日々のおでかけ記録 (original) (raw)

今年、初めて函館に行ってきました。その時に訪れた、歴史ある建物と窓から見える景色が素敵なお茶のお店をご紹介。

訪問:2024年5月

函館山のふもとの喫茶

函館市の名所、函館山のふもとと言える場所。

最寄りの電停からしばらく歩いていくと、かわいらしい建物が見えてきました。

このお店に行くために歩いてきましたが、無事入店できました。

今回のお目当てである**ティーショップ夕日**です。

店内から見える海がとてもきれいと聞いていましたが、海側が埋まっていたのでまずは手前の席に案内してもらいました。

ウェルカムドリンク的に、お茶がいただけます。

海側が空いたら案内してもらえるということで、とりあえずこの席を楽しむ。

年季の入った建物に調度品。ここだけでも古い建物好きとしては十分にありがたいです。

とは言っても窓越しに海側席の様子が見えるので、やはりあちらに行きたいなとは思ってしまいますね…笑

このアングルでも画になります。

注文したお団子セットが届きました。

ほうじ茶と自家製漬け物までついて800円…!

しかも米粉は函館のものらしい。。全部がおいしかったです。

しばらくゆっくりしたところで、海の見える席へ案内していただきました。

木の窓枠から見える景色がもう素晴らしすぎる…!

良く晴れた日だったので、函館湾の青に遠くに見える山並み、空の青さがとてつもなくきれいでした。

時刻は15時半で、日が傾き始めた頃でしたが、もう少し後だったら店名にもある夕日が素晴らしく見えることでしょう。

建物好きとしては、風景だけでなく内側にも注目してしまいます。

明治の初期に建てられた木造建築です。詳しくは後ほど。

お隣の席はドアがありました。

外には階段と門があるので、昔はこちらが表の出入り口だったのでしょう。

お茶と景色を堪能したのでお会計へ。

途中にあったテーブル席のあるお部屋も、すごく雰囲気があって見入ってしまいます。

あの椅子とテーブルは当時から使っていたものなのでしょうか。

複数人で予約して行くのもありですね笑

黒板に書かれている本日の日没時刻

こちらのお店のおもしろいところは、営業終了時刻が日没の時間となっているところですね。

夕日の時間が終わったら営業も終了するというこだわりも良いです。

函館検疫所について

レジのあたりに掲げられている

お店を楽しんだので、次は建物に注目します。

こちらの建物は、元は函館検疫所台町措置場という政府によって設置された施設の事務所でした。

下見板張りの外壁がいかにも洋風建築という感じ

横を通って正面のほうへ向かう。

この施設が設置されたのは開国して間もない1885年。

検疫所は主要な港に置かれたようですが、現存するのはここだけみたいです。

建物の正面にあるものとは別の門がありました。

函館湾内が一望できます。

降りたところにある看板と階段。

こちらは別の建物に続く階段だったのでしょうか。

これほどの建物ですが、市の景観形成指定建築物等になっている以外には文化財などには指定されていないようです。

建物正面にある階段はきれいに整備されていました。

西日を受ける明治時代の洋風建築がなんとも良い。

こちらの建物は2006年頃に整備され、2014年から現在の日本茶のお店としてオープンをされたようですが、どうやら今月で営業が終了するようです(記事を書くにあたって検索をして知りました。。)

建物はもちろんお茶もおいしかったので、また函館に行くことがあったら是非寄りたいお店だと思っていましたが…寂しいですが行っておいてよかったとも思います。

また何か素敵なお店として再オープンしたら嬉しいです。

こちらは以前のブログからの引っ越し記事です。

前回に引き続き、学士会館のお話を。

昭和初期に建てられた頃からの雰囲気を大切にしていることもあって、見どころがたくさんでした。

訪問:2022年12月

階段

どこから紹介しようか迷うところですがまずは階段から。

こちらは受付の近くにある階段。

赤いじゅうたんがリッチな気分にさせてくれます。

独特な金具

階段そのものも、手すりも窓も壁もこれだけで泊まる価値があるな~と思わせます。
調和ぐあいがすごく良い。

擦り減っている手すり

窓も特徴的で綺麗ですね~決まったパターンで色ガラスが組み合わされています。

階段を上がった先です。

PRIVATEのドアもなかなか古そうで味がある。

こちらはもう一つある入り口のほうの階段。

エレベーターと並んでいます。柱がとても印象的!

