あれこれ日記 (original) (raw)
『中央公論』12月号の「このマンガもすごい!」で末次由紀さんの『ちはやふる plus きみがため』を紹介しています。
ちはやふるplusきみがため|BE・LOVE - 読むとハッピーになる - 講談社の女性漫画誌
この漫画は、あの名作『ちはやふる』の続編! 『ちはやふる』は競技かるたを題材に、かるたに青春を燃やす若者たちが活躍する熱いスポーツ漫画でした。本作は前作の主人公である千早が卒業したあとの後輩たちの話。
詳しい紹介は『中央公論』で見ていただきたいのですが、私としては末次さんの本作に至る過程に中編『Mama Match』があるのが印象的に感じています。この作品は、夫や息子から舐められているお母さんたちがサッカーチームを作り、息子たちのチームと対決するという話。家庭内での母の位置付けや、父と息子のホモソーシャルな結託など、フェミニズム的テーマを盛り込みつつの爽快な漫画です。
これを経ての『きみがため』は、『ちはやふる』から続く物語でありながら、テーマ的に『Mama Match』の系譜にある作品なのかな、と感じます。今後がとても楽しみな漫画。
41話「輝く日々を想う」、42話「輝く日々が曇る」、43話「輝く日々を走る」、44話「輝く日々を叫ぶ」、45話「その舞台を夢見る」があまりに素晴らしくて、語りたくなりました!
[第1話~第4話]ふつうの軽音部 - クワハリ/出内テツオ | 少年ジャンプ+
『中央公論』でも紹介した大好きな漫画『ふつうの軽音部』。ここ数回は、主人公はとっちの憧れの先輩であるたまきさんの過去編でした。それがもう、本当にいいんです。特に、クィアなひとたちに届いてほしい。
たまき先輩は新入生への部活紹介で銀杏BOYZを熱唱し、はとっちを軽音部へと導いた非常に重要なキャラクターです。またのちのエピソードでは、はとっちによるスピッツの弾き語りでたまき先輩が初恋のひとを想起するというシーンもあったりします。
たまき先輩の初恋の相手は同性の家庭教師。たまき先輩はそのひとへの憧れでギターを始め、音楽を好むようになりました。そのあたりの描き方もバランスがよくて、「これは恋愛感情ではない憧れ」みたいにはせず、はっきりと恋愛として描くけど、同性への恋愛というところを過剰にフォーカスせず、「軽音部のたまき先輩」がロック好きになったきっかけとして語られるんですよね。セクシュアリティを変にぼやかさず、でもセクシュアリティだけの存在にはせず、「性的マイノリティでもある軽音部の先輩」として丁寧に描いていました。
さて、最近のたまき先輩の過去回なのですが、それがひとりのクィアガールの等身大の青春として傑出したエピソードになってるんです。たまき先輩には夏帆という仲のいい女友達がいて、一緒にバンドを組むのですが、その夏帆が同じバンド内の男の子に片想いをし、しかしその相手の男の子はたまき先輩に想いを寄せるという問題が起き、関係がこじれてバンドが解散になってしまいます。
そのなかで、もっとも緊張が走る瞬間に、夏帆がたまき先輩のセクシュアリティをアウティングしそうになり、ぎりぎりで青ざめながら思いとどまるシーンがあるんですよね。これがまず、すごかった。
たまき先輩が、アウティングによって身が危うくなるような薄氷の上の日常を生きているということを示すとともに、どれだけいざこざがあってもその一線を超えなかったことにより、夏帆にとってもたまき先輩が決してどうでもいい相手だったり単なる恋のライバルだったりではなく、あくまで大事な友人であることも感じ取れて、だからこそどうしようもなく切ない。この切なさは、恋と友情をめぐるふつうの青春の1エピソードであるとともに、でもアウティングをめぐる緊張によってこれが紛れもなくクィアな若者の青春であることも痛いくらい伝わる。クィアであることを押し隠して「ふつう」を描くのでも、クィアであるがゆえに「特別」に描くのでもなく、「クィアのふつう」がここにある、と感じました。
