「翔んで埼玉」の世界観を作り上げる人物デザイナーが得た“予知性” (original) (raw)
映画と働く 第19回[バックナンバー]
人物デザイナー:柘植伊佐夫 / 作品の全キャラクターを統括し、世界観を作り上げる…「描いたものが出てくる」仕事を続けて得た“予知性”
「翔んで埼玉」「岸辺露伴」シリーズに携わった“人物デザイナー”の仕事に迫る
2023年11月25日 16:00 4
1本の映画が作られ、観客のもとに届けられる過程には、監督やキャストだけでなくさまざまな業種のプロフェッショナルが関わっている。連載コラム「映画と働く」では、映画業界で働く人に話を聞き、その仕事に懸ける思いやこだわりを紐解いていく。
第19回となる今回は、「岸辺露伴」シリーズや「シン・仮面ライダー」、大河ドラマ「どうする家康」などに携わってきた人物デザイナー・柘植伊佐夫にインタビューを実施。あまり聞きなじみのない肩書だが、衣装デザインやメイク、小道具に至るまで全キャラクターのイメージを統括する、作品の世界観を作り上げるのに欠かせない存在だ。美容師からキャリアをスタートさせた柘植が映画業界に入って感じた疑問や、「岸辺露伴」の擁する衣装パターンの自由さ、公開中の映画「翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~」で多様なキャラクターを調和させるうえでのこだわりを語ってもらった。
取材・文 / 脇菜々香 題字イラスト / 徳永明子
映画業界の様子を見て「これはどうなってるんだ?」と疑問だらけでした
──まずは人物デザイナーという職業でどういった仕事をしているのか教えてください。
作品に出てくるキャラクターをトータルでデザインして、その扮装の制作を統括する仕事です。
──スタイリストや衣装デザイナーと違うのは?
すでにある成果物を目的ごとに選んで適切にコーディネートするのがスタイリストです。基本服飾のみでヘアメイクやカツラ、肌や爪など肉体に至ることはありません。また衣装デザイナーは無の状態から服を生み出しますが人物像全体を担当はしません。人物デザイナーの仕事にはスタイリングや衣装デザイン、ヘアメイクデザインが含まれており、同時にそれらをディレクションする立場です。私の場合はすべてデザインをしますので、人物デザイナーという名称そのものがポピュラーではないことから、わかりやすく周知する意図で「衣装デザイナー / 人物デザイナー監修」と併記することも多いです。
──今の職業に至るきっかけとして、初めは美容師としてキャリアが始まったとお聞きしました。
そうですね。1980年代の話です。昔、ラフォーレ原宿にmod’s hairがあった頃、ヘアメイクアーティストの嶋田ちあきさんからご紹介を受けて坂本龍一さんや松田聖子さんを担当させていただいていました。
──突然のビッグネームでびっくりしました……!
美容師からヘアメイクアーティストに転向して映画に関わるようになり、手塚眞監督の「白痴」、塚本晋也監督の「双生児」、庵野秀明監督の「式日」の3作は、“ヘアメイク監督”というクレジットで携わりました。
──ヘアメイク監督という肩書はなぜ生まれたんでしょう?
(1999年公開の)「白痴」の頃は日本映画がまだ低迷期で、ようやく新しい世代の実験的な監督が出始めた頃でした。映画が隆盛の時代は撮影所に組付きで、監督が作品主義であっても商業的に成り立っていました。テレビ時代に移行して撮影所システムが崩壊し映画は斜陽になりました。徐々に新しい歴史が再構築され始めましたが、しばらくヘアメイクアーティストに統括者の意識がなかったんです。役者のやりたいヘアメイクをくみ取るみたいな役割で、ポジションも今とは違っていました。
──“タレント付きのメイクさん”みたいな感覚なんですかね。
そうですね。僕は映画業界がスタートではなくファッション業界からヘアメイクを始めましたから、そんな映画業界の様子を見て「これはどうなってるんだ?」と疑問だらけでした。最終的にキャラクター全体を捉えるのは監督の仕事ですが、ヘアメイクの分野においては誰かが包括する必要があるんじゃないのか?と。そこで意図を伝えて手塚監督に「“ヘアメイク監督”でいいですか?」とお聞きしたら「いいですよ」と許可を得ましたので、その肩書で全キャラクターにおけるヘアメイクのデザインと、実行するチームに責任を負う立場を作ってもらったんです。
──そこから塚本監督、庵野監督との仕事を経て、次は“ビューティーディレクター”に?
