令和6年8月の俳句 (original) (raw)

【葉月の句】

① あをきまで 歯型残して 西瓜食む

② 離陸して向日葵の空 機影消ゆ (松本スカイパーク)

③ 断層の滝の飛沫や 白亜系 (抜井川・乙女の滝)

【夏休みの中盤】

今年の8月は、何んと言っても「パリ五輪2024」でした。
開会式(LIVE)は、7月27日の未明から朝まで視聴しました。さすがに全ての競技内容をLIVE視聴と言う訳にはいきませんでしたが、日中の録画放送なども興味深く視聴しました。東京五輪2021(令和3年)の時より関心は低かったものの、いくつかの興味ある競技の熱戦に、釘付けになりました。

Surfing(Tahiti Island)

やはり日本選手の活躍した種目や場面では、運動会で我が子や孫が走るのを応援する感覚とは違います。国家や民族意識が見え隠れします。期待に応えられずに敗退した選手が、『申し訳ないです』と語るインタビューに対して、『いいよ。がんばったよ!』と私は称賛しますが、もし、私の立場が逆だったら、同様な対応をするだろうなと想像しました。それが、オリンピックの一側面なのかもしれません。

体操男子団体の金メダル

さて、今年の日本の夏も、猛暑が続く一方で、豪雨による水害があり、大変でした。中国の長江流域や、北朝鮮鴨緑江の堤防決壊などの水害被害のニュースも聞きます。地中海の沿岸諸国では、猛暑・乾燥から山林火災が発生しています。

そんな中、8月8日16:43pm、日向灘(N31.8°E131.7°)の深さ30㎞を震源とするM7.1の地震が発生しました。最大震度は6弱(宮崎県日南市)を記録し、これは、大災害を引き起こす可能性が極めて高い「南海トラフ地震」の震源域の一部と重なり、政府および気象庁は、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を発表しました。
その翌日の夜、19ː57pmには、神奈川県西部の深さ13㎞を震源とするM5.3の地震(最大震度5弱厚木市)が発生し、驚きました。地震発生の成因が異なる要素の為、関連は薄いと判断され、少し安心しましたが、この夏に予定した旅行や宿泊をキャンセルする人もいたようです。・・・そして、ようやく8月15日の午後5時正時をもって、ひとまずの注意報は解除されることになりました。

今月は、「夏休み中盤」と題しました。これまで1カ月以上も田舎で夏を過ごした孫は、2人とも小学生となって都合ができてきて、滞在期間が、お盆を挟んだ2週間ほどと短くなった。それで、彼らの佐久での生活が夏休み中盤となった。
そんな日々の中で、あちこちへ出掛けた時の様子を題材に、俳句にしてみました。ちなみに、まだ選んだことのない「西瓜」・「向日葵」・「滝」が季語です。

【俳句-①】は、西瓜を食べている人々がいる中で、赤い果肉や赤味の薄れた白い部分だけでなく、さらに緑色の外皮にまで達するように食べている人の様子を詠んでみた。季語の「西瓜」は、夏ではなくて秋になる。
その外皮近くまで歯型を残して食べている人物は、実は、私なのです。
一緒に西瓜を食べている妻や娘や孫たちの「果肉の赤味を残した食べ方」に、「もったいない」と、寧ろ腹立ちさを込めた意味で、注意することも時々ある。
孫のひとりのYが西瓜好きで、『大玉西瓜の半球を食べてみたい』と言うので、毎年、西瓜を育てている。西瓜の苗代や栽培の人件費もかかるはずだが、あまり深く考えずに、ほぼ只だと感じているので、スプーンで掬って食べて、赤い果肉が多少残るのは大目に見て、見逃がしている。

