シロンプトンでパンとお参りと (original) (raw)
先月の下旬頃、身に覚えのない方からのメール。
宛先は日本ケーブルテレビジョン。
BS朝日の『そこに山があるから』という登山番組を担当されている方からで、私のブログで使用している写真について、番組での掲載が可能かどうかのメールでした。
最初は冗談かと思いましたが、そして少し怪しいとも思ってしまいましたが(ゴメンナサイ(;^ω^))、番組が現存すること、そして担当の方がとても丁寧で実直な印象をメールの文章から受け、私の写真で良ければと、お返事させて頂きました。
そして、あっという間の放送日。
掲載された写真はこちら。
左下にある京都笠置山の写真。
ご丁寧に提供:tonjilとまで入れて下さっています!
感激☆
掲載して下さった写真のブログはこちら。
笠置山は私の大好きな楠公さんと後醍醐天皇が初めて出会われた場所で、当時はそんなことも知らずに家族でハイキングを楽しんでおりましたが、色々な事が繋がってきた今となってはとても思い入れの深い場所。
そして、今回そんな思い入れのある場所の写真の上にtonjilと入れて下さったことも、これも何かのご縁のような気がします。
先月に愛犬が17歳と9カ月の生涯を閉じ、その愛犬の名前はジル。
そして私の姓は東でton。
合わせてtonjil。
亡くなってから一週間も経っていない間の出来事で、更には笠置山と一緒に愛犬のジルの名前。
ジルに対する花向けのような感じがしました。
日本ケーブルテレビジョンのK 様。
この度は貴重な経験を本当にありがとうございました!
お山はやはり楽しい☆
さて、前日の聖徳太子社から翌日向かった先は息子の野球の試合が開催される吹田市。
こちらのお寺の中にお目当ての聖徳太子七歳尊像があるらしいのですが。。。
ひとまず、自転車を停めようと敷地内を見渡すと、すでに自転車が止まっているが一画があり、そちらに停めさせていただくことに。
なんとも趣のある建物です。
そばには案内板があり、大光寺太子館とありました。
昭和13年に聖徳太子を顕彰する為に建てられた仏堂とあり、有形登録文化財になるようです。
素敵な建物❤
その建物の向かって正面にお目当ての像がありました。
聖徳太子七歳尊像
『唯仏是真』とあり、気になったので調べてみました。
「世間虚仮 唯仏是真」(世間は虚仮にして、ただ仏のみこれ真なり)。
これは聖徳太子の言葉として伝えられているものです。 お金や地位や名誉や権力などを価値あるものとしている世間は「虚仮」(虚しくて仮のもの)であって、 ただ仏のみが「真実」である、というのです。 仏法に触れることで見えてきた世界。
それが「世間虚仮」。ここに は人間に対する厳しいまなざしがあります。残念ながら 人間は自省しない限り「人間そのもの」について何も知 りません(アレキシス・カレル著「人間-この未知なるも の」)。
戦争を起こすのも人間です。核兵器を造るのも人間 です。原発を稼働させるのも人間です。地球環境を汚 すのも人間です。
人間の理性・知性は人間に豊かさと 便利さをもたらしましたが、マイナス面を生み出したこと も事実です。人間の愚かさをしっかりと見届ける「眼」 が必要です。日本文化の底には人間の本質を凝視する ことのできる学びの伝統が聖徳太子以来流れています。 「虚仮」の世間にありながらも、その世間を超えていく道 が確実にあるのです。先人たちはそれを教えてくれます。
コロナに振り回される現代社会。「経世済民」(経済 の原意)でない経済を回そうとする現代社会。生きてい く上で、本当に大切なことは何なのかを「見究める」正 月にしたいものです。
(出典元:日本人の忘れもの 知恵会議 | 〜次世代へ、美しい日本を〜 入澤 崇)
たった四文字にとてつもなく大きな真理があり、厳しいながらも私はその厳しい眼差しの聖徳太子がどうにも好きなようです。
