連載は続く~ SF掌編『いよいよ、猛暑の夏』編 (original) (raw)

相手とする人数次第で暫定的採用される意見吸い上げ方式を使い分けることがより明確的に方法論として形になって多分久しい。
そこで国政の担い手諸氏においては代表的立場ともなると相当な人数の利害調整なりを想定するしかなくなる。
その一人一人の意見を一々の事案について満遍なく聞いて回ってしかもそれなりの意見交換の時間を持つなどということは人生時間を想起できるだけで不可能、ということが鮮明だから、絞り込んだテーマかで意見を集めて、それをなんらか代表的だれかたちと話してのような限定を必要としてしまう。
日常の雑多な思いの数々を論じ合う中で、より明確に自らのより問題として提示したい辺りに気づいて、そのうち、それだけでは絞り込み過ぎかもで、付け足したい話題を持ち込んで、そこらを論じ合いながら、問題の在処などがやや絞り込めて、自分の提示したい問題点はこれだ、として議論にさらす、とか、絞り込みは御免で、より雑多な話題として議論にさらしたい、とするだれかたちもきっとおられるのが自治会的各土地柄のリアルと素人老人でも想像はできる。
けれども、組織化とか政治手続きの整頓を実際的にこなしたりが時間をかけて為されていたりすると、地域のごく限られた小域での政治においても、より人数の多い整理が必須と思われるくらいの規模の政治と同じ整理整頓圧が行使されがちになったりが起こってしまうこともあるようだ。
多分、政党間の駆け引きとかが働いてとか、特にその土地柄で優勢な政治勢力が、その勢力的意図に沿った意見集約に誘導するような怪しい集団の策がこうじられがちにして・・など想像する向きはそれなりにおられそうだ。
今時、自治会規模の小域の議論の場に集う人々は超多忙な人生の中、寸暇を惜しんでの参加ということの方が多くなりがちと察せられる。
とにかく見た目豊かになった生活の形が流行り出した頃以後の列島の人々の生活はそれまでも働きすぎと生活習慣病の連結度の問題から、もう少し違った働き方を工夫した方がいいんじゃない、とか発信されるようになっても、本業に副業も要るとか、とにかく夫婦共稼ぎの密度をより濃くする圧は変わることなく、しかも骨休めしてせめて生活習慣病にはなりにくい体質を保とうと無い暇を更に、使って行楽などに勤しむような生活を普通にするようになって、超多忙な生活に拍車がかかった格好だ。若すぎる子供たちにとっては行楽も実に人生の糧とできるけれど親たちにとっては超多忙で骨休めになっているのかどうかさえわかりにくいままだ。
そんな親たち世代やもう少し年長の世代の大人たちが集うこと事態がありうるのか、くらいの事態と見ても不思議ではないと素人老人は察する。
そういう地元のごく小さい議論の場はしかし根回しが既に行き届くような政治の場に変化している。だから余程の内輪でない限り、若い世代はその実質ムードを察知して敬遠してしまって、寄り付かない年寄だらけかごく内輪人脈の寄合いにさせがちにする。
政治離れも久しいリアルだから、根回しなんてできるのか、と思えるが、そこに宗教系が機能しているなら、それはやりやすくなる。政党系もその手の根回しは得意だから、やらないはずはないが、人が集まりにくい時勢において、根回しして議論の種を提供するところまでは許容できても時間を要することについては制御するということでの根回し、予め絞り込んだテーマに即さないとか、上に持ち込みたい議論の種を優先する意味合いからも、根回しフィルターが機能して、除外の方で流れ去る。そういう地域政治が列島政治の土台を形成し始めると、自ずから国政にも影響は出てこざるを得ない。ある意味、(""付きのニュアンス)‟内輪‟のテーマを論じ合って、決めてのような事態が国政のようにしてふるまいがちにさせる。絞り込み方式のきついタイプは、むしろ土台部分の政治に無力感を持ち込みやすくする。民意の吸い上げを形式的にはしているけれど、雑多性のわずかも見いだせないようなことにしてしまう。新興宗派宗教系に限らず、政党系もそこらには細心の配慮がいつも要るのが現代の要点と(素人老人からは)察せられる。

