【中学受験】自由な校風の学校、選ぶべきか、避けるべきか (original) (raw)
昔から、自由な校風の学校というものがいくつもあり、そうした校風を求める家庭も多くありました。
しかし、どうも最近は変わってきたような気がします。
自由な校風よりも、管理型教育を求める家庭が増えているのです。
今回は、「自由な校風」の学校について考察してみます。
※なるべくニュートラルな視点を心がけてはいますが、どうしても私の好みが反映することは避けられません。どの学校も持ち上げるつもりも貶める意図もありませんのでご容赦ください。
また、「実際に通っているけれど、そんなことはない!」というご意見もあるかと思いますが、主観や印象は様々であるということで広い心でお許しください。
「自由な学校」とは?
まずこの曖昧な「自由な学校」というものを定義してみます。
その前に、その対極として「管理型の学校」を考えてみましょう。
(1)制服がある
登校時に校門前で怖い教師が制服チェックをしているようなイメージです。定規を持ってスカート丈を計ったり、髪色をチェックするのでしょうか。 よく「ブラック校則」として話題になりますが、今どきそんな学校がどれだけあるのかどうかはわかりません。
さすがにそこまで厳しくはないとしても、「制服」である以上、一定の着こなしルールを守ることが義務づけられるのは普通でしょう。
(2)校則がある/厳しい
服装や持ち物に細かい規定があり、靴下の色・長さ・靴の種類・通学鞄(指定のものだけ、リュック禁止等)等が決められています。染髪禁止はだいたいどこも同じですが、さらに女子校では、肩につく長さの場合は結ぶこと、などとなっている学校も多いですね。登下校時の寄り道の許可制や男女交際についてのルールがある学校も。とにかく「学校が考える理想の生徒像」に反することはダメ、ということのようです。
一度「ブラック校則」で検索すると、「それは当然だろう」と思えるものもある一方で、「??」なものもたくさんありますよ。
(3)生徒が自主的に活動できない
クラブ活動も制約が多く、学外活動が禁止されている。文化祭も教師が中心となって運営します。
(4)成績・内申点で生徒を縛る
成績別クラス編成を細かく設定したり、毎日の復習テストの成績が貼り出されたり。
(5)親が学校に来る機会が多い
家庭でも子どもの管理をしっかりすることが求められるため、親も定期的に学校に来ることが求められます。
(6)長期休みの補習授業が多い
夏休み中でもほぼ毎日学校に来ることが求められています。子どもにとってはたまらないでしょうが、親にとっては実にありがたいことでしょう。
(7)教師と生徒の上下関係がはっきりしている
生徒は教師に従うことが厳しく求められるため、教師・生徒の間に壁があるのです。いくら形ばかり「カウンセラー」を置いたところで、生徒が教師に相談しづらいのではだめですね。もちろん教師が生徒に舐められているようでは困りますが。
(8)大声で怒鳴る教師が多い
生徒を一個の人格として認めていない証拠です。世間的には自由とされている学校だったのに、教師が大声で生徒を怒鳴りつける場面を見てしまい、一気に印象が変わったことがあります。
(9)大学進学実績を出すことに注力
本来は良いことなのですが、生徒一人一人の努力の成果としての大学実績という観点ではなく、学校の評価を高めることが目的となっている学校も多いですね。学校の説明会にうかがうと、教務主任や校長が大学実績の自慢ばかりしているのを聞くと、学校の姿勢がわかります。
せっかく大学への指定校推薦があるのに、成績優秀な生徒は使わせてもらえない、そんな話も耳にしました。優秀な生徒には受験をして大学実績を稼がせたい、そういう意図なのです。
(10)罰則が厳しい
腐ったリンゴはすぐに取り除く発想なのでしょう。校則・ルールを破った生徒への罰則が厳しいのです。入学者数と卒業生数の乖離が大きいのですぐわかります。
さて、今度は「自由な学校」を考えてみます。
(1)制服がない
これが外見上一番わかりやすい特徴ですね。
最初から制服が無い学校や、昔は存在したが廃止された学校、いちおうの「基準福・標準服」はあるものの着用は自由な学校等様々です。
私の教え子の一人は、そうした制服の無い学校に進学しました。まだ高校生なのですが、「よく大学生に間違えられる」と謎の自慢をしています。大人っぽく見られたい年頃なのですね。童顔のこの生徒が大学生に間違えられる理由はただ一つ、制服を着ていないからです。逆に言えば、中高生=制服、というのが世間的な認知ということなのです。
