Pacta Sunt Servanda (original) (raw)

裁判官林景一の反対意見は,次のとおりである。

私は,多数意見が,本件免除が憲法20条3項に違反し無効であるとしたことについては賛同することができない。その理由は次のとおりである。

1 参加人が年1回釋奠祭禮という行事を行い,参拝客が訪問する本件施設について,当時の市長は,観光振興(中国と沖縄の歴史的つながりを示す施設として観光スポットとなること)や教育学習促進(特に明倫堂において,論語という,我が国でも深く浸透してきた,いわば東洋文化の柱の一つともいうべき学問,思想について,体験学習や講演等による普及を図ること等)という非宗教的目的に価値を見いだして,その敷地の使用料の全額免除(ただし,建物は参加人が2億円以上もの費用を賄って建設したことがうかがわれる。)をしている。これについて,多数意見は,本件施設が宗教施設の外観を持っていること,そこにおいて参加人によって挙行される釋奠祭禮が,孔子の霊を前提として,これを崇め奉るという宗教的意義を有する外観を呈していること,外部の参拝者もあること等から,本件施設は宗教性を肯定することができ,その程度も軽微とはいえないと判断した上で,原審のように参加人が宗教団体であると断ずるまでもなく,空知太神社訴訟等の判例の枠組みに照らしてみた場合,当時の市長が,参加人に対して,本件施設の敷地に係る多額の使用料の全額免除をしたことは,社会通念に照らして総合的に判断すると,相当とされる限度を超えており,憲法20条3項で禁止された国等による宗教的活動に当たるから違憲無効な処分であると断じたものである。

2 参加人は,久米三十六姓という様々な家系の中国からの渡来人たちの末えいが構成する血縁集団(門中)の緩やかな連合体であることがうかがわれ,法的には一般社団法人である。その定款において,琉球王朝の発展に多大な功績を築いた久米三十六姓の歴史研究,大成殿・明倫堂を含む本件施設等の公開,論語を中心とする東洋文化の普及及び人材の育成を図ることを目的とし,そのための事業として,琉球王朝時代から続く伝統文化の釋奠祭禮の挙行,論語等の東洋文化普及・交流に関する事業等を挙げている。このような定款上の目的に照らしてみると,今日においては,参加人は,琉球王朝時代風の孔子廟施設を維持すること,そして,そこにおいて釋奠祭禮という行事を続け,合わせて,論語等の東洋文化を若い世代に普及させることを重要な目的としているとみることができよう。このような目的からみる限り,今日において,参加人が,集団として,宗教としての儒教の信仰を共有し,それを継承し,普及させようとしていることはうかがえない。かつて,論語は,中国及び我が国を始めとする東アジア諸国に浸透しており,知識人や指導的階層はもとより,広く庶民に至るまで,基本的な素養,教養であると考えられており,論語を含む四書五経は,立身出世のための必修科目とみなされ,わけても論語は決定的に重要と考えられていたことは周知の事実である。本件施設内にもある明倫堂はこのための学習施設として建設されており,孔子ないしその思想の権威を示す象徴としての大成殿と一体的施設として孔子廟施設を構成していたようである。しかしながら,戦後,民主主義の発展の中で,儒教=封建的ないし前近代的な道徳という図式によって,論語の社会的重要性が低下したことは否めず,もはや体系的な論語教育はなされているとはいえないから,そのためにも,参加人が,歴史研究と併せて,論語の普及の場を設けていることに相応の意義があることがうかがえる。このようにみてくると,現在の参加人は,定款のみならず,実際の活動を評価してみても,儒教であれ,その派生宗教であれ,特定の宗教の信仰を絆として,これを日常的に実践する集団であるとみることはできない。むしろ,久米三十六姓の末えいの血縁集団の連合体として,戦後の歴史・社会状況の変化の中で,他の門中と同様,祖先の事績を偲びつつ,集団の絆を維持強化しようとするものと評価できるのではないか。本件施設で行われている釋奠祭禮は,そのために,祖先が,渡来人の思想的,実務的基盤として重視した儒学論語文化そのものの外部への普及のための努力をしながら,集団内部においては,儒学論語の始祖というべき孔子に対する崇敬の念を示す伝統を共有し,そのための伝統行事を催行し,継承していくこととしているものであると説明することができよう。とすれば,これは信仰に基づく宗教行為というよりも,代々引き継がれた伝統ないし習俗の継承であって,宗教性は仮に残存していたとしても,もはや希薄であるとみる余地が十分にあると考える。

