RIKKYO ACADEMIA (original) (raw)

福音という言葉は、福音書福音主義などの表現によってある種枕詞のようになってしまっており、意味を理解していない人が多いのではないかと感じられるときがあります。福音的、とか福音に基づいてなどというと聖書至上主義的な考え方なのだと勘違いされてしまうことも多いです。しかし、必ずしもそれが聖書以外をすべて教会から排除する信仰になるとは限らないのではないのでしょうか。実に、キリスト教のあらゆる要素の根本は聖書なのです。この2000年という歳月の中で欧米においてキリスト教は非常に多様な形で発展し、人々の生活に根付いてきました。キリスト者として、典礼の祭服・所作であったり、音楽であったり、またある人は絵画に関心を持ち大切であると感じる人もいると思います。もちろんこれらは排除されるべきではなく、私たちの誇るべき伝統です。しかしながら、これを誇り守っていくことが必ずしも福音至上主義に繋がるわけではない、そして本来は聖書重視と伝統重視は両立するべき価値観なのです。こうした西洋のキリスト教文化は、いかなるものであれすべて聖書から発展しているのです。それゆえ聖書が専門ではなくともルーツを探るべく重要視しなければなりません。

結局のところ福音とは何ぞやということになりますが、喜ばしい知らせという意味になります。漢字を分解すると福は読んで字のごとくですし、「音」は文字通りの騒音や楽器の音ではなく知らせや連絡を意味します。聖書が書かれた時代の人々にとって、喜ばしい知らせとは「神によって救いが行われる」ことです。イスラエルは幾度となく捕囚にされ、苦しみました。エジプトから脱出したかと思えば、ソロモンの後の時代の王たちの数々の失敗によって今度はバビロン捕囚になります。そしてバビロンからエルサレムに戻れたかと思いきや今度はローマに...という話ですから、神が再び解放してくださるというのは彼らにとってGood Newsなのでした。これは人類全体にも言えるのです。というのも、イスラエル人が神に逆らうことによってエジプトやバビロンに囚われたように、人類も原初において神に逆らってしまったために故郷であるエデンの園を追われ、「死」と「罪」の力、すなわちサタンの捕囚となってしまいました。救い主がいつかやってきて、人々を死の苦しみから解放し、エデンの園のような場所へ連れ戻す、ということが福音の大きなテーマです。前者は非常に字義的であり歴史学的な意味ですが、さらにその奥の奥に、このような救済の神秘が隠されています。イザヤ書には次のような預言があります。

なんと美しいことか、山々の上で良い知らせを伝える者の足は。(イザヤ52:7)

預言者イザヤの時代、イスラエルは衰退の一途をたどっていました。神の言葉を聞いているイザヤは、もうすぐこの国はバビロンに占領されてしまうという未来への悲観があったことでしょう。しかしながら、一筋の希望の光も見えていました。それが「エッサイの株から一つの芽が萌え出で」、「平和の君」が生まれることなのです。これが、ヒゼキヤ王時代の喜ばしい知らせだったのでした。ある種、この預言の中での良い知らせを伝える者とはイザヤ自身のことでもあるのかなと思います。王と国民の前で救い主の到来が告げると知らせに行く預言者の歩みは美しいものでした。

聖餐式における福音書朗読は、文字通り主イエスを通した良い知らせを伝える重要な儀式だと言えます。福音書が読まれるとき、侍者たちによって行列が組まれ、その一番後ろを朗読者がついていき、聖堂の真ん中で朗読が始まります。長い教会生活ではこの動きに何の意味も感じなくなってしまうかもしれません。しかし、儀礼の一つ一つの所作や言葉には必ず意味があります。それが尾ひれのついたもので当初は違った意味を持っていたとしても、価値がないとはいえません。福音書行列によって、私たちは自分たちのところに良い知らせが運ばれてくることを悟るのです。こういった意味で、福音書の朗読者は聖職者でなければならないです。使徒たちがイエスに遣わされ、福音を宣べ伝えに言ったように、使徒の権能を継承する聖職者が福音書を読む必要があります。