これはヘアメイク監督と同じです。作品としては庵野監督の「キューティーハニー」だったんですが、その頃自分の中でヘアメイク“監督”という言葉をおこがましいと感じていました。当時、雑誌・VOGUEで“ビューティーディレクター”という職種があって、要するにビューティー関連を統括する仕事なんですが、「まさに自分が映画でやってるのはそれだ!」と思いました。映画タイトルも「キューティーハニー」ですし、“ビューティーディレクター”はちょうど言葉的にいいんじゃないかなと(笑)。庵野監督にも「大丈夫です」と言っていただきました。
──どんどん自分で職業を生み出されている印象です。
言語上は新しそうですが、あるべき形に戻っているだけなんだって私自身は思っていました。チームにヘアメイク担当が多勢いても、それを統括する人がいなくてどうするの?という。人物デザイナーという発想も似た考え方です。
「翔んで埼玉」は“ニュアンス重視”というより“決めごと重視”
──その後、より広く作品のキャラクターを統括する“人物デザイナー”という仕事になるわけですが、柘植さん自身が現場に入る作品とそうじゃない作品があるとお聞きしました。どういった違いがあるんでしょうか。
まず最初に絵としてデザインを形にしてから、衣装を具体的に制作する。通常、衣装デザイナーはそこまでが仕事で、あとは現場付き衣装に預けることも多いのですが、私としてはその時点でまだ80%くらいの完成度に感じています。デザインは概念から始まりますから、その具体を現場に持って行ったときに、細かい部分で違和感が生じる場合があります。そこをチューニングしていく必要があるんですが、スケジュールなどの事情からすべての現場に入るのが物理的に困難なことも多いのです。
──なるほど。優先する現場の基準としては?
クオリティーの不安定性が大きい現場を優先しています。人物デザインは、現場の監理までやって完成すると思っていますから、予期せぬ課題が出ることの多い衣装の初出は必ず確認しています。
──今回の「翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~」の現場はどうだったんでしょうか?
今回の「翔んで埼玉」の現場はお任せしました。このシリーズは人物デザインが明解で、現場のニュアンスで扮装を変化させる必要がなかったからです。担当チームも1作目の継続で力や意識のコンセンサスが安定しており、デザインもマンガ的に割り切りがしやすい作品でした。
──リアリティというよりも“マンガっぽさ”が強い作品であると。
そうです。現場での変更やアレンジは撮影環境に合わせて雰囲気を作る“ニュアンス重視”な作品に多いのですが、「翔んで埼玉」はニュアンスも大事ですがむしろ“決めごと重視”です。いったん決めたデザインはどのような環境下でも変えない。色彩や装飾性のはっきりしたキャラクターを維持し続けるというやり方です。
──むしろ、派手な衣装や装飾が多いほうが現場で監修が必要なのかと思っていました!
そういう場合も確かにあります。ただ色彩同士が近い衣装や、肉体との関係が近いものはニュアンスが出やすいので、微細な変化を管理する必要があります。風や水など自然要素が深く関わるような表現は現場にいないと非常に難しいですね。歌舞伎のようにしっかりした型があるものはいったん決まれば他者に写しやすく、人物デザイン的には現場担当にお任せしやすい。それで言うと、「翔んで埼玉」は1作目で作品の型を生み出していましたから現場に不安がありませんでした。
「岸辺露伴」はコンテンポラリーな存在なので、素材の自由度が高い
──前作と今作に共通して、和装やロココ調っぽいもの、戦後感があるものが同じ画面に収まっているのが面白いなと思ったんですが、なぜその調和が可能なんですか?
