北方領土の話題と最新事情 (original) (raw)

船上デッキから島を探す元島民の家族ら=9月15日、北海道根室沖(坂本隆浩撮影)

79年前に故郷を奪われた択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島および歯舞(はぼまい)群島からなる北方四島の元島民。その平均年齢は今年3月末時点で88・5歳となり、元島民の2世にあたる子供世代も多くは50~70歳代で高齢化が進む。返還運動への影響が懸念される中で若い世代を取り込む活動が始まっている。(産経新聞2024/10/6)

初めての北方四島

9月中旬の北海道根室沖はひと足早い秋空が広がっていた。北方四島との中間ライン手前に停泊した北方四島交流事業用の船舶「えとぴりか」では、元島民やその家族らが船上デッキに設置された祭壇に手を合わせていた。

ロシアのウクライナ侵攻の影響で北方四島墓参などのビザなし交流事業が見送られ、代替で行われた洋上慰霊は今回で3年連続。今年は全7回の行程で計画され、6回目のこの日は元島民7人を含む総勢60人が故郷への思いを寄せた。

今年から取り入れられた船内交流会では、7歳まで多楽島に暮らしたという工藤繁志さん(85)=根室市=が「平凡な日々の中で突然、ソ連兵が土足で家の中に入ってきた。島では姉が亡くなっているので、両親や兄に代わって手を合わせたい」と当時の様子を振り返った。

その傍らには孫の高橋美優菜さん(21)=根室市=の姿があった。高齢の祖父を見守ろうと初めて参加し、「祖父から話を聞く機会はあまりなかった。ソ連兵がいきなり家に来たとか、二度と自宅に帰れないとか、驚くことばかりだった」と話した。

同世代の細谷雅子さん(23)=東京都=も「想像がつかない」と同じような心境を語った。札幌に住む択捉島出身の祖母はほぼ毎回参加しているが、自分と両親は初参加。「当時の話を聞いて本当にそういうことがあったんだという気持ち。いい経験になった」と真剣な表情で語った。

こうした反応は若い世代だけに限らない。医療スタッフとして帯同した看護師の高崎忍さん(51)=根室市=は3年前、水晶島出身の父・朝一さんを病気で亡くした。「父は生前、島を見たいとずっと言っていた」といい、遺品の腕時計と双眼鏡を身につけて乗船。根室港に戻るほんのわずかな時間を使って船尾で遺影を島に向けた。

父の遺影を手に船尾から遠ざかる島を見つめる高崎忍さん=9月15日、北海道根室沖(坂本隆浩撮影)

「これが父への一番の親孝行。島の近くに来て初めて島民2世であることを実感した。自分も何か行動したい」と笑顔を見せた。

若年世代を取り込み

北方四島の元島民らが加入する千島歯舞諸島居住者連盟の正会員は3月末現在2437人。このうち元島民は707人で、残る1730人は2世から4世の後継者世代だ。新型コロナウイルス禍による活動停滞もあり、「会員数は微減傾向にある」と同連盟専務理事の森弘樹氏は打ち明ける。

同連盟のデータによると、3月末時点の元島民数は5445人。ただ、この人数は平成25年ごろのデータをもとに把握可能な会員動向を反映させているため、「実際はもっと少ない可能性もある」との見方もある。元島民の平均年齢が日本人の平均寿命を上回る88・5歳となっている現状に、返還運動に携わる関係者の多くが「活動そのものが衰退しかねない」と危機感を募らせている。

森氏によると、島にまつわる話を親などから直接聞いた元島民2世の多くは50~70代で、今後の運動継続に向けて「30~40代の3世以降の参加が不可欠」と強調する。

同連盟の後継者活動委員会は今年度の役員改選で、約20人の委員のうちの5人を元島民3世から選んだ。返還運動の機運は時の情勢によって大きく変わるとし、「今の国際情勢を見る限り、運動を盛り上げるような大きな情勢変化があるとは思いにくい」といい、新しい発想で運動を進められる若年世代の取り込みが必要と訴える。

