のらりくらりくるりゆるり (original) (raw)

後回し癖がすごい。

前も言ったような気がするし、実際あちこちで言ってると思うが本当に後回し癖がすごい。本当にすごい。

実際治したい気持ちはあるし、己の不甲斐なさにしょんぼりもするが、あまりにも量がすごすぎて20周ぐらい回って面白くなってきた。ここまで後回しにできるのは一種の才能ではないだろうか。そう思ったので記念にここに書き記しておこうと思う。

どうせ溜まるのであれば溜め込むよりもネタにした方がいいって生きてるばっちゃが言ってた

1.本

買っただけで読んでない本が山のようにある。本当に何冊あるか把握していない。小説はもとより漫画、料理本自己啓発系、勉学、なんでもござれである。一生読まないんじゃないかとすら思う。本を読むのには覚悟がいる。「今から私はこの本を読み終わるまでの時間を捧げるぞ」と覚悟を持って挑まなければならない。映画館ならそれが容易にできるのに、本となるとどうにも難しいのは何故。なのにTwitterには毎日ウン時間をほいほい捧げてるんだからヤヴァイ。その時間を利用して読めよ。

2.資格勉強

某有名通信講座的なやつを勢いで申し込んだものの綺麗にそのまんま放置してある。無駄遣いもいいとこである。やらなきゃなーと思いつつめちゃくちゃ放置してある。せめてもの戒めとしてリビングのど真ん中の目につく棚に放置してある。視界に入るたびに己の根性のなさに辛くなるので若干の自傷行為みを感じる。

3.ぬい製作

これはまるっと全部後回しにしているわけではなく、ぬいの本体までは完成させることができた。しかしそこまでで止まっている。問題は服である。私は絵を描く時、服を描くのがめちゃくちゃに苦手なのだが、よもやぬいの服まで苦手だとは思わなかった。顔がかわいく作れた時点でそれなりに満足してしまったらしい。よってそのぬいは今すっぽんぽんの裸ん坊の状態で放置されている。かわいそう…

4.Netflix

契約したのはだいぶ前なのにほとんど観られていない謎。フォロワーにおすすめしてもらったやつや気になるやつをひたすらマイリストに追加するだけで終わっている。日々TVerNHKプラスを追うだけで精一杯すぎる。時間はあるはずなのにキャパがない。何につけても体力がない。

じゃあ解約すればいいじゃんというマジレス(幻聴)が聞こえましたが、同居のママンがめちゃくちゃネトフリをエンジョイしているので、まあ、ママンが楽しいならよかったです。

5.LINEスタンプ製作

地味にずっとやりたいなーと思っている。実際前に作ったことはあるし現在も販売中である。しかしそれが故にあまりやる気がない。わたくし一回やったら案外満足しちゃう傾向にありますね。いろんなことにちょっとずつ足突っ込んで、一回突っ込んだら別の沼にまた突っ込んでる。なんで?多趣味なの?飽き性なの?

こういうのに限らず何でも勢いで始めたら案外すぐ出来上がったりするんですよね。知ってる。勉強は知らんけど製作系って大体そう。やれよ。

6.ジム契約

今年の夏前?ぐらいに2年ぐらい通ってたジムを解約したんですよ。次を探さなきゃな〜と思ったまま夏を終えようとしています。時空歪んだのかな?

週に1回のゆるゆる通いだったけど、やはりやめると筋肉落ちたぜ!という感じがします。ちゃんと意味あったんですね、あれ。

ぴらてすの体験に行ったりもしたけど、マンツーマンはやっぱりお財布に優しくないな…とか、そもそも暑すぎてなんもやる気出んな…とかでのびのびぐでぐでしている。そして体力がさらに落ちる悪循環。

ジムに行かずに自分で運動できたらそれが一番なんですが、こういう性格なのでなかなか続かん。かろうじて「トイレに行くたびスクワット20回」だけは続けています。もう少し種目増やそうね…脚だけムキムキになっちゃう。既になってるかもしれない。

7.皿洗い

皿洗いってなんであんなに心理的にめんどいんですか

…………ん?こんなもんか?あれ?

