もみじの研究ノート (original) (raw)
駅名標照明、と呼んでいいのか分かりませんが、建植式駅名標の上部に取り付けられている白熱電球や蛍光灯型の照明設備。山手線の駅でさえ駅名標を消灯する昨今ですが、ほんの数年前まで北海道ではまぁまぁありふれていた設備でした。その中で、やけに蛍光灯型の照明が目立つ路線がありました。宗谷本線です。
咲来駅(2014年8月)
咲来駅の例です。だいぶ錆びていますね。なお現在は照明が外されています。
美深駅(2014年8月)
美深駅です。枠も照明も咲来駅と同じタイプに見えます。電線が地中からか上からか、という違いがありますね。この時代は有人駅だったこともあり、除雪が丁寧に行われていたと思われ、照明があまり錆びていません。もしくは、塗り直されたのかもしれません。
しかも、「つちぶた本舗全駅訪問の旅」などで昔の駅名標を見ていると、これより咲来より小さな駅でも駅名標照明が設置されている駅が多くあります。これはなぜなのか。昔からなんとなく疑問に思っていました。
以下に抜海以南の宗谷北線の駅名標照明設置駅と、電線が上からか、地中から伸びているかを列挙します。特記のないものは「つちぶた本舗全駅訪問の旅」より、2005年ごろに撮影されたものを参照しています。なお、ざっと見渡してまとめただけで、あまり精査はできていません。ごめんなさい。
- 抜海#2:蛍光灯型 上
- 勇知:蛍光灯型 上
- 兜沼#1:2004年時点で蛍光灯型撤去跡
- 兜沼#2:正方形型 上?
- 芦川:1989年時点で電球型、2001年時点で蛍光灯型 上
- 徳満:2001年時点で撤去
- 下沼:蛍光灯型 地中
- 幌延:正方形型
- 上幌延:蛍光灯型撤去跡 上
- 南幌延:なし
- 安牛:蛍光灯型 上
- 雄信内:蛍光灯型 地中
- 糠南:なし
- 問寒別:2001年時点で電球型の撤去跡
- 歌内:蛍光灯型 上
- 佐久:蛍光灯型 上
- 筬島:蛍光灯型 地中?
- 音威子府#1:蛍光灯型 2002年時点で地中廃止・上?
- 咲来:蛍光灯型 上
- 天塩川温泉:なし
- 豊清水:蛍光灯型 地中
- 恩根内:蛍光灯型 不明
- 紋穂内:蛍光灯型 上?
- 初野:なし
- 美深:蛍光灯型 地中
- 南美深:なし
- 智北:なし
- 智恵文:蛍光灯型 上
- 北星:なし
- 智東:蛍光灯型 地中
- 日進:なし
さて、仮乗降場タイプの駅にはありませんが、それ以外のほとんどの駅には蛍光灯型の駅名標照明が設置されていることが分かります。例外は2005年時点で枠の老朽化が著しい上幌延駅や、2001年時点で極端に利用が少なかったと思われる徳満駅くらいです。あとは大都会問寒別になぜかないのは謎です。
なお、蛍光灯型が跡形もなく撤去された駅では、その前に設置されていたと思われる電球型のネジの跡が現れる駅があります。歌内駅などがその例です。
ここでなんとなく感じられるのが、発足間もないJR北海道が、盛土式ホームの駅を主要駅のような位置付けとし、駅として生きた姿を保とうとしていたことです。当時はまだ緑色がそれほど劣化していない貨車駅舎もラベンダー色に塗り替えたのでしょうし、わざわざ蛍光灯を設置するくらいには乗客に駅の存在を主張しようとしていたのです。それがやがて安牛駅のようにボロボロになり、今に至ります。改めて宗谷本線の貨車駅舎の姿を眺めていますが、礼受のように海が近いわけでもないのに、異常ともいえる姿です。
蛍光灯の照明は1990年代に交換されたもの
駅名標照明が交換されたことが分かる数少ない資料が芦川駅です。
国鉄時代の駅名標です。天北線のような雰囲気を感じますね。しかしそれよりも駅舎の窓がすべて全開にされているほうが目を引きます。
1989年時点では電球型の照明です。国鉄民営化から2年、板はJRのものに交換されています。
2001年時点では蛍光灯型に交換されています。なおこの年に廃止されています。
国鉄時代に蛍光灯型の駅名標照明はなく、1981年に開業した石勝線でも各駅の照明は電球型です。JR化後、1990年代ごろに交換されたものらしいのです。
抜海駅2番線の廃止
先日、抜海駅と佐久駅の2番線が廃止され、すぐに駅名標も撤去されました。そのとき、この写真を目にしました。
— あめをか (@ameokajiru) 2024年9月23日
1993年時点で、抜海駅2番線に蛍光灯型の駅名標照明が確認できます。また、枠はかなり低いものであることも目を引きました。そして当時、車掌常務のキハ56が運行されています。
蛍光灯はキハ56時代のもの?
この写真を見てなんとなく、「蛍光灯型の駅名標照明は、運賃表示器・自動放送のないキハ56の時代に、駅名の確認をしやすくするためなのかねぇ」と感じました。そしてワンマン化後は急速にその役割が失われていった、と。
年表を見ると、このようになっています。
・・・あれ?ワンマン化が思ったより早かった。というか元のツイート通り1993年です。民営化から5年で、すべてが行われているわけです。
1991年ごろ、宗谷北線運輸営業所が発足する前後で、各駅イメージアップのために、電球型の照明を蛍光灯に更新する・・・そんなことが本当にあったのでしょうか?信じられない話です。
謎が深い蛍光灯
というわけで、どういう未来を見据えて設置された蛍光灯なのか、本当のところはよくわからないままです。そして2001年ごろには錆び始めており、メンテナンスが満足に行われていなかったことがうかがえます。いったいいつまで蛍光灯の交換などをしていたのかも、今となっては謎です。
現在、今回取り上げたタイプの照明が残存している駅は、撤去や更新によってほとんどなくなってしまったと思われます。枠さえ残っているか怪しいですね。それこそ佐久と、筬島、咲来くらいでしょうか。
現在の日本最北端の駅名標照明設置駅は・・・どこなんでしょうね。蘭留?さみしくなったものです。
根室本線は滝川駅と根室駅を結ぶ、全長443.8kmの路線です。というのが、あと数日で過去のものになります。この最後の春、私は根室本線の全線を走破する、最初で最後の旅をしてきました。その中で地味に気になることを見つけたので、ちょっと研究します。根室本線が分断される前に、根室本線を時刻表の視点から見てみましょう。
浦幌町立博物館
旅の後半、初めて浦幌町を訪れました。以前から気になっていた浦幌町立博物館で、企画展「十勝の鉄道120年」が行われているためです。
浦幌町立博物館の展示(2024年3月)
私の一番の目的はやはり駅名標です。ふるさと銀河線の本物の駅名標を生で見るのがこれが初めて。本別駅の駅名標ではやはり「おかめどう」が気になります。よく見てみましたが、せんびりと全く変わらない大きさ・フォントで、完璧な修正が行われていることが分かります。こういうのは実物を見ないとわからないことです。
そして、上厚内駅。8年前に生で見たことがありますので、博物館に収蔵されているのが不思議な気分です。
謎の時刻表
浦幌町立博物館の展示(2024年3月)
その中で、気になることが。各駅の時刻表が4枚ほど展示されていたことです。自分にとって、これは初めて見る謎の時刻表です。なんだこれ?こんな古いの使ってたんだっけ?
そして、写真左側の上厚内駅時刻表は、いつ使われていたのかがはっきりと分からないといいます。時刻という情報が掲載されているのに、です。
この展示を企画された持田誠さんは、「近年の度重なる廃線に伴う鉄道資料の収集が追い付いていない」とおっしゃっています。これについて、私は「駅でオタクがあんなに写真を撮ってるのに、不思議だ」と思っていました。でも確かに言われてみれば、私もこれがいつのものかはすぐにはわかりません。たかだか30年前のことなのに、意外とわからないことが多いのです。
札幌駅の旧運賃表って?
