sakupontanの日記 (original) (raw)

いただきものなんだけど、荷物になっちゃうから・・とうちに舞い込んできたチーズケーキ。世間様というのは、食べ物についてはわりに寛容らしく、わたしなら譲れんが…ってなものを、ひょい、と他人に手渡しちゃったりするのだ。これが豊かさ、ってやつならば、一生モテない気がする。食い意地、ってのが発達しすぎている方面で、発達生涯…なんてことを心の中でつぶやきながら、いつもよりも3割増しの笑顔で世間様と別れて、いつもよりも5割増し足取り軽く家に帰る。

実はこのチーズケーキ、以前から狙ってましたから。いつかは、喰ってやる、と。そしてそのいつかが、今日だ。

急いで帰って、冷蔵庫をちゃちゃっと片付けて、そそと箱を入れてケーキを休ませる。おいしくなあれ、と念じながらそそくさと晩御飯をたべて、(休む暇あんまりなかったけど)箱をあける。

中までみるくチーズ工場

おっと、予想外にがっちりと守られたチーズケーキは、まだちょっとアイスなケーキ。しかしながら、チーズケーキならそれもまた一興。半分を残して冷蔵庫で再度お休みいただく。テーブルの上の半月は、コーヒーをおともにゆっくり優雅にいただく・・はずだった。

いただきます、と世間様に手を合わせ。半月を1/3にカットしてそおっとフォークを沈ませ、たところまでは、予定通り、だったのだけれども。

おいしいで占拠された脳みそがフルスロットルでケーキを蹂躙、したのであろう、さ。コーヒーはちっとも減ってなかったが、半月は消えてた。

食い意地発達生涯を抱える身。はじめに半月を冷蔵庫に避難しておいたのは正解であった。正しかったよな、と、パンドラの箱と化した冷蔵庫から視線をはがす。

時間がこのケーキを変えていく、であろうからして。明日はたぶん、早起き。

暑い、と思ったら、さむい。涼しい、ってのもあると思うんですけれども、何処いっちゃったのかね…

霧のようにみっちりと降る雨ってのは、傘だけでは対処が難しい、というのを重たくなったスカートでおもい知る、今日です。これからまたでかけるのだけれども、スカートをかえるか、否か。そんなちょっとした選択肢に悩まされる、今日です。家で過ごす1時間、寝るか食べるか。究極の二択がいつものとおりそこにある、今日です。そんでもって、何気に流したBGMで、桑田さんがうたいだしたのは、あした晴れるかな・・な、今日です。

って、ほんとに、明日は晴れんのかな…

なんかうまくはまってんのか、ずれてんのか、よくわからないけれども。

今日のきゅうけい時間は家で過ごした、の巻。

あめふりの前の日

今週のお題「ちょっとした夢」

うまい棒、値上がり。のニュースをきいて、思わず30本セットを買い物かごに入れたのは、日曜日。

そして、今。

下半分は、どこに消えた…

というのは、さておいて。

これ30本で買うと、税抜きで300円を切ります(お安い店では)。だもんだから、思わず、腐るもんじゃないし、などと、ドカンと買ってしまうわけです、が。

買うときにいつも悩むのです。野菜サラダもすき、チーズもかたい、エビチリもいい、てりやきバーガーもよかないか・・と。

そこで、ちょっとした夢です。30本の袋で、気になるうまい棒、すべて手に入れてみたい。ほんと、ちょっとした、夢なはず、ですが。

うん。金銭的にはちょっとした、と言っても、まあ、許そう。やおきんのHPを解析すると定番は15種類(たぶん)、ということは4,500円(税抜き)でほとんど方がつく。おかしにかける金額としては大きいかもしれないけれども、夢、だもの。ちょっとしたで許される範囲内、だと思いたい。

ただ、これ、物理的に。これを15袋持って帰るとなると、かなりかさばる。すんごくかさばる。軽いけれども、かさばる。車持ってないおひとりさま、で持って帰れる分量、ではない、と思う。

