八月十六日(1945年) (original) (raw)
八月十六日記
昨日戦争は終った。祖国日本は屈伏した。戦争は終った。思いがけなく、早く終った。私は来年の春頃には、米英軍が我本土に上陸するであろう、戦争の終るのは、それからだ、多分本当に終結するのは夏頃だと思っていた。それが今もう来たのだ。
昨日、村役場に寄って在郷軍人の届出をし、石炭の配給申請をなし、村の国民学校長が昔小樽市立中学在勤中の同僚だった小林吉郎兵衛氏なので、初めて訪い、一時間ほど昔の話をしたりして会談した。これはこの社に入ってから初めての私用外出であった。
そして門衛のところまで戻って来ると、瀬下君が私を呼んで、十二時から重大事件につき陛下のお勅語の特別放送があるから、国民は総てラジオの前に集るようにとの放送が朝にあった、企画の方で何かその手配をしては、ということであった。それが十一時近くであった。私は直感的に休戦かも知れぬと思った。お勅語の放送が、こんなに急にあるということは開戦の時以来無いことである。そして事情は我国の最悪の条件下にあり、かつまたソ聯が参戦して以来、当局者からは、情報局総裁の戦争方針不変更の言明と北東方面軍司令官の激励の辞とがあったのみで、上層部には妙な沈黙が続いていた。ポツダム会談の対日処理最後案というものが発表された時、我方としてはそれに取り合わぬということが小さく発表されたのみで、妙に態度が消極的であった。
そしてこの重大放送の予告である。私は工場長にその旨を話した。工場長はその時福田大工と機械の防空蔽いとしてコンクリートの箱を作る計画をしきりに打ち合せていた。若し今一時間の後にある放送が休戦のそれであるならば、総てのこういうものは無駄なのになあ、と私は思った。工員を早目に昼食をとらせること、ラジオ受信機は事務室にある故、工員を事務室の中に並ばせること等が決定された。休戦かどうか分らぬが、どうも只事ではない。私は理論的には休戦と考える外ないが、日本人としての感情がそれを拒み否定するのを強く覚えた。私は次第に興奮して来て、わくわくするのを自ら押さえていた。若し休戦ならば、政府はモラトリアムを実施するかも知れない、と私は工場長に話した。すぐにするだろうか、と工場長は疑わしげに言った。私は二三日前に入社して、差し当り私の室に一緒にいる江口君に、これはアーミスティスかも知れない、と話した。江口君は信じられない、と言う。江口君はロンドンに生れて二十歳まで在英し、四年前に日本に来た、二十四歳の青年である。日本語は用が足りるだけ喋るが、調子が変であり、日本文は少し難しいと読めない、つまり第二世である。田上氏は、江口君を傭い入れる時、或は平和が来た時に役に立つ人となるかも知れぬと言ったが、その江口君が入社して二日ほどして平和が来ることになったのである。
正午となり、工員たちが事務室の入口に集ってもじもじしているので私は声をかけて皆を室内に入れてあまり息苦しくならぬように立たせた。私は鉛筆と紙とを持ち、田上氏のそばに立って用意した。総理大臣がいきなり放送して、陛下のお詔勅の御朗読のレコードを放送する、との前置きがあって、やがて荘重なお声が流れ出た。戦況必ずしも利あらず、敵の残虐なる新爆弾が我民族を滅亡させる如き形勢となったので、敵と和平の交渉を開始されたとのお言葉が、多少の雑音を混えながら拝聴された。あちこちに女の職員たちの啜り泣きが起った。お勅語が終って君が代が奏された。平日は私は号令をかけたりしたことが無いのだが、皆声をのんだきり黙っているので、お勅語の終った時に私は「最敬礼」と号令し、君が代が終って「直れ」と言った。それから内閣直諭という放送に移り、総理大臣の承勅必謹〔ママ〕の旨の訓示があり、続いて、今春ドイツが降服して以来、我国は中立的立場にあったソ聯を仲介として英米と和を講ずる方途に出ていたが、英米支はそれに対してポツダム宣言を、対日最後処理案として発表したが、我方の受け容れるところとならなかった。そしてソ聯はその点を理由として敵側に参戦し、また米軍は強力な原子爆弾を使用した。ここに於て我国は平和を求めることとなったが、ただ皇室の存置を条件として交渉を始め(外は無条件のこととなる)たが、この点容認されたので、ここに正式交渉が開始された、というのがその要旨であった。
男の工員や職員でも涙を拭うもの、テーブルに伏して泣くものが多く、女はほとんどみな泣いていた。田上氏は、我々国民としてこの際お勅諭を体して慎重に事態の推移を待つこととする旨話があり、今日は三時終業となった。工員は掃除をして帰ることになり、散った。
こうして平和が来た。ここは北海道であるが、東京も大阪も鹿児島も日本の敵空襲で焼かれた焦土のあらゆる場所でこの瞬間に国民は戦の終ったこと、大和民族が屈服したことを知ったのである。
平和は突然、思いがけない早い時期に来た。一体今後どうなるのだ。ポツダム宣言では日本領土としては、北海道、本州、四国、九州の外、敵方の認める諸島嶼のみ、ということになっている。そして平和的な民主主義的な政府が樹立されるまでは、敵は日本の重要地点を占領するという条項がある。とすれば、直ぐにも数日のうちにも敵が上陸して来るか。
[#地から1字上げ](伊藤整、太平洋戦争日記(三)、新潮社)
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FCH「私は理論的には休戦と考える外ないが、日本人としての感情がそれを拒み否定するのを強く覚えた」
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