化石の金曜日: サヘラントロプス、二足歩行か否か (original) (raw)

This is the Japanese translation of this site.

ギュンター・ベヒリー
2022/9/9 6:45

今週の「化石の金曜日」は、ヒト科の象徴的な化石であるサヘラントロプスを取り上げます。この化石は、しばしば人類系統の最古の代表と考えられていますが(スー、2013年; ストレイト他、2015年; スミソニアン協会、2022年; Wikipedia、2022年)、センセーショナルな発見以来、激しい科学論争の対象になっています (BBC、2002年; カスパーリ、 2002年; ハルトヴィヒ-シェーラー、2002年; ローチ、2002年)。

2018年、権威ある『Nature』誌 (キャラウェイ、2018年) と著名な古人類学者であるジョン・ホークス (2018年) は、サヘラントロプスが最古の二足歩行するヒト族であるという解釈を否定しうる科学的証拠が明らかに抑圧されていることについて報告し、コメントしました。最近、2つの新しい研究 (マッキアレッリ他、2020年; ダヴェール他、2022年) がこの問題を取り上げ、正反対の結論に達しました。そのため、あるドイツの科学雑誌は、「最初の二足歩行者とされるものは、おそらくそうではなかった」とコメントしています (シュロット、2022年)。この論点の歴史を簡潔に見てみましょう。

歴史に目を向ける

2001年7月19日の朝、フランスの科学者アラン・ボーヴィランと3人のチャド人の同僚が、チャドのサハラ砂漠の砂丘で、他の化石群集と共に頭蓋の化石を発見しました。このセンセーショナルな発見は世界中のメディアに報じられ、人類の系統樹を揺るがす (ヘクト、2002年)、「小型核爆弾のような衝撃」がある (ラドフォード、2002年) として称えられました。発見者は、この発見の物語について大衆向けの科学書 (ボーヴィラン、 2003年) を書いたほどです。この標本はコレクション番号TM 266を与えられ、2002年7月にポワティエ大学が発表した22ページのプレスリリースにある「トゥーマイ」(または「生命の希望」) というニックネームで大きく報道されました (ボーヴィランとゲレック、2004年)。その後まもなく、研究チームの責任者であるミシェル・ブリュネ (ブリュネ他、2002年) により、化石ヒト族のサヘラントロプス・チャデンシスとして記載されました。地質学的・古生物学的証拠 (ヴィニョー他、2002年) および放射年代測定 (ルバタール他、2008年) により、この化石は680万年から720万年前のものであり、したがって人類の既知の最も古い先祖であると示唆されています。サヘラントロプスは、分子時計による研究でヒトとチンパンジーが分かれたとされる時期にちょうど合致します (ブラヒック、2012年)。こうして、この砕かれた化石は象徴的な地位を獲得しました。

もちろん、この頭蓋骨は中新世の堆積物の原位置で発見されたわけではないので、この年代測定はまだ少し疑わしいところがあります (ボーヴィラン、2008年)。ボーヴィランとワッテ (2009年) は、現代の遊牧民が化石とは気づかずに骨を組み立てて砂丘の墓に安置したのではないか、とさえ推測しています。その後、現地のイスラム教徒のラクダ飼いが、露出した頭蓋骨の向きをメッカの方に変えてこの標本を埋め戻し、再び風に掘り起こされ、2001年に科学的に発見されたのかもしれません。この推測を裏付ける証拠は弱いものの (ホークス、2009年a)、この有名な化石が発見された状況が最適とは程遠いものであったことは確かです。