じゃあ、持てるだけ、何度かに分けて買い出しに行くとして。ご近所をうまい棒を大量に抱えて歩くオンナが登場することになる。何度か、ひとりで。

もしも、わたしがソンナヒトに気が付いてしまったら。妄想がはかどってはかどって、その日はずっとソンナヒトをさがしてしまうだろうし、さらにまた会えるかな、なんて期待すらしてしまうだろう(野次馬ですね、まごうことなく)。そんでもって、そんなだれかを生み出すかもしれないようなことを、少なくともご近所では、したくない。そんなプライド(というのもおこがましいけれども)があるもんで。

だれか、子どもを5人くらい、貸してくんないかな~。そしたら、ひとりにでっかい袋を3つづつ持たせて、よかったね~なんて顔しながら後ろを歩いていくのに。

・・あれ。ちょっとした、夢、が。

ほんのしばらく、パソコンなしの旅人。ひろい海を見るのは、よいものでした。

天気はイマイチ、ちょいっと波も荒かった、けれども。

だんだんと雲が切れてきて

大海原に沈みゆく太陽、なんてベタな光景からの

さらにベタベタ、朱色に燃える夕焼け、なんぞを堪能

そして、糸の切れたタコは、またまた街の人に。

しかしながら、糸はまだ切れたまんま、ですけれどもね、タコ。

ほったらかしプランターのバジル。過酷な環境にもかかわらず、貴重な生野菜を提供し続けてくれた。そろそろ、いいかげん、夏も終わろうとしている、はず、なので。夏の終わりを告げるフレッシュジェノベまつり、の開催を決定。ここ数年、年に一度のお愉しみ、である。

このおまつりでは、普段は十数枚をちまちま使っているバジルを、ここで一気に収穫。これを、そのとき家にあるものでジェノベーゼソース(みたいななにか)にして、これまた一気に食べてしまうのだ。パスタに絡めて、ご飯にのっけて、チキンソテーにのっけて、サラダのディップにして。ほとんど花芽だけになっているバジルとともに、そろそろ逝く夏を、おくる。

さて。丸坊主にする勢いで、ぷちぷちぷちぷち。大きめのボールに一杯になったバジルを、きれいに洗って水を切って、80g超。なかなかの大漁。ほんとうに、よく頑張ってくれました。しかしながら、これでサヨナラ、とはなりません。来年もまたつなぐ予定。すっかりと枯れたバジルを引っこ抜いたら、この土に肥料を足して混ぜて放置しておくと、来年の良き時期に、また芽がでてくるのだ。ここ数年、夏のバジルを堪能できるのは、ひとえにかれらの生命力のたまものである。

ジェノベーゼ(かもしれない)ソースを作るのには、バジルをちぎって洗って水気をとる、ってところが一番手間がかかる。あとは混ぜるだけ、ひたすらに混ぜるだけ。それも、フードプロセッサーが。ソースができたら、冷蔵庫で寝かせる。その間に食材を準備。とはいえ、ご飯炊いて、パスタをゆでて、野菜をスティックに切って、とり肉を焼く。これでおしまい。ほとんど手がかからない。唯一手がかかるとしたら、冷蔵庫にアルコールを数種類用意しておくこと、かもしれない。

ことしの準備は、かんぺき、である。なかなかやってこないこの日のために、アルコールはさまざまに冷蔵庫で出番を待っている。

バジルよ、今年もありがとう。

〈ことしの材料〉

バジル(洗って水気をとったもの) 80gちょっと

にんにく 3片

オリーブオイル 80cc(バジルと同じ)

粉チーズ 40g(バジルの半分くらい)

鷹の爪 2本

塩 小さじ1/2

コンソメ 小さじ1/2

黒コショウ 適当

〈つくり方〉

①オリーブオイル、塩、コンソメ、黒コショウ以外の材料をフードプロセッサーに入れ て攪拌する

②嵩が減ったら、オリーブオイルを足しながらさらに攪拌

③オリーブオイルを全部入れて、なめらかになってきたら、塩・コンソメ・黒コショウをいれしっかりと全体がなめらかになるまで攪拌

防人の歌、と出くわした。YouTubeは、ときにえらいもんをすすめてくる。

さだまさし。小学生の頃から彼の歌はコンスタントに聞いていたのだけれども、ここんとこすっかりとご無沙汰でした。皿洗いがてらのYouTubeで、とくに避ける理由もない、なつかしさからはじまって、そしたら。