ただし、制服が無い学校だからといって完全に「自由」というわけでもありません。
本校では、創立当初から制服を定めていません。自分らしさを表現し、その時々の状況に相応しい服装を自分で選び取る力を養わせたいと考えているからです。しかし、何もかも自由というのではなく、ルールはあります。例えば、袖のある服を着ること、ズボンは十分丈であることなどです。華美でない清潔な服装に、校章を付けて通学するよう指導しています。
これは恵泉女学園のルールですが、まあ当たり前といえば当たり前のことですね。
ちなみに恵泉の校章は、ペンダント・バッジ・ピンバッジの3種が配られ、どれを着けても自由だそうです。
(2)校則が無い/少ない
「鉄下駄の禁止」「授業中の出前禁止」「賭け麻雀の禁止」
これは、麻布中高の校則です。
正確には校則ですらなく、生徒が代々言い伝えてきた?ものだそう。
おそらくは何等かの冗談なのだろうと思います。賭け麻雀というワードに昭和の匂いがただよいますね・出前にしても、実際に頼む生徒がいたからこそのルールでしょう。鉄下駄は謎でしかありません。
「自由な学校」とされる学校は、ほぼ例外なく校則は無いか、あってもごくわずかです。
(3)生徒の自主性を重んじる
文化祭(学園祭)や体育祭のようなイベントに行くとよくわかります。
こうしたイベントを「学校を対外的に良く見せる機会」ととらえ、「よそ行き」に装う学校が多いものですが、自由な学校では、だいたいが放置・放任です。生徒の間で自主的に運営するのが普通です。
(4)成績を公表せず、指導も少ない
いわゆる「赤点」の生徒に対する指導くらいはあったとしても、基本的に勉強する・しないは生徒任せなのですね。成績・順位も公表しないので、自分がどれくらいの立ち位置にいるのか知ったのは高校2年で受けた外部模試が初めてだった、そんな声も聞きます。
(5)親が学校に来る機会がほぼ無い
中高生になったら子ども本人が自主的に判断することを求められるのですね。親が学校に行く機会がとても少ないのも特徴です。
(6)長期休みの補習授業は無い
昔はどの学校もそうでした。最近は、夏休みでも各種「夏期講習」が受講できたり、成績不審者への補習が手厚い学校が増えています。
(7)教師と生徒の関係がフラット
教師は生徒を大人扱いし、生徒も教師に気軽に接する、そんなかんじでしょうか。
(8)教師が生徒を怒ることが少ない
中高生が多数集まれば、叱る(教育的指導)が必要な場面などいくらでもあります。
ただ、そこで「大声で怒鳴る」必要はありません。教師が生徒に「下品な」態度で接すれば、生徒もそうした態度で教師に接するようになります。
(9)大学進学実績を出すことに無頓着
学校は塾・予備校ではありません。
教育の目的は、「東大〇〇名」を誇ることではないはずです。
預かった生徒達を、目標実現に向けて支援することは大切なことですが、学校が率先して大学実績を追い求めるようになっては本末転倒です。
もっとも、6年間を楽しく過ごしたが大学はどこにも受からなかった、では困るのも確かですが。
進路指導が無い、受けたい大学を提出するだけ、そんな学校もあります。学校側から「この大学にしなさい」といった指導が入るのではなく、「この大学・学部を受けたいです」といった場合のみ、相談に乗ったり支援してくれるという学校も多くあります。
(10)罰則が無い
せっかく「中高6年間一貫教育」の学校を選んだのに、途中で放り出されたのでは困ります。
なかには、1クラス分の人数が途中で「消えて」しまう学校もあるのです。
「学校のルールに従えないのなら当然だ!」という「強者の論理」もありますが、いつ「弱者」の立場に立たされるかはわかりません。
心身とも健康な6年間を願っても、様々な要因により不登校になってしまう生徒も珍しくはないのです。
学校が味方になってくれないのでは、生徒にとってはつらいですね。
よほどのことが無い限り、最後まで学校から放り出されることはない、そうした学校には「愛」を感じます。
自由な学校をいくつか紹介
麻布
「自由な学校は?」と聞かれると、おそらくほとんどの人が筆頭に挙げる学校です。
この学校の教育理念は、HPを見てもわかりづらいのですが、「自由闊達・自主自立」というのが校風とあります。
ただ、この学校の「自由」というのは筋金入りです。
1960年代に吹き荒れた大学紛争の余波が高校にもやってきたのですね。全国で「高校紛争」が起きましたが、麻布の場合はそれらの高校とは様相が異なりました。