化石の頭蓋骨は保存状態も悪く、すっかりボロボロになっていたため、解釈が厄介で非常に曖昧になっていました。ツォリコーファー他 (2005年) によるコンピューター支援による3次元復元では、大後頭孔の重要な位置を二足歩行の証拠として確立しようと試みましたが、特に大後頭孔の重要な角度は復元に絶妙に影響するため、いまだに議論の余地があります (BBC、2005年; ホークス、2005年ウォルポフ他、2006年)。『Nature』誌に書かれたブリュネ他 (2002年) による最初の記載の直後から、一方の記載者側 (ブリュネ、2002年; ガイ他、2005年) およびあるヒト族に帰属させる他の支持者 (ビガン、2004年) と、もう一方の批判者側 (ウォルポフ他、2002年2006年; カスパーリ、2002年; ウッド、2002年; アンドリュースとハリソン、2005年; ピックフォード、2005年; ウッドとハリソン、2011年) の間で科学論争が勃発しました。これらの批判者は、二足動歩行の証拠を強く疑い、むしろこの頭蓋は絶滅した類人猿 (おそらくメスのゴリラ) のものと考えました。パリの国立自然史博物館のブリジット・セヌー博士と「ミレニアム・マン」オロリンの発見者も、このメスゴリラとの同定を支持しています (BBC、2002年)。さらに、批判者たちは「頭蓋が脊椎の頂部にあるのではなく、その前にあることから、この生物は類人猿のように四つんばいで歩いていたと結論し」、「ヒト科では全くない」としました (ベイリー、2006年)。また、多くの批判的な著述家たちが、チンパンジーと人間の分岐の分子時計による推定に基づくと、サヘラントロプスはヒトの系統に属するには古すぎると指摘しています。

弱い論拠

他のいくつかの系統学的研究 (例: ストレイトとグライン、2004年; ホークス、2019年; モングル他、2019年; パリンス-フクチ他、2019年; マーティン他、2021年) と同様に、最近のパリンス-フクチ他 (2019年) による分岐学的分析では、サヘラントロプスを後期ヒト族の祖先として復元しましたが、著者たちは「この結果も、系統のこの部分の分析のために復元した形質の数が少ないために慎重に扱うべきである」、「我々はサヘラントロプスの祖先としての位置に関して強い発言をすることには現在慎重である」と認めています。モングル他 (2019年) は、サヘラントロプスがヒト族であるという論拠が弱いことを明示的に強調しました。基本的に、サヘラントロプスがヒトの系統に帰属することを支持するとされる形質は2つしかなかったのです。

1つは犬歯-前臼歯のホーニングの減少と相まった犬歯のサイズの減少であり、もう1つは直立姿勢と二足歩行の証拠としての大後頭孔の位置です。しかし、これらの形質にはいくつかの問題点があります。犬歯は、雌の類人猿や一部の中新世ユーラシアの類人猿(例: オレオピテクス、オウラノピテクス、ギガントピテクス) でもサイズが減少しており、彼らの犬歯の減少は犬歯-前臼歯のホーニングの減少とは独立に進化しました (ウォルポフ他、2002年2006年; アンドリュースとハリソン、2005年)。したがって、ウッドとハリソン (2011年) は、「これらの変化は、実はヒト族に特有のものではなく、ヒト族の系統に限らず、同時代のアフリカのヒト科でも類似した進化的反応が起こったと考えられる」と指摘しています。大後頭孔に関しては、3つの問題があります。第1に、大後頭孔の位置の復元に大きな論争があります (ウォルポフ他、2002年2006年; アンドリュース&ハリソン、2005年; ピックフォード、2005年)。ウォルポフ他 (2006年) は、むしろサヘラントロプスの状態を四足歩行の類人猿の特徴と考えています。

2番目の点として、位置がヒト族に似ているといっても、ヒト族に限定されるものではありません。ウッドとハリソン (2011年) は、そのことを明らかにしました。

他の霊長類、特にテナガザルやショートフェイスモンキー [訳注: 真猿類のことと思われます] との比較から、この特徴は二足歩行に特有というより、むしろ頭の運びや顔の長さの違いに広く関連していることが示唆される。この点でボノボとチンパンジーが区別され、ボノボの形態がサヘラントロプスやアルディピテクスと重なっていることも、この主張をさらに支持している。

最後に、直立姿勢と二足歩行性は、ダヌビウス、グラエコピテクス、ルダピテクスのような中新世の類人猿で個別に、あるいはより早く発生した可能性があるという最近の証拠がある (ギエリンスキ他、2017年; バラス、2019年; ベーメ他、2019年; キヴェル、2019年; ミズーリ大学、2019年; ウォード他、2019年ベヒリー、2017年もご覧ください) ため、もはやヒト特有の診断形質を表すものにはならないでしょう。