柱とエレベーターの周りの石材もとても気になるものですが、注意書きのフォントもこだわりが感じられておもしろい。

これはどこにあったものだったっけな…手すりの曲がり具合がすごかったので撮りました。昔からあるものなのでしょうか。

入り口まわり

ここからは入り口周りを。

この南側入り口がおもしろくて色々見てしまいました。

こっちはメインではないような雰囲気がしていましたが、階段はどっしりとしていました。

天井の装飾も細かい…!照明か何かを吊り下げていたりしたのでしょうか。

入り口側の低いところには謎の扉。

金庫がこんなところにあるとは思えませんし。これはいったい...?

中扉も彫りが細かく入っていました。「押」の文字が独特。

手で押す部分は金ピカです。

外の扉はどうだったのかと振り返ってみると、こちらも金色でした。

メッキがはがれかけている「_此のツメを押して下さい_」という文字に歴史を感じてしまいます。。

北側の正面入り口のほうはけっこう小ぎれいな感じでしたね。

赤いじゅうたん敷きでこの窓と格子(?)という組み合わせはとても豪華な感じがします。

ライトアップされた学士会館

その晩、赤坂までライブを観に行ってからの帰りに。

明かりに照らされた姿も美しいですね~

タワマンやビルに囲まれながらも貫禄があります。

お散歩だとしたらこれを見られただけでも良い気分になるでしょう。

どちらの入り口から入るか迷ってしまう

屋上へ上がる

翌朝、天気がいいので朝食の前に屋上へ上がってみました。

外に出ると屋上庭園のようになっていました。

共立女子大と小学館のビルが見える。

高いビルとスクラッチタイルの対比

屋上まで上がる階段のある棟。

アーチ状の窓がかわいい。

今いる部分は1937年に増築された新館です。

消火栓と化粧室の表示も良かったです!