そして、これは身近なところでも追いついていません。たとえば、札幌駅の消費税8%値上げ前、つまり2014年までの「運賃表」はどんなデザインをしていたか、皆さん覚えているでしょうか。私は完璧には覚えていません。そして驚くことに、これについてネットで検索しても、ほとんど画像が出てこないのです。
2014年までの運賃表は、駅ごとにデザインがばらばらだったといいます*1。確かにそういえば、札幌圏の駅でも2006年に廃止された「中徳富」の表記を消して使い続けていた光景を覚えています。でも、それらの画像が全然出てこない。身近なものすら過去のことがこれほどに分からないということに、危機感を感じます。
この時刻表からわかること
この時刻表から分かる、個人的な注目ポイントをいくつか紹介します。
いかにも釧路支社
白地に黒文字。いかにも釧路支社感を感じる時刻表です。これ右は民営化後なんですよね。こんなもの使ってたことに驚きがあります。さすがは釧路支社って感じです。(が、後述しますがこの感想は誤りで、このタイプの時刻表を使っていた期間は、本社管内のほうが長かったようです)
フォントはゴナ
フォントはゴナです。右側浦幌駅の一部数字フォントはウエイトが違いますが、新ゴではなさそうです。そしてよく見ると、「上り帯広方面」などの帯広だけ書体が異なり、手書き?になっていることが分かります。他路線でも汎用的に使えるようになっていたのでしょう。
列車名と記事
時刻・列車名・行先・のりば・記事。国鉄の時刻表ではこれが定番だったと思われます。ちょっと調べてみると、かつての釧路駅*2や富良野駅*3には「種別」欄があるものや、ごく最近のトマム駅では種別が省略されているものがある*4など、種別の有無はまちまちです。
上厚内駅の時刻表は「222D」などの列車番号です。都会で暮らす私たちにとって、今の時代ではかなり違和感を感じますが、地方の鉄道ファンは今でも「4012D」などと呼ぶことから、当時は一般客の間でも多少の認知度はあったのでしょうか。しかし「列車名」なんですかね??って感じで、やっぱり違和感。
そして、浦幌駅の時刻表では列車名は「普通」「特急」となり、記事欄に「特急おおぞら〇号」の表記があります。上厚内駅時刻表にある「帯広ー札幌間急行」の記事からの流れでは自然に見えます。
吊り下げ式
この時刻表の特徴的な点は、吊り下げて展示されていることです。フックや穴などももとからあったものなのでしょう。冷静に考えてみれば、いまどき時刻表が吊り下げられている駅なんてあるか?近鉄の鶴橋?というのが、今回の記事を書くきっかけです。
近年の釧路支社の時刻表はどうなっているか
いまどき時刻表の板が吊り下げられている駅なんてまず見ませんよね。ちょっと釧路支社の駅を見てみましょう。
白糠駅(2023年3月)
時間帯により有人駅の白糠駅。時刻表は縦長のものが目線の高さに合わせて掲出されています。板ではなく、中身が変えられるパネルです。なんていうんでしょうあれ。
新大楽毛駅(2023年3月)
根室本線では最新?の駅舎を持つ新大楽毛駅。といってももう11年も経ったらしいです。マジかよ。津波避難情報、時刻表、運賃表が上揃えで掲出されています。枠はシルバーの新しいものです。
東釧路駅(2024年3月)
意外にも「記事」欄は今も存続しています。東釧路駅では快速列車の停車駅が一覧になっており、賑わいがあります、快速しれとこ摩周号の停車駅案内を葬式するために撮影したものです。今回、この時刻表を見下ろすように撮影しているのがポイント。決して見上げていないのです。
浦幌に展示されている時刻表は、いつ、駅のどの位置に掲げられていたのか、という疑問が生まれます。
レア!根室駅の運賃表
そういえば、浦幌町の展示を見る前には8年ぶりに根室駅を訪れていまして、とある看板の貴重さに気が付いていました。それがこちら。
根室駅(2024年3月)
道内ほとんどの主要駅が地図式の運賃表となっている中、根室駅だけは一覧表形式の運賃表が今も現役なのです。おお~これは珍しい、と撮影した一枚です。根室駅が終着駅で単純な路線図になることも関係しているのでしょうかね。
とここで。
この運賃表、吊り下げ式なんですよ。しかも。
これが新千歳空港駅開業後のデザインというのも驚き
そして、浦幌に展示されていた運賃表ともかなり似ています。根室駅はやはり国鉄スタイルの生き残りだということが分かります。
そんな根室駅の時刻表は
根室駅(2024年3月)
根室駅の時刻表はこちら。外照式照明が珍しいでしょうか。なんか主張の強い、現代的なものです。歴史も何も感じませんね。
・・・と思いきや。実はこの掲示する「場所」が、ポイントなのです。
そういえば!本社管内に…
よくよく考えてみると、本社管内にも時刻表を「見上げる」駅を思い出しました。学園都市線の終点、新十津川駅です。新十津川駅はあまりにも有名な駅ですから、たくさんのオタクが時刻表を撮影しました。そのおかげで、ネットで調べればすぐに出てきます。出てきました?みんな見上げて撮っていることが分かりますよね。
下徳富駅(2016年3月)
手元にある2つ隣の下徳富駅の1往復化直前の写真も見てみましょう。おうおうおう、なんか釧路支社スタイル、いや国鉄スタイルではありませんか。本社管内には、釧路支社よりも長く、2016年ごろまで国鉄スタイルが採用されていたようです。
そして、時刻表の掲示位置が、上。これぞ国鉄スタイルなのではないか、ということに気づきます。そして、上は上でも、改札口の扉の上です。根室駅の時刻表の掲出位置は、ああみえて国鉄スタイルなのです。
模範的な配置!茂尻駅
もっと国鉄のにおいがムンムンする駅を見つけました。根室本線の茂尻駅。
茂尻駅(2017年3月)
時刻表の位置が、改札口の扉の上。そして、時刻表が斜めに吊り下げられています。浦幌に展示してある時刻表ってこういうことなのでは!と気づいた瞬間です。
釧路支社管内には現存せず
このような駅は、調べた限り釧路支社には現存していません。理由として考えられるのは、1990年代の終わり頃に、ターミナル駅を除く釧路支社各駅の時刻表の方式を一斉に変更した可能性です。より見やすいよう掲出位置を目線の高さに合わせた位置に変更した可能性があるのです。その際時刻表も縦長に変更し、旧仕様の時刻表が町に寄贈されたのです。
根室線・直別駅
2019年3月16日からは信号場となっている
写真は旧駅舎で、待合室には机があった
訪問の半年後に十勝沖地震の被害を受け、現在も残るログハウス型の駅舎となった
駅舎の被害のほか、当駅構内で下りまりもが脱線した
かつては釧路駅から当駅までの区間列車も設定されていた
(2003/3/25) pic.twitter.com/RIbrTvjh4G— 北海 太郎 (@Hokkai__Taro) 2023年11月21日
2003年3月に撮影された直別駅の旧駅舎です。すでに時刻表が見慣れた形式に変更されていることが分かります。
数少ない例外
調べていくと、例外の駅もいくつか見つかります。これは時代の変化の中で生き残った希少な例です。
縦長の時刻表が吊り下げられた西庶路駅
2003年に撮影された西庶路駅の待合室。当時は簡易委託駅だったようで、時刻表がホームに出る扉の上に、なんと斜めに吊り下げられている、茂尻駅と同じ光景です。運賃表もよく見るとひもで吊り下げられており、国鉄様式といえます。
西庶路駅は2005年7月に無人化されたようで、無人化後には埋められた窓口跡に時刻表が移設され、この光景は過去のものとなっています。
運賃表が吊り下げられた尺別駅
2011年5月に撮影された尺別駅の待合室には、ホームに出る扉の右横に釧路支社特有の地図式運賃表が斜めに吊り下げられています。これも国鉄的な考え方のもと設置されたものが近年まで残り続けた例です。なお、のちにやや下側の壁掲示に変更され、現在は廃駅となっています。
根室本線尺別駅待合室
1983→2012
変わったところは壁が塗り替えられたことと灰皿が撤去されたことくらいかな・・ pic.twitter.com/pCkmLz7H1t— 元最北のリスナー (@soya_cape) 2017年3月6日
もっと古い写真を持っている方がいらっしゃいました。1983年当時はなぜか駅前側に、根室駅と似た様式の運賃表のみが吊り下げられていたようです。
電照式の巨大時刻表があった新得駅
新得駅(2016年8月)
ありましたよね、昔。これは私も生で見たことがあります。新得駅独自の様式で、あまり古さは感じさせないものでしたが、昔のターミナル駅はどこもこうだったのでしょう。現在電照式のものは撤去されています。
釧路支社を見習った第三セクター「ふるさと銀河線」
第三セクターというのは今も昔も国鉄やJRを見習い、その伝統を大切にする傾向があります。結果として青い森鉄道では、JR東日本の一昔前の光景を今に残したりしています。それがふるさと銀河線でも起こっているのではないか?と思ったら、やっぱりそうだったんですよ。面白いですね。
大誉地駅の時刻表です。「およち駅」と書いてあったところの裏、つまり改札口上に掲げられています。立派な板である点、横長な点、そして内容も浦幌に展示してある様式そのままですよね。うお~~~~
これは新駅舎の足寄でもそうだったようです。ほら、第三セクターはJR支社の真似をするんです。面白いですよね~ 今の道南いさりび鉄道とかも、きっと面白いはずですよ。
本社管内に残る「改札口上の時刻表」は貴重
さて、浦幌に展示してあるようなタイプの時刻表はリニューアルにより、現在釧路支社にはまず残っていません。根室の例も場所だけで、様式は相当変えられています。ところが、本社管内には多く残っています。快速列車のヘッドマークは律儀に残してきた釧路支社ですが、時刻表に関しては完全な逆転現象が起こっているんですね。
そして、その中でも多く残っている気がするのが、かつての学園都市線と石勝線、根室線滝川~新得間です。
滝ノ上駅(2023年12月)
亜種もあります。先日廃止された滝ノ上駅は1981年の石勝線化と同時に改築・無人化された駅で、改札口というものを持っていない美々植苗タイプの駅舎です。それでも時刻表は目線より上の高さに掲げる思想を持っており、それが廃止まで変わらずに維持されてきました。
富良野~新得間の駅も貴重
せっかくですから最後に富良野~新得間の駅を取り上げましょう。この区間も「改札口の上に時刻表」の国鉄スタイルをとる駅が非常に多い区間です。写真があまりありませんが、まとめてみます。
こんなに「上」が連続する区間、もう北海道ではここだけなのではないでしょうか。興味深いのが、これらが今日まで残ったのは「1994年に本社管内に移管されたおかげ」ということです。もう廃止されてしまいますが、この区間、実はこんな特徴もあったんですね。
ちなみに例外である山部駅は1988年に釧路支社が改築した新しい(?)駅です。この時すでに釧路支社は、時刻表の位置を目線の高さに下げたいと思っていたらしいことが分かります。意外ですね。下金山駅と落合駅は改札口を持たない美々植苗タイプの駅です。余談ですが、落合駅の構造って不思議だなぁと思います。
あの幾寅駅も、時刻表は改札口の扉の上(2024年2月)
あと数日で廃線になる根室本線のこの区間で何気なく見上げていた時刻表は、実は貴重なものだったのだ。もっと早く気付きたかったですね。
おわりに
浦幌の博物館にある4枚の時刻表は、ネット上で画像を探しても当時の様子が全く出てきません。しかし、周りの駅を見渡すことで、ここまで奥深いことが推測できます。しかしながらそれらのこともどんどんできなくなっていく。ここに鉄道資料が残らないという危機があるんだと思います。時刻表がどこに掲出されていた、だからなんなんだ、とも言われそうですが、素朴な「なんで?」を説明できないの、もどかしいですよね。
私たちができることといえば、今あるものは何でも撮影しておく、くらいでしょうか。そしてその写真はいつ撮ったのかをちゃんと残し、なぜそうなったのか、というのを知っているなら書き留めるなりして記録に残しておく、これに尽きるのかなと思います。
JR北海道のマジキチ自動放送というものがあります。鉄道ファン以外にも知られた存在であり、日本で有数の知名度のある自動放送といえるでしょう。2013年に投稿された動画らしいので、もう11年経ったことになります。
放送内容
急ブレーキを使用することがありますので、お立ちの際は手すりなどにおつかまりください。
皆様おはようございます。今日もJR北海道をご利用くださいましてありがとうございます。
まもなく、出口は右側です。
お降りの際は、足元にお気をつけください。
この列車には、優先席がありますので、座席を必要とされるお客様に席をお譲りください。
特に、お子様連れのお客様は手を離さずにお降りください。
携帯電話は、優先席付近では電源をお切り頂き、それ以外の場所では、マナーモードに設定の上通話はおやめください。
左側です。
次は、発寒中央へおいでのお客様はご乗車、ありがとうございます。
桑園へおいでのお客様と、なお、隣の桑園で再度、千歳線 お降りのお客様は、忘れ物の無いようお支度ください。札幌に到着致します。
普通列車、終着、どちら様も江別に到着致します。ありがとうございました。お気をつけください。岩見沢に到着致します。
札幌まで、普通列車です。
いしかりライナーとなり途中琴似と手稲から学園都市線、稲積公園へおいでのお客様は**手稲からはつり革や小樽に到着致します。**
野幌と江別から苗穂へおいでのお客様と森林公園へおいでのお客様は、高砂へおいでのお客様は江別からは滝川に到着致します。
江別までの各駅と厚別へおいでのお客様は手稲に到着いたします。ほしみに到着いたします。
快速ニセコライナー、小樽の順に停まります。
小樽からは朝里へおいでのお客様はおよそ2分で倶知安に到着いたします。
小樽まで稲穂へおいでのお客様は区間快速列車、席を離れる際は貴重品や手回り品に**千歳線直通、携帯電話をお持ちのお客様**、新千歳空港へおいでのお客様は石勝線の苫小牧方面のご乗車ください。
新千歳空港へおいでのお客様と千歳に到着いたします。
苫小牧方面においでのお客様とおいでのお客様は**新千歳空港へは参りませんので新千歳空港に到着いたします。**
室蘭線早来方面へおいでのお客様は苫小牧に到着いたします。電源をお切りください。函館線直通苫小牧方面へおいでのお客様と苫小牧方面へおいでのお客様は学園都市線直通、小樽方面へおいでのお客様は臨時快速、
この列車は、回送列車です。ご乗車になれません。
只今、お客様のボタン操作でドアの開閉ができます。ボタンを押すと、ドアが開きます。お乗りになりましたら、しゃ
緑色は個人的おもしろポイントです。
車内放送の簡略化
さて、2024年3月、札幌圏と特急列車の自動放送は大きな変化がありました。挨拶や自社線の乗り換え放送をしなくなるなどの大幅な簡略化が行われ、様々なパーツが姿を消したのです。大変残念なわけですが、ここでとある疑問が生まれます。
あれ?これ、マジキチ自動放送の内容ほぼ消えてるんじゃね???