そしてそれに続き、初恋のひととの再会から、そのひとの結婚報告を聞いて世界が曇っていき、しかしその初恋の相手から教えてもらったサンボマスターの曲を聞いて顔を上げ、しっかりバンドをやる、軽音部で文化祭の舞台に立つという目標へとたまき先輩は歩き出す。そしていま、はとっちの目の前で、目を輝かせ、汗だくになって歌っている。
漫画などでクィアなセクシュアリティが描かれるとき、それを「当たり障りない」ものと見せかけ、「それっぽく見えるけど違うんですよ」という言い訳をするというのは、けっこうよくあるんですよね。『ふつうの軽音部』はそれをしていません。クィアな子供たちのクィア性を隠さない。でも、その子がふつうの軽音部でふつうに辛いことも楽しいことも経験し、ふつうの輝く青春を送る姿を丁寧に描き、「レズビアンの子」で要約できない当たり前の等身大の個人を見せてくれる。その繊細さがすごい。
そしてこうやって描かれると、普段は「中高時代には戻りたくない」、「ずっと辛くて悲しかった」、「死にたいとずっと思ってた」みたいなことをすぐ言う私も、「私には私のふつうの青春があったよ。トランスキッズのふつうの青春があった」と思わされます。とにかくもう、読んでほしい。
またこの漫画には、アセクシュアルキャラも登場していて、そちらもそのセクシュアリティは曖昧化されず、そのひとの重要な一面とされながら、しかし同時にアセクシュアルである子のふつうの軽音部でのふつうの青春が語られています。
ものすごくきらきらしてる舞台が、単なる文化祭のステージなのもいいですよね。私は大学で劇団に入ってたのですが、あのなんてことのない学生劇団のなかで誰かと仲良くなったり仲違いして、まるでそこが世界の真ん中みたいで、埃っぽい取るに足らない小さな舞台が照明を浴びてきらきら輝いていた日々があったな、といろいろ思い出してしまいます。
少し前に新しい本が出ました。『群像』で三年にわたって連載をしていた「言葉の展望台」というエッセイをまとめたもので、『言葉の展望台』、『言葉の風景、哲学のレンズ』に続く第三弾です。
今回も私が経験したこと、感じたことなどを哲学を使ってああでもない、こうでもないと語ってみてます。まえがきでも書いていることですが、哲学の概念や理論って意外と日常の出来事を語るための言葉を与えてくれるので、いろんなひとがそれぞれのお気に入りの哲学をあれこれ寄せ集めて、そのひとだけの大事な道具箱を作ってくれるといいなあと思い、こんなタイトルになりました。
実は今回の収録分には、試しにエッセイ度を上げてみたものや、逆に抽象性を高めてみたものが含まれていたりします。なんとなくそれまでに書きやすい型ができていたので、ではそうでない書き方をしてみたらどうなるだろう、という話を編集さんとしたりしたんですよね。
それにしても、自分で見返すと日記みたいで面白いですね。どこに行って何をして、どんなものを読んだかとかをありありと思い出します。それにしてもわれながらゲームと漫画の話が多いな。「どこに行って」というか、あんまりどこにも行かずに漫画を読んだりしていることがいちばん多いかもされません。
哲学の話も漫画の話も食べ物の話もクィアの話もジェンダーの話もまぜこぜの本ですが、哲学もやってて漫画も好きで旅先ではそこの名物とともにお酒を飲む習慣があるクィア女性の書いたものらしくて、そんなところも自分ではけっこう好きです。人間にはいろんな側面があるとはよく言うけど、実際に生きてる日々のなかではその諸側面ってそんなにくっきり分かれてなくて、ごちゃ混ぜで生活を構成したりしていますよね。それがそのまま現れているように思えて、「哲学の本を書く」や「漫画について語る」、「トランスジェンダーの話をする」、「フェミニズム的な視点で語る」みたいなテーマだったらたぶん実現できなかったまぜこぜ感だと思います。
ところで、そんな本のトップを飾るのが、「食レポが下手な私が食レポのコツを哲学から探る」という話なのですが、つい最近はハーブ感の強いビールを飲んで「美味しい! ハーブの香りがしてシャンプーみたい!」という驚くほど上達のない食レポをしてしまいました。不味そうすぎる。精進が必要ですね。
本屋さんや図書館で見かけたら、手に取ってぱらぱらと眺めてみてもらえたら嬉しいです。
