2010年代の東京インディーズシーン 第3回 | 死神紫郎×中尊寺まい(ベッド・イン)×えらめぐみ(股下89)鼎談 過激? 真面目? 謎に包まれたアンダーグラウンドシーンの真相 (original) (raw)
さまざまなムーブメントが生まれていた2010年代の東京インディーズシーンを、アーティスト、イベント、場所などの観点から検証する本連載。第3回では死神紫郎、中尊寺まい(ベッド・イン)、えらめぐみ(股下89)による鼎談をお届けする。
2000年代中盤の東京では音処 手刀、高円寺20000V(現:東高円寺二万電圧)、神楽坂Dimension(別名:神楽坂EXPLOSION、神楽坂TRASH-UP!!)といった会場を中心に、個性的かつ過激なバンドが多数活躍。中学生棺桶、組織暴力幼稚園、ぐしゃ人間らが凌ぎを削り、都内のアンダーグラウンドシーンを盛り上げた。この鼎談では2004年から現在までアングラシーンで活動を行っている死神、観客としてこのシーンに触れ、のちに演者として関わることになるまい、本連載の第1回にて取り上げたオルタナティブシーン(参照:ライブハウスが持つ「偶然の可能性」 )とアングラシーンを行き来したえらの3名に当時を振り返ってもらった。3人の鼎談を通してこのシーンの魅力、都内インディーシーンの中での役割はなんだったかを解き明かしていく。
取材・文 / 高橋拓也 撮影 / こいそ 取材協力 / ネオ東京_池袋 音処・手刀(チョップ)
オリジナルをやるんだから個性的になって当然だろ
──2000年代中盤の東京アンダーグラウンドシーンでは池袋の手刀、高円寺の20000Vといった会場を中心に個性的かつ過激なバンドが増えていきましたが、死神さんはこの時期に活動を開始されています。
死神紫郎 でも、当時はアングラという言葉自体知らなかったんです。イベント出演のオーディションを受けるためたくさんのライブハウスにデモテープを送っていたんですけど、手刀や20000Vはあくまでその一部だったんですね。私は2005年から本格的に活動を始めたんですが、手刀で観た中学生棺桶が本当に衝撃的で。特にボーカルの狩野(葉蔵)さんは自分が嫌だと思うことがハッキリしていて、それを楽曲で表現していてビックリしたんです。みんな、中学生棺桶と競演すると影響を受けまくって、それぞれ自分の中に狩野さんを飼い始めるんですよ。
中尊寺まい ……いい例えですね(笑)。
死神 それで彼の思想に影響を受けたバンドがどんどん登場するという流れが手刀を中心に発生しました。中学生棺桶以外にも組織暴力幼稚園、ぐしゃ人間といったバンドは早い段階で話題になっていましたね。彼らが抜きん出たことで、今につながるアングラシーンが形成されたんじゃないかと思います。
──この時期、死神さんは別のシーンのアーティストと交流は行っていたんでしょうか?
死神 ほとんどなかったですね。手刀や20000Vに出演して、すぐに「自分の居場所はここだな」と気付いたんです。このシーンを活動の拠点にして“アングラ”という言葉を知り、ようやく「自分はこっち側の人間なのか」と実感しました。この界隈のアーティストたちはよく「個性的」と言われていたんですけど、自分は「オリジナルをやるんだから個性的になって当然だろ」と考えていて。そういうふうに言われること自体、不思議に感じていましたね。
──まいさんは以前参加いただいたコラム企画「音楽履歴書」でも、アングラシーンのイベントによく足を運んでいたとお話していましたね(参照:中尊寺まい(ベッド・イン)のルーツをたどる | アーティストの音楽履歴書 第16回)。
まい そうですね。1980年代の日本語パンクが好きで、そこから徐々にアンダーグラウンドシーンにどっぷりと。お客さんとしてライブに通うのとちょうど同時期くらいに、「私もやりたい!」と決意して泥臭いバンド活動を始めました。最初は初台WALLとか中野MOONSTEP、EARTHDOMのようなハードコアシーンと、この界隈を行き来するような感じでしたね。
──アングラとハードコア、2つのシーンを主軸に。
まい もともとアンダーグラウンドと呼ばれる音楽が好きだったので、古本屋さんで昔の音楽雑誌を買って「ライブ中ボーカルが客にフェラチオさせたらしい!」「ユンボがライブハウスにブッこんできた!」「メンバーがチェーンソーを振り回して自分の太ももを切ったらしい!」とか、そんな記事を読んではドキドキしていましたね。2000年代のアングラシーンには、確かに本で読んだような“危険な香りのするバンド”がたくさん存在していました。客として観に行くだけで「みんなは知らない悪いことをしている」感覚があって、常にヒリヒリしていた。危険だからこその魅力があったんです。
──ちなみにまいさんと死神さんが知り合ったのはいつ頃だったんでしょう?
