「十一人の賊軍」 (original) (raw)

一条真也です。
日本映画「十一人の賊軍」シネプレックス小倉で鑑賞。東映が60年の時間を経て作った時代劇超大作ですが。とにかく戦闘シーンがリアルで、迫力満点でした。W主演の山田孝之と仲野太賀の熱演も素晴らしかったです!

ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『日本侠客伝』『仁義なき戦い』シリーズなどを手掛けた脚本家・笠原和夫のプロットを原案に描くアクション時代劇。江戸幕府から明治政府へと政権が移り変わろうとしていた戊辰戦争の最中、新発田藩(現・新潟県新発田市)で起きた抗争を映し出す。監督を手掛けるのは『碁盤斬り』などの白石和彌。『ステップ』などの山田孝之、『泣く子はいねぇが』などの仲野太賀が主演を務める」

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1868年、鳥羽・伏見の戦いをきっかけに、薩摩藩長州藩を中心とする新政府軍と、旧幕府軍による戊辰戦争が勃発する。そんな中、新政府に対抗するため、奥羽越列藩同盟が結成される。その同盟にやむなく加わった新発田藩では、藩に捕らえられていた11人の罪人たちが、決死隊としてとりでを守る任に就く」

この映画、「仁義なき戦い」シリーズなどで知られる名脚本家の笠原和夫が執筆していた“幻のプロット”を基に製作されました。ちょうど60年前の1964年、笠原は、脚本を通じて時代の反骨精神や、都合によって変わる正義に抗う人物を数多く描き、勲四等瑞宝章を受章しました。新作として「憎き藩のために命をかけて砦を守る罪人たちの葛藤」を構想し、旧幕府軍と新政府軍が争う激動の時代を舞台に、“果たして勝つことだけが正義か?”と一石を投じる物語を書き上げたのですが、当時の東映京都撮影所所長・岡田茂が、物語の結末を気に入らずボツにしたのです。激怒した笠原は350 枚ものシナリオを破り捨ててしまい、日の目を見ることはかないませんでした。

それから60年、現代の東映は、笠原が描こうとしたドラマは今の日本が抱える社会問題とシンクロすると確信し、映画化を企画。壮大な “権力への壮大なアンチテーゼ”に挑むこととなったのです。主演は日本が世界に誇る名優・山田孝之と仲野太賀、監督は「孤狼の血」「極悪女王」の白石和彌。ネットやSNSを中心にフェイクがはびこり、自分たちが生きる意味さえもフェイクに浸食されつつある現代社会に、ただただ“リアル”を突きつける作品となっています。2024年10月28日から開催中の第37回「東京国際映画祭」のオープニング作品として同日にワールドプレミア上映が実施されました。

映画「十一人の賊軍」は、いわゆる群像時代劇です。このジャンルの最高傑作は黒澤明監督の七人の侍(1954年)とされています。戦国時代の貧しい農村を舞台に、野盗と化した野武士に立ち向かうべく農民に雇われた侍たちの闘いを描いた作品です。麦の刈入れが終わる頃。とある農村では野武士たちの襲来を前に恐怖におののいていました。百姓だけで闘っても勝ち目はありませんが、麦を盗られれば飢え死にしてしまいます。百姓たちは野盗から村を守るため侍を雇うことを決断します。やがて、百姓たちは食べるのもままならない浪人たち7人を見つけ出し、彼らとともに野武士に対抗すべく立ち上がるのでした。主演の三船敏郎は菊千代という野卑な男を演じましたが、「十一人の賊軍」の山田孝之が演じた政という名の気の荒い駕籠かき人足は、菊千代を彷彿とさせました。

十三人の刺客(1963年)も時代劇の名作でした。東映京都撮影所で製作され、監督は工藤栄一、主演は片岡千恵蔵。弘化元年(1844年)、筆頭老中・土井大炊頭邸の門前で、明石藩江戸家老の間宮図書が切腹しました。間宮の遺体の側には、将軍徳川家慶の異母弟である明石藩主・松平斉韶の暴虐ぶりを訴えた直訴状が残されていました。斉韶は気が向けば女を犯し、刀を振り回して人を殺す異常者でしたが、その血筋に加え、家慶は次の年に斉韶を老中に抜擢する意向を示していたことから、幕府としては表立って処罰ができませんでした。このため土井は苦慮の末、ひそかに斉韶を排除することを決意し、自身が最も信頼する目付・島田新左衛門に秘密暗殺部隊の結成を命じるのでした。この作品こそ、東映京都撮影所による実録タッチの新路線「集団抗争時代劇」として製作された大作でした。クライマックスの約30分におよぶ13人対53騎の殺陣シーンは、時代劇映画史上最長とされています。

「十一人の賊軍」のメガホンを取った白石監督は、今年、素晴らしい時代劇の名作を発表しています。ブログ「碁盤斬り」で紹介した草彅剛の主演作です。古典落語をモチーフに、冤罪事件によって藩を追われた男の、父として、さらに武士としての誇りをかけた復讐を描いた作品です。いわれのない嫌疑をかけられて藩を離れ、亡き妻の忘れ形見である一人娘・お絹(清原果耶)と共に貧乏長屋で暮らす浪人・柳田格之進(草彅剛)。落ちぶれても武士の誇りを捨てず、趣味の囲碁にもその実直な人柄が表れており、うそ偽りない勝負を心掛けていました。しかし、あるきっかけから隠されていた真実が明らかになり、格之進は娘のために命懸けの復讐を誓うのでした。復讐に燃える格之進の鬼気迫る剣さばきは、観る者に戦慄を与えるほどでした。