さて、どうなっているでしょうか。一つずつ見てみましょう。
なお、ここでいう「初期放送」とは、かつて各駅の発車時刻や乗り換え列車の時刻まで案内していたころの放送です。初期放送パーツもいくつか登場していますが、今回あまり詳しい調査はできていません。ご了承ください。いつか時間があればやります。
各パーツの残存状況
【消滅】急ブレーキを使用することがありますので
2024年3月消滅。急停車することが~に表現が変わりました。JR東日本と同じ表現ですねぇ。
【更新】お立ちの際は手すりなどにおつかまりください
2024年3月より、特急列車では同一文面で録り直されています。
【消滅】皆様、おはようございます。
2024年3月消滅。少なくとも特急では、挨拶はなくなったらしいです。ホームライナーで残ってるかどうかって感じですね。
【消滅】今日も
2024年3月消滅。オレは今日が初めてだぞ!というクレームが来たのでしょうか。
【残存】JR北海道をご利用くださいましてありがとうございます
初めての残存です。
【残存】まもなく
残存。普通列車用と特急列車・731系用の2種類があることが特徴です。
【復活】出口は右側です
出口は右側駅ですね。2017年2月ごろ消滅、2024年3月復活。ダイヤ改正前からH100で確認されていましたが、「ホームは」→「出口は」に戻りました。どっちが分かりやすいんでしょうねこれ。懸念点としては、特にワンマン列車の場合、車両の後ろ側と勘違いするといった可能性がありました。それを直したかったんでしょうかね。なお、特急列車では「出口は」と一貫しています。
【更新】お降りの際は、足元にお気をつけください。
2024年3月更新。前のパーツが「列車とホームの間が、広く開いているところがありますので」となったことから、こちらも「お降りの際は足元に、お気を付けください」にパーツが更新されました。
【残存】この列車には、優先席がありますので、座席を必要とされるお客様に席をお譲りください。
奇跡的な残存といってもいいのではないでしょうか。席を譲るのは変わらないですからね。社会がヘルプマークが~とか言うように求められたら変わるかも。
【消滅】特に、お子様連れのお客様は手を離さずにお降りください。
2024年3月消滅。札幌到着前定番の放送でした。これまでのJR北海道は「家族で楽しい旅をする」という想定で放送が組み立てられている部分がありました。エスカレーターでも「お子様連れの方は、手をつないで」と流れる駅がありますよね。その想定が今回消滅。いい放送だったのに。少子化?
【消滅】携帯電話は、優先席付近では電源をお切り頂き、それ以外の場所では、マナーモードに設定の上、通話はおやめください。
2016年3月消滅。時代の流れですね。
【更新】左側です
これ実は更新されています。この時はちょっと元気のない左側です…でしたが、いつからかもうちょっと元気のよいパーツになっています。2017年にホームはと共に更新された説が濃厚ですが、間違ってるかもしれません。しかしこれ、右側はそのまま。結果として音質にも差が出ていたのが、印象的でした。
【残存】次は
次は、も何パターンかあるような気がするんですが、今回はスルーします。少なくとも、「次は、およそ3分で、終着、新千歳空港、新千歳空港です」の次は、は絶対違うような気がします。
【消滅】発寒中央へおいでのお客様は
2024年3月消滅。この類の放送はすべて消滅しました。この動画こればっかりなので、消滅祭りですよ。この放送は小樽→新千歳空港の手稲到着前で流れたものですね。
【消滅】ご乗車、ありがとうございます。
2024年3月消滅。すべて「JR北海道を~」に統一されました。細かい配慮が聞いた放送だったのに、あ~あ。
【消滅】桑園へおいでのお客様と
2024年3月消滅。これは小樽行きエアポートの札幌到着前名物でした。何度も聞きましたよ。どの乗り換え放送よりも、まず最初に桑園なんですよね。
【消滅】なお、隣の桑園で再度、
な に こ れ
隣の桑園で再度乗り換えるものって何があります? 快速で琴似→普通で桑園→八軒みたいな?
【残存】千歳線
意外にも今回路線名はなくなりませんでした。
【消滅】お降りのお客様は、忘れ物の無いようお支度ください。
2024年3月で消滅した「お支度」は加藤純子さんの時代からJR北海道の名物でした。しかしこの文面、どこで使っていたんでしたっけ?特急?
【残存】札幌に到着致します。
定番の放送。これは残っています。普通列車用と特急列車・731系用でパーツが異なる放送の一つです。
【残存】普通列車、終着
この2つもJR北海道を形作る重要な放送。残っています。JR北海道、終着へのこだわりはちゃんと持ってると思います。
【消滅】どちら様も
消滅?です。快速エアポートの札幌到着前で「どちら様も、忘れ物のないようお支度ください。チケットホルダーをご利用のお客様は、きっぷの取り忘れにもご注意ください。」って言ってましたっけ。
【残存】江別に到着致します。
ここ面白いですよね。これらの放送は問題なく残っています。
【残存】ありがとうございました。
これは今も普通に使っています。
【残存】お気をつけください。
貴重品や手回り品に、などで残っています。が、録り直されたものもあります。前と比べると減ったような気がしないでもありません。
【残存】岩見沢に到着致します。
これらの放送は問題なく残っています。おう、まだまだ残ってるじゃん。
【消滅】札幌まで、普通列車です。
これは時刻を言ってた頃に使っていた初期の言い回しで、2010年頃?に「札幌まで、普通列車で、各駅に停まります」に変更されました。
【消滅】いしかりライナーとなり
いしかりライナーとなってくださいよ~~ねぇ。
【消滅】途中
これはいしかりライナーとともに消滅したと思われます。
【復活?】琴似と手稲から
快速エアポートが区間快速的な運転をするようになり、復活したはずです。
【残存】学園都市線
琴似と手稲から学園都市線。この放送こういうところが絶妙に面白いんですよね。
【消滅】稲積公園へおいでのお客様は
2024年3月消滅。琴似到着前に流れたものですね。
【復活】手稲からは
2024年3月復活。この復活は聞いてて面白かったです。イントネーションもいい感じのパーツです。
【消滅】つり革や
2024年3月消滅。マジキチ自動放送のメインともいえるこのパーツですが、「揺れることがありますので」の消滅と合わせて聞けなくなっています。
【残存】小樽に到着致します。
これは残りましたが「小樽より先へおいでのお客様は」が消えたのが残念すぎです。旅情がない。
【消滅】野幌と江別から
いしかりライナーとともに消滅した放送です。ちなみにこの「と」は区間快速エアポートに引き継がれているんですよね。
【消滅】苗穂へおいでのお客様と
2024年3月消滅。いしかりライナーのほか、深夜の白石停車エアポートで聞けたと思われます。
【消滅】森林公園へおいでのお客様は
【消滅】高砂へおいでのお客様は
【消滅】江別からは
普通列車となり、各駅に停まりますってやつですね。
【残存】滝川に到着致します。
とはいえ、聞ける機会が深夜のみになってしまいました。
【消滅】江別までの各駅と
【消滅】厚別へおいでのお客様は
大麻到着前に流れていました。
【残存】手稲に到着いたします。
【残存】ほしみに到着いたします。
【残存】快速ニセコライナー
【消滅?】小樽の順に停まります。
2024年3月でおそらく消滅と思われます。快速ニセコライナーのみで使用されるパーツですよねこれ。
【消滅?】小樽からは
こちらも2024年3月でおそらく消滅と思われます。快速ニセコライナーってこれまでは小樽から普通だったんですけど、今回全区間快速扱いに変更された可能性が高いです。だれか見てきて~
【消滅】朝里へおいでのお客様は
【消滅】およそ2分で
さて、第二の山場ですね。近年新千歳空港や函館で「およそ〇分」の案内が復活していましたが、2分というのはなく、下車作者を悩ませていました。
【残存】倶知安に到着いたします。
聞きたいなこれ。札幌民憧れの放送です。
【消滅?】小樽まで
小樽まで、普通列車で、のためのパーツですかね?
【消滅】稲穂へおいでのお客様は
2024年3月消滅。小樽築港到着前に流れるものです。
【消滅】区間快速列車
これはなんですかね、初期にあった「あとから来ます、普通列車にお乗り換えください」関連ですかね? 2017年ごろにあった札幌駅の「駅の電光掲示板で」と同じパーツのように聞こえるのも謎です。
【残存】席を離れる際は貴重品や手回り品に
JR北海道の気遣い放送。こういうのがいいんですよね。今回残存しています。
【残存】千歳線直通
千歳線直通携帯電話。こちらは残存です。
【消滅?】携帯電話をお持ちのお客様
これ特急列車でよく聞くパーツと同じなんですかね?いま残存しているのでしょうか、調査が必要です。
【残存】新千歳空港へおいでのお客様は
終着まで、ご乗車ください。ってやつであってるんですよね。とするとこれは残っています。
【消滅】石勝線の
2024年3月消滅。「石勝線の、普通列車は」という特徴的な放送、今回消え去りました。
【消滅】苫小牧方面の
2024年3月消滅。千歳到着前に「苫小牧方面の、普通列車と」が流れていました。これ今こそ必要な放送だと思うんですけどね。
【残存】ご乗車ください。
終着まで、ご乗車ください。のアレです。残っています。
【消滅】新千歳空港へおいでのお客様と
2024年3月消滅。と思われます。
【残存】千歳に到着いたします。
マジキチ自動放送、ツッコミどころの部分です。運転手と一緒にお降りください、的な?
