ベルナルト・ハイティンクの音楽~ブルックナー生誕200年 (original) (raw)

オランダ出身の指揮者ベルナルト・ハイティンク(1929~2021)積極的にきいた指揮者ではありませんでした。それは彼の活動した時期には大勢の個性豊かな指揮者が活動しており、良い指揮者ではあるけれども「正統的」「正攻法」といった解釈で常識的な範囲内に収まるという評論に乗っかっていました。

若くしてオランダのコンセルトヘボウ・オーケストラの正指揮者になったけれども、それゆえかもしれませんが、ある意味「守り」に入った「老成」した、「枯れた」指揮者というイメージがついていました。また、彼のレパートリーの主軸となるものがドイツ・オーストリア音楽=ベートーヴェンブラームスブルックナーマーラーといった交響楽団を率いるには当然うまく振ることが当り前の作品を手掛けており、そこにはカラヤンバーンスタインアバドバレンボイムテンシュテット・・・私ももっぱらこちらの指揮者をきいていたのでハイティンクまで耳が回りませんでした。そして気が付けば引退-亡くなってしまいました。

先日、ウィーン・フィルと1995年に録音したブルックナー交響曲第8番をきいて、「これは!」と思ったのでここに記しておきます。

彼は手兵のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と1960年代から70年代に全曲の録音をしており、これはウィーン・フィルと録音する全集となる計画で、1985年の第4番「ロマンティック」からゆったりとしてペースで進められ、この第8番は第3番、第5番に続く4曲目の録音となったディスクだそうです。

結果的にはこの全集は中断となってしまったことは覚えています。レコード芸術のインタビューで彼が「レコード会社(当時のフィリップス)から今後、あなたの録音プロディースは全て白紙とする」みたいなことを言われた。と語っていたのを覚えています。当時は毎月のようにアバドムーティバレンボイム、メータ、小澤征爾などのCDが多数発売されていたので「ハイティンクのような没個性的なCDはリリース的に難しいよね」と思っていたのですが、その時はレコード業界も不況の波に苦労しているのね。位にしか感じていませんでしたが、今思うと既にクラシック音楽業界の「終わりの始まり」がきていたのですね。

その後フィリップスはデッカに吸収され、1990年代中頃から加速していたレーベル業界の再編により、デッカ自体も今やドイツ・グラモフォンポリグラムを所有するユニバーサル・ミュージック・グループ傘下に入っています(再発売されるディスクからはフィリップスのロゴは一切無くなっています。今回きいたディスクもデッカ表示です。)

話が逸れてしまいました―

第1楽章からゆったりとしたテンポ―チェリビダッケのようなビックリするほどではありませんが―で進められていき、カラヤンやヴァントなどをきいた耳には遅く感じられます。

チェリビダッケはテンポを極端に遅くして細部を時には立ち止まり、しゃがみ込み道端の花や時には小石のひとつまでルーペまで取出して見る(観察)するかのようですが、ハイティンクのそれはあくまでシンフォニー全体を完成させるためであり、そのための基礎工事や柱の組合せを設計図=楽譜通りに仕上げていく現場代理人といったところでしょうか。

そういったとろでは往年の指揮者カール・ベームが思い浮かびますが、彼の演奏家らは時として「自分は正統的な音楽解釈者だ!」楽団は自分の指示通り弾き、聴衆はそれをだまってきけ!的な押し付けがましさを感じることがありますが、ハイティンクからは感じません。

各楽器間のバランス―特に管楽器と弦楽器の調和。これはこの指揮者なら当たり前でしょうが、変な急加速や減速もなく、スコアに記されているモチーフの絡みなどが明確にきかせてくれます。

例えば終楽章冒頭の弦の刻むリズムの安定感、200小節に出てくるホルンのモチーフは第1楽章終わりに出てくる「死の暗示」と呼ばれるものの再現として示してくれます。また679小節・684小節のホルンがアクセントを付けて吹くところもしっかりきき取れます。

改めてブルックナー交響曲は細かい様々なモチーフとリズムが増殖して分厚いオーケストラ・サウンドとして構築されている音楽なんだなぁ~と実感させてくれる演奏であります。

やっぱりハイティンクの演奏はそういった模範的なところだけでなく、ウィーン・フィルの美音を最大限に引き出してのびやかい歌わせてききてに音楽をきいた。という喜びに浸してくれます。

弦楽器の瑞々しい響き、温もりのある木管楽器金管楽器の強吹においてもやわらかで濁らない響き。

第3楽章の25小節からの「白鳥の歌」といってもいいような美しさ、終楽章の練習番号「Ⅹ」からは心が次第に満たされ、浄化され天上の世界に導かれていかれるような―という表現も用いたくなります。

ハイティンクの演奏を「没個性的」「枯れた」とか思っていて申し訳ございませんでした。お詫びとブルックナー生誕200年に出会えた録音の紹介でした。