途中で手が止まって。背中の毛が逆立ち。鳥肌がたった。

よく知ってる、何度も聴いたうたなのに。こんなにちがう、うた、に聴こえる。だって、だって、と。どこかが、叫ぶ。

海は、死ぬだろう、それほど遠くない未来に。

山も、死にかけてる。とてもゆるやかに。

春は。秋は。もう逝ってしまったんではないかと思う、少なくとも日本では。

愛なんて、すでにからっぽで、ご立派な器だけ。それもアイとよぶのかい?

心って。そっちこっちで踏みつけられてる、あれのことかな。

大切なふるさと、を持つ人。それって、どれほどいるっての。

なりわいの中で、信じたきらめきは。すでに泥だらけ、なんですが。

なんてこった、な、地雷原。ああ、これ、たぶん。無意識の領域が、避けてた。だから、こんなにもお久しぶり、なんだ…。

この歌を。連綿とつづいていく、希望とか。ちょっとの切なさとか。そんなモノを抱えて聴いていたころがあったことが、すでにありえない。そんなやさしさ、すっかり擦り切れて、雑巾にすらなりゃしない。l

さだまさし』を小学生の私に教えてくれた人のことを思い出す。「この人のうたをきかない、ってことは、それだけの人生でしかないってこと」なんて、なかなか強烈なセリフと一緒に、聴かせてくれた、人。

おっしゃるとおり。それだけの人生、ですらなかった、ような。

とりあえず、YouTubeからテレビに変える。お皿を洗いきって、片付けて。アイスを食べよう。

それから。・・・それから・・?

かばんがこわれた。ぱっくりと。

思い起こせば、出会いはウン十年前。3回目のロンドン(そして多分、人生最後の海外旅行となるだろう…)だった。

トラファルガー広場からくだってしばらくの角を右に曲がったところに、スリランカの紅茶屋さんを発見して(情景は刻まれてても、絶対たどり着けないところだな、これ)、狂喜乱舞。フォートナム&何とかやら、ハロッずやらの値段に慣らされていた目には、たいそうやさしいお値段だったんです、はい。おみやげも含めて何年分よ、くらいの茶葉を買い込んだのは、もう必然だった。さらに。イギリスの人のふつうの紅茶・・というのに目がくらんでスーパーではティーバックを爆買い。さらにさらに。行きすがりの駅のキヨスク(みたいなところ)で投げ売りされてたウォーカーズのショートブレッドを持てるだけ、買った。で、当然のことながら。あふれかえる紅茶たちとスーツケースの間で懊悩するも、物理を覆すことはできず。ロンドンで最後に手に入れたのが、このサイズと値段を重視したかばん、であった。

やむにやまれずやってきた子、ではあったけれども、これがなかなかに使い勝手が良くかった。スーツケースを引っ張って歩きたくないなってときに、ちょうどいい。3泊分くらいならしっかりと呑み込んでくれるサイズと持ちやすさ、そして、置きやすさ。最近はスーツケースを連れ歩くことが増えたけれども、それでもやっぱり混雑しそうな場所に行くなら、こっちだろうとお供にしていたけれども。

どっかに引っ掛けたのか、詰め込みすぎたか。それとも、経年劣化か。この週末もこの子を連れて出るつもりだった…。これは、なおるもんだろうか、否か。なおしたところで、また外出中にぱっくりと傷口が開いたら、どうするのか。あきらめて新しいのを買うとして、いや、いるのか。代用品はなかったか。そんでもって、あきらめるということは、このかばん、捨てるの…か…。

ゴミに出すには、一緒に過ごしすぎた気がする、このかばん。紅茶もウォーカーズの赤い箱も、この子がゴミ袋に入れる踏ん切りが、つかない。紅茶でいっぱいになって日本に来てから数十年、ずっといっしょにいたんだよ、この子。よく働いて、留守番もしっかりできる、よくできた、かばん。

ああ、どうしよう。