写真と映像でアーティストを支える内田将二 (original) (raw)
音楽シーンを撮り続ける人々 第7回[バックナンバー]
写真と映像でアーティストを支える内田将二
自分は“たかが広告カメラマン”、仕事は断らない
2019年3月7日 17:11 2
アーティストを撮り続けるフォトグラファーに話を伺う本企画、第6回は内田将二が登場。安室奈美恵をはじめとする多くのアーティストのCDジャケットやMusic Videoを撮影してきただけでなく、優れた広告、デザイン作品が選出される「ADC賞」を8回受賞するなど、広告業界でもその名を知られる人物だ。
取材・文・構成 / 中村佳子(音楽ナタリー編集部) インタビュー撮影 / 阪本勇 ヘッダ写真:椎名林檎「逆輸入~港湾局~」(写真提供:内田将二)
六本木のクラブからカメラの世界に
僕は長崎の佐世保出身で18歳までそこで育ちました。中学高校時代はパンクロックにはまっていて、Sex Pistols、The Clashを聴いていましたね。母親がよくハリウッド映画を観ていて、その影響で映画もすごく好きだったんです。特に高校生のときに観たジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」「ダウン・バイ・ロー」などのモノクロ映像やポスターに衝撃を受けて、映画や写真の世界に興味を持つようになりました。
でも高校時代は特に何もしていなかったし、映画や写真の学校に進学することもなく、卒業後は上京してアルバイトをしていました。19歳のときボーイをしていた六本木のクラブに著名な広告カメラマンが来店して、そのときに思い切って「写真をやりたいので弟子にしてください」と言ったのがカメラマンになるきっかけでした。写真のことは本当に何も知らなくて、なんとなく「映像よりまずは写真のほうがいいんじゃないか」って思っただけだったんですけど、その方は「一度事務所においで」って。行ってみたら事務所にはモータードライブが付いた35mmキャノンF1っていう一眼レフカメラが置いてあって、それに感動して。そうしたら「初めてカメラを見たの?じゃあまずはスタジオに入ったほうがいい」ってイメージスタジオ109の目黒スタジオを紹介してくれました。カメラを始めるための道を教えてくれた恩人です。
イメージスタジオ109は55坪から160坪までの立派なスタジオが5つあり、メジャーなCMやグラフィック、ファッションなどの撮影が行われていて、毎日トップクラスのカメラマンを見ていました。バブルが終わったばかりの頃だけど、まだこの業界は景気がよくて、今じゃあまりないような大規模撮影を経験できたし、すごく高価な機材を見ることもできました。スタジオに入るまでは写ルンですでスナップを撮ったことがあるくらいで、ライティングなんて知らなかったし、カメラにフィルムも入れられなかったのに、いきなり世界が広がってわからないことだらけ。でもやる気は十分だから吸収は早かったし、いろいろな仕事を見ていて、こういうカメラマンになりたいっていう明確な目標はありました。2年目で初めて自分のカメラを買って、スタジオで働きながら空いた時間に個人で仕事を始めて、スタジオへ入ってから3年半経った23歳のときに独立しました。
プレッシャーで身体中に蕁麻疹
初めて個人的にギャラをもらったのはスタジオ時代でした。ロケアシとしてフランスへ行く飛行機の中で、LITTLE TEMPOのベーシストでクリエイティブディレクターでもある白水生路くんと出会って、12時間隣の座席で、2人とも同じ九州出身だという話から始まり、趣味の音楽話などで盛り上がりました。その後、東京に戻ってから白水くんが「メジャーデビューする友達がジャケットに使う写真をいろいろ見たいらしいから」と言って、SILENT POETSの下田法晴くんを紹介してくれたんです。下田くんはSILENT POETSのアートディレクターをやっていて、僕の写真を気に入ってくれてアルバム「Potential Meeting」のジャケットに使ってくれました。下田くんは当時所属していたbellissima!というレーベルで所属アーティストのアートワークも担当していて、そこのアーティストのジャケット写真を僕が撮るようになったんです。それがきっかけでトイズファクトリーのアーティストを撮影するようになっていきました。
それでも独立したての頃は月に数本しか仕事がなかったです。でもちょうど子供ができたときだったし、とにかく仕事しないと食っていけないから、来た仕事はなんでも「やります」「できます」と言って引き受けていました。CDや雑誌もまだ景気がよかったので、そういう仕事が1本あれば生活できました。だから今の若い世代よりはまだ恵まれていたのかもしれません。
