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もうとっくにレビューしていたと思っていたけれどスキップしていたようなので…そして先日スクリーンで久しぶりに再び観ることができたので改めて。

花様年華

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映画.com

1962年香港。新聞編集者のチャウ(トニー・レオン)と商社で社長秘書として働くチャン(マギー・チャン)は同じ日に同じアパートに越して来た隣人同士。やがてお互いの結婚相手が不倫している事に気付き淋しさを埋めるように時間を共にするうちに、戸惑いながらも強く惹かれあうようになる。

欲望の翼」から引き継がれ「2046」へと繋がっていくウォン・カーウァイの独特の世界観が見られる三部作の一つ。

三部作と言っても設定が一部繋がるだけでストーリーが完全にリンクするものではありません。まぁカーウァイ監督作品に詳細なストーリーを求めるのは何だか野暮(?)に思えて…それ程にその圧倒的な世界観や映像美に有無を言わさないものを感じます。

個人的にもこの三作のうちでは本作が一番好き。互いの伴侶は顔さえ写さず登場人物は極力排除しただただ主演の男女が映されるのみ。しかも狭い階段をすれ違ったり向かい合って食事したりでラブシーンは無し。それでも視線を交わすだけでも十分艶めかしく(やっとこさ)車内で手を重ね肩にもたれるだけの場面が活きてくるんですね。

ファッションショーのようにチャイナドレスを取っ替え引っ替え着回すマギー・チャン、文句無く美しいです。スローモーションで歩くシーン、何度見ても惚れ惚れします。

トニーの格好良さは言わずもがな。スパイや警察官でアクション満載の映画よりも表情一つで魅せるような映画の方が彼本来の持ち味が活きるように感じます。

あって無いようなストーリー(実際に何度も脚本は変更され、カットされたシーンも多々あったらしい)。ラストも観客の判断に任せているようなところもあり(いかにもウォン・カーウァイ作品らしいですが)、私も勝手にあぁなってこうなったのよね、といつものごとく解釈していますがどなたかと答え合わせをしてみたい…

本作製作は2000年。1997年既に中国に返還されていたことを考えれば、単なる大人の恋愛物語を超えて、もう戻らないかつての香港へのオマージュでもあるように思われます。

さて、東京市ヶ谷の一角に香港文化の発信拠点をコンセプトとするカフェVictoria1842があり、「花様年華書店」という名の書店が併設されています(営業不定期)。

victoria1842.com

こちらも先日訪ねてみたのですがスペースは小さいながら現地の書籍や写真集、グッズなどが置かれ、しばし香港の様子を感じる事ができます。中国語わかればもっと楽しめるんでしょうけどね…雰囲気だけでも味わえるのでまた再訪したいですね。

去年に比べるとあまり美術館行ってないなぁと思いつつ。久しぶりの東京都美術館へ。

田中一村奄美の光魂の絵画」

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美術手帖HP

9月19日から開催されている画家田中一村(1908〜1977)の大回顧展で、過去最大の展示数という事で会場は、居住していた東京、千葉、奄美に基づき大きく3章だての構成に。

広告などに見られる原色を使った南国調の画風を想定していましたが、関東に居た頃には、奄美で確立したとされる画風とはまた異なった繊細な絵画を作り出していた事がとても興味深く思いました。

神童と評され幼少期から彫刻師の父親に書画を習い数え年8歳から創作活動を始めた一村。残した作品を見るとその完成度の高さに驚かされます。東京時代は中国の文人画家による書画に影響を受けていたようで、南画家として生計を立てていたそうですが、屏風絵を創作するあたりから赤や緑を使った作品も多数あり、細やかな草花の描写に原色が映える展示も多く見られました。

東京から千葉へと居住地を変えてからは、屏風絵だけでなく季節ものの掛け軸やデザイン的な作品があるのも特徴的。千葉の風景を題材にした絵画も多数ありました。

最後は一村独自の画風となる奄美大島での創作活動を示す展示。むせかえるような島の気候を感じさせる絵画は、彼の渾身の取り組みを思わせる迫力があります。東京・千葉時代に比較すると展示数は少なくなるものの、亜熱帯の自然を題材に新たな日本画を晩年にして確立させた彼の執念のようなものを感じる展示でした。

「最後は東京で個展を開いて絵の決着をつけたい」と生前言っていた一村。今回それが実現されたということになるのでしょう。最後に辿り着いた奄美での作品も素晴らしかったのですが、紆余曲折ある中で作り出していた繊細な掛け軸や屏風絵もとても印象的で、全てが彼の中では蓄積され繋がっているのであろうと感じました。

