松浦光修先生のコラム (original) (raw)

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(講演記録)天皇を仰ぐ ―み光かくす.. 皇統は日本の命 もっと... ブログジャンル 画像一覧 エキサイト XML |ATOM Powered by Excite Blog 会社概要 プライバシーポリシー 利用規約 個人情報保護 情報取得について 免責事項 ヘルプ みたみわれ 皇室と国民(32) ご先祖さまになる(『解脱』令和3年8月) 私たちが“日本人は一つの家族、皇室は御本家"と、今でも感じることができるのは、私たち一人ひとりの心のうちに、今も「家」という意識があるからです。もしもそれが消えたら、あるのは「個人」だけになるでしょうから、日本人の一体感も消えていくでしょう。ですから、同じ「姓氏・苗字)」でつながっている「家」という意識は、私たち日本人が、今後も日本人らしく生きる上で、けっして失ってはならないものなのですが、今はその大切さが、わからない人が少なくありません。 近ごろ「夫婦別姓 (別氏)」を進めている人々がいます。マスコミは、それが、さも〝よいこと” のように報道していますが、世の中には、「選択」してよいことと、いけないことがあります。たとえば、子供が生まれたら、名前をつけて役所に届けます。 「届けないという選択」など、してはいけません。しかし、どういう名前にするのか・・・ということは、心をこめて「選択」すべきです。それを取りちがえて、「選択」してはいけないことまで「選択」できるようにしてしまうと、どうなるでしょう。極端なことを言えば、「赤信号」を「私は『進め』と解釈する」などという「選択」まで許されることになります。もしもそうなったら、社会は大混乱におちいるでしょう。 ですから私は、今、一部に言われている「選択的夫婦別姓(別氏)」には、反対です。そのようなことをしたら、子供から見て、父母のどちらかが「別姓(別氏)」になってしまいます。また、「○○家先祖代々之墓」には、夫婦のどちらかが入れません。それは結果的に、わが国に古代からつづいている「家」という意識を壊し、ひいては日本人の一体感を壊すものになるでしょう。「結婚後の通称使用」も容易にできるようになっています。ですから、男女が結婚をする時に話し合って、男女どちらかの姓(氏)を選んで、戸籍上一つの「家族」になるという今の制度の、どこに問題があるのか、私には、まったく理解できません(ちなみに、令和三年六月、最高裁も「夫婦同姓は合憲」という、しごく当然の判断を下しています)。 私は戦後、日本人の心が、どんどん不安定になってきている気がしてならないのですが、その原因は何でしょう?いろいろとあるでしょうが、私は戦後の日本人の心から「家」という意識が薄れていき、それとともに「ご先祖さま」という意識も薄れつつあるということが、その大きな原因の一つではないかと思っています。「ご先祖さま」という意識が、どれほど日本人の「心の安定」に寄与してきたか、はかりしれません。柳田國男はこう書いています。「今ならば、『早く立派な人になれ』とでも言う代わりに、(昔は)『精出して学問をして、御先祖になりなさい』と、少しも不吉な感じはなしに、言って聴かせたものであった」(「先祖の話』)。「ご先祖さまになる児」というのは、昔の日本では「一家を創立」して「新たな初代になる力量を備えている」ような子供・・・、つまり“将来が楽しみな子供〟という意味だったようです。(つづく) # by matsuura_mn 2024-10-01 00:00 みたみわれー皇室と国民ー みたみわれ 皇室と国民(31) 皇室は日本人の“御本家”(『解脱』令和3年7月)皇室だけでなく、わが国の国民のほとんどが、かつては「敬神崇祖」の心をもっていました。たとえば、『古事記』にはこういうお話があります。 天孫降臨のさい、天孫・ニニギの命は、「五伴緒」と呼ばれる五つの部族を統率する族長に、それぞれ職務を分担させて、天上界から地上に降臨されます。