まい 導かれるように出会ってしまったので明確に思い出せないなー……。
死神 初めて競演したのは2009年の5月ですね。手刀での企画でした。
──えらさんは2000年代中盤のアングラシーンにはリアルタイムで触れていましたか?
えらめぐみ そういうシーンが存在することは知っていたけど、私がバンド活動を始めたのは2009年からで、それ以前は聴くほうがメインだったんです。当時はMO'SOME TONEBENDERやSPARTA LOCALSとか、フェスに出たりSHIBUYA-AXでワンマンをやったりする規模感のバンドをよく観てました。手刀や20000Vに行くことはあまりなかったんですけど、有名な出身バンドがたくさんいたから名前は知っていて、いつか出てみたい気持ちはありましたね。
同じアングラでも演奏 / パフォーマンスのどちらかに分かれる
──当時のアングラシーンは1980年代の国内インディーズシーンを彷彿とさせる、過激なパフォーマンスが行われているところも魅力の1つでした。その中でも死神さん、まいさんが特に印象的だった出来事を教えてください。
死神 これたぶん、ちゃんまいと被るな……。センチメンタル出刃包丁は本当にヤバかったです。
まい 私も挙げようと思ってた!(笑)
死神 あんまりメディアでは取り上げられなかったバンドなんですけどね。2006年9月に神楽坂Dimensionで観たライブは特によく覚えています。
まい 神楽坂Dimensionは手刀と同じくらい、アンダーグラウンドシーンでは重要なライブハウスかも。私が死神さんを初めて観たのも神楽坂Dimensionだったし。
死神 組織暴力幼稚園の園長(Vo)が、一連のバンドを神楽坂Dimensionの店長にも紹介していたみたいです。DimensionはX JAPANを輩出したハコとして有名で(※神楽坂EXPLOSIONは一時期神楽坂Dimensionに屋号を変更していた)。
えら へえー! そうだったんですね。
死神 で、セン出刃のボーカルはライブ中にウンコして客に投げつけてました。
まい 「日本にGGアリン(※アメリカ出身のパンクロックシンガー。脱糞、自傷行為などの過激なパフォーマンスで有名)がいた!!!」ってなりましたよね。セン出刃はメンバーの変更がかなり多かったんだけど、初期が特に強烈でした。
死神 初代ボーカルの監禁DXさんもすごかったけど、2代目ボーカルのAF(アナルファック)妖介さんがもう……。
まい 妖介さん、超タイプだったけど、超怖かったもんなー……(笑)。葉蔵さんが妖介さんのナニをステージ上でフェラチオしてたこともあったな。確か妖介さんがセン出刃をやめるときだったかな……。「バンド続けろよ」っていう気持ちを込めた、愛情いっぱいのパフォーマンスだったと思うんですけどね。彼らはお互いをリスペクトし合っていたので。
死神 いつだったかのライブでは蛍光灯を割ってウンコも投げて、もうやりたい放題やってて。それで出番が終わったあと、「ウンコで服が汚れたじゃん」「物販で売ってるTシャツと交換してくんない?」って怒っちゃったお客さんがいたんですね。そうしたら物販をやってたクスコヘッド(Dr)さんが「うちも商売でやってますんで……」ってやたら渋って、結局無料交換に応じなかったのを見ました。
まい クスコさんらしい……! セン出刃のライブDVD(「センチメンタル出刃包丁の記録と妄想」)にも収められている、初台WALLでのパフォーマンスもすごかったですよ。ライブ中おしっこしたり、ビール瓶を割ったり、ケースを投げまくったり、とにかく危険なことをやってたら、すこぶる強面な店長がステージに上がってきて、なぜかボーカルではなく、ベーシストのヤミニさんの胸ぐらをつかんで激怒して。それでヤミニさん、「……申し訳ないとしか言いようがありませんッ!!!!」って謝ってて、あの至極真っ当な対応が忘れられないです。
死神 この初台WALLでのライブ、セン出刃側も相当気合いが入っていたみたいで。妖介さん、ライブ中振り回すために角材持っていったんだよね?