サヘラントロプスの鼻下顎前突の程度が低い (顔が平ら) こともヒトに似た特徴として考えられることがありますが、この特徴はサヘラントロプスではあまりに早く、他のほとんどの初期ヒト族には欠如しています。カッブ (2008年) は、「現在の最近共通祖先候補の分類群 (アルディピテクス・カダッバ、アルディピテクス・ラミドゥス、オロリン・トゥゲネンシス、サヘラントロプス・チャデンシス) のいずれかの顔面形態が、最近共通祖先の、あるいはステムヒト族の、あるいはステムチンパンジー類の、場合によってはヒト族系統の出現に先立つヒト科の典型であるかどうかを確信を持って判断することはできない」と結論しています。

ティボー・ビヤンヴニュ (2010年) の未公刊の博士論文に基づき、2013年に、ビヤンヴニュ他 (2013年a、2013年b) によって、サヘラントロプスの脳頭蓋の最初のエンドキャストが二つの学会抄録で紹介されました。著者らは、頭蓋内容積が378mlと現代のチンパンジーと同程度であるにもかかわらず、このエンドキャストが「後方へ強く突出した後頭葉、傾いた脳幹、側方に拡張した前頭前皮質などのヒト族の脳形状の特徴」を明らかにしていると主張しています (ホークス、2013年; ウォン、2013年; ノイバウアー、2014年)。バウアー (2013年) は、「このヒト科動物の脳のサイズは、現代の人の脳の約4分の1であるにもかかわらず、直立姿勢と二足での歩行がサヘラントロプスの神経の再編成を刺激したと、ビヤンヴニュは推測した」とコメントしました。サヘラントロプスの二足歩行という性質の怪しさを考慮すると、これはかなり大胆な推測のように見えます。さらに大きな問題は、この重要な証拠が公式発表以来9年間、査読付き科学文献に適切に掲載されていないという事実です。これは容認できないことであり、単にこの証拠を当分の間、真剣に考慮することがほぼ不可能であることを意味しています。

別個の属か?

もう一つの論争は、サヘラントロプスが果たして別個の属なのかどうかということに関するものです。ハイレ-セラシエ他 (2004年) は、サヘラントロプス、オロリン、アルディピテクスといった初期ヒト族の歯を比較し、その違いはすべて同じアルディピテクス属で予想される変異の範囲内だとしました。ホワイト他 (2009年a2009年b) とホワイト (2014年) も同意し、諏訪他 (2009年) はアルディピテクスとサヘラントロプスの頭蓋骨の構造にさらなる類似性を見出し、「現存の類人猿やアウストラロピテクスのそれとは大きく異なる」としました。それにもかかわらずホークス (2014年) は、その支持者たちが十分な証拠を提示していないと考え、シノニムであることを否定しました。他の研究も、このシノニム疑惑を無視しています。

興味深い余談ですが、数年前、私の友人の進化論者が、ダーウィンのパラダイムにおいて、「ゴリラの祖先としてのサヘラントロプス仮説」は、動物学者のジョナサン・キングドンが示唆したように、アフリカの確立された生物地理学的パターンともうまく合致すると指摘しました (テュービンゲン大学のエーリヒ・ウェーバー博士との個人的な対話)。なぜなら、ゴリラの系統とチンパンジーおよびヒトの系統の起源は北と南に分岐する事象とよく一致し、チンパンジーの系統とヒトの系統の起源は西 (熱帯雨林) と東 (サバナ) のパターンに従っているようだからです。私はサヘラントロプスについての発表済みの文献でこの論議に遭遇したことがありません。おそらく、アフリカの哺乳類の生物地理学に精通している古人類学者がほとんどいないからでしょう。このことは、サヘラントロプスが森林地帯に住んでいたように思える事実という、もう一つの物議を醸す論題 (ドミンゲス-ロドリゴ、2014年; ホークス、2014年; キング、2014年) とも関連しています。これにより、東アフリカのサバンナが人類の揺りかごであると提唱する、人類の起源の一般的な「サバンナ仮説」が誤まっていることが証明されたと主張されています (ブリュネ、2010年)。