世代間の意識変化もある。かつての返還運動は街頭行進やシュプレヒコールなどで盛り上げたが、「そうした行動が嫌だから参加したくないという若者の声も聞く」。従来の活動手法を見直し、さまざまな意見を取り入れながら「日本の領土問題という幅広い視点でアピールしていきたい」と策を練る。

返還運動を支える北海道の担当者も同じ認識だ。

これまで中高生向けだったオンライン講座は今年度から参加対象者に大学生も追加。新規事業として、根室管内の高校生を札幌に招き、元島民らと交流する機会も設けた。担当者は「若年世代に北方領土のことを正しく知り、正しい歴史認識を持ってもらいたい」と継続的な見直しも視野に入れる。

元島民の願い強く

洋上慰霊に参加した志発(しぼつ)島出身の中村勝さん(86)=札幌市=は、「島に残っていた親戚などとも別れ別れになり、樺太に連れていかれた祖母は寒さと飢えで亡くなった。そういうことがあって79年が過ぎた。いまだに北方領土は帰ってきていないが、われわれは諦めるわけにはいかない」と静かに語る。

中村さんは5人兄弟の長男。洋上慰霊では5年ぶりに三男の正さん(81)=札幌市・元島民、四男の進さん(77)=東京都・2世、五男の孝さん(75)=札幌市・2世=と親類1人の計5人で鎮魂の祈りをささげた。共通するのは「元気なうちに島へ行きたい」という思いだ。孝さんは「皆さんに協力していただきながら(見送りが続く)北方交流事業の早期再開を」と切望する。

択捉島出身の向田典子さん(88)=札幌市=も長く北方交流に携わってきた。これらの事業は「関係者が一生懸命やっている。どんなことをしてでも止めるわけにはいかない」と思いは強い。

向田さんの長男で、高校教員をしている細谷尚央さん(62)=東京都=は職業柄、沖縄や広島、長崎などで戦後教育や現地の語り部の話を聞いたりしているといい、「そのたびに次の世代につなげることを忘れてはいけないということを痛切に感じる」と訴える。初めて参加した洋上慰霊を振り返り、「島を訪れて自分の肌で実感したい。生活していた空気感を見て、子供たちに伝えたい」と語った。

根室地方では地元の小中学生に対する北方領土教育に力を入れている。その拠点となっているのが、根室市内にある北方四島交流センター「ニ・ホ・ロ」だ。

北方四島交流センター「ニ・ホ・ロ」=9月15日、北海道根室市(坂本隆浩撮影)

佐田正蔵館長は「根室管内1市4町の小中学生は必ず年1回、当センターを利用する。北方領土を正しく理解してもらう機会につながっている」と話す。

平成27年度は4万人を超える施設利用があったが、年々減少。コロナ禍に見舞われた令和2~3年度は1万人台まで落ち込んだ。現在は回復基調にあり、5年度は2万4000人超。今年度も多くの観光客が訪れ、利用状況は好調という。

佐田館長は「北方領土は風化させてはいけない戦後の未解決問題。当地で学んだ子供たちが成長し、社会に出たときにこの問題を語ってくれれば」と未来への思いを込めた。(坂本隆浩)