さて、今時は遺伝子が多くを語ってくれるようになったくらい、その扱う技術を鍛えこんできている。
テレビの捜査ドラマでは事件発生で鑑識担当諸氏が現場(げんじょう)へ向かう。
そして様々を撮影したり、採取しまくる。それはそれはくらい細部にわたって証拠になるかもしれない様々を見逃さずに集めてしまう。
そこに更に遺伝子を見出せるモノならなんでもいいから集めてしまう手法が厳密に絞り込み手法として用いることができるようになった。
考古学の世界ではまったく凄いことが現に進行中だ。
証拠として集めたモノから遺伝子を探り、その遺伝子の‟形‟さえ個別化できれば、後は比較対象で、統計上、無二のだれかを特定できてしまう。そこにだれがいたのかが、すべてことごとくわかる。或いはその部屋ができてからだれが関わってきたかの通年の歴史すらが判明してしまう。
だからどのモノからどの遺伝子群が見つかったかとか、時間特定しやすいなにかしらも多分、分析要素として整理されてそうだ。
大抵はホコリ、チリの類から探られたりするのか。
採取することもないようなホコリ、チリの類まで採取して、天井のクモの糸も何かしらついてそうだからそれも遺伝子を探る素材にできるとかで、関係者にとっては誰も逃げようがなくなる。
攪乱用に、沢山の他所の遺伝子をばらまく、というドラマのシナリオもこれからは出てきそうだが、逆に、その異様な沢山の別タイプの遺伝子群はどこそこで採取されたものだと特定されて、そこから犯人が見つかるというストーリーも一回くらいは出てきておかしくない。
石舞台は観光客の遺伝子だらけ、かもしれないが、採取する場所を工夫すれば、その昔の蘇我氏系かもしれない遺伝子のいくらかを採取できておかしくない、と決めつけたい気が素人にはしてしまう一方、だったらもう一つ、藤原氏のより古代の濃い方のだれかの遺伝子を採取しやすい場所も歴史通ならでは、見出して、現遺伝子術を応用してもらいたい気がどうしてもしてしまう。
話題の聖徳太子人脈の遺伝的特徴なども簡単に判明するし、ではいつ頃九州系主脈が奈良域の方へ引っ越してきたのかの決定的な場所から逆の時期をさぐれたりもありうる。
そこらは専門家諸氏においても近畿に重心を置くか九州に重心を置くかなどは、大抵は論述してみせるだけ以上ではない考古、文献の制約から、一気に、楽浪、帯方系人脈、伊都国人脈の移ろいとして、より明確な遺伝子の動きなどで、中国地方、北陸地方、そして近畿圏と加耶系の諸国人脈との絡みからより鮮明に図としても描いてもらえそうだ。
だから4世紀、5世紀辺りが焦点そうで、倭の五王知見についても具体的な整理ができてしまうかもしれない。
しっかりした官僚発想が継承されたのがごく限られた人脈のみという想定が可能ならば、よりわかりやすく5,6世紀以降を追いやすくなりそうだし、九州王朝的発想の勘違いの辺りや近畿中央集権発想の伽耶系諸国が出てきにくい辺りの勘違いやを整理し直しやすくしそうだ。

列島史においては明治以後のがんじがらめっぽいのは特殊で、幕藩など諸国性格をより濃く各地性が保たれ、だけどその各地に中央からの派遣勢力が影響を及ぼしてきたことも隠せぬ事実として、それにも関わらずの緩さをも継承してきている質の辺りは、海外からの沢山の旅行者諸氏において、列島での観光体験から実感からできれば明治期の海外からの旅行者諸氏のように感動的印象記のようなことばとしてネット発信してもらいたい気も素人老人なのでしていたりする。
緩さに付け込んで暴利をむさぼりたくさせるか、こりゃ居心地好いわいとかで、時々住みにやってこようかなとか思ったりするか、そこらもことばにしてもらいたい気がする。 列島、忘れたりしないくらい短期間に地震とか火山噴火とか大雨とか自然災害に遭遇しやすい環境だけどそこらの規則性に慣れて生活質に組み込めてしまえば、それなりに自然も産業との付き合いもできて実に過ごしやすかったりもするから、歴史的経緯の産物プラスで、地表面各地の関心のある諸氏が人生時間の一時を是非過ごしていただきたい気もする。
緩いといっても賄賂が公務系にいきわたってロクに公平性が保たれていない、とかのローカル性は極小化されているはずなので、そこらの心配は要らないと列島生活素人老人的には察する。

川柳もどき

老若女男、恋はむさぼる
鯉もエサを貪(むさぼ)り食う

ちょっとばかり殺虫剤を浴びた小ハエ
微妙に人懐(なつ)こくたかってくる