発達障害児とママが家族に理解してもらうまで(1) (original) (raw)
現在高校3年生の長男は、発達障害と自閉症をあわせもつ子どもです。
5歳のときにWISC-Ⅳ(_ウィスク_・_フォー_)という知能検査を受けて「注意欠如・多動症-ADHD」と「自閉症スペクトラム-ASD」と診断を受けました。
- 場所見知り・人見知りがひどく、場所が嫌だと建物に入れませんでした。
- 歩いたのは1歳半、2語文で話し出したのが3歳からです。
- 偏食がひどく毎日同じものしか食べません。お昼寝は生後6か月くらいからしたことがありませんでした。なのに夜泣きをして泣き止みません。
- トイレの自立は3歳半くらい。
- ひとと会話をするとき視線を合わせません。カメラの撮影もカメラを見ません。
- 名前を呼ばれても返事をしませんし、気づいても返事をしません。
- テレビの音声をオウム返ししていました。
- 文字はあっという間に覚えて4歳で一人で絵本を見たり文字を書きました。
- 友達と一緒に遊ぶことはほぼなく、同年代の子どもに興味を持ちませんでした。
これが長男の3歳~5歳頃までの様子です。
お医者さんからは投薬を進められ、ストラテラやインチュニブ、エビリファイなどを飲んでいました。
けれど薬は直すものではなく、前頭前野の神経シナプスの働きをよくするためと、気持ちを上向きにさせるためのものです。何となく効果がわかるまで4か月ほどかかりました。
(お薬は17歳の今も飲んでいます)
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長男の様子がほかの一般的な子どもと違うこと、育てるのが大変、ママのわたしは眠る時間がなかったことなど、夫や義母・実母などは理解してくれませんでした。
「育て方が悪い」「しつけがなってない」「きちんとかかわっていないからだ」
と、会うたびに言われましたし、夫もそういう両実家の意見に賛同していました。
このとき、この子が大きくなって学校生活や社会へでたとき、このように理解を得られず困ることがたくさんあるだろうなと覚悟していたのを覚えています。
この頃から、幼稚園にも通い出したので、担当のお医者さんに相談し、両実家と夫、幼稚園の先生方に向けて診断書に近いお手紙を書いてもらいました。
幸い大変理解と情緒の豊かなお医者さんで、わたしに大変寄りそってくださったので、救われました。
お医者さんのお手紙を見てからは、わたしに対して悪い感情はなくなり、孫はそういう病気、わたしのせいではない、と思ってくれたようです。
けれど夫は、なかなか理解できず、できないことや返事をしないことなど、小さなことにすぐ怒ったり時に叩いたりするようになりました。
そんなときは、怒ったことに対し、イラストやチャートを紙に書いて渡しました。
例えば「名前を呼んでいるのに返事をいつまでもしない」ということに対しては以下のように伝えました。
1.長男がなぜ返事をしないか
↓
視覚優先という特性がありテレビや絵本から目が離せないため。
↓
大事な話があるとき、聞いてほしいことがあるときは、肩をとんとんと叩きながら名前を呼ぶ、テレビを消したり、絵本を閉じて話をするようにする
2.返事ができたり、話を聞けたら、褒めるのではなく「返事してくれてうれしい」「お話聞けたね。」と認めたりこちらの気持ちを伝える
↓
面倒かもしれないけれど、怒ることでは身につかない。
また、怒られることで自信を失ったり、二次障害(反抗挑戦性障害・鬱病)を起こすことがある。
3.成功体験を積んでいくことで成長できる。
↓
「人のふり見て我振りなおせ」は大人にならないといまはまだ無理である。
一つひとつ、認めながらゆっくり教える「スモールステップ」が大切。
と伝えました。(紙にメモして渡しました。)
実は夫もアスペルガー障害があり、長男とはまた異なった特性があるのです。
関わるのがとても難しいひとでした。
このように、長男に対して怒ったり言うことを聞かせようとしたりしてうまくいかないことが増えてくると、あまり会話もしなくなってしまいました。
わたしが紙にメモをしてわたしたものは、一体何枚になるかわかりません。
わたしとも話し合いや相談がむずかしかった夫。どうしたら理解してくれるか悩みましたが、途中であきらめました。
夫は長男の父親で、子どもにとって大切な存在です。けれど、これからは学校や社会とうまく関わっていくために力を注ごうと考えました。
わたしも精一杯・・・
けど丁度長男が小学校1年生から2年生にかけて、とても素敵な場所に出会えました。
そのことは、次回にしますね♩
発達障害や自閉症のお子さんのママは、ご家族の理解を得られ安心して子育てできていますか。もしそうだとうれしいです!
明日も笑顔でがんばりましょう💕