リストアップすると案外少ないですね。私って7つしか後回しにしてなかったのか。いや、「本」という項目だけで何十冊の本を指しているので細分化したら余裕で増えるんですけども。あれ?

「めちゃくちゃ後回ししてる…アタシって本当に怠惰…」という感情に支配されていたので、正直もっと溜め込んでいると思っていた。そこまででもない…?

己の怠惰をネタにするつもりが想定していたよりも少ないことに気付かされてしまった。いや怠惰という意味では十分に怠惰なんだけど。やはり長文を書くことって大事ですね。当方文字を排出することで脳みそデトックスを行う人間です。誰のためでもない、私のための長文にお付き合いいただきありがとうございます。

欲望はありあまるほどあるのに行動に移さない、そしてそれによってフラストレーションが溜まる、我ながらあまりにも不毛でアホなことは分かっているのにやはり行動に移さない、なんなんでしょうねこれは。

若干ADHDの気質があるのでそれもあるとは思うんですが、そう考えるのも病に責任転嫁しているようで嫌ですね。普通に愚痴です。

あ〜〜〜どうにかしたい。どうにかしたいです。どうにかしたいと思いながら5年ぐらい経過している気がする。時間感覚が異様にトロい自覚があります。生きるスピードがトロい。

頑張りたいです。「頑張った」という実績が欲しい。それ即ち自信じゃないですか。自己肯定感はそれなりにある気がしますが、自信ってやはり経験に基づいてしか得られないように思うんです。じゃあやれよって話なんですよね。はい。

暗くてオチのない話になってしまった。まあいいや、私のためのブログだし…

未来の私が案外ちゃちゃっと片付けてくれるかもしれないし、相変わらず放置してるかもしれないし、それは本当に分からんです。せめて出来ないと決めつけることはやめたい。いい加減にしてほしい。自分のために。

