絵画等のこと㉗ 清水裕貴作品展「浮上」@PGI (original) (raw)

■ 絵画等のこと㉗

2024年10月19日(土)まで赤羽橋のPGIにて開催中の清水裕貴作品展「浮上」を拝見したので、感想を記します。

清水裕貴作品展
浮 上
2024.9.4(水) - 10.19(土)
PGI(〒106-0044 東京都港区東麻布2丁目3-4 TKBビル 3F)

www.pgi.ac

清水裕貴作品展「浮上」

写真家・小説家の清水裕貴を知ったのは、千葉市美術館で開催された「とある美術館の夏休み」だったのだけれど、その時に清水の作品に言及していないので、失礼ながらその時はあまり印象に残らなかったのかと思う。それよりも同館のミュージアムショップにて清水の著作「海は地下室に眠る」のサイン本を購入して、拝読した際にすごい作家だ、と感じた記憶がある。
稲毛駅京成千葉線・JR総武線)の近くに、清国のラストエンペラーの弟である愛新覚羅溥傑が住んでいたことはご存知だろうか? 同書は千葉市美術館の学芸員が調査の中で、溥傑の家族にまつわる謎に出会い、コロナ禍の令和と第二次大戦中の昭和の時代を行ったり来たりしながら物語が進んでいくのだけれど、そこで描かれるのはドキュメンタリーであり、歴史のようで、あるところから先はフィクションであり偽史。私にとっては地元と言える地域で過去に起こったかもしれない物語を読むのは、とても楽しかった。

さて、そんな小説を読んで清水に興味を持っている中でこの程、偽史を扱った作品展を拝見できるとのことで、これは伺わねばと思い出かけた次第。「浮上」では、清水が撮影した館山の海岸や自衛隊基地等の施設の写真を潮で侵食させたもの(現像するまでどんな仕上がりになるかわからないとか)と、テクストが交互に展示され、同地で信仰されていた叶プス或いは布良星と呼ばれる星や星守の偽史が語られる。
何処までが本当で何処からが偽なのかが分からない点がとても面白い。関東大震災第二次世界大戦終戦を経て、星守はいなくなり叶プス或いは布良星が何なのかもわからなくなり、信仰が失われる様子を描くのだが、もっと古い時代の神話のようでもあり、これから未来に起こることのようにも感じ、不思議な心持ちがした。

とても楽しめましたので、皆様もぜひお出かけください。

■ 沈降

その日、世田谷区で鰻を食べそびれた僕は、渋谷区を闊歩して港区へ向かった。途中、行きつけの鞄屋で肩掛け鞄を修理してもらったが、僕の鞄には何も入っていなかった。港区を歩いていると、とあるギャラリーがあったため中に入った。

中はおびただしい数の写真が掲げられていた。海の写真だ。写し出された波の一つ一つはまるでついさっき生まれたばかりのようなまっさらな顔をしていてその実、百年前からそこにいるかのようにも見えた。

並んだ写真を眺めながら、何部屋も通り過ぎた。展示は廊下を通って階段まで続いていて、僕は無数の写真から目が離せなくなっていた。無数の写真の中には僕も写っており、写真の中の僕は、僕のことを不思議そうな顔をして眺めていた。

僕の写真を眺めていると、僕の後ろには町が広がっていた。その昔、人間たちは神の世界まで届こうかという塔を建造した罰として、互いに言葉がわからないようにされ、言語が生まれたのだという。確かに、僕の言葉は誰にも通じなかった。

世界は暗転した。夜になったのだ。昼と夜とを繰り返しながら、白と黒を剥がして塗りなおす度に、この世界は少しずつ壊れていく。僕の頭の中からもその度ごとに、何かしらが失われている気がする。

暗闇を嫌って、明るい建物の中に入った。年配の女性が、アイスクリーム抜きの珈琲フロートとドーナツの中心を運んできてくれた。店中に星々が咲き乱れて眩しさに目がくらんだ。

再度反転した世界に僕を止めるものはなく、僕は神の世界を目指して雲の間を抜けて、上へ上へと進み続けた。

静かな場所に出た。鰻のような神が雷を鳴らしながら、雨を降らせた。僕にまとわりつく白いものも黒いものも、揃って流されていき、僕の空っぽの鞄は、降り注いだ言葉で溢れそうであった。

画集を閉じた時、僕は中央区鰻屋にいたが、そこには一匹も鰻はいなかった。

■ 参考

同日、以下展示も拝見しました。

2024年 秋季企画展
もっと愉しい!書画の世界
―読んで、見て、味わう詩情―
2024.9.2(月)-12.20(金)
斎田記念館(〒155-0033 東京都世田谷区代田3-23-35)

落合陽一個展
昼夜の相代も神仏:鮨ヌル∴鰻ドラゴン
2024.9.7(土) - 10.27(日)
BAG-Brillia Art Gallery-(〒104-0031 東京都中央区京橋3-6-18 東京建物京橋ビル1階)

■ ちょっと関連

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