この五つの部族の族長が、さまざまな氏族の始祖になるのです。いちばん有名なのは、アメノコヤネの命でしょう。その子孫が中臣氏、そのあと藤原氏にかわります。佐藤、加藤、後藤、斎藤など、今の日本には、「藤」のつく苗字の人が少なくありませんが、それらの苗字は、ほとんどが藤原氏に由来するものです。ということは・・・、その苗字の人々の「ルーツ」は、天孫降臨の時、ニニギの命のお供をして、地上に降りてきた神さま・・・と解釈してもよいでしょう。残る三柱の神々についても、『古事記』には、フトタマの命は忌部氏の先祖・・・、アメノウズメの命は猿女君の先祖・・・、タマノヤの命は玉祖連の先祖などと書いてあります。ただし、残るイシゴリドメの命を先祖とする一族については、何も書いてありません。 ともあれ、このように天孫・ニニギの命につき従って、地上界に降臨した神々の子孫は、「人の世」になっても、それぞれの始祖を見らって、御歴代の天皇に誇りをもってお仕えしています。そのような“先祖意識〟があるからこそ、いくら藤原氏が権力をもっても、"自分が天皇にとってかわろう〟などとは夢にも思わなかったのです。そんなことをしたら、"先祖を裏切る"ことになります。 「崇祖」 の心がある昔の人々にとって、それだけは、絶対にできないことでした。『古事記』というと、ともすれば私たちは、その"お話〟にばかり注目してしまいがちです。しかし、そこには、たくさんの氏族の「ルーツの神」が書いてある・・・いうところも重要なのです。古代の人々は、"自分たちは何者か"と考えるさい、かならず「先祖」を意識していました。ですから、古代の人々にとって、『古事記』に書かれている神々の物語は、"自分たちの存在の源流〟を教えてくれる大切なもの、でもあったわけです。苗字のお話をしたついでに、「源氏」や「平氏」のお話もしておきましょう。 そもそも「源氏」も「平家」も、皇室から分かれた家系です。有名なところでは、第五十代・桓武天皇からはじまる桓武平氏や第五十六代・清和天皇からはじまる清和源氏があります。桓武平氏から分かれた一族としては、三浦、杉原、和田などがあります。清和源氏から分かれた一族としては、山田、小島、村上、武田などがあります。苗字や家系について、詳しく知りたい方は、太田亮『姓氏家系大辞典』という大部の本がありますので、それをご覧ください。もっとも六千数百ページのむずかしい本ですから、読むのはたいへんですが・・・。 ともあれ、こうして見てくると、要するに“日本人は、すべて神々の子孫"ということもできるでしょう。そして、〝皇室とは、日本のすべての家族の御本家〟ということも、できるのではないでしょうか。(つづく) # by matsuura_mn 2024-09-06 00:00 みたみわれー皇室と国民ー みたみわれ 皇室と国民(30) 鉄剣は語る(『解脱』令和3年6月)〝敬神崇祖であり、崇祖は敬神である"ということを、御歴代の天皇陛下は、わが国で、もっとも"体感”していらっしゃるのでは・・・、というお話をしましたが、それは、天皇陛下にかぎったことではないでしょう。 かつては、ほとんどの国民が、そのように体感していたはずですし、今もそういう人は少なくないと思います。ただし、「敬神」 とか 「崇祖」というと、「何かむずかしいこと」のように思われる方もいらっしゃるかもしれません。ですから私は、それらの心を、わかりやすい言葉におきかえてみたい、と思います。「敬神」を言いかえると、「お天とうさまが見ている!」という思いになるでしょう。それは、まちがいなく「敬神」の心の一端です。 日本人の高い道徳性の基盤も、そこにあるのではないでしょうか。昔の日本人は、幼いころから父母や祖父母、あるいは近所の大人たちから、その言葉を繰り返し言われて育ったものです。 また、「崇祖」を言いかえると、「(このことについて)今は亡き親は何と言うだろう?」という思いになるでしょう。人というのは、中高年になると、かつて親しかった人々が、櫛の歯が欠けるようにこの世を去っていきます。