政教分離規定への適合性が争われたこれまでの判例においては,前提として神道ないし仏教があり,これらとの関係性を判断してきたものであるといえる。すなわち,地鎮祭の催行,玉串料の奉納,神社ないし地蔵像に対する土地の提供等々の事案に係る判例においては,いずれも国等の行為・活動に関し,神道ないし仏教との距離を測ることによって宗教性の濃淡を測り,目的効果基準ないし総合判断により,社会通念に照らして,相当性の限度を超えるか否かを判断してきたといえよう。しかるに,上記のとおり,参加人の定款で標榜する目的やこれに基づく日常的な活動の実態をみる限り,本件施設や釋奠祭禮については宗教性がないか,少なくとも習俗化していて希薄であると考える。実際,宗教的意義を有するとされた釋奠祭禮の主宰者である会員が他の宗教の信者であることもあるという。そして,本件においては,宗教の教義,すなわち信仰の在り方,態様はもとより,宗教上の指導者ないし聖職者及び信者集団,並びにこれらをつなぐ一定の組織性,普及活動など,常識的にみて宗教の本質的要素と考えられる要素のいずれも認定できていない。参拝者の受入れについては,参拝者の内心の問題であるから,確定的なことはいえないが,少なくとも,参拝者が当然に信仰心に基づく参拝をしたという証拠はない。そもそも本件免除の目的の一つが観光振興であることに示されているように,大半が本件公園の一角にあって我が国最南に所在する孔子廟を見物に来る観光客である可能性も高い。いずれにせよ,参拝者が組織化された宗教的活動として参拝を行っていることはうかがえず,参拝者に対する宗教の普及活動が行われていることもうかがえないから,参拝者の来訪は,本件施設の宗教性に係る判断の決定的材料であるとは思えない。結局のところ,本件施設及び参加人の活動に宗教性がないという参加人の主張に対する検討が十分に尽くされたとはいえないと考える。 宗教性は,突き詰めると内心の問題に行き当たって,裁判になじまない部分があることも事実である。であるからといって,本件施設について,今日的な宗教性を否定する相応の主張,理由があって,前記のとおり,もはや宗教性がないか,既に希薄化していると考えられる中で,外観のみで,宗教性を肯定し,これを前提に政教分離規定違反とすることは,いわば「牛刀をもって鶏を割く」の類というべきものである

4 また,**政教分離規定は,信教の自由を確保するという目的のために,国等が,特定の宗教との関わり合いを持つことで,当該宗教を援助,助長し,又は他の宗教を圧迫することになるから,相当と認められる限度を超える関わり合いは禁止されるべきものであるという考えに立脚している。しかし,「何らかの」という以上に宗教の特定も,信者集団を含めた宗教組織ないし団体の存在の認定もできないのであれば,助長される対象が特定できないことになるのであるから,政教分離規定違反を問うことはできないのではあるまいか。それにもかかわらず,本件において,政教分離規定に違反するとの判断をすることは,政教分離規定の外延を曖昧な形で過度に拡張するものであって,たとえ総合判断の過程において,文化財指定の有無や国際交流という目的等が考慮され得るとしても,憲法違反とされるおそれや訴訟の手続負担のおそれによって,歴史研究・文化活動等に係る公的支援への萎縮効果等の弊害すらもたらしかねない**ものであると考える。

5 以上によれば,本件免除が憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当するとした原審の判断には誤りがあり,また,本件免除が憲法20条1項後段及び89条に違反するということもできない。そうすると,本件において,私的団体である参加人が,旧至聖廟等の跡地を引き続き所有するなど,比較的裕福な団体であることがうかがわれるのに,当時の市長が年500万円以上にも上る使用料を全額免除したこと自体は,公的支援として過ぎたるものではないかという違和感を覚えるものではあるが,本件免除が無効であるということまではいえない以上,第1審原告の請求は棄却するほかないと考える。

一 上告代理人の上告理由第一について

捕虜の待遇に関する一九四九年八月一二日のジュネーブ条約(以下「四九年ジュネーブ条約」という。)が我が国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間において効力を生ずる以前に捕虜たる身分を終了した者の法律関係の処理について、同条約を遡及して適用することはできないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

二 同第二について

ソヴィエト社会主義共和国連邦は、四九年ジュネーブ条約の批准に当たり、同条約八五条の適用を留保したものであるところ、原審の適法に確定した事実関係によれば、上告人Aは、昭和二四年二月、ロシア共和国刑法五八条所定の罪により強制労働二五年の刑の宣告を受け、以後、昭和三一年に本邦に帰還するまでの間、囚人として囚人ラーゲリに収容され労働に従事してきたというのである。右事実関係の下においては、その後、同上告人が右有罪判決について再審請求をした結果、同判決が破棄されて無罪となり、名誉回復の措置が執られたとしても、そのことによって、同上告人の右受刑中の身柄拘束が、さかのぼって、同条約の適用を受けるべき捕虜の抑留になると解する根拠はなく、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

三 同第三について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、上告人らが捕虜としてシベリアに抑留されていた当時、抑留国から捕虜に支払うべき貸方残高について捕虜の所属国がこれを決済する責任を負うこと、捕虜の労働による負傷又はその他の身体障害に対する補償請求等は捕虜の所属国に対してすべきこと等を内容とする所論の自国民捕虜補償の原則が、世界の主要国における一般慣行となり、これが法的確信によって支えられていたとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