とりあえず、皿洗ってきます。

いつものように夜風の中を母と散歩していました

そしたらなぜか古く凝り固まった記憶がぽろぽろと解れてしまって

記録した方がいいような気がするので久しぶりにアプリを立ち上げてこの文を書いています

先に言っておくとあまり気持ちのいい話ではないです ご容赦ください

私の両親は私が物心つく前に離婚しました

物心つく前なので、寂しいとか、悲しいとか、やめてほしいとか、そんな記憶は全くありません

気がついた頃には母と私はふたりでした

そのことになんの違和感もありませんでしたし、今もありません

父との交流はありました

ひと月に一回か、ふた月に一回か いわゆる面会日というやつです

私はそれがめっぽう嫌でした

何が嫌だったのか、具体的なことはあまり覚えていませんし、思い出したくもありません

父と一緒に水族館に行ったり、カフェでケーキを食べたり、おもちゃを買ってもらったり、一見子供が喜びそうなことばかりです

それでもとにかく嫌で仕方がありませんでした

母が「○日にお父さんと遊んできてね」と行った日から、その日が終わるまで憂鬱で仕方がありませんでした

今思えば、そのことを母に伝えればすぐに取りやめてくれたと思います

母は戦ってくれたと思います そういう人なので

でも私は最後の最後までそれを言いませんでした

幼いながらに母が父を恐れているのは分かっていました

どんな時も気丈な母が、「○日に行ってきて」という時だけ声が強張ることに気づいていました

両親の間に何があったのか、詳しいことは何も知りません 母は何も言わなかったので

私が行けば、つつがなく一日を終えれば、事は丸く収まるのだと察していました

既にたくさん戦ったであろう母に、同じ人と、もう一度戦えなんて口が裂けても言えませんでした

実際その日が終わってみればなんてことないことも多かったのです

それが終わった次の日には「何であんなに憂鬱になっていたんだろう」と思うぐらいさっぱりとしていたこともありました

それでも次の面会日を前にするとやっぱり気持ちが重くて、ご飯の味がしなくなるのです

ずっと父に死んでほしいと思っていました

死んでくれれば私も母も父と二度と会わなくて済むから

そのまま十何年か経過して

高校生の頃に私が決壊を起こし

それ以来父とは会っていません

私の世界は随分と平和になりました

なぜ今更こんなことを思い出したのか、自分でもよく分かりません

たまたま配信で見たドラマに幽霊のお父さんが出ていたからかもしれません

こちらのお父さんはとても朗らかでにこやかな、感じの良いお父さんでした

今思えば、幼い私は少々我慢をしすぎなように感じます

(記憶のある限り)5歳から高校生になるまで、一度も嫌だと言わなかったのですから

でも我慢ともちょっと違うような気がするのです

上手く言えないのですが

私はあの、「○日にお父さんと会ってきてね」と言われた時の、途端に体の中に暗雲が立ちこめるような感覚が、「嫌」であると認識していなかった

認識していないから、言葉にも出せなかった

母が云々以前に、自分の感情の輪郭すらはっきりと掴めていなかった 把握していなかった

そんな気がするのです

もっと言葉にするべきだったように思います

母に言うことはできなくても、友達に話すとか ネットに書き込むとか 誰にも見せられないならノートに書いてもいい

どんな形でも言葉にして、自分の感情を把握するべきだった

もちろんそんな作業をしなくても反射的に言い返せる人もいると思います

でも私は下手だから それがとんでもなく下手だから

文字通り台風一過の心地よい風が吹いていました

なぜこんな良い日にこんなことを思うのか、摩訶不思議にも程があります

しかしまた、これもやっと言葉にできた、認識できたということなのでしょう そういうことにしときましょう

こんな身内の話は本来であればインターネットなんかに晒さない方がよくて、それこそ母にでも聞いてもらえばいいのかもしれません

でも、私は今、かつてないほどの平穏の中を生きています

今更口に出して蒸し返したくありません

だからこっそりここに置いておきます

二度と会わないで済むように、それなりに幸せでいてください お願いします どうか

7月11日 木曜日

昔のことを思い出していた。身分上は中学生だった頃のことだ。学校に行っていなかった私は、毎日13時頃に起きていた。祖母が出してくれる朝食もとい昼食を食べ、また布団に入る。何をするでもなく日が暮れるのを待つ。iPad掲示板サイトへアクセスし、下世話なゴシップばかり見ていたように思う。肌からは膿の臭いがする。やる気どころか生気もない。夕方になると祖母が晩ご飯を作ってくれるので、それを食べ、また自室に逃げる。祖父が寝たタイミングを見計らってリビングに移動し、風呂に入り、ドラマを観て、ひとしきり泣き喚いたら疲れて寝る。その繰り返しだった。

もう10年ぐらい前のことになるので、正直記憶が脚色されているような気もする。ありがたいことに今の私は当時のことをかなり忘れている。しかし、時折思い出すこともあって、やべえやつだな、と思う。やべえやつなので、他人のような気すらするが、あれは確かに私で、今に続く私の過去である。

「生きてるだけで偉い」という言葉を否定する気はない。がしかし、本当に「生きてるだけ」だと人は病む。ソースは俺。何もせず、何も考えられず、ただ食べて寝るだけの生き物。労働も学習もしていないとてつもなく贅沢な環境に身を置きながら、罪悪感と劣等感で狂っていた。ただ生きているだけで幸福な人間などこの世に存在するのだろうか。いたとしたら手を挙げてほしい。

前置きが長くなった。私は今、絶賛夏バテ中である。たぶん夏バテだろうと思っている。具体的な症状としては、帰宅後の思考の停止が著しく、気を失うように横になってしまい、眠いくせに寝つきが悪く、90%の確率で寝坊をする。やるべきこと、やりたいことに着手する前に布団とお友達になってしまう。

そしてその原因が「夏である」「暑い」こと以外に思い当たらない。薬は変えていないし、食事はいつも通りで、寝不足でもない。何なら寝過ぎている。だから夏バテだと思っている。妖怪のせいにするが如くすべてを夏のせいにしている。

怠惰で無気力で自堕落な自分と対峙していると、前述のあの頃を思い出す。元気であれば「他人のようだ」とか思えるがしかし、そうでなければ「確実にあれは自分だった」と実感する。きっと今でも戻ろうと思えば一瞬で戻れてしまうのだと思う。仕事のような他者からの制約がなければ、あっという間にあの化け物に逆戻りしてしまう。なんと恐ろしいのだろう。私は二度と化け物になどなりたくはないのに。

