会社員の東海道53次 徒歩旅行記㉖【三重 四日市~庄野】 (original) (raw)

f:id:sampit77:20240728182449j:image※前回の旅はこちら(↓)

26日目 寝坊の代償

徒歩旅行日:2021年11月3日(水)
秋晴れが続き、心地の良い気候が続いていた。その分眠りも深くなってしまうのだろうか。この日は「ぷらっとこだま」というツアー商品で新幹線を予約していたのだが、思いっきり寝坊して指定の新幹線に乗りそびれてしまった。

このチケットは「ツアー」なので、間に合わなかった分の指定席料金は戻ってこない。結果的に新幹線チケットを買い直したため、合わせて約2万円の痛い出費となってしまった。
有給を取っての一泊2日の徒歩旅行、楽しまないと。一旦、痛恨の過ちは忘れよう…。気を取り直すため、四日市に着いたらまず昼食を探した。駅近のアーケード街を当てもなく歩く。小さな路地に差し掛かった時、かなり年季の入った町中華屋を見つけた。これは大当たりか大ハズレのどちらかだろう、意を決して入ってみる。

店主の男性はかなり高齢のようで、足もおぼつかない。不安がよぎる。おそるおそる注文のため声をかけるも、耳が遠いのか
「あ?ああ?」
と何度も聞き返してくる始末。あぁ、失敗だ…。直感的に分かった。その後出されたグラスは汚れがこびりつき、水滴がいびつな模様を描いている。カウンターには新聞やら雑誌やら空き箱やら、今にも崩れそうになって積み上げられていた。「セルフ・ネグレクト」そんな言葉すら頭に浮かぶ。

とりあえず、チャーハンを急いで食べて外に出た。火が通ってるからお腹は壊さないだろう、きっと大丈夫。

f:id:sampit77:20240728205027j:image朝の寝坊と中華屋の苦難が立て続いたが、爽やかな秋風に吹かれているとすぐに気分は晴れた。先ほどの町中華しかり、四日市は昭和を感じるビルや建物が多い。工業都市の栄華の遺構か。f:id:sampit77:20240729130548j:image近くを四日市あすなろう鉄道の線路が並走している。時々通り過ぎて行く電車がおもちゃのように小さく可愛らしい。f:id:sampit77:20240730090054j:imageここの線路幅は、ナローゲージといわれていて、JR在来線の線路よりも約30センチ狭い。f:id:sampit77:20240730124040j:image線路幅が狭くなると、揺れやすくなりそうだが、乗り心地は如何なのか、翌朝小さな列車旅をしてみることにした。f:id:sampit77:20240730124232j:image古い街並みが続き、静かな小道を1時間ほど歩く。f:id:sampit77:20240730124424j:imagef:id:sampit77:20240730124428j:imageその後、日永という地域で車通りの多い国道1号線に合流。「追分」という交差点はY字路になっていて、進行方向に向かって道が二手に分かれている。分かれ道が作るYの溝にあたる場所に大きな鳥居と石碑がある。f:id:sampit77:20240730124816j:image何だか重要そうな場所だなと、これまでの経験値で鼻がきく。近づいてみると「右京大坂道 左いせ参宮道」と石碑には書いてあった。「旧東海道」と伊勢神宮へと続く「伊勢街道」の分岐点だったのだ。f:id:sampit77:20240730125011j:imageそして鳥居は、伊勢方向には進まない旧東海道を行く旅人たちが伊勢神宮を遥拝できるように立てられているらしい。f:id:sampit77:20240730130709j:image伊勢参りは左の道へ、京都は右の道へと人々が二手に分かれていく場所。「追分」という意味そのものの地名だった。

Y字路の右側、京都方面へと歩みを進める。「あすなろう鉄道」の狭い線路を越える。f:id:sampit77:20240730125305j:image街道沿いのお寺に「道を知っていることと 実際に歩くことは 違う」と書かれた張り紙があって、つい立ち止まってしまった。というのも正に自分が今肌で感じていることそのものだなと思ったからだ。