校長代行として送り込まれた山内一郎なる人物が専横的な学校運営を行い、それに反発した生徒・教師と激しく対立したのですね。生徒達が事務室を占拠し抵抗したり、学校内に機動隊が投入され、多くの生徒が排除されたなどという、およそ高校では見られない光景が展開されました。
結局生徒達によって1971年、山内一郎校長代行は辞任に追い込まれます。この山内一郎は、学校の所有財産を勝手に売却(山中湖畔の別荘が処分され、2.5億円以上をポケットに入れた)したり縁故者を裏口入学させたりとやりたい放題だったようですが、後に収賄罪で懲役刑となっています。
それ以来、校則も生徒会もなく、生徒は「完全」な自由を手に入れたのだとか。
私はこれを「フランス革命型自由」と名付けました。
おそらく日本の中高でこのタイプの自由な学校は唯一無二だと思われます。
女子学院
「自由な校風の女子校」を希望する生徒に薦める学校としては、ここくらいしか思いつきません。
初代院長であった矢島楫子の「あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい」という言葉がこの学校を象徴しています。
また、1969年に生徒と教師が徹底的に話し合うことで制服が廃止されました。当時の大島院長は、「服装は本来自由なものであって、通学服も同じこと。自分にふさわしいものを選びとっていくことが大切。このためには規定は邪魔になる」と語ったそう。
さらに、「派手な服装や流行に流される風潮があるとすれば、すでに学校の教育に大きな欠陥があることを示すだけ。服装よりも教育の在り方そのものを反省すべきである」と言い切りました。
なかなかかっこいいですね。
校則は4つあります。
◆規定のバッヂをつける
◆校内では指定の上履きを履く
◆登校後の外出は禁止
◆校外活動は学校に届け出る
まあ最低限というか、それにも満たないルールですね。生徒にリサーチすると、上履きは履くし、登校後は外出する必要もない(行く場所も近くにない)けれど、あとの2つは守ったり守らなかったりだとか。バッヂは服に穴が開くのが嫌なのでつけない子が多いと言っていました。受験生にとっては憧れの「JGバッヂ」なのですがね。
ただし、女子校だからか、麻布のような「なんでもありの自由」ではないようです。
スマホについては、学校内では電源を切ること、というルールで、破ると(それが見つかると)没収されるそうです。
このあたりは他の学校と大差ない印象ですね。
やはり目立つのは髪色と服装の自由さでしょうか。
「和服とドレスと着ぐるみ以外は何でもOK」と生徒は言っていましたが、おそらくこれは先生の冗談だと思います。
筑駒
教育理念は「自由・闊達の校風のもと、挑戦し、創造し、貢献する生き方をめざす」です。
校則はありません。「ガム禁止」くらいだそうですが、これも校則というわけではないそう。
ただし、世間的には「とても自由な」学校として認識されている学校ですが、私の目には少し違って見えています。
それは、この学校を受験して進学する生徒達を見て感じることがあるからです。
〇まじめな生徒
〇努力型の生徒
〇母親の言うことをよく聞く生徒
〇ミスの少ない生徒
こうした生徒ばかりでした。
たまに天才型の生徒というのもいますが、それは10年に一人の逸材ですね。
入試問題の傾向を見ても、いわゆる思考力型ではないのです。
そうして集まった生徒達が、いきなり「自主的に」活動し「自由を謳歌」するかどうか、そのあたりが納得いきません。
ここで鉄緑会のHPより、筑駒生の人数を見ると、596名とありました。筑駒の在籍生徒数は、中学生は1学年120名、高校生は1学年160名ですので、計840名です。
(実際には多少前後するのでしょうが、学校が公表している数字はこれだけです)
これを分母として、「鉄緑会在籍率」を計算すると、71%になります。
ちなみに、同様の計算をすると、麻布が29%、開成が53%、桜蔭が63%、駒東は23%でした。
一つの塾に7割以上の生徒が通っているというのは、私には少々異様に思えます。
ここから推測されることとして、
〇学校が何もしてくれないから塾に頼るしかない
〇学校は大学受験を意識した教育を行っていない
〇東大至上主義が蔓延している
〇勉強が大好きな生徒が多い
〇異性との出会いを求めて塾に行く生徒が多い
〇東大に目標を定めて早い段階から努力する生徒が多い
こういったあたりを思いつきます。