自分で自分を律する能力が人よりも劣っている気がしてならない。皆そんなもんなんだろうか。

他者からの制約があればそれに目掛けて行動することはできる。例えば仕事だったり、友人との約束であったり、テレビドラマの放送時間であったり。仕事は待ってくれないし、ドラマの放送も強制的に始まるし、友人を待たせるのは申し訳ない。だから動ける。

しかし、対自分であるとそれがびくともしなくなることがままある。困るのが自分だけだと思うといくらでも先延ばしにしてしまう。本当によろしくないと思う。

ダイエット然り、勉強然り、家事然り、いわゆる「自分のため」に明確に計画を立てて行動できる人を尊敬する。だから、一人暮らしで生活を営めていて、かつ勉強などにも勤しんでいる方を見るとあまりの眩さに眩暈がする。まず一人暮らしの時点で生活が破綻する自信がある。仕事は何とか行けたとしても、帰宅即食事即寝落ちでそのまま朝まで寝る自信がある。部屋は荒れ放題で洗濯物も溜め放題で即座にゴミ屋敷を生成する自信がある。本当にすごい。一人暮らしで生活できている人間、すごい。

案外やってみたらできるものなのだろうか。案ずるより産むが易し案件なのだろうか。私には私を管理できるのであろうか。あまりにも未知数で恐ろしい。どうにかなりますか?本当に?

だから、私は一人暮らしが出来たらそれが人生の到達点なのだと思う。笑われるかもしれないが、結構本気で思っている。自分で自分を管理できたら、自分だけで無難に生活を営めたら、ようやく化け物からの脱却ができたと言えるのだと思う。結婚が人生のゴールと言うように、私のゴールは一人暮らしなのだと思う。たぶん。

志が低すぎると思われるかもしれないが、元が化け物であり、劣等品なのである。化け物にしては十分すぎるほど立派な大志だと思っていただきたい。謙虚なのか尊大なのかわからん態度でウケる。

長々と書いたが結局は最近の己の怠惰さに対する愚痴である。何かが解決したわけではないが、書いたら妙にスッキリした。やはり長文を書くことは健康に良い。何もかもを言語化する必要はないが、吐き出すことで昇華される何かがある。

今週末にメンタルクリニックの予約を入れているので、似たようなことを喋ってどうにかしろ‼️と言ってこようと思う。一人暮らし云々は言いませんが…主治医のおじさんに笑われそうなので…

ここまで読んだ人おる?いたらすごい。もうちょっと違うことに時間を使った方がいいと思う。

じゃあの。夏、頑張ろうね。生き延びて会おうね。約束ね。

6月6日 木曜日

随分長いこと放置していたくせに何事も無かったかのように日記もどきを書き始めている。実際何事もなかったしさしたる意味もないのである。書くことにも、書かないことにもさしたる意味はない。ただ頭の中が常に喋っていて、常にそれを放出したい欲求に駆られているのだ。率直に言って異常者である。インターネットに手を染める前の私は一体どうやって生存していたのか、もはや全く覚えていない。自分が怖い。

今朝の天気予報は確か晴れだったと思う。そう思っていた。がしかし、最寄り駅を降りたら雨が降っていた。粒の小さな霧のような雨であれば大した問題ではないが、それなりに大粒の、やたらと勢いのある雨だった。地球の重力の強力さが可視化されたようだった。

私は傘を持っていなかった。雨が止むまで待つか、雨の中を突っ切るかの選択を迫られていた。一瞬待とうかとも思ったが、突っ切ることにした。私はさっさと帰りたかった。

知らない人もいるかもしれないが、雨の中を濡れたまま歩くのは案外楽しい。

傘を差した上で局所的に濡れるのは嫌だ。楽しくない。差しているんだから守れよ、と思う。しかし、差していないとそこまで不快感がないのだ。嘘だと思うなら試してみてほしい。

明らかにシャワーとは違う水の粒の大きさ。とめどなさ。勢いの質感。服が水を帯びて冷える感覚。雨の中傘を持っていない自分の絵面の間抜けさも相まってかなり面白い。読者諸兄は授業の着衣水泳でテンションが上がった経験は無いだろうか。あんな感じだ。

