模様 (original) (raw)

8/31

『わたしたちが光の速さで進めないなら』(キム・チョヨプ)に収録されている作品には、どれも喪失や解放、後悔、排除、愛が漂っている。わたしたちが光の速さで進めないならどうしようか。たどり着けないとわかりつつ小さなシャトルで宇宙を進むこと、差別や格差など困難に満ちた場所に留まろうと決めること、憂鬱を象った物体を手のひらに納めてその感情に沈み込むこと、折り合いの悪かった母親の死後にその人格データを探すこと。光の速さですすめないけど、わたしたちは遠い宇宙へ、未来へ、ユートピアの外へ、死へ、取り返しのつかない後悔へ、向かっていくことができる(たどり着くかは別として)

9/2

夜寝る前に読み進めていた『ユ・ウォン』(ペク・オニュ)を読み切った。ラストが美しかった。かつては生きのびるためにベランダから放り出されたウォンが、今度はパラグライダーで飛行する。その先には友だちが待っていて、抱きしめてくれる。もう一度「飛び直す」ことがウォンには必要だったのだろう。

9/8

出張に持って行った本。
『彼女の「正しい」名前とは何か 第三世界フェミニズムの思想』(岡真理):移動中主に読んでいた本。当事者性や自己の加害性、(特に日本の)植民地主義、応答可能性など、私が近年もやもやと考えていたことについて書いてあって一気に読んでしまった。

「他者」を忘却していられる、自分が何ものであるかを考えずにすむという特権性。

「無知であってよいはずはない。しかし、私が大切ななにごとかをようやく学びとるのに、なぜ、私ではない他の者たちが深く傷つくという代償を払い続けねばならないのか。」(p.303)

『いつも旅のなか』(角田光代):半分くらい読んだ。旅についてのエッセイ。リゾートでバカンスを楽しもう!とギリシャロードス島に行ったはいいものの数日で飽きてリゾート的休暇をキャンセルし、奇岩群の上に立つ修道院を巡ることになっていた話が好き。人間、向き不向きがあるというかこういう風にしか生きられないってことあるよね。

『「銀河を産んだように」などⅠⅡⅢ歌集』(大滝和子):1/3くらい読んだ。このごろ相聞歌を読むのが少ししんどい。

9/12

ヒグチユウコの装画に惹かれて『盲目的な恋と友情』(辻村深月)を手に取った。「『盲目的な恋』と『友情』」ではなく「盲目的な『恋と友情』」で、盲目的な恋と盲目的な友情が等価に描かれている。

この世では友情より恋(特に異性愛とその先にあるものとしての法律婚)の方が特別なものとして位置づけられているから留利絵の蘭花に対する強烈な友情や執着という「異常性」がある種のキャッチーなサスペンス要素として機能しているけど、蘭花の星近に対する恋愛感情とそれに起因する他者への鈍感さも大概だと思う。友情にしろ恋にしろ、特定の人間や過去のコンプレックスに執着して視野が狭くなることはフィクションだったら全然楽しめるけど現実だともうごめんかもしれない。

留利絵の「私にもみんなにも反対されてるのに茂実さんに執着してるのは、(中略)蘭花ちゃん自身の欲のせいだよ。好きだからって言うけど、『好き』って気持ちはそんな、何もかもより一番偉いの?それは、蘭花ちゃん自身の快楽と欲だよ。それが周りを苦しめてるんだよ。(p.259)」という台詞は、留利絵自身にも跳ね返る。留利絵だって、蘭花によって自分の欲を満たすことにはまり込んでいるだけなんじゃないか?それでも、たまたま異性愛というガワを持っていたからこそ可能となる「特別、運命、燃え上がるような恋、一緒に朽ち果てたい」みたいな正当化に死ぬほど腹が立つ気持ちもわかるよ。

9/15

ミス・マープルと13の謎』(アガサ・クリスティ)を読んで、「Jane Marpleはミス・マープルに由来するのか?」と今更ながら思って調べてみたらやっぱりそうらしい。会社の名前も「セント・メアリー・ミード」だし。Jane Marpleといえば2017年に発売された「Jane's Bookcase」シリーズのワンピースに衝撃を受けて、当時ものすごく欲しかった記憶がある。本棚を正面から見たようなテキスタイルで、身にまとうと自分が本棚そのものになったようでかわいいのだ。

