東台湾に眠るもう一つの日本の歴史 花蓮空港・七星潭・奇莱鼻灯台・七星柴魚博物館【花蓮縣新城郷】 (original) (raw)

花蓮空港

原住民と空港。一見、全く関係が無いように思えますが、実は、花蓮に空港が出来た理由として非常に密接な関係がこの両者にはあります。

台湾総督府にとって、台湾を統治する上での弊害となった理由の一つとして原住民対策でした。そこで打ち出されたのが「理蕃政策」でした。理蕃政策の内容としては、

① 原住民(原本では「蕃人」と表示されています)を教化し、その生活安定を図り、「一視同仁の聖徳に浴せしむる」ことを目的とする。

②蕃人に対する正確な理解と蕃人の実際生活を基礎として方策を決定する。

③蕃人に対しては信を以て懇切に之れを導くべし。

④蕃人の教化は彼等の弊習を矯正し、善良なる習慣を養ひ、日常生活に即した簡単なる知識を授ける。

⑤経済生活は、将来一層の集約的な定地耕を奨励、あるいは集団移住をおこない、生活改善を計ると共に経済的な自主独立を営ませる。

⑥理蕃関係者、殊に現地の警察官は、沈着重厚なる精神的人物を用ひ、漫りに其の任地を変更しない。

⑦道路を修築して交通の利便を図り、撫育教化の普及徹底を期す。

⑧医薬救療の方法を講じ、蕃人生活の苦患を軽減すると共に依て以て理蕃の実を挙ぐるの一助とする。

以上が理蕃政策ですが、内容的には原住民の生活水準向上のために非常に考えられた内容に思えますが、この政策を実現化するためには、日本の権威を原住民に対して示す必要がありました。日本の権威を示す方法の一つが飛行場建設だったのです。

そこで、台湾総督府は、警務局に航空班を設立し、台湾各地に飛行場建設を始めました。

大正時代、加禮宛飛行場(現在の花蓮空港)に人員が配備され、花蓮港北飛行場として運用が開始されました。昭和2年(1927年)、警務局航空班は廢止され、花蓮港飛行場は日本陸軍の管轄下におかれました。昭和11年(1936年)、日本航空経営の軍民共有の飛行場となりました。

日本統治時代には花蓮には現在の花蓮空港(当時の花蓮港北飛行場)以外に、南飛行場もありました。(現在の花蓮縣吉安郷の知卡宣緑森林親水公園)南飛行場には、戦争中は、敵を欺くために、模造の戦闘機が配置されていました。

花蓮港北飛行場建設にあたり、候補地となったのが、目の前に太平洋を望む、現在の七星潭でした。ここには、綺麗な七つの湖がありました。夜には上空に満点の星が輝き、その星が七つの湖の水面に映り、それは綺麗な風景だったそうです。七つの湖に浮かびあがる無数の星たちという意味から、この附近一帯を「七星潭(潭とは湖の意味)」と呼んでいたのです。

日本側はこの七つの湖を埋め立て、そこに総面積40万坪という広大な面積を誇る、当時では台湾最大級の飛行場をつくりました。終戦間際には、この花蓮空港からも特攻隊が沖縄戦線に向けて飛び立っています。

ちなみに、当時の花蓮には、南飛行場、北飛行場以外に、林田飛行場、大和飛行場もありました。

戦後は、北飛行場(現在の花蓮空港)は、空軍基地となり、南飛行場は、中華民国空軍防空学校となりました。同時に、東台湾の人々の空の玄関口として、北飛行場は民間機の乗り入れも行われていました。しかし、当時の飛行場は、砂利を踏み固めた滑走路で、管制設備もお粗末なものでした。

尚、民国38年(1949年)5月19日から民国76年(1987年)7月15日まで続いた戒厳令の間は、民間航空機の乗り入れは厳しき制限されていました。

民国48年(1959年)、台湾政府は東部開発計画を発表。東部觀光発展のために、花蓮空港の改善が必要であるとして、まずは、土壌、排水、建設費用等々の初歩調査を開始、民国50年(1961年)3月に、中華民国民航局は、アメリカとの間で「美國國際合作總署駐華共同安全分署(Economic Cooperation Administration, Mission to China)」に同意し、美國懷特顧問工程公司(J.G. White Engineering Cooperation)に花蓮空港改善計画を委託し、新空港の建設が始まりました。

民国51年(1962年)5月20日に、「花蓮航空站」として落成しました。

その後、何度か改装、増築を行い、民国93年(2004年)3月19日に、今の総大理石の立派な花蓮空港が完成しました。空港ビル内が総大理石で出来ている空港は世界でも類がなく、花蓮空港だけと言われています。

一時期は花蓮から日本へ向けての定期便も就航していましたが、現在は残念ながら、日本便は飛んでいません。

【七星潭】

七星潭の正式名称は、七星潭風景区と言います。全長数十キロの海岸線。綺麗なマリンブルーの海と澄んだ空。ここへ来て感嘆の声を上げない人はいないでしょう。

以前は、海岸線には太魯閣渓谷から崩れ落ちてきた無数の大理石が転がるマーブルビーチとしても有名でしたが、観光客の急増に伴い、不法に持ち帰る人が増え、その数が激減しました。現在は、取締りを強化し、徐々にではありますが、その数を戻しつつあります。