何かを相談しようにも、いちばん相談したい人が、もうこの世にはいない、ということがふつうになるのです。そのような時、人は、しばしば〝今は亡き人々の目〟を意識するものですが、それは、まちがいなく「崇祖」の心の一端です。 日本人なら、今でもそれらの心が、どこかに残っているはずですが、そもそも、それらの心の源流"は、どこにあるのでしょう?たぶんそれは、悠久の昔から、わが国の人々の心のなかに、生きつづけてきたものではないでしょうか。その証拠もあります。昭和五十三年に埼玉県の稲荷山から出土した鉄剣に刻み込まれている文章です。そこには、鉄剣を製作された年も明記されています。西暦で言うと、四七一年です。製作した人の名前も明記されています。第二十一代の雄略天皇に仕えた「オワケノ臣」です。 その「オワケノ臣」は誰の子孫なのでしょう?そのことについて鉄剣に系図が書かれているので、よくわかるのですが、先祖をたどると「オホヒコ」という人物にたどりつきます。その「オホヒコ」から八代あとが「オワケノ臣」というわけです。先祖代々の名前が明記されていて、すでにそのころに「先祖意識」が確立していたことがわかりますし、その代々の名前を見ていると、すでにそのころから、わが国には「男系継承」の意識があったこともわかります。 それでは、その初代の「オホヒコ」とは、誰なのでしょう。 現在、「オホヒコ」は、第八代の孝元天皇の皇子「大彦命」ではないかと言われています。第八代の孝元天皇の御在位は、三世紀ごろと言われていますから、日本人の「崇祖」の心は、少なくとも千八百年ほど昔には、すでに確立していたわけです。(つづく) # by matsuura_mn 2024-08-15 12:00 みたみわれー皇室と国民ー みたみわれ 皇室と国民(29) 「大孝」とは?(『解脱』令和3年5月) 今は、そもそも「神武天皇」というお名前を、ほとんどの日本人が知りません。戦前は、日本人で知らない人などいなかったのですが、戦後になると、公の場で、そのお名前は、ほとんど聞かれなくなりました。毎年二月に建国記念の日が来ても、メディアで、そのお名前は、けっして語られませんし、小学校から高校までの学校の教科書にも書かれていません。ですから、「初代の天皇陛下は、なんというお方?」と聞いても、もう親、子、孫の三世代が、みんな「?」という時代になってしまったのです。 GHQが、銃口をつきつけるようにして日本に押しつけた「日本国憲法」にさえ、その第一条に「天皇は日本国の象徴」と明記されています。それにもかかわらず、その「天皇」についての正しい知識を、今の日本人は、ほとんどがもっていません。今時は「保守」と思われていた政治家が、いきなり「左派」の政治家と同じようなことを言い出して、びっくりする時がありますが、考えてみれば、今は、ほぼすべての日本人が「戦後教育」を受けているわけですから、政治家も、その例外ではないのでしょう。皇室のことも、日本の正しい歴史や伝統についても、そもそも〝教えられていない”のですから、そのような世の中になってしまったのも、残念ながら、ある意味〝当然〟かもしれません。 神武天皇は、九州から「東征」されて、現在の奈良県で初代天皇として即位された方ですが、そこにいたるまでは、さまざまな戦いを経なければなりませんでした。戦いの途中、神武天皇のお兄さまが戦死される、という悲劇も起こっています。しかし、そのような激しい戦いのなかでも、神武天皇は、神さまのお告げにしたがい、天の神々・地の神々の祭りをつづけられました。そして、初代天皇として即位されたあと、"天下を平定できたのも神々のおかげです" ということで、「大孝」の心を申しあげるため、鳥見山でお祭りを行われたのです。 それが宮中祭祀のはじまり・・・といわれています。その時、神武天皇は「大孝」とおっしゃっているわけですが、それは、どういう意味なのでしょう? 『礼記』という漢籍には、「小孝、中孝にまさる孝行が大孝」とありますが、神武天皇は、御先祖の天の神々をお祭りすることを「大孝」と考えられていたのです。「大孝」は、訓で読めば、どうなるのでしょう?