四 同第四について

論旨は、以上一ないし三に説示したところによれば、原判決の結論に影響のない部分についての違法をいうに帰し、採用することができない。

五 同第五について

我が国がポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印したことにより、上告人らを含む多くの軍人・軍属が、ソヴィエト社会主義共和国連邦の捕虜となり、シベリア地域の収容所等に送られ、その後長期間にわたり、満足な食料も与えられず、劣悪な環境の中で抑留された上、過酷な強制労働を課され、その結果、多くの人命が失われ、あるいは身体に重い障害を残すなど、筆舌に尽くし難い辛苦を味わわされ、肉体的、精神的、経済的に多大の損害を被ったことは、原審の適法に確定するところであり、上告人らを含むこれらのシベリア抑留者に対する右のような取扱いは、捕虜の取扱いに関し当時確立していた国際法規に反する不当なものといわざるを得ない。そして、昭和三一年一二月一二日発効の日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(以下「日ソ共同宣言」という。)六項後段によるいわゆる請求権放棄に伴い、我が国が、国際法上、ソヴィエト社会主義共和国連邦との間で、シベリア抑留者の右損害の回復を図る権利を失い、これにより、上告人らがソヴィエト社会主義共和国連邦に対し右損害の賠償を求めることは、仮に所論の請求権が存するとしても、実際上不可能となったことも否定することができない。

所論は、日ソ共同宣言六項後段に定める請求権放棄により上告人らが受けた損害につき、被上告人は、憲法二九条三項に基づき、これを補償すべき義務を負うという。しかしながら、上告人らを含む多くの軍人・軍属が、長期にわたりシベリア地域において抑留され、強制労働を課されるに至ったのは、敗戦に伴って生じた事態であり、これによる損害は正に戦争により生じたものというべきである。そして、日ソ共同宣言は、連合国との間の平和条約とは異なり我が国が主権を回復した後に合意されたものであるとはいえ、終戦処理の一環として、いまだ平和条約を締結するに至っていなかったソヴィエト社会主義共和国連邦との間で戦争状態を解消して正常な外交関係を回復するために合意されたものであって、請求権放棄を含む合意内容について、連合国との間の平和条約と異なる合意をすることは事実上不可能であり、我が国が同宣言六項後段において請求権放棄を合意したことは、誠にやむを得ないところであったというべきである。右の抑留が敗戦に伴って生じたものであること、日ソ共同宣言が合意されるに至った経緯、同宣言の規定の内容等を考え合わせれば、同宣言六項後段に定める請求権放棄により上告人らが受けた損害も、戦争損害の一つであり、これに対する補償は、憲法二九条三項の予想しないところといわざるを得ない。したがって、上告人らが憲法二九条三項に基づき被上告人に対し右請求権放棄による損害の補償を求めることはできないものというほかはない。このことは、最高裁昭和四〇年(オ)第四一七号同四三年一一月二七日大法廷判決・民集二二巻一二号二八〇八頁の趣旨に徴して明らかである(最高裁昭和四一年(オ)第八三一号同四四年七月四日第二小法廷判決・民集二三巻八号一三二一頁参照)。

また、所論は、上告人らが、過酷な条件下で長期間にわたり抑留され、強制労働を課されたことによって生じた損害は、被上告人による戦争の開始、遂行及び終戦処理に起因する特別な損害であり、右損害については、憲法一一条、一三条、一四条、一七条、一八条、二九条三項及び四〇条に基づき補償がされるべきであるともいう。シベリア抑留者の辛苦は前記のとおりであるが、第二次世界大戦によりほとんどすべての国民が様々な被害を受けたこと、その態様は多種、多様であって、その程度において極めて深刻なものが少なくないこともまた公知のところである。戦争中から戦後にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあっては、国民のすべてが、多かれ少なかれ、その生命、身体、財産の犠牲を堪え忍ぶことを余儀なくされていたのであって、これらの犠牲は、いずれも戦争犠牲ないし戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであり、これらの戦争損害に対する補償は憲法の右各条項の予想しないところというべきである。その補償の要否及び在り方は、事柄の性質上、財政、経済、社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判断を待って初めて決し得るものであって、憲法の右各条項に基づいて一義的に決することは不可能であるというほかはなく、これについては、国家財政、社会経済、戦争によって国民が被った被害の内容、程度等に関する資料を基礎とする立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解するのが相当である。以上のこともまた、前記大法廷判決の趣旨に徴して明らかである(最高裁昭和五八年(オ)第一三三七号同六二年六月二六日第二小法廷判決・裁判集民事一五一号一四七頁参照)。シベリア抑留者が長期間にわたる抑留と強制労働によって受けた損害が深刻かつ甚大なものであったことを考慮しても、他の戦争損害と区別して、所論主張の憲法の右各条項に基づき、その補償を認めることはできないものといわざるを得ない。