今なおあまり知られていない事実ですが、サヘラントロプスの頭蓋骨の発見当日に、それに密接に関連したヒト科の下顎骨 (ブリュネ他、2005年) と左大腿骨の一部 (TM 266-01-063) が発見されました。奇妙なことに、ボーヴィランとル・ゲリック (2004年) は、サヘラントロプスに帰属する化石についてさらに詳細を述べた論文の中で、この大腿骨について言及していません。ボーヴィランとワッテ (2009年) は下顎骨と大腿骨に言及し、その場所での発見の概要写真を載せましたが、大腿骨の詳細な説明、写真、図面は提供しませんでした。その他、大腿骨については古人類学者ジョン・ホークス (2009年b) のブログへの投稿で言及されたのと、サヘラントロプスについての著者不明のウェブサイト (著者不明) で取り上げられたのみでした。ホークスがサヘラントロプスの原記載者であるミシェル・ブリュネ教授に問い合わせたところ、次のような驚くべき回答が返ってきました。「チャドでは数千の骨が発掘され、現在研究中です。おそらくその中にヒト科の骨があるのでしょうが、私は科学的なレビューに掲載されたものについてのみコメントします」。

ほとんど犯罪小説

これは紛れもない誤りです。なぜなら、発見場所の写真ではっきりと見て取ることができるように、実際にはサヘラントロプスの頭蓋骨と一緒に発掘された化石は数十個に過ぎないからです (ホークス、2009年b)。ホークスのコメントによると、この大腿骨はポワティエ大学のトロス・メナラ動物標本コレクションで3年間認識されずに横たわっていましたが、2004年にオード・ベルジュレ-メディナと彼女のチューターのロベルト・マッキアレッリによりヒト科の大腿骨であると認識されたそうです。その後、彼らは再び大腿骨を見つけることができなかったので、測定値と写真をもとに研究の草稿を作成しました。その時起きたことは、ほとんど犯罪小説のようです。

ホークス (2018年) の言葉を借りると、キャラウェイ (2018年) は、「ロベルト・マッキアレッリとオード・ベルジュレの2人の科学者が、今月のパリ人類学会の年次総会でこの大腿骨について説明する講演をしようとした。学会は信じられないことに彼らの要約を拒絶し、これは一部の専門家の批判の引き金となった」と、『Nature』で報告しました。キャラウェイは、ストーニーブルック大学の古人類学者ビル・ジャンガースが、この大腿骨の説明は「ずっと遅れている」、「なぜ秘密にされてきたのか我々には分からない。もしかしたら、ヒト族ですらないのかもしれない」と言ったことを引用しています。ジョン・ホークス (2018年) は自身のブログで、その重要性についてはっきり書いています。

サヘラントロプスの頭蓋骨の遺物と共に大腿骨の標本が発見されたのであれば、それは重要な証拠です。もし大腿骨に直立姿勢や二足歩行という仮説を検証するような解剖学的構造が保存されているならば、誰もその証拠が存在しないふりをするべきではないでしょう。秘密主義は最初から馬鹿げていましたが、今では言い訳できません。

ホークス (2018年) はこうも言っています。「私が驚いているのは、これがどれほど長く続いてきたのかです。データと証拠があれば批判者たちを全員、数時間以内に沈黙させることができました。その代わりに、これらの重要な化石についての沈黙が15年間も君臨しています」。ホークスは、原記載の共著者であるデイヴィッド・ピルビームが、10年前にすでにこの大腿骨を見ていたことに言及しました。ホークスはこれを「非常に厄介なこと」と考え、「『Nature』の編集者が調査する」ことを求めています。

実のところ、この秘密主義の理由はかなり明白だったと思いますし、個人的にはこの件は正真正銘の科学的スキャンダルだと考えています (トゥーマイの大腿骨をめぐるこのスキャンダルの歴史については、コンスタン (2018年) をご覧ください)。もちろん、最古の化石ヒト族の発見は、別の単なる化石類人猿の発見よりも宣伝効果が高く、より高い資金を得ることができます。ヒト族とは思えない、むしろ四足歩行の類人猿に似ているヒト科の大腿骨を例の頭蓋骨と結び付けることには、確かに不都合がありました (マッキアレッリとベルジュレ、キャラウェイ (2018年) による引用; ホークス、2018年)。科学者も人間に過ぎないとはいえ、彼らの心を動かすものが常に純粋な不偏的真実の追求であるとは限りません。古人類学のような、科学者のキャリアと名声を大きく後押しする偶像化された学術分野では、証拠を自分の望むように見ようとするインセンティブが、他のあまり称賛されていない分野よりもさらに大きくなるかもしれません。実際、サヘラントロプスの記載者であるミシェル・ブリュネは、フランスで有名になり、ポワティエに彼の名にちなんだ通りができたほどです。