西洋の文化・哲学において、自らの考えを目に見える形で表出するということによって初めて意味を持つと考えられます。ただ思っているだけでは無と同様ですし、心で信仰しているだけでは足りないと思います。16世紀以降ルター派によって「信仰義認論」が主張されるようになりましたが、聖パウロの言葉をある種縮小して解釈してしまったのでしょう。信仰によって義とされますが、信仰によってのみ義とされるのではありません。善い思いを善い言葉、善い行いによって表象することによって御心に適うようになります。ですから、典礼も無意味なものではなく、私たちが天の国の福音を受け取り、喜ぶことを見せることが必要です。これが、福音行列と朗読前のアレルヤ唱や続唱(セクエンツィア)の意義となります。

信仰

信仰について少し考えてみたい。それは現代の市民社会では、宗教的信条ないし実践として捉えられており、昨今の宗教に対する風当たりの強い風潮の中では、非合理的「狂信」ように思われる向きがある。しかし、信仰とは本当にそのような非合理的で、熱狂的な思い込みなのだろうか。信仰に付きまとう臆見を退けて、その真実の理解には到達するためには、静態的ではなく動態的な概念の把握に努めることが大切である。私達は信仰を確固たる結果ではなく、絶えず生起する過程として捉える必要があるのではないか。神学者カール・バルトキリスト教の信仰について、次のように語っている。

キリスト教信仰は、この《インマヌエル》との出会いであります。イエス・キリストとの出会いであり、この方において神の活ける御言葉と出会うことであります1

また、バルトは続けて言う。

私は、この出会いを、贈物と言い表わしました。それは、そこにおいて人間が神の御言葉を聞くように解放されるという出会いのことです2

バルトは「出会い」が信仰の契機ないし本質だと説く。私達はキリストに出会うことによって、神の御言葉を聞き、信仰を得る。それは神の贈物なのである。贈物------それは恩寵の賜物である。マルティン・ブーバーは言う。

恵みによって〈なんじ〉がわたしと出合う3

恩寵によって、私は汝に出会う。汝は時に人、時に神である。また、時に人の子、時に神の子である。神の御言葉が受肉した御子イエス・キリストにおいて、両者は和解している。ゆえに汝は最大の贈物である。「すべての真の生とは出合いである4」。イエス・キリストに出会うことによって、私達は真実の生命(人生)に参入する。ブーバーは続ける。

〈なんじ〉がわたしに出合いをとげる。しかしわたしが〈なんじ〉と直接の関係にはいってゆく。このように関係とは選ばれることであり、選ぶことである5

召命6は応答と決断を求める。私達は汝と言葉を交わし、やがて、決断と行動を迫られる。その過程は悲壮ではなく、むしろ平和に満ちている。私は汝を信頼しているからだ。おそらく、これが信仰と呼ぶべきものである。

「人間は愛の中に住む7」とブーバーは言う。愛とは何か。「愛は〈われとなんじ〉の〈間〉にある8」。間は関係である。「はじめに関係がある9」。小説家のサマセット・モームは言った。「人間は自身の肉体の牢獄に閉じ込められている」。感情は感覚から生じる。人間は感情を所有する代わりに、感情に捕らわれている。愛は関係の中に在る。愛は個性的であると同時に排他的である10。しかし、私達は関係を所有することができないように、愛を所有することはできない。「この書(ヨハネ福音書)こそ、真に〈われ-なんじ〉の純粋な関係を伝える喜ばしき音信おとずれなのである」とブーバーは言う。『ヨハネ福音書』は際会/再会の書物である。

あなたがたは、今悲しんでいる。しかし、私はまたあなたがたに会い、あなたがたの心は喜びに溢れる。その喜びを誰も奪うことはできない11

キリストの復活と再臨を予告した言葉であるが、特定の宗教的文脈コンテクストに依らない普遍的な言葉である。『ヨハネ福音書』のテキストは喜びに満ちている。「神は愛」にして、愛は喜びである。次に復活したイエスマグダラのマリアの再会の場面を見てみよう。

エスは言われた。

「なぜ泣いているのか。誰を探しているのか」

彼女は、園の管理人だと思って言った。

「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります」

エスは言われた。

「マリア」

彼女は振り向いてヘブライ語で、「ラボニ(訳せば先生)」と言った12

おそらく、マリアの一生は苦しみ、悲しみに満ちていた。しかし、最後は喜びに満たされるのである。キリストは福音であり、その本質は喜びである。彼女はその時、はっきりと理解した。

"I once was lost, but now I found. Was blind, but now I see."