大玉西瓜と幼児

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インターネットで西瓜に関する俳句を見つけた。

「西瓜食む 青きまで食む 美しき女

(覚本秀子・ろんど)」
「食べたあとは 人それぞれの 西瓜かな

(佐藤静子・やぶれ傘)」

まさに、私の心情に添う俳句です。
本当に、同じ西瓜を食べたのに、私の基準からすれば、「もったいない、汚らしく食べる」という場面は、何度も見聞きしてきました。反対に、西瓜をきれいに食べる美人には、ぜひとも遭ってみたいものです。

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ところで、「西瓜」と言えば、思い出す学校給食でのエピソードがあります。
とある村の小学校は自校給食で、調理の隠し味にワインや多量に昆布を使うというような給食室でしたが、『秋刀魚(サンマ)を出す時に、小学1年生用には、尻尾側の身半分を開きにして』などと、配慮ができるのです。
当時、私は、その小学校の教頭をしていましたが、一年生を担任するN教諭が、『教頭先生は、魚は頭も骨も全部食べてしまいます』という主旨の話をすると同時に、自分でも実践した。すると、児童も真似をして、完全なる完食をしたようだ。給食の調理員さんが、1年生の秋刀魚の返却容器が、完全に空で返却されてくるのを不審に思い、原因を追究した結果を知らせてくれた。
(ちなみに最近の給食室では、「スチームコンベクション」と言って、焦がさず高温で調理するので、骨まで柔らかくしてしまう調理方法が採用されている。)

秋刀魚の開きのイメージ

そんな1年生なので、西瓜の完食は、お手の物であった。皆で競い合って、外皮すれすれまで食べて、それを職員室まで、わざわざ見せにくる児童もいた。中には、外皮に穴の開いた作品すらあった。
当然のことながら、メロンが出た時も同様であった。
彼らが、小学校へ入学した年の出来事で、私が初めて小学校勤務をした年のことでもある。何もかもが新鮮で、感動に満ちた児童たちとの出会いだった。

【俳句-②】は、松本盆地にある飛行場から、ジェット旅客機が離陸していく様子を詠んだ。南北に延びた滑走路の敷地の外には、向日葵畑があって、飛行機は、その向日葵の見上げた空に高度を上げて遠のき、やがて雲の彼方へと消えていった。季語は、向日葵で、夏です。

飛行場の南端から滑走し、離陸した。

一度、松本空港からの夕方便が離陸するのを目撃して感動したので、今度は孫にも見せてやろうと計画した。
帰省した長女の孫たちを連れ、松本に住む次女の孫に会いにいくので、航空機の発着時刻を調べて、13時15分発・福岡行き便の離陸を見てみることにした。
13時には滑走路の南端の展望台で待機した。真夏の太陽光を真上から浴びるので、わずかな微風がある程度では、例え興味があっても耐えられない。
毎日、炎天下でも農作業をしている私は平気でも、孫たちは『暑い。もういい!』と、不平を言い出している。
彼らにとっては、難行苦行であるようだ。
『まったく、今どきの小学生は、老人より体力・気力がないぞ。夏・冬の野戦にでもなれば、全部隊全滅だ!』と、私すら戦争体験も無いはずなのに、意味不明な発破を掛けている。
予定時刻になっても現れないので、不満の声は増々大きくなるが、私は、
『ターミナルを出る時刻が13時15分で、今は滑走路に向かっているからだよ。』と説明した。
5分遅れで、遠くに航空機らしき姿が見えてくると、ぐんぐん近づいてきて、滑走路の端で180°方向転換をした。そして、ジェット・エンジン音の変化に集中した。『さあ、出力全開!』と注視すると、滑るように動き出した。
『あっ、離れた。離陸した。』と孫たちが叫んだ。私は、短い時間と、たぶん短い滑走距離で離陸したので驚いた。全滑走路の3分の1にも満たない距離で離陸したのだ。滑走路は安全の為に、十分な長さがあるのだろう。そして、場合によっては、離陸より着陸の方が滑走距離が長いのかもしれないと推理していた。
急いで、展望台の高台から下に降りた。向日葵畑が広がっている。航空機の爆音は、まだ聞こえていて、青空に機影が見えた。そして、さらに上に浮かぶ雲の中へ吸込まれていくと、姿も音も消えていった。