以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

六 同第六、第七について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

七 同第八について

原審の適法に確定したところによれば、(1) 我が国は、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して以来、連合国との間の平和条約が発効するまでの数年間、連合国による占領管理下に置かれ、連合国の占領政策に忠実に従わざるを得ず、我が国の統治機構は一応存在していたものの、占領目的の実現という名の下に政治、経済、文化等のあらゆる面において、連合国による種々の厳しい規制を受け、法的、政治的にみれば、いまだおよそ独立国家としての地位と権限を有するには至っていなかった、(2)終戦後、世界各地から日本へ引き揚げてきた一般人、軍人・軍属のほか、上告人らのように数年間捕虜として連合国の占領地域等に抑留されていた者が、順次帰国するに及んで、右引揚者らが持ち帰る通貨や金、銀等の貴金属類あるいは有価証券類等が無制限に我が国に流入することになれば、終戦直後における通貨、経済体制の混乱状態に一層の拍車が掛かり、我が国の経済復興に重大な支障を与えるおそれがあったため、連合国最高司令官総司令部は、とりあえず通貨、貴金属類、有価証券類等の輸出入等を原則として全面的に禁止するとともに、貿易等の対外的経済取引をも停止するという緊急非常措置を講ずる一方、我が国の経済体制が次第に安定するに従って、徐々に右の各種の制限も緩和するという政策を採用した、(3) 連合国最高司令官総司令部は、右政策を実施するために、引揚者の持帰金、捕虜として抑留されていた者の貸方残高の決済に関して覚書を発し、引揚者の持帰金については、一般人、軍人・軍属及びその階級等に応じて一律に一定の制限を設けるとともに、捕虜として抑留されていた者については、「戦時捕虜としての所得を示す証明書」を所持する者に限り、その貸方残高を日本政府が決済することを許可する旨を指令し、占領下にあって連合国の占領政策を誠実に遵守すべき立場にあった日本政府は、右覚書を実施するために大蔵省告示を発し、右告示の定めるところに従って、抑留国が発行した個人計算カード等の「戦時捕虜としての所得を示す証明書」を示した者については、抑留国に代わって右証明書に記載された抑留期間中の労働賃金の支払を行ってきた、(4) 連合国最高司令官総司令部は、日本政府の求めに応じて、ソヴィエト社会主義共和国連邦当局に対し、シベリア抑留者の抑留中の所得を証明する資料の交付等を要請したが、同国当局はこれに応じなかった、というのである。

所論は、右のように、被上告人は、大蔵省告示の定めるところに従って、オーストラリア、ニュージーランド、東南アジア地域など(以下「南方地域」という。)から帰還した日本人捕虜に対し、その抑留期間中の労働賃金を支払ってきたのであるから、シベリア抑留者に対しても、憲法一四条一項に基づき、その抑留期間中の労働賃金を支払うべき法的義務を負担すると解すべきであるというのである。しかしながら、右事実関係によれば、連合国との間の平和条約が発効するまでの数年間については、被上告人において、所得を証明するような資料を所持していない者に対して抑留中の労働賃金を決済することは、連合国最高司令官総司令部の覚書によって許されていなかったものといわざるを得ず、連合国による占領管理下に置かれ、連合国の占領政策に忠実に従うべき義務を負っていた日本政府が、右決済の措置を講じなかったことをもって、上告人らに対して差別的取扱いをしたものということはできず、その限りにおいては、所論はその前提を欠くものというべきである。そして、連合国との間の平和条約が発効し、我が国が主権を回復した後においては、捕虜の抑留期間中の労働賃金を被上告人において支払うべきかどうかの問題は、戦争損害に対する補償の一環をなすものとして、立法府の総合的政策判断にゆだねられるに至ったものと解すべきことは、前記説示のとおりである。したがって、被上告人が、主権回復後において、シベリア抑留者に対し、その抑留期間中の労働賃金を支払うためには、右のような総合的政策判断の上に立った立法措置を講ずることを必要とするのであって、そのような立法措置が講じられていない以上、上告人らが、憲法一四条一項に基づき、その抑留期間中の労働賃金の支払を請求することはできないものといわざるを得ない。

また、所論は、原審の口頭弁論終結後に上告人らの一部の者に対しロシア共和国政府から労働証明書の交付がされた事実を指摘して弁論の再開を申し立てたのに、弁論を再開しなかった原審の措置には審理不尽の違法があるという。しかし、仮に、右事実が立証されたとしても、上告人らが、被上告人に対し、捕虜としての抑留期間中の労働賃金の支払を請求するためには、被上告人にその支払を義務付ける立法を必要とするのであるから、右のような立法措置が執られていないという立法政策の当否が問題となり得るにすぎず、憲法一四条一項に基づきその請求をすることはできないという右判断が左右されるものではない。原審が弁論再開の措置を執らなかったことに、所論の違法を認めることはできない(なお、上告人らは、南方地域から帰還した捕虜が持ち帰った個人計算カードに記載された労働賃金については、我が国が主権を回復した後においても、その支払を依頼する旨の大蔵省理財局長の日銀国庫局長又は引揚援護庁長官あての通達が発せられ、昭和二九年三月ころまで大蔵大臣の許可によりその支払がされてきた事実が原判決言渡後に判明した旨の指摘をし、関係資料を提出しているが、これらによっても、右の支払は、関係行政庁の判断に基づく一時的な行政措置としてされたものであることがうかがわれ、何らの立法措置も講じられることなくされた右支払をもって被上告人の支払先に対する法的義務の履行としてされたものとみることはできない。右事実が被上告人の上告人らに対する労働賃金の支払義務を根拠付けるものでないことは、既に説示したところから明らかである。)。

