mekabaka_shinzanの日記 (original) (raw)

お盆(月遅れ盆)で墓参りに行ったのだがその道すがら、はさ小屋があるのだけどぎょっとした。

はさ小屋の後ろには用水が流れているのだが、川べりに「オオハンゴウソウ」が繁茂し黄色い花だらけになっていた。

オオハンゴウソウは憎むべき特定外来植物だ。こんな山の中であるのにどこから入って来たのか判らないが、凄まじい繁殖力だ。

これはいけないと思い、根から引き抜くことにしたのだがまたこの根のキツいこと。

大きい奴はスコップ持って来て掘った。

なお特定外来植物であるため、抜いたものはその辺に捨てる訳にはいかない。

丁度今日は燃えるゴミの日だったので、ゴミ袋に入れて燃やしてもらうことにした。

とりあえず自分のとこの敷地内は抜いたのだが2~3年はこの繰り返しになるだろうし、よその家の土地にも生えているが勝手に抜く訳にもいかず(そっちから飛んできたのか?)、やはり根絶のためには地域全体で取り組まないと無理っぽい。

年寄りなどが知らずにきれいだからと持って来たかもしれないし、困ったものだ。

結局2時間ほど掛かって自分のとこだけは引き抜いたが6袋になった。根絶にはほど遠いが地道にやるしかない。

田圃の稲は出穂期(しゅっすいき)を迎えました。
この出穂期というのはおよそ4割の稲に穂が出た状態のことなのだが、稲作をする上で田植えと並び最も重要な日であることは間違いないだろう。

というのも、水の状態や肥料・除草剤・消毒など、すべからくこのふたつの日を基準に行わなければならないようになっているんである。

農薬なども時期や散布量を守らないと危険ではあるのだが、かといって病気や害虫発生させた日には近隣の田圃にも大迷惑な訳で、最低限の所は必要なものという認識は間違ってはいないのだろう。自分のとこだけ良ければいいというものではない。

そんな訳で決められたルールの中でいかにおいしいコメを作るかというのが農家に課せられたテーマになっている。

ちなみに我が家の田圃がある地区は飛驒でも一番と言われるほど、コメの産地としてはピカイチの土地柄。聞くところによると他地区でとれたコメと食べ比べして判る位だという。

ただでさえ飛驒産コシヒカリなど他県産と比べ単価が高くて、新潟魚沼産とともに全国でも一二を争うほどのものでないかと思う。

さてそのコメの品質はと言うと、これがまた非常にシビアなもの。いかに稲や田圃の状態をコントロールし対策を施すという作業の繰り返し。米っていうくらいで八十八の手間が掛かるという話もさることながら、いやいやそれ以上でしょという意見には賛成する。

自分はまだまだ新参者(ShinZanだけに)であるのでコメづくり名人の域に及ばないのだが、基本的にまずは教科書どおりのやり方をやるようにしている。

この教科書、「営農の手引き」というのだけれど、これに載っているようにやればとりあえずは平均的な品質のコメが作れるはずなんである。

しかしこの教科書も万能ではなく、なんといってもお天道さまを相手にする商売であるため、状況によって変更や追加注意の話が出てくる。このため「飛騨のこめ」という新聞形式のものが何回か配布される。この新聞、コメづくりに関する最新情報が載っているので隅から隅までよく読む必要がある。

まあそんなこんなで出穂を迎えコメづくりも大詰め。今年もおいしいおこめが出来ますように。

我が家に新たな赤い機械がやってきた。

ニプロのドライブハローHC1830だ。

このニプロブランドを製造している松山(株)という会社だが、農業用トラクタ-のアタッチメントを得意とする会社でその主力製品がこのドライブハローだ。

このハローという機械、田圃の代掻きをするための機械なのだが、我が家のトラクターは16ps級であることから、装着できる機種にも制限があって、ニプロ製ハローの中でも最も小型用機種だ。

それゆえ、脱着作業もワンタッチカプラが省略されていたり、そもそも昇降装置が3ヒッチでなく2ヒッチであることから、逆に取り付けはコツが要る部分が多く、シロート向けではないとされている。それゆえJAでも機械の扱いが簡単な大きい機械を勧めがちになるのかなとも思うけれど、たかだか1反5畝くらいしか作ってないのに大型機械を導入するのはなあという気持ちもあり、小型で取り回しの楽な16psにした訳だ。