この網々の蓋があるだけでかなり景観が良くなります。

河合楽器 第7号オルガン

一階南の片隅に、ひっそりとオルガンが置いてありました。

建物の雰囲気に合うデザイン

このオルガンは昭和30年代から流通していたようです。

河合楽器のHPを見ると、"昭和30年にオルガンの製造を開始"とあるので、初期のモデルなのでしょうか。

音色がとても気になりますが、弾かれる機会はあるのでしょうか。

その他良かったところ

色々と良かったところを挙げてていきます。

地下には予約制の理容室があるようだ…と思ったら2020年末に閉業していた。

階段のスクラッチタイルが素晴らしいですね。

学士会館という名前にふさわしく、ふとしたところに本棚が置いてありました。

共有スペースにある椅子の座り心地はとても良かったです。

昭和な感じのお手洗い

踊り場にも品の良い机とソファ

一階にある談話室。洋館って感じがします。

結婚式場や会合の場としても使われる学士会館ですが、この一室だけでも十分使えそう。。

様々な発祥の地

最後に学士会館にある記念碑をまとめました。

まずは日本野球発祥の地

つまり日本における大学の発祥の地となります。

この地に学士会館があるのも必然か

最後は発祥の地ではないですが、**新島襄の生誕地記念の碑**。

以上、学士会館をじっくりと見てきましたが、今回宿泊してとても良かったと思いました。

本来は旧帝大の出身者のための施設ですが、縁のない者にも開放されていてありがたいことです。

一階にはその旧帝の七大学に関する展示コーナーもあります

前回も書きましたが、旧帝大出身で学士会に入っている人なら9020円、それ以外の人でも11000円で泊まれるので、よろしければ是非。

掩体壕とは、軍用機を空襲などから守るための設備ですが、戦前・戦中に造られたものが役目を終えた今でも残っている例が各地に存在します。

今回は戦中に旧陸軍が使っていた、調布飛行場の近くに残る掩体壕を二つ見に行きました。

前々から掩体壕は気になっていましたが、地元やこれまで住んだ場所の近くには無かったので、ここでやっと見ることができました。

訪問:2024年3月

白糸台掩体壕

西武多摩川線白糸台駅から少し歩いた住宅街。

甲州街道のすぐ脇に**白糸台掩体壕**が保存されています。

実は掩体壕を生で見たのはこれが初めてでした。

なかなか大きい。。この周辺の掩体壕は、1944年に造られたものだそうです。

案内看板。飛行場から掩体壕のことまで、詳しく記されています。

3か月のうちに有蓋(ここみたいなタイプ)、無蓋(簡素なタイプ)併せて60基も建造されたようですが、現存するのは4基のみという。

中には入れないようになっていますが、柵越しに見てみる。

飛行機を模したロープが張ってあって、イメージがしやすいです。

80年前に急ピッチで造られたこともあってか、さすがに劣化が見うけられます。

こちらは史跡に指定されて整備をされているので健在ですが、年月の長さが感じられます。

鉄筋がむき出しになっている

裏手から。こんもりとしたアーチが特徴的ですよね。この人工物感に惹かれてしまう。

ネットで検索をすると整備前の様子も出てきましたが、よく保存を決めてくれたと思います。

広島の被爆樹木二世も植えられています

周辺の史跡マップもありました。

他の戦争遺構も気になりますし、近藤勇の生家跡なんかも近くにあるんですね。

白糸台掩体壕はじっくり見たので、次はこのマップにも載っていない掩体壕を見に行きます。

朝日町掩体壕

白糸台掩体壕から少し歩いた住宅街のど真ん中。

こちらの朝日町掩体壕(名前はグーグルマップより)は個人の敷地内にあり、これ以上詳しく見ることはできません。

白糸台掩体壕で見た看板によるとこちらが出入り口だったようですが、今ではコンクリートブロックで塞がれて窓までついています。

倉庫か何かとして有効活用しているようですね。

サイドに回ってみます。

畑越しに、アーチが地面に潜る部分を見ることができました…笑

そして横からの風景がこちら。家々の隙間から、アーチのてっぺんあたりを見る…

グーグルマップやストリートビューで横から姿を見られることは確認していましたが、つい最近になってお家が建ったそうです。

これが出入り口側ですね。

どうやってもこれ以上は見られないので、ここで終了です。

現存する4基の中で唯一整備されていないのがここですが、残っているだけすごいと思います。

きちんと保存されたものから、放置状態なものまで色々な掩体壕が各地の空港や基地の近くに残っているので、これからも機会があれば見に行きたいものです。

こちらは以前のブログからの引っ越し記事です。

たまには良い宿に泊まりたいと思い、**学士会館**へ宿泊してきました。

昭和初期に建てられた重厚感ある佇まいがたまりませんでした。

建築についてはまた書きますが、まずは宿泊の様子を。

訪問:2022年12月

学士会館へチェックイン