七星潭には数か所の入り口があるが、筆者がお薦めしたいのは、マンボウのモニュメントが建っている方(海岸警備隊のある方で、一般的に観光客が駐車する場所(トイレがある場所)からさらに、北側になる)で、魚市場のあるところから行かれることをお薦めします。理由は、まずは人が少ない。そして、時間帯(午前9時頃と午後3時半過ぎ)によりますが、目の前で獲れた魚(定置網魚)の水揚げ風景を見ることが出来ます。日本では水族館に行かないとなかなか見る事が出来ないマンボウも毎回水揚げされますので、間近でマンボウを見る事ができます。この定置網魚の漁法(沢山の石を金網では包み網に結び付けて固定する)は、日本統治時代、沖縄から花蓮に移住してきた日本人によって伝授されたもので、今でもその漁法を守り続けています。

また、海岸線から100mほど行くとカジキマグロが回遊しており、カジキマグロの一本突き漁も盛んに行われています。

七星潭へ行く時間ですが、午前中をお薦めしたい。通常のツアーでは、先に太魯閣渓谷へ行き、帰りに七星潭に立ち寄るケースが多いのですが、七星潭の美しさを実感したのなら、断然、午前中に限ります。

朝9時半過ぎに海岸に着けば、10時頃には、頭上をF16戦闘機が飛び立っていくのに遭遇出来ます。目の前の花蓮空港から飛び立つ戦闘機。その爆音は腹の底まで響きます。これもまた、七星潭のもう一つの楽しみ方です。

七星潭の海は、すり鉢状に急に深くなっています。海岸線から10mほどで水深50m、その先は一気に300-500m、そして、1,000m以上と深くなっています。また、海流の流れが非常に速いため、一度波に足をすくわれると助かりません。足元が小石のため、急に波が来た時、足を踏ん張る事が出来ず、流されていきますので、十分に気を付けてください。毎年、犠牲者が出ています。

七星潭の海岸線には、自転車道・遊歩道が完備されています。ホテル、民宿、レンタサイクル店(七星潭内にもあります)で自転車を借り、海岸線をサイクリングというのもいいかもしれません。また、場所によっては、大理石の歩道も見ることが出来ます。大理石の歩道が見ることが出来るのは、台湾では花蓮だけです。

七星潭の海岸を一望できる場所をお教えしましょう。2か所あります。一つは、四八高地。七星潭海岸の南端に少し出っ張った半島があります。ここが四八高地。途中に、展望台があります。ここから七星潭が一望出来ます。道はさらに続きますが、その先を進んで行っても、あまり絶景は望めず、期待外れなだけなので、この展望台までで引き返す方がいいでしょう。

四八高地を見終えたら、山羊のミルクを飲ませてくれる原野牧場という店があります。筆者は一度だけ行きましたが、「一度行けばもういいかなあ。友人をわざわざ連れて行きたいとは思わないなあ。」というのが正直な感想です。

もう一か所が七星潭の高架橋を下りたところの三叉路交差点の東側に大きな広場があります。七星潭の海岸が一望出来ると共に、花蓮空港が一望出来ます。戦闘機の格納庫もここからだとバッチリ見る事が出来ます。この位置から戦闘機が飛び立つのを見るのもいいかもしれません。

【七星柴魚博物館】

次にご紹介されて頂くのは、七星潭のカツオ博物館。(七星柴魚博物館)

以前、ほんだしの原料として使用するカツオは、七星潭から日本へと輸出していました。最近は、お隣の大国等々との価格競争に負けました。カツオの博物館内での見どころは、カツオ節が出来るまでの製造工程の説明等々の展示です。

【奇莱鼻灯台

七星潭高架橋を下り、三叉路を左手に進むと台湾ビールの工場(花蓮觀光酒廠)があります。残念ながら、工場見学は出来ませんが、お酒好きの人にとっては、台湾で製造されている様々なお酒を購入出来ます。また、花蓮特産の「小米酒」もここで販売されています。

台湾ビール工場を過ぎると道は大きく右にカーブしています。そのカーブを過ぎて、すぐの三叉路を左に曲がり、まっすぐ進んでいくと、青い海と青い空をバックに建つ真っ白な灯台が見えてきます。四八高地に建つ「奇莱鼻灯台

日本統治時代の1931年に高さ7.6mの灯台が建てられました。1943年に連合国軍による空爆を受け、終戦までは再び明かりが灯る事はありませんでした

1963年、花蓮港が国際貿易港として開港する事に伴い、現在の五角形の真っ白な灯台に建て替えられました。灯台の高さは33.4m、ライト部分の高さは13.4m。1985年にはレーダーも増設されました。花蓮の海と空に似合う白い灯台

ここを訪れる人はほとんどなく、目の前に広がる大パノラマを独り占めできる、最高の場所です。

是非、七星潭にお越しの際には立ち寄った欲しい場所です。

七星潭

【一口メモ】

(1)七星潭の海岸から東へ110km行くと与那国島があります。与那国島にとっては、石垣島や沖縄へ行くよりも、花蓮の方が近いのです。実際、統治時代は与那国の人達の病院、買い物、就職先は花蓮でした。現在、花蓮市と与那国は姉妹提携もしています。

(2)小米酒:台湾で最も古くから飲まれていたお酒で、原住民が飲んでいたお酒です。原料は粟(アワ)。味はとてもフルーティーな味で、女性にも人気のあるお酒です。花蓮市内でも販売されています。