滑走路の外の向日葵畑

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松本空港 松本盆地のほぼ中央部、長さ2000m×幅45mの滑走路を擁する地方空港である。定期便は国内線のみである。標高657.5mと、高所にある為、航空機や就航先が制約され、山岳に囲まれているので、ジェット化空港の中で、操縦が難しく目視で着陸する為、「日本一着陸の難しい空港」とも言われていた時期もあると言う。2020年7月から「RNP-AR」が設置され、GPSの精度の向上もあって、悪天候でも安定した離着陸が可能となった。

【俳句-③】は、断層によってできた滝から落ちる水飛沫(しぶき)が真っ白で、白亜紀石灰岩のような白さかなと、洒落てみた。実際、滝を形成する造瀑層は、白亜紀の地層(白亜系)である。季語は「滝」で、夏になる。

毎年、夏休みに帰省する娘と孫を、かつて私が地質調査をしたことのある沢へ連れて行っている。今年の夏に訪れた抜井川「乙女の滝」の下の渓流は、3度目である。
1度目の時は、下の孫が、ようやく歩けたぐらいだったので、「臼石」付近の渓流で、2度目は滝と、さらに下流の浅瀬で遊ばせた。今年は、二人とも小学生となったので、滝の下流から沢を遡行して、いわゆる、沢旅の楽しさを体験させた。
そして、滝の真下や滝の裏側を歩くこともさせてみた。山伏や修験行者らの「滝行」の話をしたら、その真似までした。【写真】

「乙女の滝」の下で、滝行の真似をする

昨年の夏に行った八千穂高原の沢は、八ヶ岳の雪解け水が流れてくるので冷た過ぎるが、抜井川の水温は猛暑をしのぐには適温である。
ただし、私と娘は、渓流の中を歩いて膝から下は濡らしたが、上半身まで濡らすつもりはない。その点、子供らは、全身が濡れるのは、少しも厭わない。それが、子供の特性なのかもしれない。

* * *

さて、上記の説明を聞いて、作者が孫を連れて沢旅を楽しみ、夏の沢の水飛沫の爽やかさに感動した俳句であることは理解していただけたと思うが、「断層の滝」とか「白亜系」などいう地質学の専門用語が出てくると、俳句観賞では気に障ったかもしれない。
まず、滝ができる「造瀑層」について説明しよう。沢や河川が、流水で同じように浸食されていれば、落差のある滝はできない。浸食に強い堅い岩盤があると、そこが残って、下流側が浸食されるので落差ができて滝になる。この堅い岩盤や地層のことを「造瀑層」という。砂岩や礫岩、さらに珪質や結晶質の岩盤、新しい時代なら、溶岩ということもある。落下した部分が抉られると滝壺ができる。
「乙女の滝」の場合、珪質の砂岩や礫岩が堅く造瀑層であることに加え、同じ石堂層と呼ばれる地層の中に、「断層」ができているらしい。

詳しい内容は、「佐久の地質調査物語(山中地域白亜系)」を参照して欲しい。
白亜紀の地層、最下部の石堂層白亜系とジュラ紀付加体との境に蛇紋岩で特徴付けられる「蛇紋岩帯断層」が東西に延びる。その構造を現在の方向で、南北方向に何本かの断層が切っている地質構造がある。

そのひとつが、「乙女の滝断層」で、ちょうど「乙女の滝」と、そのすぐ上流の「三段滝」を通過していると推定している。
つまり、横ずれ断層運動によって、南北方向にずれただけでなく、垂直方向にも落差が生じたと思われる。「ルート・マップ」を見ると、抜井川の川筋が不自然に湾曲していることからも、堅い岩盤地帯であり、何かの地殻変動があったことを示唆している地形です。
乙女の滝を形成している石堂層の地層は、下部白亜系で、今から1億2500万年~1億2000万年前に海で堆積した海成層です。近くの石堂橋の西側斜面の崖では、多くの化石が見つかり、化石採集マニアには有名な場所です。