神保町駅から地上に出て皇居のあるほうへ進むと堂々としたたたずまいの建物が現れます。

大正末期から建設が始まり、**開業は昭和3年**。

まさかこちらが今回の宿だなんて。

受付のある正面入り口は小学館集英社が並ぶ通りに面しています。

会合の場や結婚式場としても使われることもあってとても立派。

この棟は昭和12年に増築した部分

もう一つの出入り口。

増築前はこちらがメインの出入り口だったと思われますが、やはり造形が凝っています。

二基の灯籠は金属供出で失われたのを復元したものらしい。

チェックイン前に一周しました。

ダクトがあるものの裏手も変わらぬデザイン。

華やかな印象のある正面も好きですが、こういった裏手の雰囲気も好きです。

シングルルームに宿泊

普通のホテルと全く変わらないチェックインを済ませて客室へ。

ここからは宿泊者しか立ち入れません。

普段は安いビジネスホテルばかりなので、歩いているだけでも特別な感じがします。

こちらが今回のお部屋。シングルルームです。

客室は全部で24室で、そのうちシングルは14室あります。

部屋の全体的な雰囲気は少し古いかなという感じで落ち着きます。

昭和初期に増築した部分ですが、見た目からはわかりません。

机にテレビ、電気ケトルなど一般的なホテルにあるものは揃っています。

引き出しの中にはLANケーブルと電源タップ。

コンセントが少なかったので電源タップはありがたかったです。

冷蔵庫は小さめ

風呂は後付けされた箱のようなタイプですが、とてもきれいでした。

そのお隣のトイレも現代的。

セパレートなのはありがたいですね~

剥き出しの洗面台が備え付けられている部屋は初めてですね。

洗面台が独立しているとやはり使いやすいです。

基本的なアメニティやドライヤーももちろん用意されています。

そのお隣にはクローゼット

これ、お風呂の照明のスイッチなんですが、凝ってますね~こんなところも雰囲気を大事にしている感じがします。

それと、部屋のドアもやはり普通のホテルとは違うというか。

お屋敷って感じです笑

お水のサービスがありました

誕生日と同じ部屋番号

チェックイン時に貰ったもの。入浴剤は何種類かから選べました。

また、朝食は部屋代に含まれていて、洋食か和食を選べます。

あとはレストランの割引券も貰えました。

お部屋の照明。

シェードのうねうね具合がかわいいです。

窓は少しだけ開きました

窓から見る外壁も味があります。

窓の下にある、なんと呼んでいいかわからないアレが良いですよね~

名建築での朝食

扉の周りがすごい

一晩過ごしまして、朝食の様子を。

一階のはしっこにあるレストランが会場です。

レストランはなんとも優雅な雰囲気でした。

これはディナーに来ても良いことまちがいなしですね。

この建物の雰囲気には合うかなと思い洋食を選択。

オムレツは注文してから焼いてくれます。

見上げると素敵なライトが!

中のこういったものがいつ頃に造られたものかはわかりませんが、建物とすごくマッチしています。

窓から通りの様子を眺めながらの朝食はとても充実感がありました。

たまにはこんなところでゆっくり食べるのも良いですね。。

学士会館での一泊はとても良いものでした。

シングルの料金は朝食込みで11,000円でしたが、旧帝大の同窓会である学士会の会員だと9,000円くらいで泊ることができるので旧帝出身の方にはとくにオススメかもしれません笑

また、建物自体もとても良いところがたくさんあったので、おいおい記事にしたいと思います。

こちらは以前のブログからの引っ越し記事です。

橋本遊郭跡シリーズの最終回です。
橋本の香(見学の様子)と美香茶楼(見学の様子)という二つの元妓楼の建物の見学を終えた頃には外は暗くなり始めていました。
時間も時間なので、メインストリートである大坂街道を端まで歩いてみることだけ決めました。

訪問:2022年1月

大坂街道を京都方面へ

まずは美香茶楼のお向かいにあるこちら。

正面の立派さもさることながら、横も道に面しているため奥行きが良くわかります。
銀行の地図記号のような窓がユニークです。

逆サイドからの眺め。
外壁の木材がくすんだ色をしていて渋い。。

あと今気づいたんですけど、手前にある雨どい的なものの造形がすごいですね。

横面にある出入口には素敵な雨よけが。

上の白い部分には屋号が入っていたのでしょうか。

街道へ戻ります。

妓楼ではないかもしれませんが、二階に欄干のあるお宅。

そして少し歩いたところにある多津美旅館。こちらはたいへん有名な物件です。

外から見るステンドグラス

数々のステンドグラスやダンスホールだった部屋など、一度は見てみたいものがたくさんあります。
いつか泊まりたい。。

堂々たる間口の広さですね

真っすぐだった街道が直角に曲がるところにある建物も立派なものでした。

二階の手すりや一階の格子も良いものですが、玄関の欄間にある透かし彫りも素晴らしい!