8/3

チャールズ・ブコウスキーの『勝手に生きろ!』がおもしろいと聞いたので図書館で借りてきた。主人公がテキトーに酒を飲みながら職や女を転々としている様子がちょうどいい。疲れていてもぼんやり読むことができる。主人公の恋人が「他の人は10%くらいしかそこにいないけど、あんたはまるごと、全部のあんたがそこにいる」と言うシーンが好きだ。

8/10

忙しかったりストレスがたまっていたりするとホラーが読みたくなる(辛いものを食べるとストレス解消になるのと同じメカニズムだと思う)。今回は英米の女性作家たちによる怪談集『淑やかな悪夢』(シンシア・アスキス他)を選んだ。

シャーロット・パーキンズ・ギルマンの「黄色い壁紙」が一番怖かった。一人称視点で、語り手の意識や語りから見た世界がだんだん歪んでいくという、大変私好みの作品で、ぞっとしつつもおもしろく読んだ。特に最後の一文がうまい。本作の解説にも書かれているように、「黄色い壁紙」はフェミニズム的な観点から読むことができる。不安や願望を訴えても相手(特に家族、特に夫)からは子ども扱いされて聞き入れてもらえず、「(産まれてくる)子どものために」と優しく行動を制限され、優しく監視される。超常的なできごとよりそちらの方がよほど嫌だし怖いこともある。そうなったら自ら恐怖に飛び込んだり恐怖に「成ったり」することで、支配的な人間や価値観、ひいては世界に挑むしかないのかもしれない。

8/12

『この世にたやすい仕事はない』(津村記久子)のうち、やってみたい仕事を順に並べてみる。巨大な森林公園での巡回>おかきの袋裏の文章作成>バスの広告アナウンスの原稿作成>小説家の監視>民家の壁のポスター張り替え。小説家の監視はおもしろそうだけど、隠し監視カメラで他人の生活を覗くのはプライバシー的に問題しかないので順位は下の方になった。ポスターの張り替えは、その家の人と毎回やりとりするのが大変そうだ。営業に似たスキルが必要だろうし、おそらく向いていないだろう。原稿作成は取材もできるし楽しそうだが、アナウンス文よりもっと長い原稿を書きたくなりそうだ。袋裏の文章作成も同様。巡回は木々に囲まれて仕事ができるところ、公園奥の小屋が自分一人の拠点になるところが魅力的だ。でも時給が安すぎるのは困るな。

8/17

谷崎潤一郎『台所太平記』は、今読むと差別的な言動があたりまえのものとして出てくる点や千倉家で働く女性たちに対する主人公の性的な視線など引っかかる点は多いものの、初や小夜、駒、定、銀、鈴といった女性たちの様子がいきいきと描かれていてついつい引き込まれる。「主人一家と女中」という雇用関係にはあるものの、女中として働く女性たちもわりと好き勝手にやっているところが好き。あと、最後にいきなり谷崎潤一郎の足フェチっぷりが出てきて笑ってしまった。

本編だけでなく、松田青子の解説もよかった。松田青子は『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』で『台所太平記』に着想を得た作品を書いており、そちらもおもしろかった記憶がある。

谷崎潤一郎の作品は中高生くらいから読んできたのだが、好きな部分と「しんど...」と思う部分が混在している。例えば、『細雪』における姉妹たちの関係性や会話・生活描写、『陰翳礼讃』における羊羹や服の描写は好きだが、『痴人の愛』に通底するミソジニーはしんどかったりする。少し葛藤する時期もあったのだが、「好きな部分は好きな部分として愛しつつ、それはだめだろという部分は批判的に読む」という月並みな着地をした。

8/20

伴名練 編『日本SFの臨界点[怪奇編]ちまみれ家族』。解説まで充実していて満足感がすごい。「ぎゅうぎゅう」、「黄金珊瑚」、「笑う宇宙」あたりが好きだった。「黄金珊瑚」の光波耀子は夫の一言で筆を折ってしまったらしく、やりきれない。もっと読んでみたかった。今度、男性以外の作家によるSF作品をいろいろ読んでみようかな。

6/30

葉村晶シリーズの『錆びた滑車』(若竹七海)を読んでいる。葉村シリーズは短篇集を手に取ることが多かったので、長篇はなんだか新鮮だ。私が初めて読んだ葉村シリーズは『静かな炎天』で、そのときにはもう葉村晶は中年だった。ハードな過去があることは匂わされていたが、その作品だけ読んでもすべてを把握できるわけではないため、葉村というキャラ自体には少し距離を感じていた。本作でも、過去に因縁があったらしい人物や愛着のありそうな持ち物など、読者が(というかシリーズを網羅しているわけではない私が)把握していない余白がある。実際の対人関係では相手について把握していない部分があることは当たり前だが、本の登場人物にそういう余白を感じることができるのはシリーズが長く続いているからこそだろう。これから一冊ずつ読んでいって余白を埋めていくのが楽しみだ。