南方地域から帰還した日本人捕虜は、被上告人からその抑留期間中の労働賃金の支払を受けることができたのに、シベリア抑留者は、過酷な条件の下で長期間にわたり抑留され、強制労働を課されたにもかかわらず、その抑留期間中の労働賃金が支払われないままであることは、前記説示のとおりであり、上告人らがそのことにつき不平等な取扱いを受けていると感ずることは理由のないことではないし、また、国際法上、捕虜の抑留期間中の労働賃金の支払を確保すべきことが求められていることは、陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約以来の捕虜の待遇に関する国際法の変遷や四九年ジュネーブ条約に関する討議の経過につき原審の確定するところから明らかである上、上告人らが捕虜たる身分を失った後であるとはいえ、抑留国から捕虜に支払うべき貸方残高について捕虜の所属国がこれを決済する責任を負う旨を定めた四九年ジュネーブ条約を被上告人が批准したことをも考慮すると、シベリア抑留者の抑留期間中の労働賃金の支払を可能とする立法措置が講じられていないことについて不満を抱く上告人らの心情も理解し得ないものではない。しかし、シベリア抑留者に対する補償の問題は、その抑留期間中の労働賃金の支払の要否を含め、戦後補償立法の策定に当たり度々国会における議論の対象となり、その結果、恩給法、戦傷病者戦没者遺族等援護法において捕虜としての抑留に係る給付につき一定の立法措置が講じられ、また、平和祈念事業特別基金等に関する法律においてシベリア抑留者に対する慰謝の措置が講じられるなどしてきたことは、当裁判所に顕著である。戦後補償立法の策定に当たり、シベリア抑留者が過酷な条件の下で長期間にわたり抑留され、強制労働を課されたにもかかわらず、その抑留期間中の労働賃金の支払がされていないという事情については、立法府において一応の考慮をしてきたものということができ、立法府が、シベリア抑留者に対し、その抑留期間中の労働賃金を支払うための立法措置を講じていないことが、その裁量の範囲を逸脱したものとまではいうことができない。

以上によれば、これと同旨に帰する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、- 8 裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

本件規定の立法目的は,父性の推定の重複を回避し,もって父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐことにあると解されるところ,民法772条2項は,「婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は,婚姻中に懐胎したものと推定する。」と規定して,出産の時期から逆算して懐胎の時期を推定し,その結果婚姻中に懐胎したものと推定される子について,同条1項が「妻が婚姻中に懐胎した子は,夫の子と推定する。」と規定している。そうすると,女性の再婚後に生まれる子については,計算上100日の再婚禁止期間を設けることによって,父性の推定の重複が回避されることになる。夫婦間の子が嫡出子となることは婚姻による重要な効果であるところ,嫡出子について出産の時期を起点とする明確で画一的な基準から父性を推定し,父子関係を早期に定めて子の身分関係の法的安定を図る仕組みが設けられた趣旨に鑑みれば,父性の推定の重複を避けるため上記の100日について一律に女性の再婚を制約することは,婚姻及び家族に関する事項について国会に認められる合理的な立法裁量の範囲を超えるものではなく,上記立法目的との関連において合理性を有するものということができる。

よって,本件規定のうち100日の再婚禁止期間を設ける部分は,憲法14条1項にも,憲法24条2項にも違反するものではない。

婚姻をするについての自由が憲法24条1項の規定の趣旨に照らし十分尊重されるべきものであることや妻が婚姻前から懐胎していた子を産むことは再婚の場合に限られないことをも考慮すれば,再婚の場合に限って,前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や,婚姻後に生まれる子の父子関係が争われる事態を減らすことによって,父性の判定を誤り血統に混乱が生ずることを避けるという観点から,厳密に父性の推定が重複することを回避するための期間を超えて婚姻を禁止する期間を設けることを正当化することは困難である。他にこれを正当化し得る根拠を見いだすこともできないことからすれば,本件規定のうち100日超過部分は合理性を欠いた過剰な制約を課すものとなっているというべきである。

以上を総合すると,本件規定のうち100日超過部分は,遅くとも上告人が前婚を解消した日から100日を経過した時点までには,婚姻及び家族に関する事項について国会に認められる合理的な立法裁量の範囲を超えるものとして,その立法目的との関連において合理性を欠くものになっていたと解される。

以上の次第で,本件規定のうち100日超過部分が憲法24条2項にいう両性の本質的平等に立脚したものでなくなっていたことも明らかであり,上記当時において,同部分は,憲法14条1項に違反するとともに,憲法24条2項にも違反するに至っていたというべきである。

国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個々の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであるところ,国会議員の立法行為又は立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは,国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題であり,立法の内容の違憲性の問題とは区別されるべきものである。そして,上記行動についての評価は原則として国民の政治的判断に委ねられるべき事柄であって,仮に当該立法の内容が憲法の規定に違反するものであるとしても,そのゆえに国会議員の立法行為又は立法不作為が直ちに国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。

もっとも,法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず,国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては,国会議員の立法過程における行動が上記職務上の法的義務に違反したものとして,例外的に,その立法不作為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上違法の評価を受けることがあるというべきである(最高裁昭和53年(オ)第1240号同60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁,最高裁平成13年(行ツ)第82号,第83号,同年(行ヒ)第76号,第77号同17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁参照)。

本件規定は,前記のとおり,昭和22年民法改正当時においては100日超過部分を含め一定の合理性を有していたと考えられるものであるが,その後の我が国における医療や科学技術の発達及び社会状況の変化等に伴い,再婚後に前夫の子が生まれる可能性をできるだけ少なくして家庭の不和を避けるという観点や,父性の判定に誤りが生ずる事態を減らすという観点からは,本件規定のうち100日超過部分についてその合理性を説明することが困難になったものということができる。