そして繋がり続けた聖徳太子のお導きの終点はこちらの本。
秋分の日に開催された勉強会。
北は秋田県から南は熊本県と、日本各地から勉強会に参加された方々に混じって私も参加させていたきました。
その際、こちらの『教育十七条の憲法』が事前に勉強会用の教本という形で自宅に届き、封を開けた時には本当にビックリしました。
まさか最後の最後にここに繋がるとは。
こちらの本の著書である下村博文氏は元文部科学大臣であり、安倍首相の元で国つくりをされてきた方になります。
本だけではなく、実際会場でお話しもして下さり、日本という国について改めて考えさせられる一日となりました。
とは言え、一民間人がが出来る事には限りがあり、私は私の出来る在り方で日本という国体の一つのパーツとなれたらと思います。
大きなことは出来なくとも、まずは私が平和である事。そして家族単位での平和を。
その集合体が日本という国体になれば、それはそれは大きなうねりとなって変化となることでしょう。
『どうせ私一人が何をやっても変わらない』で行動しないのではなく、行動することで変わる何かがあるということを知ること。
今は大きな変化とならなくとも、そんな大人の姿を見た子供達の世代で何かが大きく変わるかもしれず、目先の変化ばかりを追い求めず、バトンを未来に繋ぐという意識を持つこと。
今日、息子の野球部の顧問の先生より連絡がり、『すぐに変化はなくとも、意識だけでも変わることが大事。』といった内容の話しをしていたばかりで、まずは意識から。
意識が変われば目の前の世界は変わります。
私は現在その実験の真っ只中です。
週末となれば家族みんな自転車に跨って、あちらへふらり、こちらへふらりと今となっては良き思い出となった数年前。
その日は寝屋川市から大阪市内にある弟のシチリア料理屋さんへと自転車を走らせている最中でした。
あれから4年弱。
今回様々な事が重なり、良きタイミングで参拝の運びとなりました。
左手に見える木はのちほどこちらの神社にお住いのご婦人から伺う御神木の楠木。
剪定を繰り返してずいぶんとコンパクトになったものの、維持していくのは本当に大変だと仰っていました。
本殿左側の日天社。
読んで字のごとく、太陽の神様。
そのお隣には朱塗りの鳥居の連なりが伏見稲荷大社を彷彿とさせる楠稲荷社。
楠木と言えば、本殿左手の立派な楠木。
境内には他にも立派な木々が点在しています。
大阪市内の、更には目の前には内環状線が走る交通量の多い道路に面した境内とは思えない空間。
社務所もご覧の通り風情のある造り。
その社務所前で一人空を見上げ木を撮っていると、先程目の前を通られたご婦人が側に来て色々と話して下さいました。
拝殿左手にある楠木は御神木で、夏の暑い最中その楠木を見ながら今年60歳になる娘さんがまだ赤ちゃんだったころ抱っこをして授乳をしていると、蛇が楠木の根元からニョロニョロと幹を上がっていく姿を見たようです。
それも一度や二度ではなく、何度も。
ただ、楠木の管理が大変な事から大きく剪定した年あたりを境に蛇の姿をパタリと見なくなったそう。
その娘さんは巳年とのことで、私も同じ巳年だけに妙に親近感を持ってしまいました。
そして、ご婦人が境内で一番立派な木だとおっしゃたのがこちらのモチノキ。
それはそれは遠目から見ても分かるくらいに、真っ赤な実をつけていたそうですが、木のそばに焼却炉を設置した年から実がつかなくなったとのこと。
幹の左手にあるブロック塀の裏手に焼却炉があり、きっとその焼却炉から出る煙が嫌だったのかもと、二人で色々と推測してお喋りしていると御朱印が出来上がり、楽しい時間はお開きとなりました。
先日、職場で全く関係のないところでモチモチの木という言葉を目にし、頭に浮かんだのはモチノキ。
少し気になり調べてみたところ、モチノキが御神木の神社がありました。
ここ最近、その神社の名前をよく目にしており、更には今月末に用事があって出かける先の近く!
