旧芥川宿とイスラム調のヴォーリズ建築・高槻市 (original) (raw)
北口を出て少し北西に歩くと、ちょっと懐かしい雰囲気の商店街があります。
ゲートには、芥川商店街とあります。
高槻市内で最も古く、昭和初期から形成されてきた商店街のようです。
アーケードの長さは、東西約200m。
入口を入ると、左手に「のり・しいたけ・味付のり製造販売店」の看板。
でも、店頭に並んでいる商品は、手編みの帽子や手づくり小物。
おもしろいですね。
1939(昭和14)年創業の、古い花屋さんの本店も。
字体が、いにしえ感を醸し出しています。
昔ながらの商店街には、よくある煙草屋さん。
カフェの隣では、社交ダンスもやっています。
表はおしゃれな食料品店さんですが、母屋には年季が入っています。
あっ、商店街の中に旅館が。
こちらの割烹旅館・亀屋さんは、外観では分かりませんが、現存する昔の鬼瓦に「天保四年」(1833年)と刻まれているようです。
今から約300年前の古地図にも、現在地の少し南西に記されているようですから、商店街で最も古いお店なのかもしれません。
囲碁サロンもあります。
お寿司屋さんの「料理センター」って何だろう。
ここで、芥川商店街の出口です。
歴史を感じる商店街でしたが、シャッターが降りている店舗も少なく、決して錆びれた商店街ではありませんでした。
出口の前には、先ほどの料理センターも経営しておられる八百鶴本店さん。
こちらも1907(明治40)年創業と、かなりの老舗。
店名は、もともと八百屋さんだったことから来ているようです。
このお店の西隅には、小さな祠と説明が。
「芥川仇討の辻」とあります。
江戸時代初期に、14歳の少年が、この場所で虚無僧に身をやつした父のかたきを討ち取ったようです。
祠の横には、一里塚の方向を示す表示。
そう、ここは西国街道です。
少し南に、「芥川一里塚」がありました。
江戸幕府が、主要街道の一里(約4km)ごとに築いた塚の一つです。
当時のままなのでしょう、塚には榎(えのき)が残されていました。
榎がそのまま残っている一里塚は、今や貴重なのかも知れません。
このあたりが、芥川宿の中心部なのでしょうか。
西国街道は、塚の前で西に曲がります。
すると、すぐにいかにも古そうな街道の酒屋さん。
創業は、1832(天保3)年。
掲げられた木製の看板が、味わい深い。
お店のおかあさんに、大名が宿泊した本陣が、以前はこの少し西に残っていたと教えていただきました。
本陣の痕跡は、今はまったく残っていないようでした。
街道沿いの家々の前に敷かれた石の縁石は、大名の通行時に、ここから後ろで頭を下げるという目印だったようです。
芥川宿の裏路地には、当時の風情が残ります。
排水桝のふたも、コンクリートではなく厚い石板。
こんな古い土蔵の倉庫もありました。
ここで、西国街道を折り返します。
一度、北へ曲がり、ふたたび東へ曲がります。
旧街道には、道の曲がりはつきものですね。
このあたりにも、芥川宿の旧家が残っています。
厨子二階に虫籠窓(むしこまど)が見えます。
ここから西国街道は、しばらく北西にまっすぐ続きます。
街道沿いでは、古い道標に出会います。
これは、「正徳太子之作 くわんぜおんぼさ(つ)」とあり、少し北にある廣智寺への道しるべ。
「明和4年」(1767年)に立てられたようです。
しばらく歩くと、「能因法師墳 是従北方三町餘」と記した道標。
北へ300mほど行くと、百人一首にも登場する平安時代の歌人、能因法師のお墓がありますよという表示です。
近くには、傷んで読みにくいですが、大きく「花之井」とある道標。
能因法師が使っていた井戸である花の井を、案内しています。
次の辻で街道を離れ、南へ曲がるとすぐに歩道橋があるので、少し登ってJR京都線を越えます。
先ほどの芥川宿や芥川商店街は、もう高いビルの向こう。
大阪医科薬科大学の東門があります。
大学構内におじゃまします。
いきなり目に入ってくるのが、なぜか京大化学研究所。
かつて、ここには京都大学が、施設を置いていたようです。
石碑のとおりだとすると、1926(昭和元)年の建物でしょうか。
校舎のあいだを抜けて少し南へ行くと、目指す建物がありました。
大阪医科薬科大学歴史資料館です。
もともとは「別館」と呼ばれていたようです。
1930(昭和5)年に、本館や解剖棟などとともに、W.M.ヴォーリズの設計で竣工しています。
ヴォーリズは、1905(明治38)年にアメリカからキリスト教伝導のために来日し、アマチュアから始めて1000棟を超える建築設計をおこなったすごい人です。
現在では、この別館だけが残り、歴史資料館として使用されています。
西側の側面。
正面の上部です。
小さな凸型や、アーチが連続する意匠。
2つのアーチ窓をまとめるデザインは、先端が玉ねぎ状の尖頭アーチ。
珍しいと思いますが、キリスト教の伝道者であるヴォーリズが、イスラム様式を取り入れているようです。
エントランス横の付柱の先端も、玉ねぎ状。
ここは医科大学です。
医学のルーツのひとつである中世イスラム世界への、ヴォーリズの敬意が示されているのかも知れません。
エントランスの上部。
八弁の花のレリーフ。
デザイン化されたスクラッチタイルもありました。
帰りは、多くの人で賑わう高槻センター街に立ち寄り、
銘菓の里・井づつさんで、
高槻銘菓の「高槻城」と「西国街道」を、おみやげに買いました。
大阪にあって、京都にも近い高槻。
ごく一部を見ただけですが、あちらこちらでこの街の歴史を感じることができました。
西国街道の宿場と、これに隣接した古い市場。
交通の要衝だったからこそ残されたものに、触れることができたように思います。
今日も、良い街歩きができました。