個人のプライバシーの侵害を可能とする機器をその所持品に秘かに装着することによって,合理的に推認される個人の意思に反してその私的領域に侵入する捜査手法であるGPS捜査は,個人の意思を制圧して憲法の保障する重要な法的利益を侵害するものとして,刑訴法上,特別の根拠規定がなければ許容されない強制の処分に当たる(最高裁昭和50年(あ)第146号同51年3月16日第三小法廷決定・刑集30巻2号187頁参照)とともに,一般的には,現行犯人逮捕等の令状を要しないものとされている処分と同視すべき事情があると認めるのも困難であるから,令- 4 - 状がなければ行うことのできない処分と解すべきである。

ずっと更新していなかった。

いっとき、Hatena Blogがなくなるなんて話もあったが、今日見たらまだ見られるし、ログインもできるじゃないか。

実はまだ旗は降ろしておらず、細々と勉強は続けている。

今日は予備試験短答を三田で受けてきた。

自己採点結果は惨憺たるものだったが、このブログの再活用も含め今後の対策対応を考えていきたい。

4 最高裁判所第二小法廷 平成元年2月17日 判決 新潟─小松─ソウル間の定期航空運送事業免許処分取消請求事件

法は国際民間航空条約の規定並びに同条約の附属書として採択された標準、方式及び手続に準拠しているものであるが、航空機の航行に起因する障害の防止を図ることをその直接の目的の一つとしている(法一条)。この目的は、右条約の第一六附属書として採択された航空機騒音に対する標準及び勧告方式に準拠して、法の一部改正(昭和五〇年法律第五八号)により、航空機騒音の排出規制の観点から航空機の型式等に応じて定められた騒音の基準に適合した航空機につき運輸大臣がその証明を行う騒音基準適合証明制度に関する法二〇条以下の規定が新設された際に、新たに追加されたものであるから、右にいう航空機の航行に起因する障害に航空機の騒音による障害が含まれることは明らかである。

ところで、定期航空運送事業を経営しようとする者が運輸大臣の免許を受けるときに、免許基準の一つである、事業計画が経営上及び航空保安上適切なものであることについて審査を受けなければならないのであるが(法一〇〇条一項、二項、一〇一条一項三号)、事業計画には、当該路線の起点、寄航地及び終点並びに当該路線の使用飛行場、使用航空機の型式、運航回数及び発着日時ほかの事項を定めるべきものとされている(法一〇〇条二項、航空法施行規則二一〇条一項八号、二項六号)。そして、右免許を受けた定期航空運送事業者は、免許に係る事業計画に従つて業務を行うべき義務を負い(法一〇八条)、また、事業計画を変更しようとするときは、運輸大臣の認可を要するのである(法一〇九条)。このように、事業計画は、定期航空運送事業者が業務を行ううえで準拠すべき基本的規準であるから、申請に係る事業計画についての審査は、その内容が法一条に定める目的に沿うかどうかという観点から行われるべきことは当然である。

更に、**運輸大臣は、定期航空運送事業について公共の福祉を阻害している事実があると認めるときは、事業改善命令の一つとして、事業計画の変更を命ずることができるのであるが(法一一二条)、右にいう公共の福祉を阻害している事実に、飛行場周辺に居住する者に与える航空機騒音障害が一つの要素として含まれることは、航空機の航行に起因する障害の防止を図るという、前述した法一条に定める目的に照らし明らかである。また、航空運送事業の免許権限を有する運輸大臣は、他方において、公共用飛行場の周辺における航空機の騒音による障害の防止等を目的とする公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律三条に基づき、公共用飛行場周辺における航空機の騒音による障害の防止・軽減のために必要があるときは、航空機の航行方法の指定をする権限を有しているのであるが、同一の行政機関である運輸大臣が行う定期航空運送事業免許の審査は、関連法規である同法の航空機の騒音による障害の防止の趣旨をも踏まえて行われることが求められるといわなければならない**。

以上のような航空機騒音障害の防止の観点からの定期航空運送事業に対する規制に関する法体系をみると、法は、前記の目的を達成する一つの方法として、あらかじめ定期航空運送事業免許の審査の段階において、当該路線の使用飛行場、使用航空機の型式、運航回数及び発着日時など申請に係る事業計画の内容が、航空機の騒音による障害の防止の観点からも適切なものであるか否かを審査すべきものとしているといわなければならない。換言すれば、申請に係る事業計画が法一〇一条一項三号にいう「経営上及び航空保安上適切なもの」であるかどうかは、当該事業計画による使用飛行場周辺における当該事業計画に基づく航空機の航行による騒音障害の有無及び程度を考慮に入れたうえで判断されるべきものである。したがつて、申請に係る事業計画に従つて航空機が航行すれば、当該路線の航空機の航行自体により、あるいは従前から当該飛行場を使用している航空機の航行とあいまつて、使用飛行場の周辺に居住する者に騒音障害をもたらすことになるにもかかわらず、当該事業計画が適切なものであるとして定期航空運送事業免許が付与されたときに、その騒音障害の程度及び障害を受ける住民の範囲など騒音障害の影響と、当該路線の社会的効用、飛行場使用の回数又は時間帯の変更の余地、騒音防止に関する技術水準、騒音障害に対する行政上の防止・軽減、補償等の措置等との比鮫衡量において妥当を欠き、そのため免許権者に委ねられた裁量の逸脱があると判断される場合がありうるのであつて、そのような場合には、当該免許は、申請が法一〇一条一項三号の免許基準に適合しないのに付与されたものとして、違法となるといわなければならない。

