2〜3回しか乗らなかった。
ペーパードライバーを揶揄して、高い身分証明書という言葉があるがまさにそうである。

父に隣に乗ってもらった時の言葉が忘れられない。
父は自分で車を運転してわたしを山奥に連れて行き、ここなら他の車が来ないから好きなだけ練習すると良い、と言って、しばらく同乗した。
それから車を停止させて、静かに言った。
「…おまえ、本当に免許取れたのか?」と。
さらに父は続けた。
「人間誰しも得手不得手がある。お前は乗らない方がいいと思う。」
そのくらいわたしの運転はひどかった。

せっかく免許を取得したのに、わたしは運転を諦めた。そして18年の月日が流れた。
その間結婚して子供を授かり、義父と実父を亡くした。自分で車が運転できたらなぁと思うことは多々あった。それでもわたしのような下手がハンドルを握ったら事故を起こすだけだ、という強い恐怖心から運転をすることはなかった。夫が運転してくれることを幸いに、逃げ続けていた。運転できる人を心から尊敬し、乗せてくれる人に感謝しながら、自分にはできないこととして蓋をし続けてきた。

近年、体調を崩した家族を送迎するためやその他の用事で車を使うことが増えてきた。
夫もだんだん歳を取り、運転できるようになってほしいと要請を受けた。
「今運転できるようにならないとあなたは一生できないと思うよ」
夫の言葉にわたしはやっと重い腰をあげた。

そもそもわたしが免許を取れたのは夫のおかげだし、免許を持っているのに運転できないなんて恥ずかしく無駄なことだ。わたしの場合はただの甘えでしかない。

運転できる人から見たら、わたしの怯えは大げさでバカみたいだと思う。
もともと、できることはずんずんやって、できないことはしないで生きてきた。能力に偏りがありできないものはできない。それは事実だったがそういうことにしておいた方が楽だったからでもある。そろそろ潮時だ。楽をさせてもらったツケを払わないといけない。
人にしんどい思いをさせて、出来ない自分でいるのは嫌だ。
自分で運転できるようになる。それはひそかにずっと憧れてきたことだった。
怖くて目を逸らしていたけれど。

ペーパードライバー教室に3ヶ月通い、夫に隣に乗ってもらってわたしは運転できるようになった。一人で運転した時の感動は言葉で表せない。
父さん、わたし、運転できるようになったよ。
7年前に亡くなった父に呟いた。

ハンドルを握る時は緊張するし、運転が終わるとどっと疲れる。それでも家族を送迎したり、買い物に車で行けるようになったことを誇らしく思う。ささやかなことだけれど。
勇気を出してよかった。諦めなくてよかった。

そして、ふたたび思う。
ひとりで車を走らせ、小説で読んだあの風景が見たいと。そこへ行きたいと。

主人公は小説の中で、どんなときも自分で考え、自分の人生を生きていた。勇気を持ち、自分の選択に従って。

主人公は、すれ違いとふれあいを経て、今はもういない、幼馴染であり、かけがえのない恋人であった彼を偲ぶ。
彼の意思に従い、彼を看取ることができなかった。車を運転しながら、時々、その場所に彼がいるのではないかと、思う。
彼が生前言っていた、僕がいなくなった後も、僕はそこにいるよと言った、風の吹き渡るその場所に。いまもいるのではないかと。

ハンドルを握る時、わたしは全責任を負い、同時に自由である。
わたしはじぶんで、どこにでも、どこまでも、いける。
大切な人を失い、自分の体や脳が不自由になって運転できなくなる前に、わたしはそこへ行きたいと願う。

わたしが運転できるようになるには、夫をはじめ沢山の人に助けられ背中を押してもらったが、原動力としてはあの小説を読んだことが大きい。読んで心が揺さぶられ、ともった灯りはずっと消えずにいる。

ひとりのおばさんが運転できるようになったからといってどうだというのだ?
それでもあの一冊はわたしの人生を変えてくれた。

主人公のキャシーに、ありがとうと言いたい。
素晴らしい作品を書いてくれた作者、カズオ・イシグロにも。
最後になってしまったが、小説のタイトルを記す。
「わたしを離さないで」
これからも何度も、わたしは読み返すことだろう。