根拠はないけど、そう思う (original) (raw)
前日の様子はこちら。
折口信夫71年祭周年祭
さて翌日。
朝、海岸を散歩してましたら、砂浜にまるで蝶々みたいな貝がいっぱいでした。
藤井家にバスで向かいまして、開始は10:00から。
前夜祭と同じく、笛が奏でられ、献饌では酒、ビール、ウィスキー(写真にボトルが映ってますね)が供えられ、それぞれの歌を唱和しました。
そして墓参では、たぶの枝を1人1本いただいて、お墓に向かいました。
お墓では、それぞれがたぶの枝を土に差して青垣を作り、お水をかけて、手を合わせました。
小川先生による「きずつけずあれ」の献詠…その一つ一つの言葉が、まるでこの場を見ているようで、心に迫るものがありました。
小川先生からは青垣に魂を寄せる、お水は聖水として魂をリフレッシュさせる、という説明を伺って、なるほど、と。
こちらも時間は1時間ほど。
特に難しい作法もなく、虫よけスプレーがいる程度。
命日に実際に手を合わせてお祈りできることは、本当にありがたいなと感じました。
令和6年度折口文学公開講座「折口信夫の未完成霊論ー気概の思索ー」
小川先生というと、最近出された『折口信夫ー「生活の古典」への誘いー』(2024年、柳田國男記念伊那民俗学研究所)が、とても面白かったです。誰かにオススメしたい☺️
生い立ちや旅が後にどう影響したのか、民俗学の分野のトピックスがすっきり整理されていました。また注釈がページの上部にあるのも読みやすかったです。
開始にあたって、市長さんが挨拶されて、こんなに近くで市長って人を見たことないなぁ、と思いつつ、スタートしました。
「折口信夫の未完成霊論ー気概の思索ー」
「折口信夫は、気概の人。気概の人とは、自分の教養などを元に、信念を持ってものを言う人」
というお話から始まりました。
岡野先生に何故折口先生は春洋さんを養子にしたのかと尋ねたら、「能登人の気骨だよ」とおっしゃったとか。春洋さんが持つ、その能登人の気骨・気概に共感したのではないか、ということで。
戦後の年譜から、折口先生の気概を探っているうちに、あっという間に時間が…。
「民族史観における他界観念」は未完成であるだけに一層難しいとのことでしたが、要所を説明いただきました。他界と異界の違い(他人と異人にするとイメージが付きやすい)、念仏踊りは村という地域ぐるみで行うので、反イエ制度の折口先生は重視した、などなど。
自分一人で読んでいるだけではわからなかったのが、ちょっとわかるようになった箇所も?…また改めて読み直してみたいです。
小川先生も当初から時間に収まらないと予想されてたそうですが、いやぁ、もっと聞きたかったなー。
藤岡市のはにわin羽咋
講座が終わり、ご一緒した皆さんと別れて、歴史民俗資料館に向かいました。
姉妹都市展・企画展で、藤岡からははにわが、羽咋からも土器や鉄の刀などが交換展示されているそう。
ポスターが可愛い。
はにわは70cmほど、口がちまっとした素朴なお顔でした。当時藤岡の周辺では多くの古墳が作られ、藤岡では大量のはにわが作られていたとのことです。
さて、今回初めて講座と年祭に参加したわけですが、毎回遠方から来られている方もいらしてお話していただいたり、今回も父子会・羽咋市の方々に大変お世話になりました。
ありがとうございました。
羽咋は被害が少なかったとはいえ、バスの中から仮設住宅が見えたり、資料館からの帰りにまだ電柱が斜めになったままのところや更地になった家の跡もありました。
そんな中、開催された毎年の行事は、感慨深く思いました。
最後にあら井さんのみそまんじゅう。
みその風味がしっかりして美味しかったです。(岡野先生も羽咋に来た時に召し上がったことがあるそう)ご馳走様でした😋