まい そうだったかも!
死神 いろんなバンドがいましたけど、セン出刃は飛び抜けて異常でした。
──以前ORANGE RANGEを流しながらひたすらオレンジを絞るユニットがいた、という噂を聞いたことがあるのですが……。
死神 顔がない(現:KAOGANAI)ですね。2005年の10月だったかな。
まい シニさん、よく覚えてるなあ。
死神 この時期のライブ、すごく記憶に残ってるんだよね……そうだ、ちょうど15年前の手刀だ(※取材は2020年10月26日に実施)。自分も出たんですけど、誕生日だったから「じゃあ生誕祭にしよう」ということで、会場スタッフが特別企画にしてくれたんです。で、顔がないはライブ中にひたすらオレンジを絞って、最後に全部こぼしちゃって。
えら ひどい(笑)。
死神 自分はトリで出たんですけど、もうステージがベットベトで……。終演後にメンバーがすごく反省してて、「次はMONGOL800を流してモンゴル人を800人動員するライブをやります」って謝られました。
まい まず、謝罪になってないし!
死神 手刀のキャパって200人でしたよね? MONGOL200になっちゃう。
──(笑)。過激なパフォーマンスを行うバンドは同時多発的に増えたんでしょうか?
死神 そうそう。もう過激競争でしたね。自分も組織暴力幼稚園がゴミ箱をぶちまけるパフォーマンスを観て、「こっちはもっと過激なことをやってやる」みたいな対抗心が生まれて、墨汁を吹いたり爆竹を投げたりしましたし、その競争がどんどん酷くなって……。
まい でも周囲が過激化していく一方、中学生棺桶はそういったパフォーマンスには走らなかったんです。あくまで音楽性を重視していて、むしろ過激なパフォーマンスを排除していった。そこが好きだったんです。
死神 同じアングラでも演奏面とパフォーマンス面、どちらを重視するかで分かれたんです。
ストイックな奴ら、地下に集合
──その後まいさんはかたすかし、えらさんは股下89でシーンに関わり始め、中学生棺桶は2011年メンバー変更に伴い例のKに改名するなど、徐々にシーン内の状況が変化していきました。
死神 中学生棺桶を中心としたシーンの盛り上がりは2010年頃がピークだったと思いますね。集客も人気もすごかったけど、中学生棺桶が改名したあと、ほかのバンドは解散したり活動休止しちゃったんです。
まい かたすかしは2004年頃から2011年初頭まで活動していたんですけど、このシーンに憧れて結成して、単純に観た人ががっかりするようなライブは絶対したくなかったし、お客さんにもバンド仲間にも「ウソをつきたくない」という気持ちがより強くなっていました。それで音楽性や、バンドに対する考えを突き詰めていくうちに相方と仲が悪くなっちゃって。私がそういうことに、より固執していた時期だったんだと思います。
えら ライブ中にも喧嘩してましたよね(笑)。
──えらさんもかたすかしはよくご覧になっていたんですね。
えら はい! もう大好きでしたよ。股下89を結成して1年ちょっと経った頃だったかな。当時立川BABELでブッキングスタッフとして働いていた狩野さんが企画に呼んでくれて。そのときにかたすかし、妖精達、殺生に絶望と初めて競演したんです。まいちゃんとは年が近いから、かたすかしを観たときは「同年代でこんなバンドがいるのか……!」ってビックリして。
まい マンモスうれPー! 2010年ぐらいだよね? その頃はバンド末期だから、ものすごい仲悪かったですね。もうなんか、メンバーの着てるTシャツの色にさえイライラしてましたからね……(笑)。でも、予定調和のないキリキリしたいいライブしてたかも。その後かたすかしは大ゲンカの末に解散して、私は例のKのメンバーになりました。
──先ほどまいさんは「お客さんにもバンド仲間にもウソをつきたくない」とお話ししていましたが、バンドマン同士の交流はどんな感じだったんでしょう?