上野駅にて。最終観覧日だったので。動物園には行きませんでしたけれどもw

中国映画王一博(ワン・イーボー)主演日本劇場公開三作目。ファンの熱心な口コミから広まってコアファン以外にも火がついている様で。

「熱烈」

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映画.com

中国杭州で活動するブレイキンプロダンスチーム「感嘆符!」メインダンサーのケビンは自分勝手で我儘だが、親が練習場の家賃を始め何かと資金援助をしている為コーチのディンレイ(ホアン・ボー)は強く意見することができない。地区決勝戦を控え練習に顔を出さないケビンを憂慮したディンレイは苦肉の策として練習時の代役を立てることを思いつき、かつてチームのオーディションを受けたことのある青年チェン・シュオ(ワン・イーボー)に声をかける。

裕福でダンススキルもあるが協調性のないカリスマダンサー、朝から晩までバイトに明け暮れ家業の食堂も手伝い隙間時間にダンスを練習する健気な青年、資金繰りにいつも頭を悩ませながらも人情に厚いコーチ。笑いと涙を織り交ぜながらラストのダンスバトルへと盛り上げていくシンプルなストーリーは直球の青春スポーツ映画そのもの。

映画の肝の一つがダンスシーンになるけれど、ハンディカメラでクローズアップを駆使した独特のカメラワークは「船酔い」感覚になるくらい画面全体が揺れるような迫力さえ感じます。

出演しているダンサーの殆どがプロでそのスキルは本当に素晴らしいのは本国のダンスバトル番組でも周知の事。こちらとしては寧ろ効果音もストップモーションも要らないので、定点から引きの画面でその技術の高さを見せて欲しかったな、と最初は思ったものの、何回か見ているうちに本作はダンステクニック云々よりもダンサーや観客の「熱量」そのものに焦点を当てて撮っているんだなと感じるように。

メイキングを見ているとわかるのですが監督本人がとても「熱い」人。エキストラと共に声を上げ、演者が泣くシーンではもらい泣きも(監督がそんなに感情移入していいのか、とこちらが引いてしまうくらいw)。この監督の「熱さ」に共鳴できるか、が本作にハマるかどうかの分かれ目のような気がしますね…

そんな「熱さ」と同じくフォーカスしているのはダンスの「楽しさ」そのもの。こういうバトル物によくあるような対戦相手のミスやダンスの乱れなどは一切無し。ステージは完璧で笑顔まで見える余裕のかっこよさ。「(不要に)相手を下げてこちらを上げる」ようなところが見られないのも、単純に楽しめる点でしょう。

主人公にしても「ダンスで有名になりたい」「早くプロになりたい」などという野心が見えず、「ダンスが好きで楽しいから踊っている」というシンプルな設定が良いのでは。

設定と言えば、この主人公の叔父は昔フランス留学していたくらいのインテリなのだけれど、自分の父親(主人公の祖父ですね)が病死したショックで心が病んでしまったというのも面白くて、主人公の貧乏だけれどお金に執着がなさそうなのはどうも母方のDNAからくるハイクラスの家系に見られる鷹揚さかな、と本筋と全く関係ない想像までしてしまいました。

さて、主演のイーボー君、頑張りました。何を頑張ったかと言うと、(一部のスタント以外全て自身のダンスであった事も勿論ですけれど)主役の青年を演じるにあたって、彼の本領発揮である「ダンス」を舞台としながら、持ち前の「負けず嫌い」とか「自信」とかとにかく「我」というものを消し去って、実直で控え目な人間に徹した事。「真面目なダンス好き」という事で本人とダブって見られがちな分、演じるのは却って難しかったかな、と。

本作はベテランのホアン・ボーとのW主演。思えばトム・クルーズも最初の頃はいろんなベテラン俳優と共演していたっけ。たくさんの先輩の胸を借りてゆっくり成長していってほしいなとファンとしては思いますね。

珍しく夫が小説(東野圭吾以外)を、しかも芥川賞受賞作を買ってきたので何だろう、と思ったら案の定「バリの旅行記と思って手にしたら六甲山が出てきてハイキングブックと思って」購入したそうで。お陰で思いがけない読書となりました。

「バリ山行」 松永K三蔵 著

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内装リフォーム会社から建物外装修繕専門の会社に転職してきた波多。共働きの妻とまだ幼い子供との3人暮らしで元々人付き合いが苦手で仕事が終われば家に直行していたが、同僚に誘われ六甲山登山に参加することに。やがてグループは「登山部」となりほどほどの親睦を深める気軽な活動として続けていたが、ある日職場で変人扱いされるベテラン社員妻鹿がこの登山部の誘いに応じ同行することとなる。妻鹿は実は登山経験者で通常の登山道に従わず薮を掻き分け道なき道を自力で切り開く「バリ」を好む人だった。

