⚔3)─3─乱世は寒さで始まり、戦国時代は気温に左右されて動いていた。~No.7 (original) (raw)

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・ ・ {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本の歴史は寒冷の歴史であり、日本の文化は寒冷の文化である。
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2024年10月13日 YAHOO!JAPANニュース「乱世が始まったのは寒さが原因? 気温に左右された戦国時代の戦について
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。長く苛烈であった2024年の夏も10月に入ってようやっと終わりを迎えようとしておる。現世では地球温暖化の影響で段々と暑くなっておるそうじゃな。 我ら名古屋おもてなし武将隊は週末に名古屋城にて演武を執り行っておるのじゃが、今年の夏は熱中症の危険のために中止になることが多かった。現世では暑さによって様々な問題が起こっておるが、我らが生きた戦国時代は寒さによって命が危ぶまれる時代であった。現世とは対極の問題を抱えておったわけじゃ。此度は我らの時代の気温について話してまいろうかのう。
気温の低下が生んだ戦国時代
戦国の乱世は何故始まったのか。
室町幕府による政治が安定しなかったことやそれに起因する応仁の乱、あるいは嘉吉の変によって将軍・足利義教様が暗殺され幕府の権威が失われたことが直接具体的なきっかけである。
じゃが、国が乱れたことには背景として度々起きた凶作と飢饉も関係しておる。
我らの時代は小氷河期と申して、今よりも寒い時代であった。気温の低下によって作物が十分に育たなかったのじゃ。
天文9年(1540)ごろに起きた大飢饉では日ノ本中で甚大な被害が出てな、数千万人の犠牲者が出たとの記述も残っておる。
数千万という数字はいささか多すぎるで盛って書いておるのかも知れぬが、戦国真っ只中で朝廷や幕府が満足に対策を講じることもできずにさらに日ノ本が混乱する一因となった。
よって生活に困窮した民による一揆が多発し、地位の高いものが富を独占しておった世の在り方が変わっていったというわけじゃ。
守護大名の力が失われ地方の有力者によって治世が行われるいわゆる下剋上が起こったのにはこのような世情が大きく関わっておる。
戦国武将が戦で領土を拡大しようとしたのは名を上げるためだけではなく、領民を養うために豊かな領土を求めたとも言えるわけじゃな。
寒さに難儀した戦国の戦
当時の寒さを示す話をひとつ紹介いたそう。
天正10年(1582)、甲州征伐にて武田家を滅亡させ帰途につく織田軍を嵐が襲った。
豪雨と大風による寒さで数多の者が凍死したのじゃ。
これが起こったのは3月26日、現世の暦では春先であろうが我らの時代の暦で申せばもう春も後半である。
この時代においても滅多にあることではなかったが、寒さを示す話であろう。
我らの時代のことを記した書には、しばしば行軍中や城攻めの折に寒さによって軍が損害を被った記述が出て参る。
そしてそもそもの話であるが、北陸や東北など雪が多く寒い地域は冬には戦ができなかったのじゃ!!
兵に多くの損害が出ることはもちろん雪で道も閉ざされておるで、冬に戦を起こせば無為に兵力と兵糧を失うこととなるでな。
この制約が歴史を左右したとも言えるのが賤ヶ岳の戦いであるな。
秀吉と天下分け目の争いをした柴田勝家様が治めておられたのは越前国、現世の福井県である。今でも雪が多い地域じゃな。
勝家様は秀吉との対立が明白となった後、秀吉がいる畿内へ軍を進めたかったのじゃが雪のために進軍が難しく雪解けを待って兵を上げることとなった。
じゃが、その反面畿内におる秀吉は自由に動き回ることができた。
柴田軍が動けぬうちに軍備を整え、あるいは調略にて味方を増やし万端の準備を持って有利に戦に臨むことができたのじゃ。
柴田軍は雪解けを迎え、待ち構えておった秀吉の軍相手に善戦するのじゃが最終的には秀吉の勝利となったのは皆も知るところであろう。
こういった制約がなく、自由に動き回ることができたならばもしや歴史の勝者は変わっておったかもしれんな。
賤ヶ岳が分かりやすい例であるが他にも、朝倉や上杉が勢力を伸ばしきれなかったことや東北の勢力争いが混沌としておったことも戦国の世の寒さは関係しておると言えるであろう。
寒さは食料問題を引き起こし、戦においても大きな妨げとなっておったのじゃな。
ちなみに、この時期がえらく寒かったは太陽の活動が弱まったことと、火山活動が活発化したことが主な理由であるそうじゃ。これに加えて14世紀に欧州にて黒死病が大流行したことと、日ノ本にも攻め寄せた元(げん)が多くの国を滅ぼしていたことで一気に地球の人口が減ったことも、気温低下の一因ではないかともいわれておる。
誠のことかは分からぬがな!
暖かかった平安時代
戦国時代と対照的なのが2024年の大河ドラマ『光る君へ』の舞台である平安時代じゃ!
今から1000年前のこの時代の気温はどうやら現世の気候とも似通っておるようで実に温暖あったと言われておる。
詳しくは長寿の木の年輪を調べるなどの方法で予想できるそうなのじゃが、平安時代の書には夏が暑くて早く秋が来てほしいという歌も残っておるし、台風や驟雨(現世でいうところのゲリラ豪雨)、干ばつなど暑さが元となった自然災害の記録も多く残っておって当時の気候を感じ取ることができる。
透けて見えるほどに薄い現世で申すところの”しーするー”の衣が部屋着として用いられておったり、かき氷が食されておったりと現世とも共通するところも数多あってこれもなかなか興味深い。
無論、かき氷は一部の貴族しか食べること叶わんかったがな!
気候のためもあってか平安時代は平和な時代であれたと言えるやもしれんな。
終いに
此度の話は如何であったかな。
現世と我らの時代、そして平安を気温で比較して参った。それぞれの時代の色に気候が影響しておったというのはなかなかに興味深い観点であろう。
して、現世ではようやっと季節が秋らしくなって参った!
秋といえば行楽、そして食である!
秋は紅葉もあって城も巡るに最も適しておるで、山城に挑戦するのも一興であろう。
過ごしやすい今の時期だからこその楽しみを見つけては如何であろうか。
それでは此度の戦国がたりはこれにて終いといたそう。
また会おう、さらばじゃ!!
文・撮影=前田利家名古屋おもてなし武将隊
前田利家
名古屋おもてなし武将隊
名古屋おもてなし武将隊が一雄。
名古屋の良き所と戦国文化を世界に広めるため日々活動中。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』をきっかけに、戦国時代の小話や、戦国ゆかりの史跡を紹介している。
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