そして、航空機の騒音による障害の被害者は、飛行場周辺の一定の地域的範囲の住民に限定され、その障害の程度は居住地域が離着陸経路に接近するにつれて増大するものであり、他面、飛行場に航空機が発着する場合に常にある程度の騒音が伴うことはやむをえないところであり、また、航空交通による利便が政治、経済、文化等の面において今日の社会に多大の効用をもたらしていることにかんがみれば、飛行場周辺に居住する者は、ある程度の航空機騒音については、不可避のものとしてこれを甘受すべきであるといわざるをえず、その騒音による障害が著しい程度に至つたときに初めて、その防止・軽減を求めるための法的手段に訴えることを許容しうるような利益侵害が生じたものとせざるをえないのである。このような航空機の騒音による障害の性質等を踏まえて、前述した航空機騒音障害の防止の観点からの定期航空運送事業に対する規制に関する法体系をみると、法が、定期航空運送事業免許の審査において、航空機の騒音による障害の防止の観点から、申請に係る事業計画が法一〇一条一項三号にいう「経営上及び航空保安上適切なもの」であるかどうかを、当該事業計画による使用飛行場周辺における当該事業計画に基づく航 機の航行による騒音障害の有無及び程度を考慮に入れたうえで判断すべきものとしているのは、単に飛行場周辺の環境上の利益を一般的公益として保護しようとするにとどまらず、飛行場周辺に居住する者が航空機の騒音によつて著しい障害を受けないという利益をこれら個々人の個別的利益としても保護すべきとする趣旨を含む ものと解することができるのである。したがつて、新たに付与された定期航空運送 事業免許に係る路線の使用飛行場の周辺に居住していて、当該免許に係る事業が行 われる結果、当該飛行場を使用する各種航空機の騒音の程度、当該飛行場の一日の 離着陸回数、離着陸の時間帯等からして、当該免許に係る路線を航行する航空機の騒音によつて社会通念上著しい障害を受けることとなる者は、当該免許の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者として、その取消訴訟における原告適格を有すると解するのが相当である。

してみると、本件各免許に係る路線を航行する航空機の騒音によつて上告人が受けることとなる障害の有無及び程度について何ら問うことなく、上告人は本件各免許の取消しを訴求する原告適格を有しないとして本件訴えを却下した第一審判決及びこれを支持した原判決は、いずれも法令の解釈適用を誤つたものといわざるをえない

3 最高裁判所第三小法廷 平成4年9月22日判決 原子炉設置許可処分無効確認等請求事件

行政事件訴訟法九条は、取消訴訟原告適格について規定するが、同条にいう当該処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者をいうのであり、当該処分を定めた行政法規が、不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、かかる利益も右にいう法律上保護された利益に当たり、当該処分によりこれを侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者は、当該処分の取消訴訟における原告適格を有するものというべきである最高裁昭和四九年(行ツ)第九九号同五三年三月一四日第三小法廷判決・民集三二巻二号二一一頁、最高裁昭和五二年(行ツ)第五六号同五七年九月九日第一小法廷判決・民集三六巻九号一六七九頁、最高裁昭和五七年(行ツ)第四六号平成元年二月一七日第二小法廷判決・民集四三巻二号五六頁参照)。そして、当該行政法規が、不特定多数者の具体的利益をそれが帰属する個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規の趣旨・目的、当該行政法規が当該処分を通して保護しようとしている利益の内容・性質等を考慮して判断すべきである。

行政事件訴訟法三六条は、無効等確認の訴えの原告適格について規定するが、同条にいう当該処分の無効等の確認を求めるにつき「法律上の利益を有する者」の意義についても、右の取消訴訟原告適格の場合と同義に解するのが相当である。

以下、右のような見地に立って、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(以下「規制法」という。)二三条、二四条に基づく原子炉設置許可処分につき、原子炉施設の周辺に居住する者が、その無効確認を訴求する法律上の利益を有するか否かを検討する。