【消滅】苫小牧方面においでのお客様と
【消滅】おいでのお客様は
ここで区切ってるものも録ってあるんですね。
【残存】新千歳空港へは参りませんので
これは今回言う回数増えたらしいです。珍しい珍しい。
【更新】新千歳空港に到着いたします。
2024年3月更新。全面的に録り直されました。
【消滅】室蘭線早来方面へおいでのお客様は
初期放送と思われます。これよかったんですけどね。逆に737系では放送があるようです。なんでだよ。(やっぱり車掌の有無なんですかね)
【残存】苫小牧に到着いたします。
なお日中は聞けなくなりました。
【消滅】電源をお切りください。
お前が電源を切れってやつですね。しかしこれ謎パーツで「電源をお切りいただき」ではないんですよね。どこで使ってたんでしょう。
【残存】函館線直通
ほぼ道内唯一、直通運転の概念がある放送。って言ってたら、千歳発室蘭行きで直通放送が流れてるらしいんですって?
【消滅】苫小牧方面へおいでのお客様と苫小牧方面へおいでのお客様は
これは初期放送ですかね。中期からは「苫小牧方面と」となっていたので。
【消滅】学園都市線直通
かつてはあいの里公園行き普通列車で、晩年は石狩当別行きのエアポートで流れていたはずです。
【消滅】小樽方面へおいでのお客様は
これも初期放送ですかね。そういえばかつて、ほしみ行きの手稲到着前に、小樽方面は(ほしみではなく)手稲で乗り換えを~みたいな放送があったんですよね。それ?
【残存】臨時快速
ただし北広島臨時快速では今のところ流れません。ROMそろそろ作りました?
【残存】この列車は、回送列車です。ご乗車になれません。
残ってるはずです。変わってなければ。
【消滅】只今、お客様のボタン操作でドアの開閉ができます。
もう2代前の放送になりました。懐かしいですね。
【消滅】ボタンを押すと、ドアが開きます。お乗りになりましたら、しゃ
しゃっ。ここで放送が終わります。
どのくらい現存しているか
さて、改めて現存するパーツをまとめると、以下のようになります。更新パーツを下線、現存パーツを太字にしています。
急ブレーキを使用することがありますので、お立ちの際は手すりなどにおつかまりください。
皆様おはようございます。今日も**JR北海道をご利用くださいましてありがとうございます。**
まもなく、出口は右側です。
お降りの際は、足元にお気をつけください。
この列車には、優先席がありますので、座席を必要とされるお客様に席をお譲りください。
特に、お子様連れのお客様は手を離さずにお降りください。
携帯電話は、優先席付近では電源をお切り頂き、それ以外の場所では、マナーモードに設定の上通話はおやめください。
左側です。
次は、発寒中央へおいでのお客様はご乗車、ありがとうございます。
桑園へおいでのお客様と、なお、隣の桑園で再度、**千歳線** お降りのお客様は、忘れ物の無いようお支度ください。札幌に到着致します。
普通列車、終着、どちら様も江別に到着致します。ありがとうございました。お気をつけください。岩見沢に到着致します。
札幌まで、普通列車です。
いしかりライナーとなり途中琴似と手稲から学園都市線、稲積公園へおいでのお客様は手稲からはつり革や小樽に到着致します。
野幌と江別から苗穂へおいでのお客様と森林公園へおいでのお客様は、高砂へおいでのお客様は江別からは滝川に到着致します。
江別までの各駅と厚別へおいでのお客様は**手稲に到着いたします。ほしみに到着いたします。**
**快速ニセコライナー**、小樽の順に停まります。
小樽からは朝里へおいでのお客様はおよそ2分で**倶知安に到着いたします。**
小樽まで稲穂へおいでのお客様は区間快速列車、席を離れる際は貴重品や手回り品に千歳線直通、携帯電話をお持ちのお客様、**新千歳空港へおいでのお客様は石勝線の苫小牧方面のご乗車ください。**
新千歳空港へおいでのお客様と千歳に到着いたします。
苫小牧方面においでのお客様とおいでのお客様は**新千歳空港へは参りませんので**新千歳空港に到着いたします。
室蘭線早来方面へおいでのお客様は苫小牧に到着いたします。電源をお切りください。函館線直通苫小牧方面へおいでのお客様と苫小牧方面へおいでのお客様は学園都市線直通、小樽方面へおいでのお客様は臨時快速、
この列車は、回送列車です。ご乗車になれません。
只今、お客様のボタン操作でドアの開閉ができます。ボタンを押すと、ドアが開きます。お乗りになりましたら、しゃ
残存率は半分程度?
いや~だいぶ減りましたね。初期放送もまぁまぁありますが、2024年3月の「〇〇へ、おいでのお客様は」の消滅が追い打ちをかけています。一方、「終着、〇〇に到着致します」はかなり残っていることも分かります。
今回の放送更新、使うパーツを減らすのは全面更新の前触れか?といううわさも出ています。しかし、終着〇〇をすべて残しているあたり、必ずしもそうでもなさそうです。
一方、かつての札幌駅ではスーパーカムイが登場して間もなく放送更新が入っており、再収録されたからと言って油断ができるわけでもありません。さて、どうなっていくでしょうか。
あけましておめでとうございます。
鉄オタの元日、せっかくなので記事を書きます。明日の北広島行きとかも気になるんですが、まあ起きれたら、ということで。
今回のダイヤ改正、北陸新幹線の延伸が大きすぎてそれ以外が地味な印象ではありますが、いつも以上にこみあげてくる何かがあるのです。
自分の一部が改正されるようなダイヤ改正
これまで数年間の間、ダイヤ改正は関西で迎えてきました。大きな出来事は奈良線103系の引退、おおさか東線201系の引退などでしょうか。そして現在は京都の113系・117系もいなくなっているようですが、直接は知りません。これら関西のダイヤ改正もさみしいもので、特に30分間隔の路線が1時間間隔に間引かれた路線は、アーバンネットワークの衰退を感じるものでした。が、結局は特に思い入れのないというものも多く、乗ったこともない寝台特急北斗星を見送るような、そんな感覚がありました。
それに対して久しぶりに迎える北海道でのダイヤ改正は、2010年代に飽きるほど親しんできたあれこれが消える、といったことが多すぎたのです。
特に、千歳線を走り続けてきた「快速エアポート」の再編は大きな出来事です。快速エアポートはいつも混んでいて、好きか嫌いかといえば嫌いな乗り物ですが、圧倒的に身近な存在であることは確かです。それが今回3色に分かれる。身近な路線がこれほど変化したことがないんですよね。いしかりライナーの廃止くらい。しかしそれも何か新しいものが登場したわけではありませんので、直接の実感は感じないものでした。しかし今回は北広島行きができ、植苗にワンマンカーが止まる時代になります。
さて、今回はそんな2024.03.16ダイヤ改正で消えるものを、自分の視点で振り返ります。
1.923D
今回の目玉といっていいんでしょうか、札幌発旭川行きの普通列車です。これに乗って石北線のヨンマルを乗り納めに行く、というのが今回の改正の定番でした。私は石北線のヨンマルには飽きたので、行きませんでしたけど。ともかく、令和の北海道で、1番目の都市と2番目をつなぐ列車に国鉄型気動車が残っていたという衝撃の事実。
札幌駅(2023年5月)
今の時期はできませんが、去年の初夏に窓を開けながら札幌駅を出発した光景が今でも思い出されます。711系の引退以降、札幌駅で窓開けが許される列車ってほぼこれだけなんですよね。40が入っていた時代の然別行きは混んでいましたし、東室蘭行きの143は冷房も入っていたので、ちょっと気まずい雰囲気でした。
そして、岩見沢で立ち往生した去年の年末。この日は岩見沢だけが大雪で、岩見沢入線時点から怪しいと思っていたのが、1時間抑止。そしてその間雪は降り続き、案の定立ち往生、しまいにはJR北海道のTwitterに掲載されるという(私にとって)伝説の回です。923Dといえば岩見沢の立ち往生を思い出すのではないでしょうか。
2.滝川行き普通列車・滝川行き普通列車
札幌駅(2024年3月)
減りに減った滝川行きの普通列車が、さらに減るとはちょっと思っていませんでした。923Dは朝が早すぎるため、こちらのほうが乗車回数が圧倒的に多いですね。特に2本目。3両編成で混雑するという難点がありましたが、滝川から2429Dのスジに乗るにもちょうどよい列車でした。これに乗って滝川のスマイルビルを見に行くんですよ。でもちょっと朝早すぎて、ダイソーなどの部分は開いていない時間帯。がらんどうの吹き抜けだけを見る虚無の時間がありました。確か中は9時オープンなんでしたっけ?すべて過去の話ですね。
3.札トマの滝川行き普通列車
茶志内駅(2021年1月)
もっといい言い方あるんだと思いますけど、あくまで自分が言っていた言い方で書きますね。岩見沢を9時台に発車する、滝川までの間合い運用列車。上砂川支線の名残りらしく、数少ない札ナホ以外のキハ40車掌常務列車です。
この列車、実ははじめはあまり好きではありませんでした。711系が走れる区間なら711系で運用しろよ~と思っていたからです。でものちに、札トマの車両が黒字に白の「普通」を出す希少さを知ってからは、ちょっと好きになりました。でもちょっとだけで、旅の行程との相性もどうも悪かったため、あまりお世話にはならなかった列車です。
ちなみに写真の列車の後ろ側は日高色です。自分にとって最後の日高色乗車はこの列車でした。
4.快速狩勝
滝川駅(2021年1月)
流れ的に、滝川から根室線に入ることにします。快速狩勝ですよ狩勝。もともと私はローカル線の快速には興味があっても乗れずじまいで、理由は通過駅の駅名標が撮影できなかったからでした。でも富良野で接続し、旭川にも滝川にも行けるこの魅力的な列車はずっと興味を持っていました。最終的には東鹿越→滝川の名無し快速に全区間乗車したのが先週の1回だけ、快速狩勝の乗車も富良野→山部間の1回のみで、少しだけ後悔が残る列車です。
写真、一応快速ワンマンって書かれてて、自分も一応この光景は見ていたのか、と安心します。曇ってて全然読めませんけど。
追記:ダイヤ改正以降の根室線は、富良野~東鹿越間がもはやアトラクションのような状態となっており、根室と滝川をつなぐ旅情などもはや感じられないようなお祭り騒ぎになっていました。このタイミングで狩勝の列車名が消滅したことは、ある意味でよかったと思っています。根室と滝川をつなぐ存在としての根室線は、この3月16日で終わったといっても過言ではないような気がします。
5.旭川20:56発 岩見沢行き普通列車
これはここ数年で魅力を感じた普通列車。名寄から来た普通列車から5分で乗り換えた先週が最初で最後の全区間乗車となりました。
この列車には留萌から乗った留萌線から乗り換えたり、東鹿越から乗った快速から乗り換えたりと、様々な旅の最後にお世話になりました。滝川で乗り換えるのもギリギリなんですよね。快速を降りたと思ったら背後から迫ってくる光。こ線橋をあわただしく移動して、滑り込む721系へ、という、あの雰囲気。
岩見沢駅(2024年3月)