映画「十一人の賊軍」の舞台となった新発田藩は実在します。1598年、豊臣秀吉の命を受けて、それまで越後一国を領していた上杉景勝会津に移封された後、越後は福島30万石に堀秀治、坂戸2万石に堀直寄、村上(本庄)9万石の村上義明、そして新発田溝口秀勝といった具合に配置されました。秀勝は1600年の関ヶ原の戦いのとき、徳川家康の東軍に与して越後に在国し、越後で発生した上杉旧臣の一揆を鎮圧した功績により、家康から本領を安堵され、新発田藩6万石が成立。越後国譜代大名親藩のひしめく中に位置する外様大名でした。その後、11代藩主・溝口直溥の代になって、10万石への高直しを幕府に申請し、認められました。これには、家格が上がるというメリットの一方と、財政窮迫の折りの高直しはかえって過剰な加役を加えられるのではデメリットを心配する声も上がり、藩内で論争が起こったのでした。

戊辰戦争では、新発田藩は新政府側よりの立場をとろうとするも、周辺諸藩の奥羽越列藩同盟の圧力に抗しきれず、やむなく加盟しました。同盟側は新発田藩を参戦させようと謀り、藩主・溝口直正を人質にとろうと試みましたが、新発田藩の領民の強い抵抗に遭って阻止されます。その後、新発田藩は新政府軍に合流し参戦することとなり、その結果、新発田の地は戦火から守られることとなりました。ただし、この時の新発田藩の行動は越後長岡藩などからは明らかな裏切り行為と見られ、周辺地域との間にしこりを残すことにもなったのです。ともあれ溝口家は明治時代に至るまで、取り潰しに遭うことなく、12代にわたって新発田を統治しました。ここまでは歴史上の事実ですが、これをヒントに10人の罪人を活躍させる物語を構想するとは・・・笠原和夫の才能に感服するばかりです。

この映画には「官軍」と「賊軍」という言葉が登場します。戊⾠戦争の最中。新しい時代を切り開く強い使命感を掲げ進軍を続ける新政府派「官軍」によって、旧幕府軍は「賊軍」と決めつけられたのです。そして、「賊軍」の旧幕府軍は徐々に追い詰められていました。そんな中、密かに新政府軍への寝返りを画策する新発⽥藩の⽬の前には、遂に官軍の到着が迫っていたのです。しかし旧幕府派の奥⽻越列藩同盟軍が出兵を求め新発⽥城へ軍を率いて押しかけます。城から退かない同盟軍と迫りくる新政府軍が鉢合わせてしまっては、新発⽥は戦⽕を免れません。

まさに絶体絶命というわけで、スリリングな物語が進行します。戦闘シーンでは多くの死者が描かれますが、官軍であれ、賊軍であれ、死者にはそれぞれの人生があり、家族があり、故郷があったはずです。それを想うと、戦というものの虚しさを痛感します。10人の罪人の中には千原せいじが演じる「引導」という名の女犯の僧侶がいますが、彼は死者が出るたびに「なんまいだ」と経を唱え、供養をします。「これは宗教者の鑑だ!」と思いました。

「**死は最大の平等である**」というのはわが信条ですが、死者に官軍も賊軍もありません。その点で、わたしは清水の次郎長をリスペクトしています。新しい年号になった明治元年江戸城から駿府城に旧幕臣たちが移住するのに清水港が使われました。清水の次郎長は、部下とともに炊き出しを行い、救援の手を差し延べていました。9月18日。次郎長の、義理と人情に生きた気質が沸々とたぎる事件が起こりました。清水港に修理の為入っていた幕府の軍艦・咸臨丸が官軍から襲撃され、官軍は倒れた多数の兵の死体をそのまま海に置き去りしのです。「賊軍に加担するものは断罪に処する」のお触れを恐れ、誰も死体に手をつけない状態でした。しかし次郎長は、「人間は死んでしまえば皆、仏様だ。仏に官軍も賊軍もあるものか」と海に浮かぶ死体を引き上げ手厚く埋葬したのでした。

次郎長が賊軍の埋葬をしたことを聞いた、駿府藩の幹事役をつとめる山岡鉄舟は感激し、墓石に『壮士墓』と揮毫をしました。以後、次郎長と山岡鉄舟の男同士の深いつきあいが始まり、山岡鉄舟は次郎長の心意気に感服しのちに「精神満腹」と揮毫した額を送っています。「精神満腹」とは、わたしの唱える「**ハートフル**」と同じだと思います。次郎長と咸臨丸のエピソードを始めて知ったとき、わたしは猛烈に感動し、「俺は清水の次郎長の子分になりたい!」と思いました。映画「十一人の賊軍」がヒットすれば、東映はこれから続々と時代劇映画を製作するものと思われます。東映といえば、時代劇とヤクザ映画。ならば、次はぜひ、白石和彌監督に「清水の次郎長」をテーマにした新作映画を撮っていただきたいですね。できれば、次郎長の役は仲野大賀、森の石松山田孝之で!

2024年11月5日 一条真也