明治2年のもの

街道のつき当たりには、橋本の渡し跡を示す道標が立っています。

この橋本という地名は、淀川を跨いで対岸の山崎(現・京都府大山崎町)まで架かっていた橋が由来だとか。

その橋も洪水の被害にあうことが多かったため、渡し船で川を渡るようになったようです。

この辺りは今でも橋が架かっておらず、対岸まで行こうとするなら大回りをしなければなりません。

そのまま淀川方面へ進み、手前にある大谷川の上から橋本の町を見ます。

裏から見ると、どの建物も三階建てのような構造になっているのがわかります。

こういう風景はなかなか見られないなあ。。

京都方面を見てみると、こちらもインパクトがあります。

右側の建物は崩壊が始まっており、危うい感じ。

左の堤防を越えると淀川(厳密には宇治川?)

裏側は表側に比べると少し生活感が感じられるような気がします。

全盛期はどんな雰囲気だったのでしょうか。

再び町に入り駅を目指します。

先ほどの崩壊が始まっている建物は歯科だったようです。

橋本駅へ戻る途中の道は大坂街道です。

こちらにもまた良い建物があります。右下のウネウネが特徴的。

二階の雨戸が閉じているのもこれはこれで良いですね。

駅までの道のどこか。細い路地があるとつい見に行きたくなっちゃいます。

これもどこで見たか失念…空き地の端にタイルだけが残ります。

昔どんな建物が建っていたのでしょう。

いろいろ寄り道をしつつ橋本駅へ戻ってきました。

駅前にある飲食店、やをりきはこの地に降り立った人がまず目に入れるものでしょうが、こちらもなかなかレトロな雰囲気。

京阪に乗って向かった京都にて

というわけで今回の橋本遊郭跡の散策は終了です。

想像していた以上の密度で、どこを歩いても特有な意匠をもつ建物に出会うことができました。

空き地がちらほらあったので、これでも前よりは数は少なくなっているんでしょうね。

ここで出会った橋本の香のように保存をされていることのありがたさが身に沁みました。

今後も積極的にこういう風景を見に行きたいと思ったのでした。

前回のボイラー室に続き、鹿島海軍航空隊跡の建物です。

個人的にはボイラー室と甲乙つけがたいくらい好きな場所でした。

niwakanegon.hatenablog.com

訪問:2024年3月

ボイラー室からさらに奥、公園の最奥部といっていい所に自力発電所はあります。

外から見ると壁も天井もだいぶ剥がれ落ちていて、インパクトが強い。。

近くにある謎の構造物と、案内の看板。

「自力」が何を意味するのかは調べてもよくわかりませんでした…

端っこにある小さな出入り口から中へ。

本当に中に入っていい建物なのかと思ってしまうくらい荒れていますね。

中の光景を見て、入り口で立ち止まってしまいました。

外から見た以上に荒廃した様子が広がっています。屋根なんかほとんどありません。

超広角で見るとこんな様子。

たぶん中央の空間に発電機などがあったのだろうけど、基礎部分だけになっています。

上にあるU字のレールも、左側にある小部屋も気になる。。

傍らに集められた碍子。発電所っぽい。

部屋の中央にある基礎。ところどころ掘り込んである部分もあります。

どんな機械がここに存在していたのでしょうね…今では知る由もありませんが、管理者の方々が写真などを持っていたりしないでしょうか…笑

入り口のほうを振り返る。

廃材が目に入りますね。放置されていた年月を感じさせるものです。。

天井にあるレールは機械を扱うためのものでしょうか。

U字のレールと天井のトラス。

青空が垣間見えるので、晴れた日でよかったと思う。

最も奥の方には「高圧受電盤」と書いてある機器が据えられています。

電気を受け取って電圧を調整するためのものらしい。発電所っぽい…!