7/6

恵泉女学園創立者・河井道と、道の教え子である一色ゆりの人生を描いた『らんたん』(柚木麻子)。久々にボリュームのある大河小説を読んだ。読むのに体力は必要だけど、やっぱりスケールの大きな話はおもしろいな。津田梅子や河井道自身の業績だけでなく(主に時代に起因する)限界にも触れ、それでも「彼女たちがいたから今の女性の権利向上はあるのだ」と力強く示されている。日本の植民地主義についてもゆりの娘である義子の視点から触れられている。道たちを手放しで賛美するものでなく、誰もが未来への途上にいるのだと言っているようだ。

『らんたん』は手紙文学でもある。今のようにメールや電話がないから、登場人物たちはとにかく手紙を書く。留学のため海外へ向かうゆりへ船上で読むようにと道が準備した、小物を同封した手紙たちが特に好きだ。アドベントカレンダーのように一通一通手紙を開けば、自分を深く気にかけ愛してくれている人からの心遣いを感じられるなんて、励みになっただろうな。

7/15

映画化のタイミングで知ったけどついぞ読めていなかった『嫉妬/事件』(アニー・エルノー)をようやく読む。どちらの短編にも、強烈に身に覚えのある文章がところどころあった。具体的に同じような経験をしたわけではないが、(おこがましくも)思考の流れに似た部分があると思った。読者にそう思わせるのがよい小説だということなのだろう。

「嫉妬において最も常軌を逸していることは、ひとつの街に、世界に、ある人ーーそれは一度も会ったことのない人である場合もあるーーの存在ばかりを見てしまうことだ。(p.19)」

「嫉妬」の原題である「L'Occupation」には「占有、占拠、占領、用事」といった意味があるらしい。嫉妬に突き動かされて彼女のことを徹底的に調べ、常に思いをはせる。そうして頭の中で作り上げた「彼女」と主人公はお互いに「占拠」しあう。主人公はその「占拠」が日常(ひいては主人公自身の人生)へ溶け込み切る前に解放されることができたものの、完全に嫉妬に絡め取られて常に「彼女」の存在を見いだしてしまうようになる可能性もあったわけで、恐ろしい。

作品自体はおもしろかったが、訳者(堀茂樹)のあとがきには閉口する箇所がいくつかあった。

7/25

このところ、文庫化で話題になっていた『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス)を読み進めている。分厚いしなかなか読み終わらないなと思っていたけど、出張中やバイトに向かうときにちまちま読んでいたらもう残り2/5くらいになっていた。物語は暑さに倦んだ埃っぽいマコンドが舞台になっており、酷暑にうんざりするこの時期にぴったりだ。登場人物が多くて読んでいると混乱してくるので、付録の家系図がありがたい。

アマランタとフェルナンダ(特にアマランタ)が好きだった。特定の人物への憎しみを持ち続け、それに骨を埋めることはけっこう難しい。この前縁切りで有名な安井金比羅宮に行ったとき、おびただしい数の絵馬に圧倒された。病気や自身の怠け心などとの縁切りを願う穏当なものもあったが、大半は人間に対する縁切りだ。込められた熱量はすごいが、このうち5年後も同じ強度で縁切りを願っている人はどのくらいいるのだろう?怒りを持っていた当時はそれを絶対に忘れるものか・絶対に許さないと思っていたのに、憎しみも怒りも風化する。うらみを持ち続け、当てこすりのように「みじめに」死んでいく。皮肉ではなく、なかなかできないことなのであっぱれとも思う。

7/27

各短編のテーマとなっているピアノ曲を聴きながら、『アーモンド入りチョコレートのワルツ』(森絵都)を読む。うつくしく、何ものにも代えがたい時間は始めから終わりを内包している。ピアノ曲が終わるように、その時間や関係にも終わりは来る。