幕末のころは「おやにしたがうまこと」と読んでいたようです。しかし、そのころ活躍した大国隆正という学者は、「とほつおやに、したがふまこと」と読むべきである、と主張しています。「孝行」というと、一般的には両親を大切にすることですが、皇室の場合は父の父の・・・と、どんどんさかのぼっていけば神武天皇になり、その神武天皇も、父の父の・・・とさかのぼっていけば天の神々になります。つまり御歴代の天皇陛下とは、〝敬神は崇祖であり、崇祖は敬神である"ということを、わが国で、もっとも〝体感”していらっしゃる方々でもあるのです。(つづく) # by matsuura_mn 2024-07-07 07:07 みたみわれー皇室と国民ー みたみわれ 皇室と国民(28) 祭り・・・ 祭られる(『解脱』令和3年4月) 天皇陛下がお祭りされる「遠つ祖」は、それでも特別に大切な「祖」といえば、おそらく「神の代」にあってはアマテラス大神であり、「人の代」にあっては神武天皇でしょう。それでは、アマテラス大神、神武天皇などの「祖」は、一方的に〝祭られるだけ〟のご存在なのでしょうか。そうではありません。わが国においては、アマテラス大神も神武天皇も、そして、そのほかの多くの”祭られる祖たち"も、たしかに〝祭られるご存在〟ではありますが、それと同時に、おんみずから”祭るご存在〟でもあったのです。そこに、わが国ならではの〝信仰のかたち"があります。 たとえば、アマテラス大神は、高天の原で、新穀を神々にお供えして、おんみずからもお召し上がりになる、というお祭りをされています。そして、それと同時に興味深いのは、アマテラス大神が、機織りというお仕事もされていることです。いわばアマテラス大神は、おんみずから「祭祀」と「勤労」にいそしまれていたのです。一神教の「最高神」が、「カミ」をお祭りしたり、働いたりするか…と考えると、そのことの重要性がご理解いただけるでしょう。 もっと興味深いことがあります。 アマテラス大神の父母であるイザナギの命、イザナミの命がご結婚されたあと、よい子が生まれない・・・ということに悩まれて、「アマツカミ」のもとに相談にいかれた・・・ということです。「アマツカミ」というのは、「天上界にいらっしゃるカミ」という一般的な言い方ですから、具体的にどういう「カミ」に相談されたのかは、わかりません。しかも、相談を受けた「アマツカミ」は、自分では答えを出さず、"占い"をされているのです。その“占い"の背後には、どういうカミの力がはたらいていたのでしょうか? 『古事記』を、いくら読んでも、そのことは、とうとうわからずじまいです。 アマテラス大神が神々をお祭りし、その父母の神々も天上界の「アマツカミ」に相談し、そv>の相談を受けた「アマツカミ」も、何らかのカミのご意志を〝占い”でお知りになり・・・ということで、よく考えてみると、わが国の神代の物語のなかには、〝われこそは万能の絶対者である。われのみを崇めよ" などという「カミ」など、どこにもいないことに気づきます。どこまでいっても、神々を“お祭りする神々〟が、いらっしゃるだけです。そして、神々を“お祭りする神々"が、やがては〝祭られる神々"になっていきます。“お祭りすること"が永遠に連鎖して、そして今にいたっているわけで、私はそこに、わが国の信仰の、まことに奥深い、すばらしい美点の一つがあるような気がしてなりません。 アマテラス大神のお孫さまであるニニギの命が、天孫降臨されたあと、その子のホヲリの命の御代となり、つづいてホヲリの命の子のウガヤフキアヘズの命の御代となり、つづいて、ウガヤフキアヘズの命の子の神武天皇の御代となります。つまり、アマテラス大神のお孫さまの曾孫さまが、初代天皇である神武天皇なのですが、その神武天皇も、また祭り、祭られる"ご存在なのです。(つづく) # by matsuura_mn 2024-06-02 06:02 みたみわれー皇室と国民ー 12345次へ >>>
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