先月の『中央公論』に掲載された記事ですが、オンライン公開が始まりました。
https://chuokoron.jp/culture/125660.html
こちらは掲載時のブログ記事です。
https://mikinayuta.hatenablog.com/entry/2024/09/17/115856
ちょうど少し前に弟に「『ふつうの軽音部』って漫画が面白いよ」と言われたので、「ふっふっふ、姉はすでにその漫画の記事を書いている!」と返事をしたりしていたところでした。もうすっかり人気漫画ですよね! みな厘ちゃんと同じ道をあとに続くといいと思います。
記事の紹介はもうしているので、ちょっと脇道の話を。記事中でa flood of circleにどハマりしてアルバムをどんどん買っていると書いていますが、いまはこんな状態です。
どうせ全部聞くつもりなら、こんなちょびちょび買い足さず一気に行けばいいんですけどね。でもいちおうしっかり聞いてから次のを、としないとなんとなく雑に扱っている気がしてしまって…。
ライブも行きたいし、最近は公式インスタアカウントで流れてくるライブの映像とかも眺めてます。佐々木さんの声が本当に好き。私もあんな声で授業とか学会発表とかしてみたいです。(チバユウスケさんみたいな声で発表もしたい)
ところで、私がジャンプ漫画を紹介したりすると前から「この作品がとうとうこんなひとにも紹介されるように」みたいに言われることがあって、面白いですよね。「そうか、学者が目をつけるようになった、というふうに見えるのだな」と思ったりします。
実態は、ずっと以前からジャンプと、最近はウルトラジャンプも購読していて、ジャンプ+もいつごろからだろう、『奴隷遊戯』とかがやってたころからかな、わりとずっと毎日読んでいて、そんなジャンプファンがたまたま研究者をやっていて、しかもたまたま一部の雑誌のかたたちから「あいつ漫画の話振ったら喜ぶな」と認知された結果、漫画の話をあちこちでしてるだけ、という感じなんですけどね。なんだか恐縮してしまいます。
ところで、次回の私の担当は11月発売の号になりますが、とある超大ヒット作の続編を取り上げる予定です。
https://www.kongoshuppan.co.jp/smp/book/b651224.html
暴力とケアをめぐるこちらの論集で、「コミュニケーションと意味の占有」という章を書いています。
『言葉の展望台』などでもアイデアとして語っていた「意味の占有」ですが、実は私のなかでは『話し手の意味の心理性と公共性』(勁草書房、2019年)のコミュニケーション論と"Concessive Joint Action" (Journal of Social Ontology, 2022)の共同行為論を繋げることから出てくる理論的な帰結としてずっと構想していたものでした。理論が先にあったはずなのに、そちらをちゃんと文章にしないまま具体的な事例の話のなかで使ったため、きちんとしたバックグラウンドが抜けている状態だったんですね。
この論考でようやくそれらふたつの仕事を接続して、意味の占有概念を理論的に導く話ができました。最後にトランスジェンダー関連の話題として、T. M. ベッチャーさんの言うトランスコミュニティと支配的コミュニティにおける「女性」の言葉の違いという例を挙げ、現実のマイノリティに意味の占有がどのように向けられるかという話もしています。
思い切り自分の考えばかりの論考なので何か既存の哲学者の議論などが学べるタイプの文章ではないのですが、『言葉の展望台』などでたまにしていた話をかちっと語るとどんな感じなのか、興味があるかたは手に取ってみてもらえたら嬉しいです。
『中央公論』2024年10月号に掲載されています。
今回取り上げたのはジャンプ+で連載中のウェブ漫画『ふつうの軽音部』です。この『ふつうの軽音部』、なんと8月28日に「次にくるマンガ大賞Web漫画部門」第一位に輝いたそうです!
https://tsugimanga.jp/share/04McOlbMiBZZI001gsBw
素晴らしい! おめでとうございます!