前にもこんなことがあったのを思い出す。多分中学生の時だ。その時は傘を持っていたが、なんとなく濡れたかった。別に悲しかったとか、傷ついたとか、失恋したとか、そんなことは全くなく、ただただ濡れたかった。ただの好奇心だった。

しばらく己の肉体が濡れていく感覚を楽しんでいたのだが、途中で通りがかりのおばちゃんに傘をかけられてしまった。この点に関しては反省している。私のただの好奇心のせいで、名前も知らぬ親切なおばちゃんの心配を買ってしまった。そうだ、この世界には人目があるのだった。客観的に見て、10代半ばの女の子が雨に濡れながら歩いていたら周りの人は心配してしまうのだ。そりゃそうだ。すみません、ただの好奇心なんです…とは言えなかった。

という思い出に耽りつつ帰宅した。当然であるが、びしょ濡れであった。これが少女漫画であれば私は明日風邪をひき、心配した美少女が看病にかけつけてくれるのではあるまいかと不埒なことを考えたが、ここは少女漫画ではないし私はイケメンではなかった。あと風邪をひきたくもなかったのでさっさと着替え、着ていた服を洗濯機に放り投げた。非日常の終了であった。

今日の教訓は以下の通りである。

・人生で一回は着衣で雨に打たれてみた方がいい 楽しいから

・梅雨の時期は天気予報にかかわらず傘を持っていた方がいい 濡れるから

以上です。

左右盲とは:とっさに左右が分からない人のこと。

左右盲という概念を知った時、あまりにも「これは私だ」と思った。大した問題ではない、「とっさに分からない」なので、ちょっと考えれば左右を判別できる。しかし瞬時に判別できる者と比較すればどうしたってワンテンポ遅れる。ストレスというほどでもないが、常に地味にモヤっとしていた私にとって"この現象に名前がある"ということ自体が光明であった。インターネットはありがたい。

しかし名前がついたところでわからんものはわからんという側面もある。ので、この地味なモヤっとについて文字を書き殴り、モヤっとボールを伊東四郎に投げつけるように鬱憤を晴らそうと思う。

さらりと書いてしまったが、モヤっとボールって現代っ子には通じないかもしれない…と思いググったところ、IQサプリの放送終了は2009年らしい。当時生まれたエケチャンがそろそろ高校生になる頃合いだ。嘘だろ…?

・「向かって右側のドアが開きます」と言われて左側に行く

もうドアに色とかつけといてほしい。右は赤、左は青とかでベタ塗りしてもらって「赤い扉が開きます」とか言ってほしい。それなら分かる。色盲の方には優しくないが。

・「次の角を向かって左に曲がってくださいね」「どっちですか!?!!?」

運転免許の教習中の話である。ただでさえ運転をしているというだけでパニクっているので、左右を考える余裕がなかった。教官の顔を見たわけではないが、明らかに衝撃を受けていたと思う。そりゃそうだ。よく免許取れたな…今となっては完全ペーパーだけど…

・『お箸を持つ方が右』『鉛筆を持つ方が右』

幼稚園でのこの刷り込みが勝手に諸悪の根源だと思っている。私はお箸は左、鉛筆は右で持つ人間である。知らんがなと言われればそれはそう。

・視力検査、ほぼ脳トレ

地味に今いちばん困るのはこれかもしれない。小さい頃は開いてる方を指で指すというやり方でやりすごしていたが、さすがに大人になると羞恥心が勝る。ので、必死で毎回左右を考えて答えている。見えてないんじゃないんです、左右が分からないんです。

この世、左右が分かる者向けに作られすぎている。(そりゃそう)

もうお天気お姉さんが持っているみたいな指差し棒を常に携帯していたい。なんらかの力で音声を聞き取り、「右」といえば「こっちだよ!」と教えてくれる何かが欲しい。しかし左右がとっさに分からないというだけでそんな不気味な棒を携帯しなきゃいけないのも癪である。やめておこう。