1人の人間が人物デザイナーをしているからだと思います。もちろんその上にいる監督の概念がすべてを支配するわけですが、スポーツでいうコーチみたいな立場でキャラクターを統括しているから、違うジャンルを並列したとしても美術的なコンテクストとしては調和が取れやすいのでしょう。
──衣装やメイク、小道具など各分野を統括する際に意識されていることはありますか?
コミュニケーションですね。例えば「翔んで埼玉」だと、“歌劇団的なメイク”とか“デフォルメした衣装”というコンセプトがありますが、それをただ言葉だけで言っても伝わりきらない。実際に衣装制作や衣装合わせ、メイクを考えるプロセスをそれぞれの分野と一緒に進めていく中で、どういうところに私が引っかかるのかとか、「これぐらいの力加減かな」みたいなコミュニケーションを深めれば深めるほど制作意図や美的な共有ができます。私はマンガ原作だけでなくさまざまな作品に関わっていますが、“全編を貫く文脈が強いかどうか”が作品強度に重要だと思います。(色味や装飾の少なさなど)見え方が薄くてもその文脈がしっかり通っていたら濃い作品だと思います。コンテクストをいかに理解し合えるかということが、強いビジュアルを作る基本ではないでしょうか。
──コミュニケーションによって各分野との微調整をし続けているんですね。あとは「岸辺露伴」シリーズなどで、同じ人物の衣装を何パターンか作ることもあるじゃないですか。そういったときはどんなことを意識していますか?
その場合も“この人物の文脈は何か”を決めています。例えば(GACKT演じる麻実)麗とか(二階堂ふみ扮する壇ノ浦)百美はロココ調ですが、彼らの衣装上の変化はジャケットなのかジレなのかという服飾要素であって、この古典性の中で露伴のアシンメトリーのような造形要素に触れることはありません。露伴はコンテンポラリーな存在ですから素材の自由度が高く、対称性についても概念が現代的です。キャラクターによって文脈が違うので、それに合わせた変化をさせることが大切だと思います。
現実のようにデザインが現れるキャラクターへの“予知性”
──最後に、人物デザイナーという仕事のやりがいを教えてください。
500枚(以上)人物デザインを描いた「どうする家康」の現場で、一種の“予知性”を自分に感じることがありました。私のデザイン画をもとにチームがその通りに作ってくれているので現実化するのは当然なんですが、それを少し超えてくることもあります。(「翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~」で片岡愛之助扮する大阪府知事・嘉祥寺晃のデザイン画を見つめながら)ここに描いている、あるいは事前に想像しているキャラクターが“本当に出てきちゃったよ”みたいな驚きがある。デザインの段階でイメージが予知的に現れてそれがはっきり現実化している、みたいな感覚です。
──この仕事を続ける中でその感覚が生まれてきたということですか?
どうなんでしょう。以前はもう少しあいまいでしたけど、最近は脳内にイメージされるものがはっきりしています。その通りに比較的短時間で現実化するのですごい責任を負ってるなと思っていますし、そこが楽しさとも言えますね。そういえば「マイノリティ・リポート」にプリコグ(と呼ばれる予知能力者)がいましたね(笑)。作り手というのは多少なり予知的資質のある人材なんじゃないでしょうか。
※塚本晋也の塚は旧字体が正式表記
柘植伊佐夫(ツゲイサオ)
1960年1月27日生まれ、長野県出身。1995年に石井隆の監督作「GONIN」でヘアメイクとして初めて映画作品に参加する。その後、手塚眞の「白痴」などでヘアメイク監督を経て、作品内の全キャラクターイメージを統括する人物デザイナーに。これまでに担当した作品は、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」「平清盛」「どうする家康」、「岸辺露伴」シリーズ、「シン・ゴジラ」(扮装統括)、「ばるぼら」、「翔んで埼玉」シリーズなど。