これは参拝の合図。
まさに点と点が線になる瞬間。
ブログで気付き、次に繋がるパターンです。
さて境内に戻って【八幡社】
拝殿右手にもご覧の通りの立派な木々達。
さて、その木々の間に見えるこちらのお社に今回参拝するきっかけを頂きました。
【聖徳太子社】
横のアングルから我が家の車と記念にパチリ。
後ろ手に回ると面白いものを発見しました。
和を以て貴しとなす 忤うことなきを旨とせよ
今回参拝に上がった大宮の御祭神は安閑天皇。
継体天皇の御子息です。
境内の八幡社の御祭神は言わずと知れた応神天皇であり、継体天皇は応神天皇の5世の孫にあたります。
参拝させて頂き感謝の念に堪えません。
さて念願の聖徳太子社への参拝も叶い、その夜自宅でふと手に取った交野市にある星田妙見宮の鎮宅霊符神の冊子の文字に目が留まりました。
聖徳太子の文字。
更には追い打ちをかけるかのように、翌日開催される息子の野球の試合会場を調べていたところ、またしても聖徳太子の文字。
息子の応援がメインなのか、はたまたこちらへの参拝がメインなのか(笑)
どんどん繋がり出したお導き。
乗るも良し、気のせいとするも良し。
それを決めるのは、私自身。
頭で考えた私に従うのではなく、本来の私の意の欲するままに。
ここからは余談ですが、本日9月20日のお昼前に17歳と9カ月生き抜いた愛犬が亡くなりました。
昨夜、いつもと違う様子が気になり受診後、半日ほどの命となりましたが、最後の最後まで生き抜きました。
最後まで自ら水を飲み、流動食を食べ、出すモノをきちんと出してキッチリ生き抜いた我が家の長男。
彼の死から教わったことは、悔い無く生き切ること。
この世に生まれてきたのは我慢をする為ではなく、本来の自分が望むことをする為に生まれてきたということ。
今、この瞬間死んでも悔いがないと思える生き方をすること。
世間体や責任感や義務など、人間が生活する中で色々と身に付けてしまった不自然なモノを全て削ぎ落した先にあるモノ。
愛犬が亡くなった時を同じくして、次に繋がる場所が提示されました。
遠方ですがそれは理由にはならないでしょう。
本来の自分の意のままに。
今年の2月に亡くなった祖母の初盆へ。
僧侶の方にお目にかかるのは今回で2度目になりますが、初めて拝見した際の立ち居振舞いと物腰の柔らかさ、お経を読む透き通った声に今回もただただ感動でした。
それはやはり私だけではなかったようで、『やっぱりあのお坊さん凄いな!』の息子の声に、『お経って歌みたいやな。』とは主人。
前回の帰省時、娘は受験生だった為、今回が初めましてでしたが、心地良いお経の音色に『寝てた。』とはさすが大物です(笑)
僧侶の方の何かご質問等ありましたらどうぞ、とのありがたい言葉に図々しくも長々と質問させて頂きました。
前回も感じていたことですが、もやは性別を超えた何かであろうことは想像に難くなく、同じ人間としてひとくくりにするのは申し訳なくなるくらい。
今回のお話しには『ご縁』いう言葉が頻繁に出てきて、今後もご縁を繋いでいただければと切に思いました。
これもおばあちゃんのお蔭です。
お寺を後にする際、よろしければお持ち帰りくださいと様々な冊子や案内がある中で、パッと見て気になった新聞を一ついただいて帰りました。
その場で何気なく新聞をめくってみると、目に入ってきた文字にビックリ!