最後に、同じく左右盲の方向けに私の左右の考え方を伝授しておく。

色々試してみたが、これが一番明確で間違えることがない方法である。

左右が分からなくなった時、頭の中にクソデカ文字を召喚するのだ。

左 右 と。

必ず横書きで召喚するのだ。横書きで「左右」と書いた時、左の方が左で、右の方が右だ。左右が分かる人には何言ってんだコイツと思われるであろうが、これが一番わかりやすいのである。「さゆう」と漢字で書いた時に左の方が左で、右の方が右なのだ。きっと左右盲の者のために「みぎひだり」ではなく「さゆう」なのだ。知らんけど。

左右盲の仲間たちが参考にしてくれると嬉しい。

また、左右盲でない者は左右盲の者が左右で思考停止している時に(あ、今こいつは左右を考えているんだな…)と思ってくれると嬉しい。左右以外のことを考えてる可能性もなくはないが、ワンテンポ遅れても不審に思わないでほしい。怪しいものではありません。左右を考えています。

ホスピタルの待合室でこれを書いていたらいい感じに呼ばれたので終わります。

皆様に良い左右盲ライフのあらんことを。

私は私のことをそれなりに幸運な人間だと思っている。なんなら運の良さぐらいしか誇れるところがない。今の私の精神の安定は、ただただ運が良かったからと言っても過言ではない。

まずは頑丈な母の元に生まれたこと。かつての弱った私を前にして、取り乱すことも壊れることもなかった母。根源である私が言うのもアレだが、本当にすごいと思う。夜になる度に私から繰り出される罵詈雑言を前にして、狂わなかったのは本当にすごい。私が同じ立場だとして、同じように振る舞える自信がない。だから子供は欲しくないな、と思う。もしいたら、私が子供を壊しかねないので。

たまたま近所に相性のいいメンタルクリニックがあったこと。通い始めてから、もうかれこれ10年が経とうとしている。最初に訪れたところはどうにも信用ならなくて、今の病院は2軒目だ。電車が怖くて遠くまで出歩くことができないので、とにかく家から近い病院を探したのを覚えている。私の話を馬鹿にせず、平坦なテンションで聞いてくれる他人が近くにいた。幸運でしかないと思う。

皮膚科もそうだ。こちらは近所にはなかったけれど、前の皮膚科に見切りをつけ、転院してすぐに大学病院の紹介をしてもらえた。たまたまその時に開発されたばかりの新薬があって、たまたまそれが私の身体にぴったりと合った。それまでのあちこちが爛れて膿んだ肌が嘘のように綺麗になった。今でも自分の肌を触るたびに感動する。特に膝の裏の皮膚。昔の私のここは固くひび割れていてまるで象のそれだったのに、今は赤子のほっぺように柔らかい。嬉しい。

家も裕福ではないものの、それなりに余裕があった。明日のご飯に困るほど貧しいわけではなかった。家を出た今もそれなりに楽しく暮らせている。職だってほぼコネ入社のようなものだ。曲がりなりにも高校を卒業し、やっとこさ動けるようになった時期に、たまたまあそこの席が空いてるよと言われたからそこにすかさず座っただけだ。就活もまともにしていない。溢れるやる気があるわけではないが、居心地のいい職場なので無理なく続けられている。本当にありがたいと思う。

他にも挙げればきりがないが、全部全部ただの幸運なのだ。私が自分の力で手に入れたものなど何一つない。母も医療も職も家も、全部運だ。たまたまラッキーだっただけだ。

感謝する気持ちはもちろんある。だがしかし同時に恐れる気持ちもある。こんなに運に甘やかされていて、未来でそれに見放された時、私は本当に生きていけるだろうか?

今までが何とかなったからといって、それが永続的に続くなんてことはない。今でこそ外に働きに出ていられるが、かつての症状がカムバックしない保証はない。私に不幸がない限り、母も医者も私より先に死ぬだろう。未来に確証や約束なんてものは存在しない。

だから鍛えなければと思っている。今のうちに。体が言うことを聞くようになった今のうちに。今までの私はただ周りに生かされていただけだ。全てが無くなった時に生きていけるように、今のうちに鍛えておかなければならない。絶望して、また周りを加害しないように。