これまで新幹線で移動しただけで知った気になっていた場所を、歩いて旅することで無知に気付かされ、新しく知る景色の連続なのだ。f:id:sampit77:20240730130533j:image少し休憩。コンビニで「大内山牛乳」というご当地牛乳を買って飲んでみる。三重感は分からないが、とても美味しい。f:id:sampit77:20240730130015j:image

再び歩き始めるとすぐ、急坂が始まった。名前は「杖衝坂(つえつきざか)」。穏やかな住宅街の景色から一変、鬱蒼とした森を登る。f:id:sampit77:20240730130217j:imagef:id:sampit77:20240730130213j:imageこの坂は、ヤマトタケルノミコトも通ったらしく、その時の苦労を「吾か足三重の勾なして、いたく疲れたり」と言い残しているらしい。その言葉が「三重」の地名の由来になったとのこと。足を三重に折り曲げるほどでは無いが、確かにきつい坂。f:id:sampit77:20240730130454j:imagef:id:sampit77:20240730130457j:image坂を上りきると血塚社という神社があった。ここはヤマトタケルノミコトが足の血を洗い流したと伝わる場所だそう。f:id:sampit77:20240730132212j:image采女(うねめ)という集落を進む。采女とは昔の天皇に支えていた女官の役職名でもあるらしく、調べてみると古事記日本書紀にも、伊勢国采女が・・・という記述がしばしば出てくるらしい。f:id:sampit77:20240730132534j:image16時過ぎ、気温が下がってきてジャケットを羽織る。見晴らしがよくなり、向こうに大きな山並みが見えていた。f:id:sampit77:20240731122829j:imageこの山並みは鈴鹿山脈。もう少し先に行くと、鈴鹿峠として越えなければならない山なのだ。箱根以来の大きな峠越え、しかもアクセスは悪く入念な準備が必須だ。f:id:sampit77:20240731122908j:image
鈴鹿市に入りしばらくすると、44番目の宿場町・石薬師宿に入った。とても静かで小さな宿場。f:id:sampit77:20240731123017j:imagef:id:sampit77:20240731123020j:image宿場の名前は町にある石薬師寺が由来。石薬師寺は宿場の外れにあった。その手前で国道一号線を跨いだ時、鈴鹿の街並みと夕焼けの美しさにしばし歩みを止める。f:id:sampit77:20240731123135j:image時刻は17時直前、閉まる前に石薬師寺へ参拝だけする。f:id:sampit77:20240731123408j:imageこの先、民家の無いエリアを進むことになり、日没とともに一気に暗くなった。細々とした鈴虫の声が不安を煽る。そんな折、暗闇からガサガサ音が聞こることが何度かあった。その度に鳥肌が立ち身構えたが、それらはいつも雀の仕業だった。f:id:sampit77:20240731123617j:image石薬師宿から次の庄野宿まで約1時間、暗闇をひたすら歩き続けた。徐々に歩みが早くなる。早く人里へ戻りたい、その一心だ。
f:id:sampit77:20240731123816j:image庄野宿の入口にある加佐登(かさど)駅に着いたのは18時過ぎ。日没後は一気に冷え込んだ。早く電車に乗って宿泊先の四日市へ戻りたい。しかし列車本数は多くなく、次の電車まで30分も待つ必要があった。否、ローカル線だからむしろ30分で済んでラッキーだったのかもしれない。

四日市の街に戻ると随分お腹が空いていた。名物「とんてき」を食べようと、お店を加佐登駅で調べていたので直行する。f:id:sampit77:20240731232538j:image
「一楽」というお店へ入ってみる。すかさず店員さんが持ってきたグラスの水滴は均質で清潔感に溢れている。氷水を飲むだけでもはや感動できる自分がおかしかった。やがて運ばれてきた「とんてき」は分厚い豚肉と数かけのにんにくに食欲をそそる濃いしょうゆベースのソースがかかっていた。歩き疲れた後の身体に、染み渡る、染み渡る。f:id:sampit77:20240731124117j:image

宿に帰ると、すぐにベッドに倒れて熟睡。翌日も歩き旅を続ける。

つづく

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