農協さんからは「自分では取り付け難しいでしょうからこちらの方が良いのでは」と25ps級の機械を勧められたがそれも承知で購入した16ps。こちらも現役は退いてはいるものの整備士の端くれであるしハローの取り付けくらいちゃちゃっとやってくれるわいと思い、早速トラクタに取り付けてみることにした。

まずはロータリーを外すのだが、ワイヤーはスナップピン外すと簡単に脱着することできる。

ヒッチのアームが錆びにより動きが渋く、ピロボールも動きが悪くなっていたので外した状態で給油しておく。アーム外したらあとはシャフトも外すのだがやはり錆びではずれにくくなっていた。CRCなど使いながら外すことできた。

さて、ドライブシャフトも外すのだがこれも結構錆びで動きが渋い。セレーションなど綺麗に清掃して給油。シャフトのスパイダはグリスニップル付いていたのでこれも給油。車体側にもグリスニップル付いている処あるのでこちらもグリスアップしておく。

そしていよいよハロー本体装着。ハローのスタンドにはキャスターが付いているので位置合わせなどが非常に楽だ。

あとはアーム付けてケーブルも付けて完成。

おー、小型機といいながらやっぱりでかい。

今回後ろがずいぶん重くなったので、フロントにはカウンターウエイト取り付け。

前のトラクタに付いていたものだが、小さい割りには意外と効果があった。

早速田圃に乗り出してみると・・・・・・やっぱりめちゃ楽だわコレは。

流石にまだ初めてなので機械の特性が理解しきれてない部分もあるが、最後の仕上げで梯子を引っ張って歩くこともなく、特に問題も起きず代掻き終えることできた。

出来映えは・・・・・・まだまだ「神代」にはほど遠いが、段々とやり方を習得しようと思う。

先日、オークションでまたつまらぬものを落札してしまった。

どうも自分は仕事などでストレスが溜まると自転車を組み立て始める傾向があるようで、ついレーサー用の700cホイールが安価に出品されていた日には、どうせ落札できないだろうしと最低価格で入札していたのだが、あろうことか他の入札者が現れず最低価格で落札できてしまったのだった。

さてホイールが届いて見るとそもそも手組みの中古ホイールであるのだが、予想していたよりもハブなどの程度は良かった。リムについてもブレーキ痕ほとんどなく、出品者の「あまり使っていない」という話は信頼できそうな話だった。

今回のホイールはカンパレコードの黒ハブにマビックオープンプロ32h、スポークはDTの1.8mmプレーンで6本イタリア組みという仕様で実戦的な感じ。タイヤはピレリのPゼロ700×23cが付いていた。タイヤもセンターの羽根が残っていてほとんど摩耗していない。十分実用できそうだ。

この仕様なら普通に買えば10万クラスだなと思いながらもずいぶんお得に落札できた訳だ。

さて肝心の振れなのだが、早速宝山の振れ取り台に載せてみた。

タイヤを付けたままだが左右は0.5mm程度、縦振れは目測だが1mmくらいかなという感じ。これならちょっと調整するだけで行けそうだ。

ちなみにニップルは赤アルマイトのアルミニップル。自分は結構硬めに張る方なのであまりアルミニップルは信用していないのだが、まあ試しに使ってみることにしよう。

先月はクランクを手に入れ、その前はシュパーブプロのペダル(チタンシャフト)を落札と、毎月1点くらいではあるがぼちぼちと部品が集まってきた。あと残る大物はハンドルバーとブレーキレバーくらいか。

ネオクライメージなので、エルゴにするか悩みどころではあるけれど、手持ち部品棚卸しして考えてみようかと思う。

さてさて今年中には組み上がるかな。

昨日、咳が出て喉も痛かったし咳き込むと血の味もしたので「なんかインフルエンザの症状ぽいな」と思い病院へ行った。

熱は平熱だし鼻炎ぽくもあるがと言われるが、念のため検査するかということになった。

結果としてはインフルエンザは陰性だったが何とコロナが陽性だということで、発症から5日間は他人との接触は感染の可能性が高いので避けるようにという話になった。要は出勤停止だ。