John Newton, Amazing Grace

私が信仰生活の中で最も大切にしている愛唱聖歌はなにか、と問われて"Amazing Grace"、聖公会聖歌集の540番『やさしき息吹の』が真っ先に浮かびます。黒人霊歌のようにもアレンジされるなど、シンプルな旋律が広く親しまれている聖歌ですが、この聖歌の成立背景は、私がキリスト教信仰に至る道のりとどこか似ているのです。そして、私の洗礼式の入堂聖歌もこの曲でした。

国教会司祭のJohn Newtonが作ったのはこの詞であり、tune自体はNew Britainという作者不詳の伝統曲と使っています。Newtonの生涯は波乱万丈なもので、若いころは司祭になるとはとても思えない生き方をしていました。幼少期は敬虔なキリスト教徒である母によって育てられたものの、母を亡くして以降は信仰を忘れ、青年期に入ると奴隷貿易に積極的に従事し始めたのでした。これが意味するのは、多くの方がおわかりであるように、人を傷つけ、尊厳を踏みにじることによって生計を立てるような生き方を選んだということです。まさに、「隣人を自分のように愛しなさい」というモーセの時代からの黄金律を派手に破るようなものでした。奴隷として売られる人々にとって、ただでさえも人間らしい生活を奪われて金で売り飛ばされることは悲しいことですが、それ以上にアフリカから合衆国へ向かう船での生活は悪列極まりないもので、何重にも渡る苦しみを受けたのでした。Newton自身、彼らを排泄もできず寝返りすらも打てないような空間にすし詰めにした挙句、機嫌が悪くなると虐待していたと言います。このように聞くだけで気分が悪くなるようなことをしていましたが、そんな彼にも転機が訪れました。彼の乗っていた船が転覆しかけたとき、生まれて初めて神に祈りました。どうか命だけは助けてくれ、そんな思いで祈っていると、船は運よく難を逃れました。それからというものの、彼は奴隷への虐待をやめ、賭博よりも読書や観想に時間をかけるようになりました。真の回心には、一切足を洗うには長い時間を要したといいます。貿易船の船長の仕事も生計を立てるためのものですから、仕事をやめたらどうしたらいいのか、そういった葛藤もあったのでしょう。しかしながら、ついに1764年に司祭に叙階されることとなり、悔悛と感謝を歌った"Amazing Grace"がWilliam Cowperの編纂する"Olney Hymns"に掲載されたのでした。

私自身、幼稚園からキリスト教教育を受けていたにもかかわらず、キリスト教徒はかけ離れた生活をしていました。中学校に入ると礼拝奉仕には関わりましたが、あくまで趣味のような感覚で、そこに信仰はなかったと思います。そして、多くの人を傷つけて生きてきました。ここではあまり言えませんが、法に触れるようなこともしましたし、喧嘩をし、自分がその生まれ育ちに相応しい人間性を身に付けていないのにもかかわらず、自分より社会的立場の弱い人を当たり前のように見下すような人生でした。大学生になってから、キリスト教哲学の授業を取り、実際に教会に行ってみようという気持ちになってから信仰が芽生えたと思います。特にある日のミサで「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。」という聖書の1節を聞いた時、明確に神を信じ始めたのだと思います。当時の私にとって、とても新鮮だったのです。まず1つ目に、「新しい掟」というけど、それが愛し合うことだというのに衝撃を受けました。なんとなく、酒を飲まない・親には従順でいる・寝坊はしないなどがクリスチャンの一番の美徳だと思っていたからです。私はイエス様の掟に厳しさではなく優しさを感じました。2つ目に、イエス様は私のことも愛しているのか!と衝撃を受けました。私のように不道徳な人間のことは嫌いだろうと思ったからです。さらに、これが最後の晩餐での「遺言」であったことが驚くポイントです。自分の死を前にしてなおも他者を第一に考える愛の精神に心を動かされました。

洗礼式の日、司祭は説教の中、私についてこのように言及しました。「長い間探していた失われた金貨、また世の全てのものより高価な宝物」と。また最後にこのように締めくくります。「天の聖人とみ使いたちは喜び、宴を開いている。フランシスコもまた、そこに招かれる」と。私は涙なしで聞くことができませんでした。私はろくでもない人間だし、たくさん悪いコトをして人を傷つけてきた。神に呪われる人生こそが私の生き様だと思っていた。それでも神様は、教会の聖人たちは私のことを価値があると思ってくれている、交わりに入ることを喜び歓迎してくれる、ただひたすらに嬉しかったのです。今も当時の礼拝を時々見ますが、泣いてしまうのでハンカチを手元に用意します。