聖徳太子の文字。
先月から聖徳太子に繋がる出来事が多く、調べていた先で目にしたブログに私のブログが転載されており、その記事を見てみるといつか参拝に伺わねばと自分で文章にしている場所が聖徳太子に関する神社。
来月ある方の勉強会に出席するのですが、何についての勉強会かは知らされておらず、先日、聖徳太子についての勉強会である旨連絡が入りました。
さすがにこれだけのシンクロがあって、参拝に伺わない理由はなく、新聞の聖徳太子の文字を目にしてあーだこーだと興奮している私を他所に、家族たちはまた病気が始まったといった体(笑)
私が自分で納得できればよい話しなので、これからも私一人が変な人ということで家族との関係は続いていくのでしょう。
さて、2月に祖母危篤の連絡を受けた際、聖徳太子の側近である秦河勝公が御祭神の神社が赤穂市にあることを知り、 先程新聞に聖徳太子の文字があっただけに、今日参拝に行かずしていつ行くんや、と鼻息荒く家族を宥めすかしての参拝です(笑)
【大避神社】
毎度服装がシンクロする二人(笑)
参道には秦河勝公に関する案内がありました。
この日も真夏日。
アッついアッついと言いながら、タオルを頭に暑さに負けたJkがここに一人(笑)
以下、私と娘のやりとり。
娘:お母さんJKの意味知ってる?
私:(暑さで若干思考回路がおかしな頭をフル回転しつつ)えっ!?
Jはジュニアで、Kはキッズやろ。(どやっ!)
娘:・・・。Jは女子、Kは高校生やで。やっぱり昭和の人は知らんねんな。
昭和の方々こんな体たらくで申し訳ありません(笑)
さて、うだる暑さにもかかわらず久々に新しい場所での参拝は心躍るものがあり、どんどんと先を急ぎます。
参道の左右にある古き良き港町の民家の間を進み、見えてきた神門から振り返るとご覧の景色。
母が、祖母が、そして祖父が愛した瀬戸内海の景色。
今こうして見ていても涙が出てきます。
境内に入ってもう1ショット。
向こうに鳥居が見え、さながら瀬戸内海への鳥居のよう。
境内を先へ先へと進む息子が、面白いものを発見しました。
こちらの船は瀬戸内海三大船祭りの1つ「坂越の船祭り」(重要無形民俗文化財)で実際使用されていたもので、楽人が乗り雅楽を奏し他にも十一隻の船が砂越湾に浮かび、調べてみたところ10月の第二土日にお祭りが執り行われるようです。
その勇姿を称える絵馬が回廊にたくさん飾られていました。
中央にある絵は船ではありませんが、秦氏は雅楽の祖ともされており、雅楽で有名な東儀氏は秦氏を祖先とするようです。
こんなことを知る度に、教科書で習う歴史よりもやはり興味のあることは実際に見て感じて調べてみることが本当の勉強に繋がるなと感じます。
さて、私の横で立派な屋形船をジーっと凝視していた息子。
おもむろに『なぁ、お母さん、ありがたみんって何?何するやつなん?』と。
何のことかと思いきや、息子の視線の先を見て母(私)は即座に判明しました。
ありがたみん=有形民(俗文化財)
正しくは、ユウケイミンゾクブンカザイ…。
何故その部分だけを切り取って読んだのか。
それも、ありがたみんって。。。
息子の勉強嫌い、本を全く読まないことは重々承知しておりましたが、それにしてもあまりにもひどい。
そして、そーいや我が弟が中学に入って社会の教科書を片手に『だいわこっけって何?』と聞いてきたことを思い出しました。
だいわこっけ=大和国家
血は争えないと実感した一コマでした(^^;
さて、そんなありえへんやりとりをした後、本殿をふと振り返ると、アゲハ蝶が私の目の前をふわりふわり。
そのままどこかへ行ってしまうのかと思いきや、また私の前に戻ってきてはふわりふわり。
左へ横切ったかと思いきや、右の方へと進んでいく姿に何だかこちらへおいでと言われているような気がして一人付いていくことに。
着いた先にはお社が。
【新宮】
どなたがお祀りされているのかと中を覗いてみると・・・。
ズーム。
聖徳太子でビンゴ!