規制法は、原子力基本法の精神にのっとり、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の利用が平和の目的に限られ、かつ、これらの利用が計画的に行われることを確保するとともに、これらによる災害を防止し、及び核燃料物質を防護して、公共の安全を図るために、製錬、加工、再処理及び廃棄の事業並びに原子炉の設置及び運転等に関する必要な規制等を行うことなどを目的として制定されたものである(一条)。規制法二三条一項に基づく原子炉の設置の許可申請は、同項各号所定の原子炉の区分に応じ、主務大臣に対して行われるが、主務大臣は、右許可申請が同法二四条一項各号に適合していると認めるときでなければ許可をしてはならず、また、右許可をする場合においては、あらかじめ、同項一号、二号及び三号(経理的基礎に係る部分に限る。)に規定する基準の適用については原子力委員会、同項三号(技術的能力に係る部分に限る。)及び四号に規定する基準の適用については、核燃料物質及び原子炉に関する安全の確保のための規制等を所管事項とする原子力安全委員会の意見を聴き、これを十分に尊重してしなければならないものとされている(二四条)。同法二四条一項各号所定の許可基準のうち、三号(技術的能力に係る部分に限る。)は、当該申請者が原子炉を設置するために必要な技術的能力及びその運転を適確に遂行するに足りる技術的能力を有するか否かにつき、また、四号は、当該申請に係る原子炉施設の位置、構造及び設備が核燃料物質(使用済燃料を含む。)、核燃料物質によって汚染された物(原子核分裂生成物を含む。)又は原子炉による災害の防止上支障がないものであるか否かにつき、審査を行うべきものと定めている。原子炉設置許可の基準として、右の三号(技術的能力に係る部分に限る。)及び四号が設けられた趣旨は、原子炉が、原子核分裂の過程において高エネルギーを放出するウラン等の核燃料物質を燃料として使用する装置であり、その稼働により、内部に多量の人体に有害な放射性物質を発生させるものであって、原子炉を設置し ようとする者が原子炉の設置、運転につき所定の技術的能力を欠くとき、又は原子炉施設の安全性が確保されないときは、当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがあることにかんがみ、右災害が万が一にも起こらないようにするため、原子炉設置許可の段階で、原子炉を設置しようとする者の右技術的能力の有無及び申請に係る原子炉施設の位置、構造及び設備の安全性につき十分な審査をし、右の者において所定の技術的能力があり、かつ、原子炉施設の位置、構造及び設備が右災害の防止上支障がないものであると認められる場合でない限り、主務大臣は原子炉設置許可処分をしてはならないとした点にある。そして、同法二四条一項三号所定の技術的能力の有無及び四号所定の安全性に関する各審査に過誤、欠落があった場合には重大な原子炉事故が起こる可能性があり、事故が起こったときは、原子炉施設に近い住民ほど被害を受ける蓋然性が高く、しかも、その被害の程度はより直接的かつ重大なものとなるのであって、特に、原子炉施設の近くに居住する者はその生命、身体等に直接的かつ重大な被害を受けるものと想定されるのであり、右各号は、このような原子炉の事故等がもたらす災害による被害の性質を考慮した上で、右技術的能力及び安全性に関する基準を定めているものと解される。右の三号(技術的能力に係る部分に限る。)及び四号の設けられた趣旨、右各号が考慮している被害の性質等にかんがみると、右各号は、単に公衆の生命、身体の安全、環境上の利益を一般的公益として保護しようとするにとどまらず、原子炉施設周辺に居住し、右事故等がもたらす災害により直接的かつ重大な被害を受けることが想定される範囲の住民の生命、身体の安全等を個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むと解するのが相当である。

そして、当該住民の居住する地域が、前記の原子炉事故等による災害により直接的かつ重大な被害を受けるものと想定される地域であるか否かについては、当該原子炉の種類、構造、規模等の当該原子炉に関する具体的な諸条件を考慮に入れた上で、当該住民の居住する地域と原子炉の位置との距離関係を中心として、社会通念に照らし、合理的に判断すべきものである。

以上説示した見地に立って本件をみるのに、上告人らは本件原子炉から約二九キロメートルないし約五八キロメートルの範囲内の地域に居住していること、本件原子炉は研究開発段階にある原子炉である高速増殖炉であり(規制法二三条一項四号、同法施行令六条の二第一項一号、動力炉・核燃料開発事業団法二条一項参照)、その電気出力は二八万キロワットであって、炉心の燃料としてはウランとプルトニウムの混合酸化物が用いられ、炉心内において毒性の強いプルトニウムの増殖が行われるものであることが記録上明らかであって、かかる事実に照らすと、上告人らは、いずれも本件原子炉の設置許可の際に行われる規制法二四条一項三号所定の技術的能力の有無及び四号所定の安全性に関する各審査に過誤、欠落がある場合に起こり得る事故等による災害により直接的かつ重大な被害を受けるものと想定される地域内に居住する者というべきであるから、本件設置許可処分の無効確認を求める本訴請求において、行政事件訴訟法三六条所定の「法律上の利益を有する者」に該当するものと認めるのが相当である。

三 してみると、右と異なる見解に立って、上告人らは、本件設置許可処分の無効確認を求めるにつき、行政事件訴訟法三六条所定の「法律上の利益を有する者」に該当しないとして本件訴えを不適法であるとした原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない。

そして、同条は、処分の無効確認の訴えは、当該処分の効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えによって目的を達することができないものに限り、提起することができるとの要件を定めているが、本件原子炉施設の設置者である動力炉・核燃料開発事業団に対する前記の民事訴訟は、右にいう当該処分の効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えに該当するものとみることはできず、また、本件無効確認訴訟と比較して、本件設置許可処分に起因する本件紛争を解決するための争訟形態としてより直截的かつ適切なものであるともいえないから、上告人らにおいて右民事訴訟の提起が可能であって現にこれを提起していることは、本件無効確認訴訟が同条所定の右要件を欠くことの根拠とはなり得ない。また、他に本件無効確認訴訟が右要件を欠くものと解すべき事情もうかがわれない。