「バリ」とはバリエーションルートの事。整備された登山道とは「敢えて」別のルートを自ら切り開く登山なのだそう。

本書にもあるように事故などの危険性を指摘する声も多く批判的な意見もあることから、必ずしも推奨されるような登山方法ではないようなのですが、この「道無き道を進んでいく」というのは、まるで「ジャングルの開拓者」のような響きで上級登山者にとってはちょっとした冒険心を誘われるのでしょう。

実生活ではリストラによる転職、そしてその転職先での経営不振とあまり良好と言えない状況の主人公も、この「非日常」への興味本位から妻鹿の「バリ」山行に同行することに。

この波多と妻鹿の「バリ」道中、想像以上に妻鹿の達人ぶりと想像通りの波多の狼狽えぶりが対照的でテンポも良く声を出して笑ってしまうほどでした。

しかし実は本書、二人のバリ山行自体をメインにしながら、社内のサラリーマン事情など周辺描写の方がページ配分されているんですね。

「人生と山登りは似ている」と良く言われ少々使い古された概念ではあるものの、会社人生と山をオーバーラップさせる主人公の悲哀は共感できます。

芥川賞受賞、ということで先入観が先立ち、バリに狂った妻鹿が山から抜けられなくなるとかサイコパスになって波多を翻弄するとか、訳のわからない顛末になることをどこかで想像しながら読み進めていたので、割とフツウに想定できるラストに少々拍子抜けの感も。

「フツウですけど何か?」と言われた気にもなって、それも含めて面白いな、と思ったのでした。

ずっと以前からお気に入りに入れていた作品を。アマプラで。

「少年の君」

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映画.com

進学校に通う高校三年生のチェン・ニェン(チョウ・ドンユィ)は受験を控えひたすら勉強に取り組む毎日。殺伐とした校内でかねてからいじめられていたクラスメートが飛び降り自殺するという事件が発覚。新たないじめの矛先がチェン・ニェンに向けられるように。学費の為犯罪まがいの商売をする母親との二人暮らしで他に頼る人のいないチェン・ニェンは、ある日下校途中に集団暴行を受けている不良少年シャオベイと知り合い、互いに心を通わせるようになる。

学歴社会の中で歪んでいく学生とドロップアウトしていく少年達、学校という閉ざされた場所で繰り返される執拗ないじめと保身の為見て見ぬ振りの生徒達、そして事勿れ主義の大人達、と国は違っても目にする光景は似たようなものかもと思わざるを得ないストーリー。

どこにも逃げ場のない少年と少女が、どこまでも純粋に支え合おうとする姿は痛々しくて切ないほど。チンピラと優等生の「純愛」というと陳腐に聞こえるかもしれないけれど、夜の闇の中をバイクで疾走する二人はキラキラと光って見えるカメラワークは印象的。

古びて貧しい建物や繁華街のネオン、街の雑踏とそこから浮かび上がるような少年と少女の「無垢」な存在が、陰湿なテーマとは対照的に美しかったです。

目を覆いたくなるようないじめは悲惨なシーンではあるけれど、心がふっと軽くなるような救いのあるラストは良かったと思います。

ありきたりの反応しか示さない大人たちの中、二人を何とか社会と繋ぎ止めてやろうと奮闘する刑事も良かった…こういう存在が本来求められているのだろうけれど…

一貫して圧倒的な演技力のチョウ・ドンユィちゃん。実はこちらの映画の方で先に観ていました。

minonoblog.hatenablog.com

王一博の相手役で出ていたものの登場シーンもセリフも少なく少々残念な扱いだったかと。「少年の君」の予告編を覚えていたので「まぁ大きくなったのね」と思ってみていたのですが、1992年生まれの彼女、本作「少年の君」製作時は既に27歳。驚異の童顔と演技力で高校生にしか見えませんでしたよ。

彼女の涙いっぱい目にたたえた笑顔を見るだけでも価値ある一作だったと思います。

胸塞がれる事件や災害が続き正直心が痛くなるこの頃、台湾映画に癒されてきました。

「本日公休」

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映画.com

台中。昔からある理髪店を営むアールイは40年以上も自ら店に立ち常連客を相手に一人ハサミを持つ日々。育て上げた子供達は皆独立しており、次女の元夫で近所で自動車修理店を営むチュアンだけが何かと彼女を気にかけてくれている。ある日遠方から通ってくれていた常連の一人である「先生」が病気と聞いたアールイは、店を休みにして愛車に乗り込み出張散髪を施すべく「先生」の元へと小さな旅に出る。