登場人物の背景を描ききらない・暴かない点がうまいなと思った。それぞれ事情を抱えつつも、ピアノ曲のもとに集って一時を共有することの尊さに焦点が当てられている。

表題作の「アーモンド入りのチョコレートのワルツ」を読んで、私自身が通っていたピアノ教室の先生を思い出した。

5/19

ふとショートショートが読みたくなって、図書館で『安全のカード』(星新一)を借りてきた。星新一は作品が古びた印象を帯びないようにあえて登場人物の名前や具体的な時代・場所・金額などをぼやかしている(無徴にしている)んだと思うのだけど、多くのショートショートで主人公が男性であることもその一種なんだなと思う。この社会で男性以外のジェンダーはデフォルトではなく有徴化されているから、性別が何でもいいような作品で「あえて」男性以外のジェンダーを主人公に据えることは「ノイズ」として捉えられるのかも。

5/20

旅行中にレイ・ブラッドベリの『とうに夜半を過ぎて』を読む。

旅行に持って行く本の基準
・ページ数が多い(途中で読み終わって退屈しないように)
・文庫本(持ち運びやすいように)
・できれば短編集(移動時間など細切れに読むから)
・文章が美しく、密度が高い(万が一読み切っても何度も読み返せるように)
・比較的新しく、入手しやすい(紛失しても買い直せるように、汚れても惜しくないように)

5/29

比嘉姉妹シリーズの最新巻『すみせごの贄』(澤村伊智)が出ていたので買う。切り口や題材が鮮やかでどの作品もおもしろかったけど、そろそろがっつり姉妹が活躍する長編も読みたくなってきた。

6/3

『紙の月』(角田光代)は高校生くらいのときに一度読んだことがあるのだが、突然読み返したくなったので再読した。今読むと、横領を繰り返してまで散財した梨花が一番お金に執着していないように見える。梨花が銀行で働いてお金を稼ぐことで「稼ぎ手としての自分の優位性が揺らぐのでは?」という恐怖を持ち、梨花と自分の経済力の差を誇示するように振る舞う夫の方がよほどお金(というか、「夫は妻より稼ぐべき」という規範?)への執着が強いのではないか?お金に執着しているからお金を使ってしまうのではなく、お金は究極的にはどうでもいいものと思っているから湯水のように使えるのだと思う。お金は循環するもので、究極的にはどこにも属していないという感覚。

6/13

アンソロジー少女小説とSF』(編 日本SF作家クラブ)。少女小説もSFも大好きなのでタイトル買いしてしまった。スピンがリボンになっているところとか、細部にまでこだわりが感じられる装丁も好き。

SF色が強いものからBLっぽいもの、ホラー・サスペンス風味の強いもの、ジェンダー流動性が鮮やかに描かれているものまでバラエティ豊かでおもしろかった。中でも特にひかわ玲子の「わたしと「わたし」」が一番印象的だった。みんな双子で生まれることが普通の惑星に一人きりで生まれてしまった少女が主人公なのだが、少し不穏なラストも含めて好みだった。二人の「わたし」が莫大な財と頭脳、底知れない邪悪さで宇宙を跋扈するスペースオペラが読みたいな~。

4/13

『N/A』(年森瑛)。「ただ、がまくんとかえるくんや、ぐりとぐらのような、お互いの中だけにある文脈を育んだ、二人だけの唯一の時間が流れる関係性を人間の世界で得るのは難しいということも、年を重ねるにつれて理解しつつあった。別々の場所で暮らしながらも、一緒にごはんを食べたり、どこかに遊びに行ったり、見返りもなくやさしくしたり、それだけのことを続けるのには、人間なら恋愛感情が付随していないといけないようだと察していた。」(p.29)

自分としては「その人とだから」関係を深めたい・個別の文脈を深めたい、と思っていたとしても相手はそうでもなく、むしろ「恋人、彼女、妻」を欲していて、その枠や「恋愛感情」ありきで自分との関係を望んでいたと知ったときの徒労感というか見ているものが違う失望感ときたらすごいものがある。個別の文脈を含んだ代替不可能な「私とあなた」ではなく、(例えば)「法律婚をして名字を変えて子どもを産む『女の子』」か?という視点からジャッジされてたんだ…という衝撃。お互いに事故みたいなものです。

4/20

神保町のTea House TAKANOで『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』(岡真理)を読んだ。今起きていることはジェノサイドだということ、日本の主要メディアはイスラエルの成り立ちなど歴史的な文脈や根本的な問題を排して「憎しみの連鎖」「どっちもどっち」として報道し、ジェノサイドに加担しているということ、イスラエルパレスチナ人に対するアパルトヘイト国家であり、植民地国家であるということ、アメリカにとって都合の悪いときは人権や国際法が無視される国際社会の二重基準があるということ。