今日の目的地はこちらのお社だったようです。
ありがたし。
お社の近くに井戸があり、少し気になった為写真に撮っておきました。
調べてみるとヤスライの井戸というのだそう。
イスラエルと関係があるだとか、諸説あるようですが私に難しいことは分かりません。
ただ、以前訪れた聖徳太子ゆかりの地に井戸があったことを思い出しました。
水の湧き出る所に空海さんの影があり、一時期の参拝時には必ずと言っていいほどに空海さん、聖徳太子、役行者がセットのように現れていました。
こちらは境内から見える瀬戸内海。
なんとも清々しい。
【天満神社】
境内の中に一本、幹の太い木がありました。
木の根元に句碑がありました。
ひょんの実に似たるうつぼで流れ着き 梅原猛
梅原猛氏で調べていると、面白い報告書を見つけました。
http://www.kanbun.org/2007/070101nihonnochie/070101nihonnochie_report.pdf
【出典元:持続可能な社会形成に役立つ日本の伝統的知恵の発掘とその国際貢献のための研究第一次報告書 】
内容は今の日本、そして世界にとってとても必要な事のように思います。
それにしても、毎度のことながら思いますが、こうしてブログにするにあたって、調べて調べて横道に逸れているようで必要なことに出会うこの不思議。
感謝しかありません。
神門裏手には仁王像。
表には随身。
そして両脇には狛犬さん。
境内には、私以外に1グループのみ。
のんびり参拝させて頂きました。
さて、そんな私ののんびり参拝に家族の姿はなく、とりあえず参道を下り貝殻拾いをしたいと言っていた子供達がいるであろう海岸沿いへ。
日影のベンチでのんびりしている三人を見つけました。
正面には秦河勝公の墳墓とされている生島が見えます。
島の左端には鳥居が見え、立入禁止の禁足地。
茶臼山と聞いてすぐに思い浮かぶのは、大阪市天王寺区にある茶臼山。
聖徳太子が四天王寺と同時期に建立されたと伝わる堀越神社がある場所です。
更には私の住む高槻市のお隣茨木市に茶臼山古墳があり、宮内庁が認める継体天皇陵として認定されています。
ただし、近年は文化庁が認定している高槻市の今城塚古墳が本来の継体天皇陵として有力な説となるようですが。
ふと感じたのは、地名は人間にとっての遺伝子のようなものなのではないかと。
日本国体の遺伝子が地名。
地名に脈々と遺伝子情報が刻まれていますね。
聖徳太子のお導きと言えばたいそうかもしれませんが、あと2カ所聖徳太子繋がりで参拝に伺わなければならない場所を思い出しました。
どちらも大阪。
久々シロンプトンでの参拝となるのでしょうか。(ここ最近運動不足気味(^^;)
そして、今あまりにビックリして思わず声が出てしまいましたが、私の祖父母は父方母方共に秦河勝公の墳墓とされる土地に近い場所に住んでいたことに気付きました。
今まで考えもしなかったことが、こうして自分の直感を信じ、行動することで新たな気付きへと繋がること。
私の大好きな言葉
和を以て貴しとなす
聖徳太子のいる時代に生き、そしてその教えと共にあった前世であればこの上なく嬉しい。
こんな私の願いに即座に返答していただけたのか、ブログを作成した日の夜、夢で同じ次元でなければ並走出来ない旨、告げられました。
側から聞いたらなんのこっちゃやらですが、私にとってはとても大切なこと故、備忘録。
娘の合格祈願のお礼参りへ。
やっとやっと家族揃って湊川神社へとやってきました。
いつ見ても惚れ惚れとしてしまう表神門の佇まい。
今回の参拝は自転車ではなく初めての車。
表神門からではなく、本殿そばにある駐車場から境内へとお邪魔させて頂きます。
駅前の便利な位置にある為か、参拝は40分程でお済ませくださいと駐車場の方から最初にお話しがあり、特段急ぐこともなく家族でお参りをさせていただき、駐車場に戻ってくるとちょうど40分。
こんな小さなことでもありがたく感じるようになりました。
以前の私であれば、『たまたまやろ』の一言で終わっていたことでしょう。
内が変わると、見えてくる外の世界が変わります。