岩見沢1番線到着後は、これまた721系固定運用と思われる3+3の手稲行きに乗り換えるのもポイントです。遅れて運転してくるオホーツク・宗谷を待って、札幌方面へと帰るのです。
6.岩見沢~旭川間の721系
いや~あっという間過ぎました。というより、どう頑張っても711系の魅力には勝てないので、最初はあまり魅力を感じていなかったですよね。やっと慣れてきたら引退。あまりにも短い10年間だったと思います。
自動放送を積んだF-3015などの編成がよくやってきていたのが印象的でした。3000番台の固定運用なのか?レベル。その3000番台の編成も、今日になっても方向幕が更新されていない車両があるらしいです。廃車ですかね。残念だなぁ。
7.快速しれとこ摩周号
知床斜里駅(2022年2月)
ちょっと区間を変えます。釧網線日中唯一の列車といっても過言ではない快速列車。「しれとこ」から名称を変えてくれと頼んだ自治体は素晴らしい仕事をしてくれたと思います。この変更がなければこの改正でただの普通列車になってたと思っています。
最後まで律儀にヘッドマークと快速サボがあったのが、さすが釧路支社の列車でした。狩勝で見逃した光景を残してくれていて、本当にありがとうございました。
普通しれとこ摩周ノロッコ号になってしまうこの列車ですが、釧網線は日中の本数増加と快速らしい快速列車の運行が必要である、とずっと思っています。今のダイヤでは日中どこも降りることができません。これでは観光路線として使い物にならないと思っています。54が撤退しH100のみになる今こそ、リクライニングクロスの速達列車が必要じゃないですかね。
8.花咲線のサボ
根室駅(2024年3月)
花咲線のサボというのは不思議な存在です。花咲線車両では方向幕に行き先を表示し、釧網線車両では「普通」そして「釧路ー根室」のサボを出すのです。よくこの2つが共存してるな、今日は刺す、明日は刺さないとか、よく間違えずに運用してるよな、と思います。釧網線の54撤退に合わせたのか、いよいよステッカー貼り付けになってしまうようです。サボ部分にステッカーは学園都市線・日高線以来の復活ですね。そして今まで釧路支社がこんなことをしたことはないので、歴史的なサボ扱い終了です。「釧路ー塘路」のサボを出す釧路湿原ノロッコ号も引退が見えていますし、本当にサボを扱う列車は減っていきます。もちろん、昨日まで平然と残っていたほうが奇跡というべきなのですけどね。ほんと平然と残っていました。当たり前のように釧路駅ホームにサボが置いてあるんですもん。
9.花咲線の方向幕
と言っていたら方向幕も消えてしまいました。え、花咲線車両の方向幕って運転士が勝手に回せるものなんじゃないの・・・
先日乗った「快速ノサップ根室」と帰りの「普通」が葬式になりました。これが最後だと思っていなかったのであまりじっくりは見ていません。ああ残念。
花咲線車両が地名を掲出するのは独特で好きでした。花咲線運輸営業所の施策だと思っていますが、釧網線の駅名も入っていますね。どこが考えてああなったのかは謎が多いです。道内でもここだけですよね。ワンマン根室。ワンマン釧路。釧網線で「ワンマン知床斜里」を出していた写真を1枚だけ見たことがあります。おそらく2000年代とかに撮影されたもの。釧網線の地名表記も見てみたかったです。
釧路駅(2024年3月)
今回のダイヤ改正、以前は「快速ノサップとはなさきが存続するのは数少ないよいポイントだ!」という話をしていました。しかしこの方向幕廃止により、北海道の国鉄型車両で「快速」の文字を掲げる列車がついに消滅したことになります。スジこそ変わりなく残るものの、残念すぎる出来事です。
10.石北線のキハ150
石北のヨンマルは私も皆さんも記録していますので、今回は150を取り上げます。何より思ってしまうのは、快速狩勝のキハ150と同じく、結局乗りにいかない、ということ。40には負けちゃうんですよ。特別快速きたみにキハ150が入るのって、往時のホリデーきたみを完全に再現している神列車、だったはずなんですが、結局一度も乗りにいかずに終わっています。あーあ。狩勝の後悔はなんだったんでしょうか。
将軍山駅(2020年12月)
それ以外を振り返っても、石北線でキハ150に乗ったのは数回だけです。2020年の冬、まだまだ石北の150が新鮮すぎて違和感しかなかったころ、たくさんのオタクとともに将軍山に行ったことが懐かしいです。
まだまだ続きます!続きはいつか!
結局札幌の地下鉄は変わらず張り紙を張り続けるなぁと思って投稿したら、なんか炎上してしまいました。お騒がせいたしました。
問題の看板
さてこの看板、ガムテープではなく養生テープで貼られているとのご指摘を多数いただきまして、近いうちに剥がされるのではないかと予想された方もいらっしゃいました。張り紙の内容からはそうは受け取れないだろうと思っていたのですが、ここにこの看板の本質があるのでは?ということに気づき、一つの記事になるのでは?と思いつきましたので、書きます。
正直なところ、この数時間はどうやってもこの看板のことが頭から離れません。それは逆手に取り、どうせだったら趣味を深める題材にしよう、という自分なりの消化方法です。すすきの駅のリニューアルの話題はいつか記事にまとめたいとも思っていましたので、ちょうどいい機会ですね。
看板の内容
看板には次の内容が書かれています。
お願い
当駅は、23時以降大変混雑しますので、早めに乗車券をお買い求めの上、ご乗車くださいますよう、ご協力お願いいたします。
はい。札幌市民の方であれば分かっていただけると思いますが、ある意味「この駅定番」の看板です。この駅に前々からある看板であり、もはやこの看板がすすきの駅らしさを引き立てているとまで言えそうです。
この看板の歴史
すすきの駅 昭和 とかで検索しても何も写真が出てこないため、この看板の歴史を深くたどることはできませんが、一つ言えることは「早めに乗車券をお買い求めの上」という表現の古さです。ICカード「SAPICA」がなかった時代からあることはほぼ確実です。まさかウィズユーカードがなかった時代からの表現とも思えてきます。どうなんでしょうね、これは私にはわかりません。昭和のすすきのの風景を知っている方は多いでしょうが、この看板の存在まで覚えてくれている方はどれほどいるのでしょう。
2017年10月
手元に2017年の写真がありました。あぁ~ゴシック4550~は今回置いておきまして、今回注目している看板は右側にかすかに写っています。これ、拡大すればわかるのですが、ラミネート加工した紙などではなく、ちゃんとしたプレートなんですね。フォントも新ゴです。サインシステム準拠とは言えないものの、ちゃんと作られていた看板だったのです。
ちなみに、その上には「出口2→」の野良サインがあります。
2020年7月
ラフィラ閉館直後の5番出口。今回の看板の左側の柱を中央に写しています。よく見る禁煙看板と、「お知らせ 駅構内や地下街では、物品のセールス、スカウト、アンケートなどの行為を禁止しております。このような行為には応じないよう、ご注意願います」の張り紙があります。こちらはプレートではなく簡素なものです。そうそう、「駅構内や地下街では」と併記するのは大通・すすきの特有です。さっぽろ地下街の存在感を感じます。セールス、スカウトという文字の並びも目につきます。
2021年1月
その後完全に閉鎖された姿。私がこの看板を一番鮮明にとらえた画像はたぶんこれです。いや~撮ってるようで全然撮れてないんですね。改めて思います。閉鎖後もこの看板部分は隠されず、生き残っていることが分かります。
2023年8月
約2年半が経ち、コロナで唯一凍結されなかったすすきの駅のリフレッシュ事業が行われることとなります。これは2023年8月下旬に仮設サインが登場した時のもの。まさか左下に注目することになるとはね。
上も簡単にコメントしておきます。英語も新ゴというやりがちなミスをしています。そして市電のりばの英語小さすぎ!あと市電のピクトグラムがなんか変なんですよ。元のサインでは見なかったタイプです。
で、今回注目するのは下です。文章はそっくりそのまま、新しい紙に張り替えられています。上なんて全く同じ?いや、英語がちょっと違うように見えます。この流れ、札幌市営地下鉄の看板オタクならおなじみといえる流れです。
同じ表記を再現する原則
現在東豊線大通駅のコンコースに、路線図を模した野良サインが設置されています。フォントこそHGゴシックであるものの、一見本物と見間違えるかのような再現度の高さです。一見の価値あり。 #norasign pic.twitter.com/2w1s1otVjR
— もみじばし🍁 (@momiji_3015) 2020年3月1日
札幌市営地下鉄の駅で工事をする際、壁面などにある標識が工事の覆いによって隠れる場合、代替の看板が設置されることが多いです。たぶんそういうルールがあるのでしょう。そして面白いことに、隠された看板のデザインを忠実に再現し、(フォントだけ変えて)設置されることが多いのです。
そのため、開業当初の看板が隠れる場合、開業当初のデザインを再現します。その結果、数年前のさっぽろ駅では矢印が赤色の野良サインが出現したことも。上の路線図は再現する看板の中でもかなり労力を使ったと思われる営団風路線図です。
この再現看板、フォントは毎回MSゴシックとかなんですが、かつてのサインシステムが現代に生きているような雰囲気を味わえるのでなかなか面白いんですよね。新ゴで登場し、我々を驚かせる工事もたま~にあります。
で、今回も例のごとく、仮設の看板が設置されたというわけです。
工事を経て
11月中旬、COCONO SUSUKINOのオープンを目前に控え、工事も大詰めを迎えます。
2023年11月26日
これは26日に撮影したもの。いよいよCOCONO SUSUKINOの文字も光り、期待が膨らむ頃です。ところで吊り下げサインの隠された「十字街ビル」の文字、変更間に合わないんですか?情けないなぁ。
そして中央下部。白く覆われたさらに上に、例の看板があることが分かります。あれ?出口2→は?・・・この時点で欠落したようです。こういうこともあるんですね。
2023年11月28日
はい。こうして変化をたどると、白い覆いが外され、養生テープの緑色が目立っていることがはっきりと分かります。そりゃ私の目に留まるわけだ。
ちなみに言い訳にしか聞こえないかもしれませんが、養生テープとガムテープを間違えたことは一応指摘される前から気づいていました。ただあのツイートも、張り紙がガムテープで貼られているように見えたことからガムテープでベタベタという言葉が出てきたのであり、そう見えた時点で美しくなんかないのです。
養生の理由
当初、私はこのサインについて、恒久的に掲出する内容の看板を、なぜこんな貼り方をしたのか、と考えていました。一時的な案内ならまだ分かります。いつまでも貼っていそうな内容なんですよ。でも「すぐ剥がされるのではないか」と予想する方もいました。この内容がすぐ剥がされる・・・?