冒頭の聖歌に戻ります。日本語で訳すなら、「かつては迷ったが、今は見つけられた。盲目であったが、今は開けている」。これが私の信仰です。後天的に獲得してきた自らの常識が打ち破られ、真理を観る第三の目が開かれるようになる回心がとても大切です。そして「こんな自分でも受け入れてもらえたのだから」神を愛し人を愛する生き方をしたい、まさに聖フランシスコが頭に浮かんだのでした。時々考えることがあります。私が回心したあのミサで、神様は混沌として真っ暗闇だった私の心にこう語りかけたのかもしれません。「光あれ」と。

洗礼と堅信。教会で執り行われた一連の秘蹟は、私が自由を獲得する過程そのものでした。

「今年のクリスマスは教会に行きたい」2020年の日記を紐解くと、こんな一文が書かれていました。拙い言葉ですが、当時の私の紛れもない信仰を表しています。その年、私は立教学院諸聖徒礼拝堂のクリスマス・イブ礼拝に参列しました。チャペルに行くと、司祭の先生方が私を祝福してくれました。「主イエス・キリストの恵みがあなたに在りますように」

それは嬉しく、喜びに満ちた経験でした。当時、私は老人ホームで介護職として働いていましたが、福祉の美名のもとに課せられる過酷な労働に疲れ、病み、傷ついていました。教会に来て、罪を悔い改め、祈り、恵みを享けることは、エゴイズムに満ちた市民社会で負った傷を癒し、奪われた尊厳を回復する作業に他ならなかったのです。

最後に『ガラテヤ人への書』(5:1)を記して、筆を擱きます。

キリストは自由を得させん爲に我らを釋き放ちたまへり。されば堅く立ちて再び奴隷の軛に繋がるな。

「何事にも時があり天の下の出来事には全て定められた時がある」コヘレトの言葉3:1

「すべてに時がある」というメッセージは1節から8節まで続き、9節では「人が労苦したところで何になろう」という結論が出る。今の私には、この箇所が私たちに「心配するな」というメッセージを送っているように感じられます。少々安易すぎるかもしれませんが、この「心配するな」というメッセージは聖書の中で度々わたしたちに語られるメッセージではないでしょうか。ルカによる福音書6:25ではイエス様自身が「食べるもの着るもののことで思い悩むな」とこれ以上ないほどに簡潔に語っておられます。また、マルコによる福音書4:35~41のエピソードでは弟子達がパニックになっている中イエス様は眠っておられました。ここでも、ある意味イエス様は「心配するな」と弟子達に示したのではないかと思います。一方、そのメッセージを受け取る側はどうでしょうか。悩む時、病む時、不安な時や怒る時、「心配するな」という言葉をもらっても、当事者である私たちはなかなかその言葉を信じられないでしょう。実際、先に例に出したマルコ4:35~41では弟子達はイエス様に苦言を言います。しかし、これは私たちが人間である以上仕方のないことなのだと思うのです。思うに、ここで大切なこと、それは心配しないことというより「心配するな」という言葉を信じること。つまり、信仰なのです。

私は「神の恵みを感じる時、神の恵みを感じないとき」という対になる状況について考えてみました。調子がいい時でも悪い時でも「なんか最近、神様の恵みを感じないな」と思う時には神が自分から離れてしまったような気持ちになります。特に、よくないことが重なったりした時には私は神様に嫌われてしまったんじゃないかなどと——。しかし、これだけははっきりと言いたいのです。神の愛と恵みは絶えず私たちに注がれています。思うに、「神様の恵みを感じない」という気持ちは神が私たちに恵みを与えないことによって起こされるのではなく、絶えず注がれる神の愛と恵みに感謝できていないという状態によって起こされるのだと思います。例えば調子の悪いとき、あなたが神様に感謝できないのは神があなたに祝福された恵みがあなたの欲するものではなかったからかもしれません。

「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身は明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」

(マタイによる福音書6:22~23)