パレスチナで起きていることに限らないが、知ることは大事だけど、知るほどに無力感も感じる。「結局私個人は何もできないじゃん、知ったって無駄じゃない?」と思ってしまう。思いながら寄付をしたり、デモに行ったり、停戦を求めるパッチをかばんにつけたりしている。

「日本の植民地主義に向き合い、批判することもパレスチナへの連帯につながる」という指摘が印象的だった。現在進行形で日本にも植民地主義はあるのだから、対岸の火事のようにパレスチナで起きていることだけに気をもむのではなく、今の日本にも目を向ける。

4/26

少しずつ読んでいた『思い出のマーニー』(ジョーン・G・ロビンソン)と『不穏な眠り』(若竹七海)を読み切る。『思い出のマーニー』は、アンナがタイムスリップしてマーニーと出会っていたと捉えてもいいし、幼い頃マーニーから聞いていた少女時代の記憶がノーフォークの景色によって呼び起こされたと捉える余地もあるのがおもしろい。児童小説として読むなら「タイムスリップして実際に会っていた」解釈の方が好き。

5/9

20代も中盤に差し掛かってきたわけだが、まだ「かっこいい大人になりたいな~」とぼんやり思うことが多い。もう成人しているのだから大手を振って「子どもである」とは言えないし、かと言って自分が大人であるとも思えない。『40歳だけど大人になりたい』(王谷晶)を読んで、どうやらこれはもうしばらく「大人になりたいな~」とぐだぐだ考えることになりそうだ…と覚悟をする。

5/18

積んでいた『時空争奪:小林泰三SF傑作選』(小林泰三)を読む。「クラリッサ殺し」に既視感を覚えて調べたところ、これはNOVAの2019年春号にも掲載されていたらしい。ところどころ読み覚えはあったけどオチには新鮮に驚いた。記憶力の性能が低いとこういうところで何回も楽しめていい。
小林泰三と言えば『アリス殺し』が有名だが、実は読んだことがない。

3/18

文通相手がおもしろいと手紙に書いていた『赤と青とエスキース』(青山美智子)を読んだ。四章の「大切になさいね。共にいてくれる、あたたかな生き物の存在を」という台詞がよかった。犬と暮らしたいよ本当に…。

3/24

ミステリーランドの『くらのかみ』(小野不由美)。互いに知っている人たちの間に本当は知らない人間(ここでは座敷童のような存在)がまぎれ込んでいるのはわかっているけど、それが誰だかはわからないという状況はかなり怖い。耕介が事件について父親へ相談する場面がよかった。

3/30

ダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品が大好きなのだが、全作品を網羅しているわけではない。ジョーンズは2011年に亡くなっていてもう新作が出ることがなく、すべて読み切ってしまうと悲しいからだ(もちろん同じ作品を何度読み返してもおもしろいのだが、初読のわくわく感や一見するとめちゃくちゃな展開に振り回される楽しさはひとしおだ)。なのでまだ読んでいない作品を取っておいて、機会のあるときに少しずつ読んでいる。

『魔法泥棒』もそのうちの一冊だ。強大な魔法の力を持ちつつもいまいちそれを自覚しているのかわからないジーラや、若い男のエネルギーを飲み尽くしている冷酷な女領主マーセニーなど、他のジョーンズ作品に出てくるキャラと似ている部分があって楽しい。ラストの方でフランがやけになってアルスの道士たちを巻き込み踊り出すところが爽快だった。はじめは物理的な攻撃をしかけるためにやって来たのに、最後には潜在的に不満をもっていた住人たちを扇動して「ええじゃないか」的に踊ることで秩序を崩壊させるのがいい。

4/9

SNSの投稿で見かけておもしろそうだなと思っていた『遺品』(若竹七海)という作品を読んだところ、ものすごくおもしろかった。ホラーとしておもしろいだけでなく、ミステリ要素もあるところがよかった。

居場所のない主人公の女性が館に魅入られていく様子や、熱狂した人々に石を投げられるシーン、ラストの展開にシャーリイ・ジャクスンっぽさを感じた(ジャクスンの作品だったらタケルは出てこないだろうけど)。