コロナが去年の4月に2類から5類に移行したと言っても、病気自体が変わった訳ではない。調査など手間やお金が掛かり国の財政を圧迫するので手続きを簡素化しただけで、相変わらず罹患したまま放置すれば死に至る可能性のある病気だ。

そう考えると世間では(我が家族含め)普通にマスクもしていない者がほとんどになってしまってはいるが、コロナと気付かずに感染拡大させている者も多いことだろう。無意識がなせることだが恐ろしくもある。

ところで感染源がどこかを考えてみたとき、家族の一人が数日前から咳をしていて一昨日近くの医院から薬をもらっていた。それで医院へ行ってインフルとコロナの検査したかと聞くと「していない」とのことだったので、自分が行った病院でもう一度診てもらってこいという話になり行かせてみると、結果やはりコロナだと判明した。やれやれ何やってんだか。

しかし我が家の場合2人とも発熱は無かった。このためコロナと思わずに時期的に花粉症の季節でもあり医者に行くのが遅れたのは自分のミスだが、職場では今でも通常はマスクして手指消毒とか気をつけていたにも関わらず、敵は身内からやって来たということに愕然とした(家族へは職場の飲み会から拾って来たのでないかと思われる)し残念な話ではあった。

ちなみに昨日は病院の駐車場からあちこちに連絡。職場へは月曜日以降の出勤について相談し、自治会(今年は役が当たっている)へは日曜のイベントに参加できず交代要員の依頼、家には感染拡大防止の連絡などなど・・・

そんな訳であちこちに迷惑掛けながら部屋に立てこもる羽目になりました。我慢の5+1日(症状軽快してからの日)になりそうです。

今日のニュースというとやはり「鳥山明」さんが3月1日に亡くなっていたという報だったろう。

鳥山明さんというと作品数自体はそれほど多くないものの「Dr.スランプ(アラレちゃん)」「ドラゴンボール」だけでなくゲームの「ドラゴンクエスト」のキャラクターデザインなど世界中で知られ、各界に影響を与えつづけてきたクリエイターという意味ではまさに日本を代表する方だったのだと思う。まさに「巨星落つ」という感じがします。

そんな方がなぜここの話題に上がっているのかと言うと鳥山明さん関連で「**ひすゎし**」さんの話を思い出したからです。

ひすわしさん(現在は「田中久志」名義)は漫画家であり、「CAN☆キャンえぶりでぃ」や「とんとん飛丸」そのほか学研の「まんがでよくわかる」シリーズや「中日こどもウィークリー」で知られていますが、現在は大垣女子短期大学デザイン美術学科学科長・教授を務め、プロのマンガ研究者(マンガ学・キャラクターデザイン造形学)になってしまったという異色の経歴を持つ方だ。

そんなひすわしさんだがちょっとしたご縁があって、昔々のことではあるが時々家に来てくれたことがあり、その時に貰った色紙がこちらのもの↓

ここで漫画マニアであれば「え?」「だれ?このキャラ」という話になると思うけれど、それもそのはずこれはまだ「CAN☆キャンえぶりでぃ」が連載開始になる1年近く前の話であるから即興で描いたオリジナルキャラクターであった訳だね。でもこんなかわいいキャラを下書きもなしにサラサラ描けるというのはさすがにプロはすごいとしか言いようがない。

でもマニアックな方なら「ん?でもなんとなくDr.スランプに出てくるみどり先生に似てないか?」と思うかも。

そう、それもそのはず、この頃のひすわしさんはまだ連載デビュー前で、当時は鳥山明さんのアシスタント(初代)をしていたのでした。影響受けてて当たり前というものです。でもCAN☆キャンえぶりでぃのキャンにも似ているところがあり、この絵は僕にとって大変お気に入りの1枚です(ひすわしさんの描いたキャラの中でも当時最も「かわいい女の子」を具現化したものですからね)。

という様なことのある中、当然お願いは当時連載開始から1年くらい経っていて人気上昇中の「Dr.スランプ」を描く鳥山明さんに「サイン貰って来て!」という話になった訳です。今から思えばなんて横暴なお願いをしたのだろうと恥じ入るばかりですが。