…と、頭では分かっていてもなかなか動けないのが私の嫌なところだなと思う。焦っているはずなのに、同時に実感が伴っていないのだ。実感が伴っていなくて、行動を先送りにしてしまい、それがまた焦りを増幅させる。いやな堂々巡りである。根が怠惰だなぁと常々思っている。

齎された運の良さを無駄にせず、何なら分け与えられたらいいのに、と思う。それができるぐらい優しくて強い人間になりたいものである。今はまだ夢のまた夢の話だけれど。

・はじめに

YOASOBIのライブに行ったわけではなく、夜遊びの方である。漢字の方である。3月16日にティプシーという、レズビアンバイセクシャル女性限定のクラブイベントに参加した。そういうイベントも初めて、クラブに行くのも初めて、そもそも21時以降に外を出歩くことが滅多にない箱入り娘の冒険の記録としてこれをしたためたい。

・装備

黒のレース地に花の刺繍をあしらったワンピース。この服は見た目の華美さと着心地の良さが両立しているところがお気に入りである。短時間ならまだしも長丁場に可動域を狭める服を着るのは苦しい。

チャンキーヒールのメリージェーンパンプス。細いヒールは怖い、ストラップがないパンプスは高確率で脱げるというフォーマル適正が低すぎる女でもちゃんと歩ける靴である。世の中の女性は足が強すぎる。お洒落は我慢ということだろうか。正直あまり我慢はしたくない。

Loopというブランドのライブ用耳栓。これが最重要アイテムであった。私は爆音が苦手である。敬愛するアーティストのライブですら、地響きのような轟音が響き渡ると感動よりも恐怖が勝る。そんな人間の恐怖を良識的なレベルまで引き下げてくれるとても優秀なグッズだ。開発者に感謝。正直この耳栓をつけた上でも充分大音量だったので、耳栓が無かったらうるささのあまり早々に発狂&退場していたと思う。この爆音の中を裸の耳で過ごせる人間、耳が強すぎる。

・前準備

イベントは23時からだったので、その日の昼から夕方にかけて昼寝をした。疲労と睡魔は減らせるに越したことはない。

18時ごろに夕食を摂り、その後にコンサータという薬を飲んだ。この薬、一般的にはADHDの治療薬として使用されているらしいが、私にとっては多動というよりも日中の眠気を吹き飛ばしてくれるものという認識が強い。基本朝食の後に飲むもので、これを飲まないと私は夕方頃には撃沈してしまう。夕食後に飲むのはあまり勧められたものではないかもしれないが、おかげで夜中の間は一切眠気が襲ってこなかった。効果てきめんすぎる。

・イベント前

前述したようにイベントは23時からだった。しかし、私は20時には現場付近に到着してしまった。時間配分が下手くそにもほどがある。

3時間もの間そこらへんのベンチに座ってるのも味気ないので、周辺の夜の繁華街をぽつぽつと散歩していた。歩ける靴を履いていてよかった。

夜の街は新鮮であった。この時間でもこんなに明るくて、賑やかで、人々が活気づいているのだと初めて肌で感じたような気がする。もちろん知識としては知っているが、体感として知る機会がなかった。春の夜風はほどよく生ぬるくて心地よかった。煌々と輝く街灯の灯りが境目のくっきりとした陰影を作っていた。

この時間でも人々は活動をしていて、工事現場で働く人がいて、白木蓮も咲いたままで、歩くのに困らないほど明るいのだ。知らなかった、と思った。知っていたはずだけど知らなかった。この時間は私にとって夜で、即ち寝る支度をする時間で、一日が終わる時間だった。その時間でも一歩外に出てみればこんなにも世界が明るい。一日は私が思っているよりずっと長いのだと知った。

もっと早く知れていればと思った。酔っ払いの罵声に怯えながら無理に寝ようとしなくても、外に出ればこんなに明るくて清涼な空気が漂っているのだ。もちろん過去の私にとってまるで現実味がないことは分かっている。しかし一日は長いし、世界は広いのだ。一体何を囚われていたのだろうか。私は足枷の幻覚を見ていたらしい。目から鱗、ではないけれど、今更すぎる、遅すぎる気づきへの衝撃で少し涙が出た。