私のほうはタイミングがいいのか悪いのか、面白い時期での掲載誌発売になりました。もともと『ふつうの軽音部』を取り上げたいとは前から思っていて、なんとなく最近以前にも増して話題を聞く機会が増えたからそろそろ取り上げないと時期を逃すかもと記事にして提出したのが8月頭。掲載誌の発売は9月頭だったのですが、その間に見事「次にくるマンガ大賞」を受賞されて、結果的に私は「大きな話題になっている作品を「このマンガもすごい」と言っているひとになってしまいました。
紹介自体は記事内でしているので、ここでは少し脇の話を。もともと私がこの漫画に興味を持ったのは、本作に性的マイノリティが自然に出てくると聞いたためでした。ジャンプ+は毎日開いているものの、あまりに作品が多くて全部読んではいられず、それまでは素通りしてしまっていたですよね。でも、「ふつう」とタイトルに冠するこの作品に「ふつうに」性的マイノリティキャラが出ると知って、慌てて読んでみたら、そのあたりの描写もいいし、主人公たちの日々も絶妙なありそうさと面白さで読んでいて止まらなくなるし、キャラクターも魅力的だし、演奏シーンも印象的だし、一気にハマり込んだのでした。もちろん、コミックスも買ってます!
具体的には、アロマンティック/アセクシュアルと思われるキャラが、アロロマンティック/アロセクシュアル(恋愛感情や性的感情を持つひと)の友人と恋愛に関するごたごたをきっかけにすれ違う話があったり、以前に恋をした女性のことを忘れられず引きずっている女性が出てきたり、そしてそのことがいくらかのドラマにはなりつつ、性的マイノリティであることそのものが「驚くべきこと」であるとか「対処すべき問題」であるとかとは描かれない、素敵なバランスです。性的マイノリティであることそのものはドラマと見ないけど、性的マイノリティである個人はそうでない個人と同様に青春を生き、ドラマのなかにある、という描き方。レビューではそのあたりは軽く触れるくらいになってしまっていますが、性的マイノリティのキャラの自然な描写を読みたいというひとにもおすすめです。
ところでレビューにも描いたのですが、これがきっかけでa flood of circleにどハマりしてます。ほとんど毎日聴いてる。ボーカルの佐々木亮介さんの声がとにかく好きで、聴きたくなってしまいます。あんなかっこいい声、私も出してみたい。カラオケとかは行かないので、講義などで……(?)
『ふつうの軽音部』はジャンプ+で、全話初回無料で読めます。ぜひ読んでみてほしいです。
https://shonenjumpplus.com/episode/16457717013869519536
https://www2.igs.ocha.ac.jp/gender/gender-27-2/
フリッカーの『認識的不正義』(佐藤邦政監訳、飯塚理恵訳、勁草書房、2023年)の書評を書きました。
短い書評なので、基本的には私の視点から認識的不正義やそのなかの証言的不正義、解釈的不正義といった概念について、要点をまとめて紹介しているかたちです。私はこれが「認識的」無不正義であることが大事だと思っているので、そのあたりをやや強調しました。
最後にホセ・メディナの批判を紹介したり、少しだけ私自身の問題意識を接続したりして、さらに社会構造への視点を強く組み込むかたちでの研究を展開していこうよ、みたいな話もしてみています。
このジャーナルはオンラインで無料で公開されているようなので、私の書評も含め、気になるものはぜひ気軽に読んでみてもらえるといいと思います。