でもひすわしさん、とても優しくいい人なので「よっしゃ」という感じで快く受けてくれたのでした。

それで届いたのがこちら↓

ネットなどでよく出回っている模写や印刷ものでなくてまごう事なき本物直筆(贈り名入り)です。この頃というと既にアニメが始まっていて鳥山明さんもひすわしさんも忙しくてヘロヘロだった頃でしょうがよく描いてもらえたものだ。

今となっては懐かしい思い出です。

鳥山明さんの御冥福をお祈りします。

昨日は家族で富山まで出掛けて映画を見てきた。

映画を観たあと富山へ来たとあれば寿司なのだが、例によって「すし玉」で食べてしまった。相変わらずの美味しさでその後も買い物などしたのだが、今日はもうひとつ富山の名物店に行くことにしていた。

「もつ煮込みうどん」の「糸庄」さんだ。

というのもバナナマンの日村さんがすし玉と糸庄に来た回の再放送が先日テレビでやっていて、それを見た嫁さんが行ってみたいと言い出したのだ。

自分もずいぶん前(10年以上前じゃないかな)に何回か来たことはあるのだが、その頃に嫁さんに行こうと言っても全然動かなかったのに、TVには感化されやすい家族には困ったものだ。

それはさておき10年以上振りの糸庄さんは....

まず店に入って券売機制になっていた!

以前はメニューも何があるのかよく判らなくてしかも店のおばちゃんが「何にする?」と聞いてくれるのだが何頼めばいいのか良く判らずにオタオタしていると「煮込みでいいかね」とメニュー決めてくれるくらい慌ただしい感じだったのが、今ではとても静かだ。

しかも昔の「カチャッコ」「カチャコン」という音がしない。そう、今ではフタがないのだ。この音のこと知ってる人は今でも居るだろうけど、「調理する音」だったのだよね。

店の中はコの字型のカウンターになっていて、その前に鍋を置くコンロがずらーっと並んでいる。そこで煮込んでいるのだけど、奥の配膳台に土鍋が敷き詰められておりそこにおばちゃんがうどんを入れ、具材を入れ、そして特製の出汁がでかい鍋から柄杓で注がれ、それが次々とコンロに掛けられるという段取りだった。

そこまでは今でも一緒なのだが、昔はそこにフタが全部掛けられていて、メガネのおっちゃんがフタを取って煮え具合を確認するのだが、そのフタを取った後フタでもってうどんをカチョカチョと混ぜていた。そしてまたフタをするという一連の動きの中で先の音が響き渡っていたのであり、またこの一連の動作がおっちゃん踊っているようにも見え、楽しかったのだった。今でもタマゴ入りはフタ掛けしているようだが、フタでガツガツと混ぜる光景はあまり見られない。

ただしこの動作、かつてのおっちゃんの体力を相当消耗させていたのは間違いなく、それゆえ世代交代とともにその辺りの動きが少なくなったのかも知れない。

しかもその「混ぜ」作業が少なくなった分、底のところが少し焦げが発生するので、その部分は「うーん」と考えてしまうところだ。

それで現在のうどんの仕上がり状態がこれ。

あれっ、昔に比べ仕上がりが綺麗な感じになってる。

そりゃそうか。昔はフタで返して混ぜていたので普通に家で作る煮込みうどんみたく混ぜ混ぜ状態だったのが、今では後乗せトッピングみたいになっている。

もう1点変わったところがあって、昔はえび天のちっちゃいのが2~3個入っていたのが、今では立派なえび天1本乗せに変わっている。嫁さんが「えび天入り頼んでないよ」と言ったくらいだ。でも何か得した気分になれるのはいい話かもしれない。ちなみにえび天入りを頼むと2本載せになるようだ。

しかし客が多くてバタバタしてるのは相変わらずのようで、自分が頼んだ「卵入り」には最初卵入ってなくて、おばちゃんに「タマゴ入ってないよ」と言うと「あれっ、ゴメンゴメン」と一旦戻されてしまった。待つこと2分、帰って来たらちゃんとタマゴ入ってました。

ちなみに中に入っているのはあの「氷見うどん」だそうだ。地元の名品を使っているというのも嬉しい。それゆえ富山のソウルフードとして人気なのだろう。

うどんを食べて暖かくなったところで帰りには店の向かいにあるお土産部門に寄り「もつ煮」をお土産に買い、糸庄特製ソフトクリームも食べてから家路に就いたのでした。