つる植物の残骸が絡まっているので、季節によっては見にくいかもしれませんね。

こちらは入り口左側にあった小部屋の内部。

ここだけ木材が散乱しています。

何の部屋かはわかりませんが、発電所のモニタールーム的な部屋だったとか…?

改めて室内を見る。ほぼ骨組みだけになったような状態の建物の中で枯れた植物が絡まる光景が、打ち捨てられた植物園のよう(そんなの実際に見たことはありませんが笑)

夏場に来たらまた別の印象を感じられそうですね。

帰り際にボイラー室(手前)と発電所跡(奥)を眺める。

この手前にもいろんな建物があったのだそうです。

無くなった建物も多いのに、ほぼ手つかずの状態で公開してくれたことに感謝です…!

米軍撮影の空中写真を加工して作成。 (1949年撮影)

最後に、終戦後の航空写真を。赤矢印が発電所で、青矢印がボイラー室。
まだ多くの建物が残っていますね。

茨城県美浦村霞ケ浦のほとりにかつての海軍の遺構、鹿島海軍航空隊跡があります。
つい最近の2023年の7月から大山湖畔公園として一般公開が始まりましたが、今回はその中から汽缶場(ボイラー室)の跡を取り上げます。

訪問:2024年3月

汽缶場 外観

案内看板。よくわかります。

昔は色々な施設があったんだろうなという空き地にいくつかの建物が残る公園内。

その中の一つが、今回取り上げる汽缶場です。

建物の前に残る焼却炉。そこまで古いものではない?

背の高い煙突を備えているところが発電所らしい。

壁はかなりボロボロで、残っているだけでも奇跡的な感じがします。

こちらが入り口。隙間風入り放題で廃墟感満載ですね。

きちんと整備して一般開放してくれる施設も良いですが、一方であまり手を加えずに見せてくれる施設もありがたいものです。

汽缶場 内部

内部もとても良かった…!

天井の骨組みや飾り気のない壁に床、それに何と言ってもボイラーとレンガの土台。

外側と同じように、使われなくなったときのままのような状態なのがまた良いです。

やはりこちらが気になります。

この建物の主役、ボイラーです。配管もつながったまま。

ここで水を沸かしてたんですね。

奥にある方が径が大きいですね。

筒が二つある**ランカシャーボイラー**という種類のボイラーだそうです。

その名の通りイギリスが発祥のようですが、こちらは国産。

左の蓋には『東京 安藤鐵工所 月島』右には『昭和十四年 製造』とあります。

すっかり錆びた様子に85年の年月が感じられる気がします。

看板には4台のボイラーがあったと書いてありましたが、現存しているのはそのうちの2台ということでしょうか。

向こうにも色々物がありますし、どこに設置されてたのでしょう?

横のスペースにある、メーターやハンドルが付いた機器。

ボイラーには詳しくないのですが、それ関連の何かでしょう。

部屋の隅にはまた何に使っていたのかわからない装置が。

特に解説もなくとりあえず見せてくれるスタイルも好きです。

入り口付近には小さな部屋がありました。

何として使われていたのかはわかりません。

最後に建物の外にある煙突を見ました。高さは32メートルほど!

汽缶場を象徴するような存在で、遠くからでもよく見えたんだろうなあ。

今回は以上。あまり手が加わっていなく、時間の流れに任せた状態で見られたのが良かったですね。

これ以外にもとても見ごたえのある公園だったので、他の建物についても記事を用意したいと思います。