JN日記 (original) (raw)
昨日は、二の酉、大國魂神社を歩いた。境内は多くの屋台のなか、大勢の人が参拝をしていた。七五三の家族も目に入った。
黒目川付近を散歩しました。こちらでもサギに遭遇しました。
きょうの「国際寛容デー」に『日報抄(241116新潟日報)』は思う▼ユネスコが1995年のこの日に採択した「寛容に関する宣言」に基づき、翌年の総会で制定。95年は、ロシアが独立を求めるチェチェン共和国の首都を制圧し紛争が激化▼中国は地下核実験を強行。イスラエルのラビン首相が暗殺。日本では1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件▼それから約30年。寛容の精神はむしろ薄れてしまったようだ▼ロシアやイスラエルは今も戦火の当事者。気候変動による洪水や干ばつなどの天災も相次ぐ。そんな中で米国ではトランプ氏が再び大統領に。地球温暖化を「でまかせ」と言い、移民を敵視▼この30年でなくした最も大きなものは、寛容の心なのかもしれない。冬に向かう日々、心をぬくめたい。
(私は)思う。暖かい秋だが、寒い冬が待っているのだろうか。生活苦は地球上の多く者に伸し掛かって行くのか。なぜ、我々は未来を考えた選択ができないのだろうか。目先の生活に追われそれどころでないのか。欲望の心が寛容な心を押しつぶして行くのか。どうすれば良いのか。先ずは秋の自然を観葉し、少しでも心を寛容にしていけないか。
飲食店での配膳ロボットに『明窓(241115山陰中央新報)』は思う。かつて思い描いた未来のロボットの姿には遠く及ばない。手塚治虫さんの代表作『鉄腕アトム』の作中、ロボット少年アトムが生まれたのは「2003年」、同じ年に「ロボット法」もできたという設定。身勝手な命令にも背けず苦悩するロボットの姿は、40年前に小学生だった当方の胸も打った。追加注文していないのに配膳ロボットがやって来た。隣席を片付けていた店員が頭を下げロボットを引いていく。「間違ったよ」と後方から笑い声。何かホッとした。手塚さんのロボット法には「ロボットは人間を幸せにするために生まれたもの」ともある。「共存」の鍵は人間が握っている。非現実的とも思えた「未来」は今、目の前にある。
(私は)思う。私たちの今の労働は今後、ロボットが代わりにやってくれるようになる。私たちは仕事をしないとなると、何をすればよいのか。趣味や娯楽に明け暮れる世の中になるだろうか。ロボットは規制できても、愚かな人間は操作できない。趣味や娯楽は、どのような方向に進むのか。そう、戦争の好きな人間は戦争に・・・。
様々な壁に『余録(241113)』は思う▲ベルリンの壁の崩壊から35年、東西ベルリンを隔てた28年間を上回る時間が過ぎた▲新たな障壁も生まれた。イスラエルがパレスチナに築いた分離壁。フィンランドはロシア国境にフェンス。トランプ次期米大統領はメキシコ国境に築いた壁を増強▲障害者や高齢者が暮らしやすい社会には街にも心にもバリアフリー。一方でハッカーが横行し、ウイルスがはびこるネット世界ではファイアウオールが必須▲石破茂内閣は「年収の壁」に直面。国民民主党は所得税の対象となる「103万円の壁」の撤廃を求める▲「106万円の壁」はパート労働者らが厚生年金に加入する賃金の要件だ▲「年収の壁」の可否を判断するにも十分な情報公開と議論を前提にしてほしい。
(私は)思う。それぞれの壁は何の妨げになっているのか。何かを守るために壁は作られる。その守るものが何か。その壁を崩すことで、どのような改善がなされ、またどのような弊害が生じるのか。否、その壁を崩さずに、もっと良い改善策があるかもしれない。目的が何であるのか忘れずに、壁と闘うことである。
気候に秋の存在感が薄れる中、政治は中間が存在を増していると『有明抄(241112佐賀新聞)』は語る◆「や」党でもなく「よ」党でもない。その間で立ち回る「ゆ」党。衆院選で躍進した国民民主党◆再選出された石破茂首相も、顔色をうかがいながら政権のかじを取る◆「どこも過半数を取れないときに、意思決定をどうしていくかというルールがない」。これまで「数の力」一色で押し切る国会運営が幅を利かせたせいか、この国は当たり前の民主主義を忘れてしまっている◆中間をゆく「ゆ党」も党首に女難の相が浮かぶ。どんな立ち位置にも危うさは潜んでいる。新たな「熟議の政治」が実現するのか、また「決められない政治」に戻るのか。綱渡りが始まる。
(私は)思う。「ゆ党」のこの人は国民第一なのか、「ゆ党」第一なのか。左顧右眄に過ぎないのではないか。一番身近な人を守れない党首に何ができるのか。それは別として、政治の力関係を弄ぶこの党は主体的活動体になれる遊党ではないか。季節には春夏秋冬、四季が大事だが、政治には政党のはっきりした識が大事だ。
立冬を過ぎたがまだ暖かさが残っている夕方、散歩にてまたサギに遭遇した。その動きに見惚れ癒される。