さらに奇妙な障害

ともあれ、多くのさらに奇妙な障害の後に、ようやく大腿骨の研究が発表されたのが2年前です (マッキアレッリ他、2020年)。この研究では、サヘラントロプスは実際は二足歩行ではなく、ヒト族でもなさそうで、むしろ「生きている代表種がいないグループに属する可能性がある」という結論に達しました (マーシャル、2020年; イールカ、2020年ラスキン、2021年もご覧ください)。著者たちは、「S. チャデンシスやその他の謎めいた分類群のヒト族としての地位を、仮説ではなく所与のものとして扱えば、すでに『複雑で容易に解決できない』描像にさらなる混乱を加える危険性がある」とも警告しています。イールカ (2020年) はこの研究の含意をさらに明確にし、「サヘラントロプス・チャデンシスはヒト族ではなく、したがって人類の既知の最古の祖先でもないことを示唆している」と強調しています。テュービンゲン大学のマデレーン・ベーメ博士は、「私は10年か12年前にその写真を見ましたが、他のどのヒト族よりもチンパンジーに似ていることは明らかでした」(ベーメ、マーシャル (2020年) による引用) と発言しています。それからちょうど2年後、ダヴェール他 (2022年) による新しい研究は全面的に同意せず、まったく同じ大腿骨に基づいて、サヘラントロプスは習慣的な二足歩行をするヒト族であるという反対の結論に達しましたが、さらにその腕が樹上登攀に適応していた証拠も発見しました (フランス国立科学研究センター、2022年)。なんとも好都合なことに、今やサヘラントロプスは私たちの最古の祖先として再び祭り上げられるかもしれません。「悪意を抱く者に災いあれ」。もちろん、このダヴェール他 (2022年) による最新の研究は、すぐにメディアの報道で過剰に持ち上げられ (ブラコフ、2022年; キャラウェイ、2022年; ハントヴェルク、2022年; ラサロ、2022年; リーバーマン、2022年; パレとデイヴィス、2022年; ウィルソン、2022年)、Wikipedia (2022年、英語) もマッキアレッリとその同僚の先行研究に対する反証として無批判にこの新しい研究結果を受け入れています。

しかし、その通りとは全く言えません (シュロット、2022年)。リーバーマン (2022年) は、『Nature』誌に掲載された自らの専門的な分析で、「サヘラントロプスの大腿骨には二足歩行の『決定的な証拠』の痕跡がない」ことを認めています。バーナード・ウッドは、ダヴェール他は「大腿骨軸が二足であることと矛盾しない情報だと彼らが思うものを恣意的に選び、反対の情報は念入りに無視している」とコメントしています。彼の同僚であるロベルト・マッキアレッリは、今でも「サヘラントロプスはヒト族というより類人猿である可能性が高いと思って」おり (キャラウェイ、2022年)、またそれは大腿骨と骨盤が作る角度が「垂直姿勢を取るには機械的に不安定になる」(マッキアレッリ、ウィルソン (2022年) による引用) からです。ダヴェール他 (2022年) による二足歩行を支持する結論が非常に根拠に乏しいと考えざるを得ないさらなる重要な理由は、カズナーヴ他 (2022年) による別の新しい研究が、大腿骨距の重要な特性が二足歩行の診断材料になるとは考えられないことを明解に証明したことです (シュロット、2022年もご覧ください) 。

ジョン・ホークスは、「この大腿骨からデータを収集した2つのチームは、大腿骨が示すものについて全く同意していないようです。・・・彼らは同じ骨の一部を見ています。これについて彼らが同意していないのは理解できません。 どちらかのグループが(表面の3Dと内部のCTスキャンの)データを公開して、私たち全員がそれを吟味できるようにすれば、このような不一致が生じる理由はなくなるでしょう」とコメントしています (ホークス、 ハントヴェルク (2022年) による引用)。世界有数の古人類学者でさえ、この論争で誰が正しいかを決められないのであれば、この問題はまだ未解決であると結論してもいいでしょう。古人類学では、怪しげで非常に物議を醸す証拠を過剰に誇張し、過剰に解釈することはありふれています。何はともあれ、サヘラントロプスの事例は、少なくとも人類進化の証拠とされるものを評価する際には、健全な懐疑の念を抱くことが必要であることを示しています。

筆者注: この記事は、『Evolution News』での私の過去の記事 (ベヒリー、2018年) を大幅に増補改訂したものです。

参考文献