・イベント

初めてだから当然とはいえ、何も勝手が分からなくて困惑した。ある程度は想定していたとはいえ、目の当たりにするとまた違った実感がある。

最初は緊張していて何をどうすればいいか全く分からなかったが、周りの様子を見ていて結構自由に話しかけていいのだな、と分かった。そういうイベントなんだからそりゃそうなんだけど。

誰も知り合いがいないので、逆に旅の恥は掻き捨て感覚で話しかけることができた。そういうところは妙な度胸がある。自分でもそう思う。

いろんな人がいた。恋人を探しに来ている人、友達を探しに来ている人、何回も来ている常連の人、私と同じく初めての人もいた。年代も幅広い。話した中で一番若い人は19歳と言っていて、その年齢で自分のセクシュアリティを明確に自覚し、彼女が欲しい!と行動できていることに驚いた。一般的には当たり前なのかもしれないが、私はそこまではっきり自分の性志向が分かってない。女が好きな女の友達が欲しい〜と思って参加したが、彼女は5歳も年下なのにとっくに先へ行っている。

話は変わるが、『彼女が好きなものは』という映画がある。作中で神尾楓珠演じるゲイの主人公に当たり前のように既婚者のセフレがいる。当たり前のように描かれているので当たり前なのかもしれないが、高校生の段階で「性志向を自覚し」「それを受け入れ」「相手を探すための行動を起こし」「結果を出して」いることに対してすげえな……!?!と思ったものだ。それだけ彼にとって切実な問題だったのだろうと想像はするが、自分に置き換えると全く想像がつかない。彼と私は性別が違うし、性的欲求の強さも人それぞれとはいえ、高校生………高校生ぞ…………!?となる。

話を戻そう。最初こそガチガチのコチコチに緊張していたが、長く居座っていると顔見知りの人も増え、いろんな話も聞けて楽しかった。それぞれに事情は違えど、ここにいる人は全員「女好きの女」なんだな…と思うと不思議な高揚感があった。同性愛者・両性愛者への理解が進んできた昨今とはいえ、それはあくまで理解でしかなく、インターネット上以外で共感を求めることはなかなか難しい。しかしこんなに沢山いるのを目の当たりすると、こんなにいるんだな…という不思議な感慨があった。何もかも刺激的で、未開の地に足を踏み入れたような感覚だった。来てよかったと思った。ちなみに合計5人と連絡先を交換しました。結構すごくない?コミュ下手オタクにしては頑張ったと思わない?褒めていいよ

・イベント後

薬のおかげか眠気を感じることは全くなく、日が昇る前の早朝の街をまた歩いて帰った。相変わらず外は暗く、しかし街灯の光はぼんやりとしていて、人通りが少なくて、これはこれで別の街のようだった。時間帯によって街の表情が変わるという至極当たり前のことすら私には新鮮だった。無知が過ぎる。

シャッターの降りた商店街を歩く。ほとんど人がいない。ここなら踊っても多分誰も見ていないし、見ていたとして「踊っているな」としか思われないだろうな、と思った。踊らなかったけど。

始発電車で帰り帰宅すると猫が真っ先に気づき、ご飯及び愛撫を要求してきた。この子に夜という概念はないらしい。夜遊び用の華美寄りの化粧を落とし、布団に寝転んだ。外が明るくなり始めていた時間にどうにか寝ることができた。

・後日談

翌朝、というか昼にどうにか起きたものの、意識的な薬の飲み忘れにより頭がくらくらした。今日が休日でよかった。この状態で仕事などあっても何もできない。母も仕事が休みだったので、家事その他諸々の全てを母に押し付けてごろごろとしていた。頭は痛いが食欲はあったので、母謹製のクリームシチューを食べた。美味しかった。

夕食後にいつも通りのタイミングでいつも通りの薬を飲んだら無事体調が落ち着いた。慣れないことをするのはリスクが伴う。そして薬に生かされすぎている。メンクリ10年選手のため、今更嘆いても仕方がないが。

・まとめ

慣れないパンプスで30000歩歩くのはあんまり良くない。歩いている最中は楽しさで忘れていたが、帰宅した後まあまあ足が痛かった。調子に乗る勿れ。あと時間の3時間前に着くな。

次回があったらスニーカーを履こうね。過去の私との約束だよ…