それは何もたいそうな事ではなく、今まで見えていた日々の当たり前の世界の何気ない一言や出来事、景色などが様々な物語を見せてくれているような感覚。
なんとも形容しがたいのですが、心持ち一つでこんなにも変わるものかと。
そして、この心持ちを変えることはそう簡単ではなく、私の場合は変えようと思って変えたのではなく、様々な出来事を通して自然と変わっていったということ。
過ぎた月日を眺めてみると、7年というたいそうな月日がかかりましたが、変わるきっかけをいただけて良かったと心の底から思います。
何か特別な修行をしたわけでも、特別な能力が開花したわけでもなく、強いて言えば自分が気になることをただただ黙々と続けてきた結果が今ここにあり、その出発地点の一つはまちがいなく湊川神社さんであると感じています。
自分の中の『何か』に蓋をしないこと。
その時には意味が分からなくとも、必要であれば必ず点と点は繋がり線となること。
難しいことは分かりませんが、私が体感したことが私の血となり肉となっていることだけは身をもって分かっています。
あとは、『自分に嘘をつかない』こと。
ついた嘘は自分にしか分かりませんが、ついた数だけ確実に自分を蝕み、自分から信用されなくなってしまいます。
『あとでやる』の『あと』はなく、今しかありません。
子供達の『あとでやるわー』の惨状は、まぁ見るも無残な子供部屋の出来上がり(笑)
『あとでやる』と、今の自分に嘘をついた結果です(^^;
こんな日々の積み重ねが自分の核となり、自分への信頼やはたまたどうせ出来ないなどの自己肯定感の低下へと繋がっていくのでしょう。
毎日の事をきちんとやる。
あとはなく、今しかない。
邪魔臭いけど、邪魔臭いの積み重ねが日々積み重なり、1年後、10年後となった姿は、想像するだけでゾッとします。
そんな自分になりたくないと、『はぁ~邪魔臭い・・・』と思いながらも部屋に落ちている髪の毛を拾い、ほこりが気になれば掃除機をかけ、床がザラザラすれば(犯人は野球三昧な我が家の子供達・・・)雑巾をかけ、やるべきことはなるべく後に回さず、こうして日々自分への信頼感を構築しております。
そして、こうした日々の当たり前が自分を作り、その土台こそがとても大事なことなのだろうということが腑に落ちる毎日です。
日々の当たり前をいかに生きるのか。
とても精神力が試されるなと思います。
このことは先日閉会したばかりのパリオリンピックでもとても感じたことで、特に柔道の試合で強く感じました。
いかに表面を取り繕ったとしても、ふとした場面で日々の行いや思いは表面化し、改めて日本人の精神力の高さにとても驚かされました。
そして、今まであまり興味のなかった柔道にとても心が揺さぶられ、道・武士道といった日本独自の思想がとても心地良く、と同時に日本人として生まれてきたことを誇らしく感じました。
「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」
強きものは弱きものの為に。
鬼滅の刃で私が特に好きなシーンです。
さて、御本殿で家族揃ってお参りさせて頂き、お次は本殿右手にある学業の神様 菅原道真公が御祭神の天満神社にて娘の合格のお礼と、相変わらず勉強に対して全くやる気のない息子へのやる気スイッチを祈願。
湊川神社さんへは今回が初参拝になる息子。
『えーっ、お母さんまた神社やん。』と言いながら新しい場所には興味津々。
湊川神社さんへは何度か参拝させて頂いておりますが、宝物殿が開館していたのは今回が初めてで、喜び勇んで(いたのは私だけ)見学して参りました。
楠公さんが実際に使用されていたとされている武具や、楠公さん直筆の法華経を目の前に、毎度のことながらどうしてこうも泣けてくるのかと。
そんな私を家族たちが『また始まった・・・』と言わんばかりに遠巻きに見るのは、毎度のことであります(^^;
本来であればもっと早くに参拝に伺いたかったのですが、連日部活まみれの子供達の休みがピタリと合った日に、やっとお礼参りに伺うことが出来ました。
何度参拝させて頂いても大好きな湊川神社さん。
海の日に、港にほど近い湊川神社さんへの参拝となりました。
みなとだけに(笑)