ほんの数席しかない小さな「散髪屋さん」。自分も(女の子なのに)小さい時強制的に連れて行かれたのは近所の理髪店。店主は口数の少ないおじさんで(子供目には)大きなカミソリを持っていかにも怖そうだったけれど、産毛を剃るのがとても上手でちっともくすぐったくなくて寧ろ気持ち良かったのを覚えています。古い椅子に大きな鏡、タイルでできた洗面台など今となっては懐かしいものと映画で再会できました。

そんな古き良き風情のある本作の女主人もベテラン理髪師。家族状況から健康状態まで顧客の事なら全て把握し、「いつもの通りに」で全て通じてしまう昔ながらの床屋を小さいながらも一人で切り盛りしている姿はプライドも感じさせます。膝に故障を抱えながらも店に立ち続ける彼女。老いの影が忍び寄っているのがわかります。

独立している子供達はそれぞれ自分の生活に精一杯で親の事を振り返る余裕がなく、その分次女の元夫がその人の良さで元義母に接しているのが、微笑ましいような切ないような気持ちに。

昔の常連客に会いにいくくだりはロードムービーながら、田舎道や田んぼをぬってノロノロ運転していくのでのどかそのもの。大きな事件や事故に出くわす訳でもなく、淡々と流れるようなストーリーは、古めかしい街並みとも相まってどことなく「昭和」の雰囲気を思わせるものになっています。

「先生」とのエピソードが物語の「ヤマ場」であることはわかるものの、個人的に興味深かったのは主人公と元娘婿との関係。温厚な彼をいたく気に入っており次女との復縁を願っている様子の主人公を見ていると、家族や血の繋がりの危うさを感じぜざるを得ません。そこらあたりを匂わせながら現実の「苦さ」を見せつつ、付かず離れずの家族の在り方もコンパクトに見せているのは上手いな、と思いました。

ラストに向けて少々冗長に感じたものの全体的に優しい空気感。後味の良い作品でした。

「フォールガイ」

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映画com

本当にご無沙汰しております。

この間に中国語の勉強していたり三線教室に通い始めたり新たな推しを発見したり?と、まぁ自分で勝手に忙しくしているだけなのですが。

あまりに手を広げすぎるとよくないと思い先日Audibleは一旦解約しました。これはコストの都合もありましたが少し読書への向き方を考えてみようと思った事からです。

さて、映画館のポイント期限を延長すべく無理くりに今日観に行った作品がこれ。予備知識一切無しでしたが凄く面白かったです。

大怪我を負ったために一線を退いていたスタントマンのコルト(ライアン・ゴズリング)は復帰作となる映画の現場で作品の監督である元恋人のジョディ(エミリー・ブラント)と再会。気まずい雰囲気の中撮影が進むように思われたが、コルトがスタントを務める主演俳優のトム・ライダーが疾走。映画完成の為トムを探すようにプロデューサーに依頼されたコルトは、ジョディの為にもトムの行方を追うのだが…

主人公が不本意ながら事件に巻き込まれていくという、この手の作品の「王道」をいく映画。スタントマンであるコルトが実生活でこれでもかと言うくらいのアクションを強いられるのが見どころ。

格闘シーンは勿論、カーチェイスやヘリコプターへの飛び乗り、火薬の中での爆走など、それこそスタントマン大活躍の場面がてんこ盛りなのです。映像技術が発展した昨今、ド派手なシーンが続くと「これってCG?VFX?」と思いがち。しかし生身の体を使った迫力やリアリティには変え難い場面も未だ多く、体を張って演じるスタントマンへの賛美を示しているのが本作です。

又、本作は過去のドラマや映画へのオマージュが随所に見られるのも楽しいところ。さほど詳しくない私でも「マイアミ・バイス」「DUNE砂の惑星」「マッドマックス」あたりのパロディかなというのは何となくわかりました。そして主演俳優「トム・ライダー」は多分「トム・クルーズ」のパロディかと(勿論本物トム・クルーズはスタント無しでフルにアクションを演じる俳優である事をリスペクトした上での事です)。

最初から最後まで本当に頭空っぽにして観て楽しめる作品なのですが、それでも映画の作り手たち、とりわけスタントマン達へのリスペクトが溢れていて、それが真っ直ぐ映画愛に繋がっているのがわかるのがとても心地よい。

エンドロールで本当に沢山のスタント達(主人公一人に5人以上もダブルスタントを立てるなど)が登場するのもそんな彼らへの敬意が込められているのが感じられます。