最初に任された大きい仕事は、26歳のときに撮ったNIKEのランニングキャンペーン広告でした。当時白水くんがその仕事を担当していて、アートディレクターのキム・ヤングさんが僕のモノクロのブックを見て気に入って抜擢してくれたんです。撮影当日、現地に入ったら前日の台風で道がめちゃくちゃになっていて、代理店も白水くんもピリピリでケンカしながらの撮影で(笑)。撮影では5kmのコースに実際にランナーを走らせて、僕はサイドカーに乗りながらネガフィルムで100本以上撮りましたね。絶対に失敗できないっていうプレッシャーをすごく感じていて、撮影後、全身に蕁麻疹が出ました。結果、広告の賞をいただけて自信も付いて、それ以来大きな仕事が来ても「あれに比べれば大丈夫」と思えています。
安室奈美恵さんはスペシャルな人だった
NIKEのランニングキャンペーン広告で賞を取ったことで、CDジャケットや広告の依頼が増えて、小室ファミリーなどのメジャーアーティストを撮るようになりました。そこからジャケット撮影とMV撮影を一緒にやるようになっていったんです。
特に安室奈美恵さんは数え切れないくらいたくさん撮らせてもらって、ジャケットのほかにもVidal Sassoonの広告とCMや引退直前にヒカリエで開催したイベントのビジュアルも撮影をしました。安室さんを初めて撮ったのは20年前にアメリカのドライレイクで行った「RESPECT the POWER OF LOVE」のジャケット撮影。アートディレクターはタイクーングラフィックスの宮師雄一さんが務めていました。とにかくむちゃくちゃ緊張したんですよ。空港に着いて現場へ直行してロケハンをしていたら、エイベックスのプロデューサーが来て「MV撮影をしていたんだけど、映像のカメラが壊れちゃったから明日やる予定のグラフィック撮影を今からできない?」と言われて。時差ぼけもあって目がしょぼしょぼな状態で準備をして1時間後には撮影。すごく緊張していたんですけど、安室さんが気さくな方で助かりました。それからたびたび一緒に仕事をするようになったんです。僕の誕生日と安室さんの撮影が重なることが何度かあって、そんな時は撮影後に誕生日ケーキを持って来てくれました。本当にすごくいい方で、スペシャルな人でした。
2001年、31歳のとき映像作家の野田凪さんとNIKEの「swim」の広告を担当して、初めてADC賞をいただきました。いろいろ試しながら撮ったこともあり、相当大変な仕事でした。最初は実際にモデルを水に入れて撮ってみたんですけど全然ダメで、どうやったら水中の水着がキレイに撮れるか悩みました。でも最終的には「カッコよければいいじゃん」と考え方を切り替えて、水中は水中で、モデルはモデルで撮って合成しました。結果、海外でも賞をいただき仕事も増えて、あらゆる国からオファーが来るようになりました。
野田さんとの仕事でほかに印象深いのは、YUKIさんの「センチメンタルジャーニー」。野田さんに「これやりたいんだけど、どうやったら撮れる?」ってアイデアのスケッチを見せられて、「じゃあ、こうやってみよう」って話しながら形にしていきました。MVは実際にYUKIさんたちに並んでもらって一発で撮っているんですけど、スチールは30mの横長のスタジオにセット組んでレールを敷いて、その上にエイト・バイ・テン(8×10判)のカメラを乗せて、ディストーションがこないように分割して撮ったものを合成しました。すごく大変な仕事だったけどいいものが作れたと思います。野田さんは亡くなったんですけど、たくさんの名作を一緒に作らせてもらいました。彼女との出会いは僕のターニングポイントでしたね。
写真も映像も、やることは基本的に一緒。ただ写真は自分で考えて、ライティングして……と1人でやる孤独な仕事で、映像はチームがあって特機や照明、アシスタントもたくさんいるし、1人じゃ何にもできないという違いはありますけど。どっちも好きだし今はどっちも半々でやっています。
※動画は現在非公開です。
僕は自分の所にいたアシスタントに「仕事は断るな」と教えているんですよ。話をもらったら何でもやるのがプロだと思っているので。自分のことを“たかが広告カメラマン”だと思っているので「俺、これはやんない」とかはありえない。だから自分から進んで「これをやりたい」「誰を撮りたい」とかそういう願望がないんです。ただ願望があるとしたら、これから先何歳になっても仕事をし続けて、引退するときは死ぬときでありたいっていうことですかね。
内田将二
1969年長崎県生まれ。広告、CF、ファッション、CDジャケット、ミュージックビデオなどの撮影全般を手掛ける。NY-ADC賞金賞をはじめ受賞歴多数。
内田将二写真事務所ではカメラマンアシスタントを随時募集しています。
年齢性別不問。スタジオ経験者優遇。要普通自動車免許。
履歴書送付先:〒150-0033東京都渋谷区猿楽町11-21渋谷マサハウス1階(有)内田将二写真事務所 宛
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