星田妙見宮をあとに、車で10分程の距離にある磐船神社へとやってきました。
右手に見える巨石が御神体の天磐船。
物部氏の遠祖神である饒速日命が天磐船に乗って天孫降臨された地。
ご夫婦揃ってその天岩船のそばを通り抜ける岩窟巡りをされたいとのことで、私はすでに何度か拝観させて頂いている為、今回は大人しく待つことに。
大人しく待っているつもりでしたが、木のそばに面白いものを見つけました。
『夢は近づくと 目標に変わる』
大阪府神社庁の標語は所謂歴史に名を残された偉人のものもあれば、このような今まさに同じ時を生きている方の言葉もあり、毎回楽しみにしています。
夢に近付く為には、何を・どうすれば良いのか、調べて動いて、必要な努力を重ね、少しでも自分のこうなりたいと思う姿に近付けること。
文章にしてしまうととても簡単なのですが、いかんせん色々な誘惑や自分の怠け心に負けてしまい、『明日でもいっか』『来週から頑張ろう』『今日は疲れているからやめとこう』などなど、まぁこれでもかと言うほど自分に言い訳を重ねて自己保身に走るのは私だけでしょうか?(笑)
とは言いつつも、私はこの何十年もの間諦めていた私の夢を5月末に思い起こす流れとなり、これを叶えずして今生を終えたのならばきっと成仏できないのではなかろうかというのが想像に難くなく、ただ何でこんなタイミングでこんなことになってしまったのかと。
どう考えても大変な事は目に見えて分かっているのに、ただそれでもその衝動には抗いきれなく、今このタイミングでこうなってしまったのには、20年前の私には出来なかった事が今の私であれば出来るということなのだろうと。
そして、実際そうなのだということを、私のそばにずっとついて下さっている方からこのタイミングで教えていただき、ずっと私の中で点と点であった聖徳太子、後醍醐天皇、如意輪観音様が全て繋がり線となりました。
やっとやっとここまでたどり着けた感動は、分からない期間が長かったからこそより一層感動的で、そしてこの答えが分かっていればここまでの感動はなかったことは間違いなく、本当にこの世界は全てが繋がっており、やっとそのことに頭で知識としてではなく、肚に落とし込むことが出来ました。
その後、仕事の穴を埋めるかのようにシロンプトンで高槻市内に参拝に訪れた初めてのお寺で如意輪観音様を目の前に急に意図せずして涙が溢れてきたこと。
そしてこの七年間、訪れる先々で見聞きした聖徳太子の存在。
答えが分かっているから行動するのではなく、行動した先に気付きがあり、気付きこそが成長の証。
よく分からないながらも自分の直感を灯として、見えない道を手探りで歩いてきて感じたことです。
6月から勤務が始まった新しい職場でも、私の本領発揮とされる業務がこれから先目白押しで、私が今まで培ってきたことでお役に立てるのであれば本望で、今を生きている感じがとてもします。
きっと私は生涯こうして動き続けるのでしょう。
止まることのない回遊魚のように(笑)
それでも、本来の自分を取り戻した今の私は清々しく、自分の本命に沿っているのであれば何事も成し遂げられるのであろうと思います。
この7年間、沢山充電させて頂きました。
ご縁を頂いたみなさま、本当にありがとうございました。
気付きと共に、これからは今までの充電をフル活動して精進して参りたいと思います。
私事ですが、念願叶って6月からガッツリ働き始めることになり、その間会いたい人に会っておこうと5月下旬は私の数少ない友達と日々を楽しく過ごさせて頂いておりました。
その間面白いことに、これは確実にこの状況を喜んで下さっているんだろうなという現象が毎日起こり、(私はお酒が特段強くはないのですが、初めて入ったお店の店主にランチ後ビールを勧めて頂いたり、今までお酒を頂くことなどなかった方からビールを頂いたり、はたまたいきなりケーキを買ってもらったりだとか、就職の話しなんてこれっぽっちもしていないにも関わらず、他にも色んなおめでとうを沢山いただきました。)7年前の左脳バリバリな退職前の私では絶対に気付かなかったであろう日々の出来事にただただ感謝の気持ちしかなく、この7年で本当に色々みえるようになりました。
ベトナムビール!