主人公の「望むとすれば、逃げ出すことのほう。いや、むしろ逃げ出さなくてもすむように望むのではないだろうか」(p.314)という独白が印象的だった。本当は「ここ」で好きな仕事に打ち込み、好きな人に囲まれて楽しく生きていければいいのだろうし、そのために努力するのが「正解」なんだろうけど、でも偏執的な人間にロックオンされたら逃げるしかない(この作品では個人対個人の執着を描いていたけど、特定の属性に対する執着めいたバウンダリーの侵害(「~~はこう生きるべき、こういう生き方こそが幸せなのだ」みたいな言説とかね)や、そうした侵害の構造化はありふれている)。なので、そういう人たちの手の届かない私の城で楽しくやらせてもらいますね、と逃げ出すのは理解できるし、けっこう惹かれる。ただ、(ラストを踏まえるとささいなことかもしれないが、)展覧会を訪れた最初の客たちを主人公が案内するシーンや、フィルムの上映前に主人公の解説へ拍手が起こったシーンなど、少しでも彼女が「ここ」で報われたと思える瞬間があってよかったな。

4/10

『遺品』がおもしろかったので、同じく若竹七海の『静かな炎天』を読んでみた。葉村晶という探偵が活躍するシリーズのうちの一冊で、おもしろかったから他の作品も読もうと思う。主人公・葉村晶はミステリ作品を中心に扱う古本屋でバイトしつつ探偵をしているということもあり、ミステリ作品の名前がよく出てくる。ブックリストとしても興味深い。

3/3

ゆっくり読み進めていた『穏やかな死者たち:シャーリイ・ジャクスン・トリビュート』(エレン・ダトロウ編)を読み終わった。深緑野分による解説でも触れられているが、シャーリイ・ジャクスンっぽさと言えば底知れない悪意や不条理(「くじ」)、語り手のゆがんだ視点(『ずっとお城で暮らしてる』)、屋敷といった建造物に魅入られてしまう様子(『丘の屋敷』)などが思い浮かぶ。様々な作家たちがジャクスンのエッセンスを取り入れながら書いた作品を読んでいると、「あ~シャーリイ・ジャクスンのこういうところ、私も大好き!!」と叫びたくなってくる。

特に気に入った作品たち…「弔いの鳥」(登場人物たちの嫌な感じがかなりジャクスンっぽい)、「所有者直販物件」(建物の魔力に惹きつけられる様子がいいし、シスターフッドを感じる)、「柵の出入り口」(ちょっとウルフの『オーランドー』っぽい)、「スキンダーのヴェール」(奇妙だけど少しあたたかみも感じるファンタジー

3/7

書店で川野芽生の『Blue』を見かけたので買った。トランスジェンダー女性である主人公が、「この世には私のことを語る言葉がないのでは?」という疑問をSNSに書く場面が印象的だった。認識的不正義に関する議論が示したように、言葉がないと誰かの経験や構造的な差別を話し、共有し、そのおかしさを訴えることが難しくなる(e.g. 「セクシュアルハラスメント」)。シスジェンダーが支配的なこの世界において、トランスジェンダーの人々の経験を語る言葉は不均衡に少ない。まだそれをぴったりと表す言葉が(浸透してい)ないからといってそれはなかったことにならないのに。

3/10

中学生くらいのときに読んだ『魔女の死んだ家』(篠田真由美)を図書館で見つけたので再読した。この本は「ミステリーランド」という児童向けレーベルのうちの一冊で、一時期このレーベルの作品をよく読んでいた。今振り返ると、綾辻行人二階堂黎人太田忠司小野不由美など執筆者たちの豪華さに驚く。

凝った装丁も魅力的だ。背表紙にはそれぞれ異なる色の布が使われていて、ハードカバーの表紙のタイトルは箔押しになっており、見返しには少しレトロな香りのする幾何学模様があしらわれている。今になって読み返してみると、子どもたちへ手加減なくおもしろいミステリーを届けようという大人たちの気概がうかがえてぐっとくる。

3/11

おもしろさとかなしさは案外近いところにあるものなんだな、と赤染晶子のエッセイ『じゃむパンの日』を読んで思う。手袋を編もうとしたら最終的に右手を4つ編んでしまう話と、貸衣装屋へ婚礼衣装を選びに来た新婦を試着室ではげます話が特に好きだった。

3/16

恩田陸の『スキマワラシ』。結局「スキマワラシ」がなぜ、どうやって現れるようになったのか?といった疑問は残るものの、爽やかな読後感で嫌いじゃなかった。ぼーっとしているようで要所要所ではちゃんと活躍する雑種犬ジローとナットがよかった。