私は「目の澄んだ状態」、これは神様からの恵みを受け入れ、従順である状態だと考えました。あなたが神から頂いたものがあなたの欲するものではなかったとしても、神は最も良いものを私たちにお与えになるのです。神の計画は人の計画よりもはるかに優れたもので、それを信じ、それに従順である人はその光によって、より多く見えているのです。

神は私たちの歩む道を整えられ、また道中においては私たちを守ってくださいます。また、神は全ての時を定められます。だから、「人が思い悩もうが何をしようが何にもなりえない」のではないでしょうか。恵と愛の神の無条件の恩寵によってのみ私たちは生きるのです。ひたすらに神様の愛と恵み、御計画を信じて歩もうではないですか。また、信じるというのは思いの外難しいものです。ですから聖霊の働きを信じ、神様の助けによってそれを行なっていこうではないですか。絶えず祈っていきましょう。アーメン。

キリスト教は異国の宗教。この冷たい言葉に一信徒である私は答えたいと考えております。第一に、日本で最も信徒数の多い仏教ですら、かつて異国のものであったのです。つまり、信条や教えというものはどこの国の所有物でもないということなのです。殊に普遍の主の教えは、実に、かえって異邦人の為のものであったのです。これは明確に聖書に書いてあることです。

「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの誉です。」

ルカによる福音書2章31節〜32節

今に至るまで尊い主の教えを命さえ惜しまず守り、広め、キリストに生きた全ての聖徒に感謝と愛をこめて。彼らを遣わした神はとこしえに崇められるでしょう。アーメン。

日本のキリスト教信仰は1549年、イエズス会聖フランシスコ=ザビエルが8月15日に長崎の地を踏んだ時から始まりました。皮肉なことに、8月15日、聖母マリアの被昇天を記念するこの日は日本の歴史にあっては終戦記念日です。ですので、この日は日本人、殊にキリスト者にあっては複雑な感情を抱く日かもしれません。忘れるべきでない、いや、心に思わずにいられないこの日を、私たちはなんと言葉にできましょうか。悼まずにはいられない、しかし信仰においては喜ぶべき日、これは、また、長崎です。政治的な力により信仰を抑圧されながらも、祈り続ける生活はキリシタン弾圧が終わった後も結果的に続いてしまったのです。短く長い歴史の中で、圧政、迫害、これらを乗り越えた先にキリスト教国であった米国に原爆を落とされた長崎の悲しみよ。慎み深く祈り続けた精神が、私たち日本人のキリスト教信仰の礎となったことを私たちは心に留めなければなりません。

悩み、悲しみ、喜び、希望、全てを打ち明け、神に捧ぐ祈りの強さは私たちが頭で思う以上のものであると確信しています。

「わたしについて来たいと思うものは、自分を捨て、自分の十字架に従いなさい。」

マタイによる福音書16章24節

「武士道」という精神があります。物心ついた頃には一万円札といえば福沢諭吉でしたが、その前は新渡戸稲造でした。武士道という言葉を一番初めに用いたのは彼であり、それが彼の著作「武士道」に由来するものであることは言うまでもありません。この著書は、日本の精神性を海外にいた際に問い直した彼が、世界の人に向けて書いたものでもあります。だからこそ、その精神が国内においても再評価されることになったのでしょうが。いずれにせよ、日本人が美徳として受け入れたこの「武士道」というもの、これがキリスト者によって書かれたことは紛れもない事実なのであります。「日本の精神」が主の教えを受け入れたものであるのに、キリスト教が異国の教えであると言うのは無理があると私は思うのです。

その他にも、キリスト者として日本を愛した内村鑑三はじめ、日本の発展と教育を支えた新島襄、津田梅子、キリスト者ではなかったもののその思想に感銘を受けた福沢諭吉や、詩人中原中也など、日本人なら知っているであろう多くの人物はキリスト者であったり、主の教えに感銘を受けた人物であったりするのです。このように、イエス・キリストは日本という国を支えて来たのです。

誰にも知られない、誰にも気付かれないとしても善をなすというキリスト教が大切にしてきた精神を担う者となりたい。これが日本人のキリスト者である私の願いです。最後に立教大学創始者である主教ウィリアムズの言葉を引用します。

道を伝えて己を伝えず。

──チャニング・ムーア・ウィリアムズ

聖霊の導きによって、絶えず主の栄光を世に示し、御心に叶う者となれますように。アーメン。