あ。
この柱の「管轄」です。
この柱、交通局とビル、どちらの管轄なのか。それによって話が変わってくるのです。交通局の構内図を見たところ、ピンクのエリアが斜めにひかれるという、何ともあいまいな書かれ方をしています。これは札幌市の公式文書を見てみるしかない。ということで今日は見ません。が、これまでは交通局の張り紙がベタベタ貼られてきた通り、基本的には駅の管轄、というような見た目をしていました。が。上の写真の右側をご覧ください。
おしゃれですね
今回COCONO SUSUKINOは駅利用者に向けてこんな置き土産をしてきました。切り文字によるエレベーター・化粧室のピクトグラム表記です。こんなおしゃれな表記、絶対交通局はやらない。ので、COCONO側の整備であることは確実です。(ところでこれ、わざわざ「化粧室」表記。え?COCONO作成だよね??)
とすると、あの養生テープで貼られた看板は、交通局の看板がCOCONO側の敷地にお邪魔している形になるのです。
というわけであの看板は、工事の際に同じ表記の看板を作るという原則に従って、工事終了の際も看板を捨てないことになった→でもこの場所はリニューアルでCOCONO一色の木目調になった→あれ?ここに貼っていいのか?とりあえず養生で貼っておこう、というのが実態ではないか、と、今は推測しています。
ちなみにもう一か所、この場所の奥に「出口5」という表記が~という話もしたいですが、時間がないので省略。
額縁に入れるべき
例のツイート、引用欄でもうなんか色々言われておりまして、「この張り紙を額縁に入れてほしいのか?」というようなコメントもいただいております。これが意表を突く表現でありまして、その通り、駅に貼るサイン類は「額縁に入れるべきか」を基準に考え、本当に必要なら額縁に入れるべきなのです。
しかも、これはすでに行われています。駅のコンコースで天井を見上げてみてください。多くの駅の吊り下げサインは、電照式で高額な「額縁」に入れられています。これと同様に、壁面のサインも「この看板は額縁に入れるべきか?」を考えると、自ずと無駄な看板は減り、最低限の表記に洗練されていくはずなのです。
COCONOが設置したピクトグラムも、「額縁に入れる」並みに凝って作られていますよね。大げさな表現だけど、あながち大げさではないかもしれません。
最後に
今回の件、「それはガムテープではなく養生テープです」と指摘される方があまりにも多すぎました。間違えたのはお恥ずかしい限りなんですが、論点そこじゃないんだわ。鉄道オタクが「それは電車ではなく気動車です」と指摘するわずらわしさとはこのことか、と実感しました。もう、ね。日々の生活では気を付けていきたいものです。そしてこちらも「この柱は交通局のものなのか、ビルのものなのか」みたいなおかしなことばかり考えているということは踏まえる必要があるなぁ、とは思っています。ちなみにあのあと養生テープの基礎知識を調べてみたら意外と知らなかったこともあって、たいへん勉強になりました。
自分の考えをもう一度示しておくと、冬季のオープンということもあり、多くの人にとっての玄関口であるCOCONO SUSUKINOの地下入口に、外部である交通局によってあんな張り紙が貼ってあるのは実に景観破壊です。とりあえず場所を移すとかして、なんとかしてほしい。
さて、この張り紙、否が応でもしばらくは動きを見続けることになりそうです。野良サインとは言えど、すすきの駅のあの何とも言えない雰囲気を作っている看板でもあるので、あの場所にはいらないとは思いますが、消えたら寂しいですね。
そして、あの場所にあの看板があるのは実は伝統を受け継いでいる側面があることが今回分かりました。歴史的に見れば、あの場所に残ってもいいのかもしれません。これを知れただけでも結構満足感があります。試運転の運用に熱い視線を送る人がいるのと同様に、このサインはこういう歴史を持ち、こういう場所で、こういう運用をされているんだ!という、そういう趣味をしています。
この話題、9月頭くらいにはだいたい書いていたのですが、公開が遅くなってしまいました。今年7月に運転された富良野線の臨時快速列車について取り上げます。
フラノラベンダーエクスプレス延長運転!?
なかなか驚きの話題でした。コロナ禍を経て、富良野線に特急車両が帰ってくる。しかも最新型の車両で。レア列車を追い求める鉄道ファンとしてはかなりワクワクの展開でした。
しかし、その後の展開は思っていたのとちょっと違うことになっています。先日短区間ですが乗車してきましたので、私の感想とともにまとめます。
突然判明した延長運転
石北線沿線、高速バスに運賃補助 JR赤字8線区調査・実証事業 観光列車の運行拡大も:北海道新聞デジタル
北海道新聞が5月15日に報じた記事です。今回の延長運転はここで初めて明らかになりました。それまでは何の噂もされていなかったと思われ、レア列車界隈に衝撃が走る(?)こととなりました。
さて、記事の無料部分で見える範囲では、フラノラベンダーエクスプレスが旭川駅までの延長運転、ラベンダー畑駅への停車、とのことです。ここだけ見ると、札幌発富良野経由旭川行きの、全区間特急の列車が運転されることとなります。
個人的な注目ポイントは、札幌駅の電光掲示板にラベンダー畑の文字が出るかどうか、つまり案内上通し列車として旭川まで運転するのかどうか、でした。でもおそらく、富良野で列車番号が変わるのだろう、その中で、頑固な函館線システムが行き先を旭川と表示するのだろうか、そんなところを注目していました。
また、全区間特急かどうかもわかりません。かつて混雑が激しいノロッコ号の救済列車として運転された「(快速)ふらの・びえい号」のように普通・快速列車扱いになる可能性も十分に考えられます。その時、どう案内するのかという点も気になります。
そして何より面白い点は、富良野駅で列車が遠軽駅のようにスイッチバック運転を行うという点です。前後のお客様とお話の上、座席の向きを変えてご利用するのです。しかも、富良野から快速となれば、これはスーパーカムイ・エアポートスタイルが復活するのです。これは熱い!!
まぁ結局、このような面白いことはほぼなかったんですけどね・・・
JRからの発表で詳細は明かされず
5月17日、JR北海道の記者会見で毎年恒例の富良野・美瑛に関する内容が告知されます。最近は資料がホームページで公開されるようになり、道新も会見の全文を載せるようになり、だいぶ詳しく状況を把握することができます。
【社長会見】今年の夏は“富良野・美瑛”を楽しもう!|JR北海道
さて、今年の目玉であろう延長運転はどう書かれるのか、と思ったら、たったこれだけでした。
・・・ん?え?これだけ?
快速列車であることは明らかになりました。これはこれで驚きがあり、ふらの・びえい号が2年目から快速表記を取りやめた中、再び快速の表記が復活するのです。しかし、それ以外の発表が何もありません。車内で面白い取り組みでもするのかと思ったら、特急区間ではあるものの延長区間では何もないようです。
これはまだ詳細が調整中であることと、JR北海道が主体となっているわけではないことを察しました。
旭川市からの発表
フラノラベンダーエクスプレスが旭川まで延長運転&普通列車がラベンダー畑駅で停車 | 旭川市
それから1ヶ月ほどして、列車の詳細がなぜか旭川市から発表されました。JR北海道のプレスにも出るならわかるんですけど、なぜか旭川市からだけです。(実際には富良野市のサイトなどでも発表されたようですが、全く気づきませんでしたので、とりあえずこの表現で書きます)
なるほど、この臨時列車は「JR富良野線連絡会議」とJR北海道の実証事業であることがわかります。そしてこちらではフラノラベンダーエクスプレスが延長運転されることがより前面に出されている印象です。
時刻の詳細も発表されました。なんだよ、延長運転と言いながら富良野ではどちらも1時間前後停車するのか、ということがわかります。これは乗客が富良野駅で車内にとどまることはできないだろう、ということがわかります。
薄々予感はしていましたが、やっぱり昼寝の時間を活用した、ただの間合い運用の列車として捉えた方が良さそうです。
JR駅での掲示
さて、そろそろ何かしらポスターでも出るのかと思っていましたが、JRが出す「JRで行く富良野・美瑛」のポスターからは、この延長運転列車はハブられ続けます。後付けのシールでもつければいいのに、全くそのようなことはされません。そして、札幌駅に掲げられた掲示もこのようなものでした。
富良野線 臨時快速列車運転のお知らせ(札幌駅) pic.twitter.com/QpwybNHIZO
— もみじばし (@momiji_3015) 2023年6月24日
白黒・A4サイズの、いかにも悪いことでもあったかのような掲示です。なお日本語のほか、英語・中国語・韓国語のものが並べて掲出されていました。
・・・え、これだけ? そしてこの快速列車には愛称は付かず、ただの「臨時快速列車」であることが確定的になります。JRの掲示には「フラノラベンダーエクスプレスの延長運転」という言葉は一言も出てきません。
私はもうこの頃から、これは一体誰のために運行している臨時列車なのかが分からないでいました。札幌駅でこの小さなA4ポスターを見て、乗ろうとする利用者が一体何人いるのでしょうか? せめて花たびそうやくらいのポスターと、パンフレットの配布くらいあっても良いのでは、と。この夏札幌駅にはニセコエリアで期間限定で運行するバスのパンフレットが配布されていました。せめてそれくらいはやらないのって感じでした。
— 北海道新幹線【公式】 (@jrhokkaido_h5) 2023年6月30日
JR北海道の広報アカウントでも、延長運転の案内はハブられています。(最近は在来線の情報もバンバン発信するようになったこのアカウント、なぜか新幹線と言い続けているのですが、どうしていきたいのでしょうか。最近は2023年10月現在のフォロワー数が175という採用担当のアカウントもありますが)
この広報体制が大きく変わらないまま、7月を迎えました。
富良野駅での案内
さて先日、私は臨時快速列車の様子を見ようと富良野に行ってきました。なお現地ではガチガチのオタクムーブはせず、久しぶりに訪れる夏の(暑い暑い)富良野・美瑛をオーソドックスに観光、その移動手段の一つとして臨時快速列車を使うという、模範的(?)な観光客になってきました。実際に乗車した区間は美瑛→中富良野間と短いのですが、現地の様子をまとめます。
富良野駅ホーム
以前「富良野市ではごみの持ち帰りにご協力ください」の掲示に転用されていたのりかえ案内板が、本来の仕事をしています。臨時快速列車(ラベンダーエクスプレス車両使用)とありますが、どうも私たちに関係のある列車という雰囲気がありません。富良野駅を何時に発車するのか、そもそも今日運転しているのかというのがよく分かりません。
富良野駅ホーム
裏側には「2023年6月10日(夏版)」と記載された発車時刻表があります。この時期限定で、HG創英角ゴシック体で製作された、富良野駅独自製作で掲出しているタイプに差し替えているようです。この時刻表、ノロッコ号と特急フラノラベンダーエクスプレスは掲載されているものの、臨時快速列車の表記はありません。下部の記事欄にも記載がありません。さっきの面を見てくれという話なのかもしれませんが、両方に記載するのが当たり前なのでは、って気がします。
富良野駅改札口
一方これはなかなか興味深い掲示に感じました。上部には地下鉄のような路線図、その下には、列車によって通過駅が細かく異なる富良野線全列車の停車駅と時刻を一覧にしています。美瑛から先は本数が多いこと、ラベンダー畑駅は停車本数が少ないことなどが直感的に分かります。鉄道の時刻を表す方法として、ダイヤグラム、紙の時刻表、Yahoo乗換案内の表し方、など色々ありますが、ローカル線の時刻の表し方として優れているように感じました。