30年前の1994年10月5日未明、色丹島で壊滅的な地震津波が発生した。震源地は色丹島から南東に120km離れた場所でマグニチュードは8.3だった。震度は国後島択捉島で8~9ポイント、色丹島で9ポイントだった。津波の高さは色丹島で10m、国後島で5~6mに達した。地震の最初の揺れは10月5日午前零時23分に発生した。揺れは71秒間続いた。択捉島のゴリャチエ・クリュチ村(瀬石温泉)の軍病院が倒壊し、同島で8人、色丹島では3人が死亡した。最も被害が大きかったのは、地震多発地帯の建設要件を考慮せずに建てられた、レンガとコンクリートブロックの比較的新しい木造住宅だった。耐震性を考慮に入れて建てられたパネルや木造の建物は被害が少なかった。余震は翌週まで続いた。人々は家に戻ることを恐れ、車やテントの中で夜を過ごした。この地震によって色丹島は丸ごと約0.6mも海に沈み、島内の多くの地域で地割れ、地滑り、崩壊が発生した。被災地には22,400人が住んでいた。377棟の住宅が全壊または一部損壊した。7,700人(2,500世帯)が家を失った。色丹島の6つの水産工場のうち、復旧したのは2つだけだった。小型漁船、運搬船、大型船(150m)が海岸に打ち上げられた。石油タンクは波によって200~250mの距離を運ばれた。クラボザボツコエ(穴澗)では、破壊されたタンクから約1,000トンの石油が湾に流出し環境を悪化させた。この地震の後、南クリル地区の人口は半減した。人々は地震による恐怖と苦難を再び経験したくないと思い、島を去った。(Shikotan telegraph 2024/10/5)

崩壊した色丹島の道路。国後島郷土博物館のコレクションより。撮影者: ゲンナジー・ベレジューク

1994年10月5日の色丹島津波の概略図と沿岸の最大津波

人々は新たな地震を恐れ、自宅に戻ることを恐れていた。国後島郷土博物館のコレクションより。撮影: ゲンナジー・ベレジューク

津波によりユジノクリリスク(古釜布)の桟橋に打ち上げられた漁船。国後島郷土博物館のコレクションより。撮影:ゲンナジー・ベレジューク

南クリル中等学校の地理教室。国後島郷土博物館のコレクションより。撮影:ゲンナジー・ベレジューク

択捉島を管轄するクリル地区行政は5日、島の中心地クリリスク(紗那)から22km離れたクイビシェフカ川(留別川)のそばに建設される予定の一般廃棄物処理施設「イトゥルプTKO管理施設」に関する公聴会を開催した。地元住民と処理場を建設する企業およびサハリン州住宅・公共サービス省の代表者が出席した。住民は主に環境問題について質問した。特に廃棄物の焼却後の残留物をどこにどのように処分するかについて関心を示した。また、廃水処理システムがどのように実施されるか、煙排出用の濾過システムが設置されるかどうか、ゴミ焼却プラントが使用する燃料は何かなど、環境リスクや環境への影響に関する多くの側面について議論された。公聴会の参加者は、プラントが地域の環境や住民の健康に与える影響について懸念を表明した。 (エトロフ・ニュース2024/10/7)

【参考】サハリン・インフォ(2022/11/30)

択捉島では合同会社「エコミール・エトロフ」(今年6月登記)が年間5,000トンの一般ゴミと固形廃棄物の選別施設と焼却施設を建設する。建設場所はクリリスク(紗那)の南部で、建設費は2億6,350万ルーブルを割り当てる。建設期間は26カ月で同社は17年間運用する。

10月6日夕方、択捉島リリスク(紗那)郊外のバンナチカ市営浴場にクマが現れた。利用者の間でちょっとした騒ぎになったが、恐れることは何もなかった。ジュリャの飼い犬が見事追い払ってくれたのだった。すべてがあまりにも早く起こったため、利用者は怖がる暇さえなかったのかもしれない。その一部始終はTG「ケシャコット」のビデオで。(赤い灯台テレグラム2024/10/8)

