福井城跡(福井県福井市) (original) (raw)
【 福井城跡 】 評価 ★★★★
別 名: 結城北ノ庄城、福居城
所 在 地: 福井市大手3-17-1
築城年代: 慶長11年(1606)
築 城 者: 結城(松平)秀康
区 分: 平 城
現 状: 福井県庁、市街地
慶長5年(1600)、徳川家康の次男・結城秀康が関ヶ原の戦いの戦功によって越
前・北ノ庄68万石で入封すると、慶長6年(1601)、柴田勝家の居城であった北
ノ庄城を取り込む形で知行割を行い、築城を開始。
慶長9年(1604)、秀康は松平姓を名乗ることを許され、名実ともに徳川一門の
居城として、全国の諸大名による御手伝普請によって、慶長11年(1606)、6年
の歳月を経て完成した。
寛永元年(1624)、福井藩3代藩主・松平忠昌は、北の字が敗北にあたり不吉で
あるとして、北ノ庄から福居と改称(さらに後に福井と改名)されている。改名の経緯
に関しては諸説あるが、一説には北ノ庄城内にあった福の井という井戸に因んだものと
推察されています。
( 平成29年に整備された「福の井」 )
寛文9年(1669)、望楼型4重5層の天守が焼失。同様に類焼した本丸南西隅の
二重巽櫓を三重に再建し天守の代用とした。天守はその後藩財政の悪化や幕府への配慮
もあって再建されることはなかった。幕府から再建許可が下りなかったとの説もある。
( 福井城跡 天守台 )
明治4年(1871)、廃藩置県まで松平氏の治世は続いたが、同年、福井藩は城の
解体を新政府に願い出る。明治6年(1873)、旧城地は陸軍省管轄となるも、明治
12年(1879)、旧藩士たちが同地を借り受けて開墾をすすめ、明治23年(18
90)、松平茂昭が福井城跡を買い戻している。
明治26年(1893)、松平康荘によって旧城内に農業試験場・松平試農場が設立
され、大正11年(1921)、細呂木村山室口(現在のあわら市)に移転するまで続
いている。
平成20年(2008)、御廊下橋が復元。平成30年(2018)には山里口御門
が復元され、県都デザイン戦略の一環として福井城跡と周辺史跡の整備は続いており、
今後の活用が望まれています。
( 御廊下橋および山里口御門 )
県庁内の一郭に天守台・御廊下橋・山里口御門もあり、福井市の観光地そして地域住
民の散歩など憩いの場となっている。
藩主御座所のあった三の丸も公園として整備されており、今後の活用に期待したいも
のである。
(参考資料)
現地配布パンフレット
現地案内板