とあるお母さま曰く、筑駒の自由は「夜にはみな厩舎に帰ってくる、柵のある放牧型自由」なのだとか。
ただし、これは学校の立ち位置から見て仕方がない側面もあるのです。
国立大学の附属学校には、2つの大きな使命があります。
1つは教育に関する研究や教育実習の実施に協力すること、もう1つは「国の拠点校」「地域のモデル校」として、日本の初等中等教育における研究開発を実践していくことです。
筑波大学の附属学校である本校では「先導的教育」「教師教育」「国際教育」の3つの分野において、国の拠点校をめざしています。
この縛りからは逃れることはできません。
ただし授業は自由闊達に展開されます。「大学入試」など念頭におかず、教師が個性的な授業を自由に実践しているようですね。
それだからこその鉄緑会通塾率なのでしょう。
このお母さまに言わせると、麻布は「柵などない」そうです。
桐朋
「規律ある自由」です。
放任型自由とは異なります。
明星学園
吉祥寺駅から井の頭公園を越えたあたりにある学校です。小中高があります。
首都圏模試の偏差値は42ですね。この偏差値帯には、郁文館、城西大城西、文教大附属、目白研心、横浜隼人などの学校が並んでいます。
実は私は学生時代、ここの生徒の家庭教師をしていました。それでふと思い出したので紹介します。
一言でいえば、「まるで外国の学校のように自由な共学校」という印象です。
生徒から聞く学校の様子は、とても羨ましいものでした。
「個性尊重」「自主自立」「自由平等」が教育方針です。
ただし、こうした教育方針は、生徒の学力伸長には苦戦するのかもしれません。
大学実績を見ると、2桁合格は武蔵野美術大学(10名)だけです。3名以上合格者がいた大学を拾ってみると、日本大学・東京農業大学・亜細亜大学・桜美林大学・杏林大学・慶應大学・国学院大学・成城大学・洗足学園音大・大東文化大・玉川大学・帝京大学・東海大学・東京経済大学・東京工科大学・東京工芸大学・東洋大学・日本女子大学・武蔵大学・武蔵野大学・目白大学といった大学でした。
あとはほとんどが1名合格です。
おそらく、この学校を志望するのは、大学実績よりも大切な教育を求める層なのかもしれません。
私が教えてい生徒も、とても素直ないい子だったのですが、大学受験には苦戦しました。もちろんそれは私の責任です。
自由の代償
もうおわかりのように、自由な学校はおもに以下の3つに分類されます。
◆高偏差値進学校
◆100%内部進学する大学附属校
◆低偏差値校
もちろん例外は多数あります。大学附属校でも厳しい学校はいくつもありますし、低偏差値校の多くは管理型です。
高偏差値男子校の場合、「服装の乱れ」を厳密に管理しなくとも、「行動を規制」しなくとも、問題をさほど起こさず、勉強にも手を抜かない生徒が多いのですね。
生徒の自主性に任せても、そう大きく踏み外さないということなのでしょう。
どうも入試難易度が下がるにつれて学校の締め付けが厳しくなる印象があります。
そうしないと生活面が乱れてくるということなのかもしれません。
業界では「受験少年院」などと揶揄される学校もありますし、「独房」と呼ばれる反省部屋が設置されている学校もあります。
100%内部進学が約束されている大学附属校も、自由な校風の学校が多いと思います。生徒がのびのびしているのです。大学受験というのが中高生にとっていかに大きな負担なのかわかります。
低偏差値校という失礼なくくりをしてしまいましたが、これは「悪い学校」という意味ではありません。
勉強・大学実績だけに価値を置いていない、そういう学校なのだと思います。
自由を重んじた結果が偏差値に反映しているのでしょう。
もちろん中には、学校が管理を放棄(管理できない?)した学校もあるでしょう。
大学実績を追い求めている学校ほど、「面倒見がいい」もののようです。
毎朝小テストがあり、その結果に基づいた復習プリント(一人一人異なる)が生徒に配られる学校や、格安夏期講習がある学校です。卒業後も自習室が使える学校もあります。親としては安心ですね。最近人気を集めている学校に多くみられる傾向です。
自由には責任が伴います。
6年間自由に過ごした代償が、卒業後の多浪では、親としても困りますね。
長い人生から見れば、それも大したことではないという考えもありますが、まずは中高生の本分は「勉強にあり」というのも確かですから。
個人的には、自由な学校は大好きです。生徒にも、狭い枠を飛び越えた中高生活を送ってほしいと思っています。もちろん勉強前提で。