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ロシアの携帯電話事業者T2は、今年1月から8月まで南クリル諸島(※北方領土)を訪れた加入者の活動を調査した。8か月間で、南クリル諸島を訪れたT2利用者は前年より13%増加し、旅行中に800万分以上通話し、150万ギガバイトをダウンロードした。85%はサハリン住民で、沿海地方、モスクワ、ハバロフスクイルクーツクの人々も訪れた。訪問のピークは6月中旬から8月末だった。加入者が旅行の感動を共有できるように、T2はネットワーク負荷と顧客トラフィックの分布を監視している。今年、T2モバイルインターネットは国後島島のゴリャチー・プリャジ村(瀬石)、色丹島のマロクリリスコエ村(斜古丹)で高速化し、択捉島のブレヴェスニク村(天寧)では、初めてT2モバイル通信が利用できるようになった。T2利用者の間で最も人気があった場所は、国後島のユジノクリリスク市(古釜布)とラグンノエ湖(ニキショロ湖)、択捉島のキトヴィ村(内岡)だった。ユジノクリリスクとキトヴィは、島々を巡る旅行の出発点。ユジノクリリスクには空港と港があり、観光名所のストルブチャティ岬(材木岩)やチャチャ火山(爺爺岳)へのルートの出発点となる。キトヴィにも港があり、観光客はそこからホワイトロック(ビラ海岸の白い崖)、沸騰湖、滝を訪れる。T2サハリン支社のディレクター、アレクセイ・ジェルク氏は「当社は2019年に南クリル諸島で4Gネットワ​​ークを立ち上げました。これは当社にとっても、国後島択捉島色丹島に住む人々にとっても本当に重要な出来事でした。以来、当社は島での観光活動の増加を考慮して、ネットワークを厳選して開発してきました。これらの地域の複雑な物流と厳しい気候にもかかわらず、高品質の通信は当社の加入者が頼りにできる基盤です。これが、2023年に3島すべての住民にバックアップ衛星チャンネルを提供した理由の1つであり、これにより、自然災害や緊急事態が発生した場合でも、住民は連絡を取り合うことができます」と話している。(astv.ru 2024/10/4)

若い世代に北方領土問題について関心を持ってもらおうと、羅臼町の小学校で元島民2世が講師となり出前授業を行いました。この出前授業は、元島民の高齢化が課題となる中、若い世代に北方領土への関心を高めてもらおうと道などが開き、4日、羅臼町の春松小学校には5年生16人が参加しました。授業では、父親が国後島出身で羅臼町に住む元島民2世の本見泰敬さんが講師となり、戦前の国後島には小学校が14校もあったことや羅臼町と同じようにコンブ漁が盛んだったこと、それに今はロシア人が住んでいて島には自由に行けないことなどを説明しました。続いて北方領土に関するクイズに答えるワークショップが行われ、それぞれの島の面積を合わせると福岡県と同じ規模になることや、根室市納沙布岬から貝殻島までの距離が3.7キロしかないことなどを楽しみながら学びました。男子児童の1人は「誰でも自由に北方領土に行けたりロシア人島民と交流できたりできるようになればいいなと思いました」と話していました。また別の男子児童は「授業を通じて自分も北方領土の話を周りの人に伝えたいです」と話していました。(NHK北海道 NEWS WEB 2024/10/4)

羅臼町で北方領土学ぶ出前授業 元島民2世が講師に|NHK 北海道のニュース

国後島のトレチャコボ(秩苅別)のダーチャに、体が銀色の毛(※日本側は白いヒグマと呼ぶ)でおおわれた子グマが母グマと一緒に頻繁に訪れている。ダーチャの持ち主は「ここにしかいない銀色のクマは中国のパンダのようにクリル諸島(北方四島)のシンボルになっている」として、駆除しないよう求めているが、地域住民の間で意見は分かれている。危険だから駆除すべきだという人もいれば、保護して住宅地から離れた森に移したいと考えている人もいる。「ダーチャは約20年前からここにあるが、ずっとクマが訪れていた。危険なことは一度もなかった。今回は、痩せて小さい母クマがやってきた。そして、銀色の子を連れてきた。そんなクマはどこにもいない。ここにしかない。中国のパンダのように、すでにクリル諸島のシンボルとなっている。この銀色の赤ちゃんには何の罪もない。母グマを撃てば、この子は姿を消してしまう。しかし、別のダーチャの所有者はすでに当局に通報しており、森林局は10月1日から9日の間にクマを駆除することを決定した」とダーチャの所有者は話した。(astv.ru 2024/10/3)

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