まい 思ったことをスパッと言ってくれる人が多かったですね。「こういう部分はどう考えてるの?」「今、バンドがこんなふうに見えちゃってるよ!」とかちゃんと言ってくれる。おべっかもウソも一切ないからすごくためになったし、打ち上げでもバンドについて話し合うことがほとんど。楽しい日もあれば、言い返せなくて悔し泣きしながら帰ることもよくありました。でも、それが1人のバンドマンとして見てもらえて、認められたみたいでうれしかったし、居心地がよかった。内輪ノリでぬるま湯に浸かることは絶対になくて、みんな厳しい目で競演者を観てたんじゃないかな。
えら まいちゃんが「音楽履歴書」で「あのシーンにいた人たちはみんなまともだった」と語っていたんですけど、「すごいわかる!」って思ったんですよね。みんな真剣だったし、自分が取り組んでいることに対してとにかく真面目だったから、アドバイスも的確だったんです。親身になって観てくれて、正しい道のりを教えてくれるシーンだったという印象があります。
まい 「あのバンドに似すぎじゃない?」「影響受けすぎじゃない?」とかハッキリ言い合ってましたよ。ライブも「正直、今日はよくなかったよ」って言われることもよくありました。
えら うん。バンド間で距離がなくて、お互い意見が言える環境だった。
──ストイックな関係性があったからこそ、お互い高められたわけですね。
まい まあ、すごくプレッシャーもありましたけどね……(笑)。
えら そうですね。でも「話にならない」と思われたくなかったからこそ、「ナメられたくない」という姿勢が生まれたんじゃないかな。
死神 特に女の人はそういう思いが強かったかもしれないですね。これはアングラシーン以外でも言えることかもしれないけど、相手が女性だとナメた態度を取る人がよくいて。
まい そうですね……。
死神 性別やビジュアルを抜きにして、ちゃんと音楽を聴いてもらいたいのに。
えら ジェンダー問題は根が深いですよ。
まい でも、この界隈で「女だから」って蔑んだり、そんな態度を取られたことは一度もないです。その代わり、女の子だからって甘やかされることもなかった。取っ組み合いのケンカになりそうなときもありましたけど、女の子だからって手加減されるよりずっと気持ちよかったです。若かったから余計悔しい気持ちは強かったけど、だからこそ自分がやりたいこと、正しいと思うことを貫こうとする気持ちは強くなったのかもしれませんね。
──えらさんはそんなアングラシーンと関わりつつ、秋葉原CLUB GOODMANや新宿Motionを中心としたオルタナシーンとの交流もありました。そういったハイブリッドな関わり方は当時珍しかったのではないでしょうか?
えら 実はオルタナシーンって、特定のジャンルやシーンの人たちが意識的に集まっていたわけではなくて。独自の音楽性を追求していた各バンドがある時期に偶然交流し、面白いイベントが行われたという感じだったんです。同じ会場やシーンを拠点にしていたバンドは少なくて、いろんな場所で活動する人たちが一時的に集合するというイメージですね。
──なるほど。
えら そこからメジャーに進出する人もいれば、あえてアンダーグラウンドな道に進む人もいました。最近改めてアングラシーンを振り返ってみたら、現在も現役で活動している人が多いことに気付いたんです。手刀や二万電圧の5年前のスケジュール表を見たら、今でも出演しているバンドやミュージシャンがいっぱいいて。これってほかのハコだとあんまりない現象ですよね。そこもアングラシーンならではの特徴かもしれないです。
死神 ライブ活動は生活の一部だから、もう努力とかじゃないんですよね。ごはんを食べるのと同じような感覚になってます。
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