もちろん臨時快速列車も掲載されています。こういうのを望んでいるんです。
美瑛駅での案内
車内設備が鉄板のように熱くなったノロッコ号に乗って美瑛へ。もうこの列車暑すぎて今後が思いやられます。富良野地区におけるノロッコ号の後継列車は何らかの形で冷房を設置せざるを得ないのではないでしょうか。自然の風(爽やかとは言ってない)を楽しめる観光列車も長くはないと思っていたほうがいいかもしれません。
(と思ったら、キハ143をノロッコに転用するという噂が。妥当だと思いますよ。喫緊の課題です。それにしてもキハ143がまだ使い倒されるなんて、本当に使い勝手がいい車両なんですね)
なお、ノロッコ号車内では特段臨時快速の案内はありませんでした。宣伝費用がないなりに車内放送を行ったりはできると思うんですけどね。
美瑛駅
さて、美瑛駅です。適当な写真ですみませんが、美瑛駅での臨時快速の案内、確かここだけだったのです。見えます??右側に「臨時列車運転のお知らせ」とあるのが。
美瑛駅の発車時刻表は日本語と英語が並べられているのですが、富良野駅同様、臨時快速の表記は全くありませんでした。改札口の「舟」には全線時刻表があったように記憶しているのですが、そこにも記載はありませんでした。
臨時快速が到着
そうこうしているうちに列車の到着時刻が迫り、改札が開きます。この間の駅放送も本当に最低限で、改札開始の駅員放送だけです。改札開始放送が流れるまで、本当にきょう臨時快速が運転されているのかが分からない雰囲気なんですね。待ってる人も極端に少ないですし。
列車が来ましたが、写真の通り乗客は誰も写らず、私の背後にも2名だけです。駅の外にはたくさんの観光客の姿が見えるなか、極端にご利用が少ないとしか言いようがありません。
美瑛駅停車中
そんな臨時快速ですが、降車客はやや多めでした。乗降が済んだホーム上にも一応人影があります。美瑛駅ですら5両編成はぎりぎり入り切っておらず、ドアの開閉は前2両分だけです。車両の融通が利かないというべきか、こんな使い方はもともと想定していなかったのか、とにかく場違いな雰囲気はあります。車体の色と名称だけを見ると「富良野線にいるべき車両」という感じがしますが。
乗ってみる
しばらくして列車は発車します。車内はラウンジこそ席がある程度埋まっているものの、ドアカットをしている号車ほどガラガラです。3両目以降は1両に5人くらいといった感じでしょうか。
美馬牛駅で列車交換
特徴
ノロッコ号と比較した特徴は、圧倒的に揺れが少ないことと、冷房が効いていて快適であることです。この2点でノロッコ号とは正反対の特徴を持ち、両者は十分両立可能です。富良野線に特急型車両が入るのは「救済列車」の印象が強かったのですが、乗ってみると、当たり前に選択肢にほしい列車という感じがします。
放送
車内放送は肉声中心でした。特にチャイムもなりません。駅の到着放送はかつてのふらの・びえい号やノロッコ号で使用されているものを使いまわしたような音源+肉声といった感じで、加えて各駅でドアカットに関する多言語放送が流れる、といった具合でした。さらに、ドアカットに関するトラブルを防止するため、「次は~○○~」「お降りのお客様は前のほうへお進みください~」と車内に呼びかけてまわる乗務員の姿もありました。あたかも戦前の客車列車ですか、みたいな感じで面白かったです。
ちなみにファーム富田の観光放送はありましたが、それ以外の放送は基本的になく、観光列車なのかただの列車なのかはいまいち中途半端な雰囲気でした。車内が何か装飾されているわけでもないですし、ちょっと期待していたラベンダーチャイムもなかったですし。
旭川市の担当者
車内には旭川市の担当者が乗り込み、停車する各駅ではホームに降り、乗降客数の調査を行っていました。なお、旭川駅出発後に乗客へアンケート用紙が配布されたようですが、美瑛駅を含め途中駅からの乗客にはアンケートを配る様子がありませんでした。頼めばもらえたのかもしれませんが、結果的に私も何ももらっていません。
中富良野駅
中富良野駅
中富良野駅で下車。前2両分しか開かないのであれば、ワンマン列車のように停車してもいいと思うんですが、そこは律儀にホームの先端に合わせて停まります。そのため、わざわざ駅舎から一番遠く、未舗装の部分から乗降しないといけないということになります。
ドアが開かず困っている外国人観光客の姿がありました。幸い車掌はホームに降りることができ、ホーム中央にいる乗客を誘導できますので、乗り遅れる心配はありません。また、この駅はなぜか先端の未舗装部分のほうがホームが高いという現象が起きていて、こちらのほうが乗り降りは楽という感じでした。ちなみに乗務員室と舗装された中央部分のホームとの段差はとんでもないことになっていました。
中富良野駅の掲示は、美瑛駅と同じもの。ラベンダー畑駅の停車有無によるA時刻・B時刻という表現が登場しています。加えてこの駅には時刻表に臨時快速の時刻を上から貼るという対応がとられていました。日曜日(翌日は運転なし)に私が訪問した際は、中富良野駅にこの時期臨時に配置されている係員が、その貼られた時刻を剥がしているところでした。これは人手はかかりますが、良い対応です。
課題
時刻と運転区間
そもそも富良野線は北海道トップレベルの運転本数のローカル線で、わざわざ頑張って増発するメリットが他路線ほどはないような気がします。もちろん多いに越したことはありませんが、1時間に1本のパターンダイヤとか、別に目指すべきものがあるような気がします。普通列車の15分後に続行運転して喜ぶ人がどれだけいるのか。もちろん、豪華な車両で空いてて快適ではありますけど。
富良野で寝ている特急車両を有効活用しようという観点で言えば、運行本数が極めて少ない滝川〜富良野間を運行する臨時快速列車を運転しようということもできます。こちらの方がよほどありがたいですね。今回「延長運転」と銘打っていること、実質的に旭川市の単独事業なのか、ということを考えれば難しいですが。
車両
今回の臨時列車は、キハ261系5000代の扱いにくさが露呈した列車と言えそうです。LED表示の改修に手間がかかるため「臨時」としか表示できない、ステッカーを貼ることもできず列車名もつけられない、各駅ではホームの長さに応じたドアカットができず各駅一律・・・といった具合です。
おそらくこれらの原因は、本来スーパーとかちの車両である261系の仕様をほぼ変えずに導入したからです。LED表示の上に「ラベンダーラウンジ」のステッカーを上から被せている現状、どう見ても改修するお金がなかったとしか見えません。「次は 〇〇」のデータは全線分載せられなくても、せめて号車番号と「指定」「自由」くらい自由に変更できるようにすべきでした。行き先表示も、臨時快速 旭川くらいなんで表示できないのか、と。臨時/Extraでは日本人にも外国人にも不親切です。LEDが無理なのであれば、乗務員が簡単に差し込めるサボのような仕様にした方が良かったのでは、とさえ思います。261-0のように。
途中停車駅でのドアカットも問題です。旭川→富良野方面行きの場合、最大で約4両分にあたる距離を移動する必要があります。駅が近づくたびにSL列車のように係員が呼びかけを行う必要があり、中富良野駅では外国人がドアが開かず困っている姿を目撃。車掌がホームに降りて誘導するしかありません。車両にはドアカットを案内する表示器などもちろんなく、283系のドア画像を印刷した張り紙を貼り付けるしかない状況です。
この車両、ローカル線での快速列車としての営業運転にはかなり難があることが明らかになりました。未来永劫JR単独では行うことはなかったのではないでしょうか。今回は沿線自治体としての事業ということで無理矢理駆使してやりましたけど、あと何回見られるんだか分かりません。
広報
まぁ無に等しいといっても過言ではないと思います。色々事情はあったのだと思いますけど。JRの駅においては、臨時列車の運行に際して最低限告知しておくべき、駅での白黒ポスターの掲出以外何も行われていない印象です。
沿線においても、唯一この実証実験にやる気が感じられる旭川市以外から、特に発信されているように見えませんでした。富良野線連絡会議のInstagramを遡っていったら見つけた、という感じですかね。あとはふらの観光協会のTwitterなど、いくつか発信はあったみたいです。
広報しない臨時列車は誰も乗らない、というのはJR北海道も臨時特急北斗などの経験からわかっているはずです。その点を踏まえた協議をしておくべきであったと思います。
フルカラーのポスターを全道に掲出するのには費用がかかりそうですが、費用がないならないなりに、踏切事故防止キャンペーンのように肉声放送をしたり、インフォメーションボードに広告を出したりと、選択肢はあるはずです。
現地での案内
現地では、この列車は今日確実に運行していて誰でも乗ることができる、という安心感の得られる案内が欠けていたように感じます。現地でさえ他駅とそれほど変わらない、A4の掲示が細々とあるのみです。例えば「本日運転日!」というポップをつけた大きな掲示が必要不可欠です。
また、観光列車として盛り上げようという雰囲気もほとんど感じられませんでした。例外が旭川駅電光掲示板のスクロール表示でした。今年の旭川駅は臨時急行花たびそうやでLED職員が登場するという「事件」が起き、富良野・美瑛ノロッコ号も初めて凝ったものが登場しています。そしてこの臨時快速にも「本日は、臨時快速にご乗車いただき誠にありがとうございます。」と、観光客を迎えるスクロール表示が流れていたそうです。
これから
「ラベンダー編成」旭川延長終了 乗客2000人にとどまる:北海道新聞デジタル
さて、利用が伸び悩んだという趣旨の記事が出ました。1日平均180人、10で割って1本1両あたり18人。自分が乗った列車よりはやや多いかな、といった感じです。途中駅で乗客の入れ替わりがそれなりにあったので、1本1両あたり「のべ18人」という気はします。「救済列車」といった位置づけですかね、雰囲気的には。私が乗車した際はラベンダー畑駅を通過していましたので、この停車有無は大きいと思います。ラベンダー畑駅は停車本数が限られますので、貴重な一本になるのです。
今回の臨時快速、現地の様子に別に特段驚きがあったわけではありませんが、まさかの「臨時特急北斗84号」の雰囲気をそっくりそのまま再現してしまったな、みたいな印象です。形式的儀礼的な告知だけで細々と列車を運転しても、誰も気が付かないし、乗らないのです。おとなしく定期列車の増結をしてくれって感じですね。その点花咲線の増結運転は理にかなっているように感じます。話題性としてはどうしても劣る部分がありますが、ちゃんとポスター出してますし。模範的です。
ノロッコ号の対になる観光列車に
富良野・美瑛ノロッコ号は魅力ある列車ですが、客車の老朽化、椅子の構造、そしてなによりも暑いといった課題があります。訪れた日も美瑛駅で高齢者の団体客が乗り込んでいましたが、美瑛駅で10分以上停車している車内に「はいじゃあ乗りますよ~」なんて、もう熱中症になりにいくのか、みたいな状態です。車内でアイスでも売ってればまだいいんですけど、何も売っていません。
そんなとき、この快適な特急型車両にタダで乗車できるとあれば、絶対に人気は高まります。自然の風を浴びる体験は、例えば朝と夕方に窓をくりぬいたキハ150-100でも走らせればいいじゃないですか(ここは適当)
というわけで、工夫次第です。富良野線には、ノロッコ号と「○○」がある。そんな観光列車になることは十分できるはずです。
私が一番心配しているのは、こんな状況で延長運転は意味がない、とか、結局JRには可能性がない、とか、そんな方向性が決まってしまうことです。いや、伸びしろはいくらでもありますから、ぜんぶやり切ってから判断してくれと、そう思います。いろいろと課題がありますが、来年度も何らかの形で面白い臨時列車が走ってくれればと思います。乗客に乗ってもらえる仕組みを整えて。
2013年が10年前ってマ?