来年は、少し危険が伴いますが、孫たちも体力を付けてきているので、乙女の滝のすぐ上流にある「三段滝」に連れて行こうと考えています。
ちなみに、三段滝は、私の夏休み中の1人調査の折り、滝で滑落して気落ちしてしまい、早々に調査を諦め帰宅したエピソードのある場所です。後日、再挑戦してデータを集めましたが・・・。

「乙女の滝」の上流にある三段滝

【編集後記】

最初は、そんなに大きな事とは受け止めていませんでしたが、私の所属していた「前山みゆき会」が、令和6年7月をもって、正式に解散(※注)することになった事は、私にとって、大きな転機となりそうです。
8月の俳句は、佐久俳句連盟の秋の定例会に向けて創作したものを載せました。そして、9月の俳句は、9月9日、閼伽流山観音院明泉寺(天台宗の古刹)で行われる佐久俳連・吟行会の「席題」への準備を兼ねて創作した俳句を予定しています。
しかし、「10月の俳句」からは、互いに見合い批評し合う機会が無くなることになり、もし、私の俳句に対する情熱が低ければ、創作しようとしなくなるかもしれません。
ところが、興味・関心も低いままスタート(平成28年5月)した俳句の創作でしたが、俳句を長年に渡って愛好し、自分の母親と違わないような御高齢の方々と俳句会を体験する中で、自分の向上心も出て来て、今後も俳句を続けようという気持ちになっています。
「どうしましょうか?」

(※注)ご高齢の方々が止められ、ご逝去された方もいて会員数が数名となった。

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今年から私は、9月16日(敬老の日)には、70歳と10カ月を迎えるので、佐久市対象の「敬老の日祝い品」配付の対象者となりました。もっとも、その祝い品を、役員となった私自身が、母親の分も含めて配ることになります。

子供の頃、50歳という年齢を聞くだけで、老人と意識していた思い出があります。いつしか、50歳はおろか、60歳・65歳・70歳へと私が歳を重ね、私自身が高齢者となってしまっています。しかし、その実感は、かなり少ないです!
そんな思いの人々が多くなったのか、地域全体で行う「敬老会」への参加者が減ってしまい、今年から、もっと小さな「組合(かつては、常会と呼んでいた)」単位で開催することになり、その準備を進めています。
我々の子供の頃の「近所のお茶飲み会」の発想なのですが、時代は大きく様変わりして、老人も含めて、なかなか集まり難い状況です。聞いてみると、休日には、様々な企画が入っているようです。また、役員の方も、子供の行事や自身の仕事の都合で、参加へのやり繰りができない事情もあるようです。

それだけ、世の中が、週休日サイクルに支配される状況になっている上に、さらに、その週休日を奪い合うように行事や企画が組まれているものと推測しています。

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このところ、(ア)南瓜(カボチャ)の収穫と、その後の雑草の刈り取り・耕作、

(イ)トウモロコシの超獣害対策の囲いを壊して、耕作、(ウ)ズッキーニのマルチシートを剥がして、耕作、そして、(エ)胡瓜(キュウリ)の棚を壊して、跡地の耕作と、夏野菜の仕舞いが続いています。

今朝は、我が家で採れた最後のキュウリを使ったポテトサラダを作りました。キャベツ・ピーマン・玉ねぎ・トマト・ミニトマト・ジャガイモは、まだまだ健在ですので、しばらくの間、キュウリの入らない野菜サラダが続く予定です。

毎年のように、例えば、キュウリの棚を壊す時、「収穫できてよかった」と頭では理解できますが、何か物事を完成させたという喜びよりも、大袈裟な表現ですが、身近な人や旧友を失った時の悲しみに似た思いに駆られます。少し秋思の(おとんとろ)です。