2013年は10年前である、という事実。よく考えてみれば当たり前のことなんですが、当時の写真を見返しても昨日のことのようです。
ところが、その写真たちをよくよく見てみると、実はもう見ることのできない写真にあふれています。細かい部分は着実に変わっていたり、自分の中で時が止まっているだけで、被写体はまるごと消え去っていたりします。
今回はそんな風景を振り返っていきます。
浦臼駅(2013年1月)
結局これが最初で最後の訪問となった、浦臼駅です。今でも行ったら見れそうな定番の風景です。が、いまは駅名標枠があるんだかないんだか。調べたらあるようですね。この時は浦臼行きワンマン列車での訪問。ここから中央バスが出ているのがおなじみでしたが、それも最近無くなってしまいました。
浦臼折り返し便(2013年1月)
踏切で立ち止まって撮っててすみませんって感じなんですが、浦臼折り返し便が止まっている雰囲気というのはこんな感じでした。今の北海道でこのような風景があるのはどこになるんでしょうかね。豊浦とか蘭越とか似てますけど、棒線駅で単行列車が折り返す光景というのは、実はほとんどないのではないでしょうか。あ、石狩沼田。あとは根室も貴重なんですよね。
ところで、新十津川方面の線路も比較的はっきりと顔を出しています。当時新十津川便は3往復だったのです。この日確か雪は降っていなかったとは思いますが、この線路が雪に覆われていない姿は、今見ると感じるものがあります。
721系の車内から何となく撮ったものです。こんなところにも銭函フォントで銭函と書かれていたんですね。現在はバリアフリー化によりエレベーターが設置され、こちら側の階段は撤去されています。反対側も扉が設置されており、このような光景は見られません。考えてみれば、左右どちらにも階段が設置されている跨線橋、今どのくらいあるんでしょうか。北見、長万部、強いて言えば小沢?
小樽駅(2013年3月)
長万部行きワンマン列車から眺める小樽駅のホーム。注目すべきはニセコライナーです。モジャくんドアステッカー、そしてなんとなんと、号車札がついているんですね。ニセコライナーは増解結をしますから、それも毎朝毎晩取り換えていたということになるのでしょう。とんでもないことをやっていましたね。
ちなみに右に見える「2」の番線標はまだ残っていますし、吊り下げ式駅名標もあります。そしてニセコライナーもまだ普通に走っていますから、それが奇跡のように思えてきます。この構図はまだたぶん撮れます。しかし10年後にはないでしょう。
倶知安駅(2013年3月)
倶知安駅ホームの屋根は、先端部分だけちょっと形が違うことが昔から気になっていました。そして、黄色くて錆びた、観光地にふさわしくないボロさをしていたことが印象的でした。
そしてそこには新ゴ細字の、JR北海道紺色サインの中でも初期のタイプの看板がありました。この時代の看板は、列車により例外もある中でも方面をしっかり記載することが特徴で、その分内容も細かくなっていました。現在は「のりば2」の表記が大きく太い文字で掲出されるのみになり、見やすい大きな文字となり国鉄感も出た半面、地名が並ぶという魅力はなくなってしまいました。
倶知安駅の屋根はこの後黒く塗装されたのもつかの間、現在は仮ホームに。そして地元は再開発に邪魔だとして早期の駅廃止を求めるという大変残念な展開となっています。
千歳駅(2013年5月)
これは今もほぼ同じ写真を撮ることができます。が、駅名標の照明は撤去され、板は交換されました。右上に見える照明もLED化されて形が変わっています。当時から汚いイメージを持っていた千歳駅ですが、今見ると、このころはまだ鉄骨の灰色がちゃんと灰色だったことが分かります。いまはもう茶色のイメージしかないです。
三川駅(2013年5月)
室蘭本線のこのエリアの駅は、汚いアクリルに覆われた廃墟のような駅名標が並んでいました。かつての札幌圏もこんな雰囲気だった駅名標が多いようで、それには間に合わなかった私ですが、これを見ることができたのは幸運だったのかもしれません。現在は、ひらがなが異様に大きい違和感のあるタイプに更新されています。
三川駅、後ろの貨物?ホームもきれいに残っていますね。今はどうなっているのでしょうか。ここも当時中央バスが通っていて、「 三 川 」のシンプルな方向幕など魅力があったのですが、廃止されています。
和寒駅(2013年8月)
和寒駅にも普通の駅名標が設置されている時代がありました。この後駅名標は日に焼け、交換され、駅名標照明は最後まで点灯していたものの撤去され、東六線は廃止されています。背後に2本の線路が見えていますが、副本線撤去の施策により今は残っていないような気がしますよね。というか当時2本も何に使っていたのでしょう。
快速ワンマン列車(2013年8月)
トップナンバーといえるキハ40 826にこの時乗っていたんですね(今知った)
快速なよろ号は当時嫌いでした。宗谷線旅最大の目的である仮乗降場をすべて飛ばし、列車名を言わないワンマン放送、そして車内は混雑。当時乗りたかったキハ54でもない。できることならキハ54による全駅停車の稚内行き普通列車みたいなのに乗りたかったんですよ。っていうのが懐かしいですね。
方向幕は「快速ワンマン」を示しています。(この快速表示存在感なさすぎですよね。なんでこんなに小さいんですかね?)現在は根室本線のサボ扱い廃止により方向幕も回されなくなり、快速狩勝で見られた最後の「快速ワンマン」表示も消え去っています。この写真は当時の旭川駅でサボ扱いと幕回しが抜かりなく行われていた証です。
小樽駅(2013年9月)
札幌近郊のLEDと言ったらこの色。交換前の姿です。交換されたときには濃い緑色に強烈な違和感を感じたのを覚えていますが、いつしか見慣れていきました。これ全然撮ってないんですよね。後悔しかありません。
いしかりライナーが消えて3年。本当に普通列車しか来なくなってしまいましたね。分かりにくい列車ではありましたが、便利に使っていました。たかが数分、されど数分です。いつか復活してほしいですね。ちなみにこのころは車内英語放送がただの「Semi Rapid service train」だったはずです。これがまた良かったんですよね。
南小樽駅(2013年9月)
すでに733系はバリバリであったのも10年前です。意外ですよね。上の写真たちと733系はちゃんと共存しています。
南小樽駅は跨線橋の工事により木造の上屋はなくなっています。古レールに取り付けられるホーローは原風景のような美しさをしています。新千歳空港タイプの筐体に紺色の番線標も懐かしいです。
あとがき
さて、いろいろと見てきましたが、実際のところ数年前まで見ることができたアレコレも多くあります。突然消えるわけではなく、10年の中で少しずつじわじわと消えかけていって、気が付けば大きな変化をしているのですね。
恐ろしいことは、この数年で鉄道ファンになりました、という人はこれらの光景を知らないということです。私は上のような風景を散々見てきたのですが、見ているのと見ていないのでは、見えている風景がだいぶ違っているんだと思います。もちろん、どちらが悪いというわけではないです。いつの時代もこの繰り返しなんだと思います。だからこそ「ちょっと前の時代に戻りたい」という欲望も生まれるのでしょう。
2023年の風景は…
これも当たり前の話なんですが、私たちが見ている風景も、10年後には10年前の風景になっています。私たちは10年後に何を思うのでしょうか。
北海道の鉄道において確からしいことは、基本的に今が一番賑わっているということです。もう廃れたように見えるあの路線、この路線も、今はまだ賑わっているほうなのです。あ、あの頃ってまだマシだったんだ。残念ですが10年後もまたそう思うのでしょう。
この10年でも北海道の鉄道の変化は激しかったと思います。キハ40が小さな駅に停まっていく、というような風景はその多くが失われてしまいました。7両編成だったスーパーおおぞらは4両になり、スーパー北斗は10両になって5両になっています。
10年後の北海道の鉄道は…北海道新幹線が延伸されていることでしょう。特急北斗が廃止。函館本線が本来の姿を失っています。キハ40はなく、キハ54も怪しい。札幌圏にクロスシート車両は残っていないのではないでしょうか。
そんなこんなを考えたときに、時刻を選べば札幌駅をクロスシートで出発でき、カラフルな40と、「スーパー」時代の面影をまだ残す北斗、「スラントノーズ」の261が走る宗谷、キハ40の塗装と窓枠を毎日リバイバルしているキハ150の非冷房車、登場時からほぼ変わらぬ姿のキハ54…みどりの窓口は縮小しても、改札駅員は終日配置、駅前へ駅員が改札放送を流し、札幌圏の駅でも変わらぬ改札中放送が流れ続ける。いいものしかそろっていないんだろうな、と思うわけです。