さて前置きが随分と長くなってしまいましたが、そんな5月下旬のおめでとう週間のうちの一日を、ご夫婦で仲良くしてもらっている方と大人の遠足という名の元の参拝へ。
【星田妙見宮】
毎度のことながら私が気になるのは木。
そして石。
なかなかな存在感のある石ですが、表立った場所には無く、今回の参拝で初めて存在を知りました。
気付けば前回の参拝からすでにもう2年強。
前回の参拝で霊符をいただきに上がり、とても賑やかになった我が家の神棚。
毎日欠かすことなく手を合わせておりますが、毎日続けることで生活の一部となり、習慣化されることでそこに煩わしさや面倒臭いなどの意識が入り込む余地が無くなることは身をもって実感しています。
何事も始めるまでは想像しただけで億劫に感じることも、いざ始めてしまえば、そして多少しんどくとも続けていけば、それが当たり前となり生活の一部となること。
それには『続ける』ということが大前提となりますが、続けることで見えてくる景色があり、それは続けなければ分からないこと。
ただ無理をして続ける必要はありませんが、自分がなりたい姿や、やってみたいと思うことに関しては、多少無理をしてでも続けることが必要なのではないかと思います。
私は小さい頃から、毎日手を合わせる場所に憧れがあり、更に母方の実家に帰省する際、毎日仏壇の前でお経を読む祖父の姿に憧れのようなものを抱いており、今はそのどちらもを当たり前のように享受できる環境にあります。
ただその環境は、ボーっと白馬の王子さまが来るのをただただ待っていた訳ではなく、自分でその環境を望んで掴みにいったからであり、そのことを自分自身でよく分かっています。
ここ数年、あるがままや無理をしない、頑張らないなどの耳辺りの良い言葉をよく耳にしますが、確かに『24時間戦えますか』のリゲインのCMの世界がもうやってはこないのは一目瞭然で、ただだからといってそれでも自分のやりたい事については、多少の無理をしてでも頑張りたい、諦めそうになる自分の弱い心に負けたくないと私自身は常々思っています。
まぁ、でも本人がやりたい事であれば無理をしている、頑張っているつもりはないと思うので、傍から見たら頑張っていることが本人からすれば当たり前なのかもしれませんが、私はその境地にいる自分がやはり好きで、それは6月から働くようになってとても強く感じます。
自分の出来る事で人の役に立ち、その為に自分のエネルギーを燃焼したい。
そんな私の性格から頑張ることを取り除けばもぬけの殻。
枯れた木。
はりぼて。
それらは何の役にも立たず、本来私の望む姿ではありません。
多少しんどくとも、私は燃え尽きたい。
そして働き始めて丸三週間が経ちますが、願望通り毎日燃え尽き、隙あらば座っていても寝ている始末。
昨日はビックリしたことにお昼の12時過ぎまでノンストップで寝ていました(笑)
そんな状況であるにも関わらず、私は私を生きている実感がとてもあり、これから更に増える業務を考えるとそれはそれは面倒臭くもあり、誰かにお任せできればと思わない訳でもないのですが、それでもきっとそれを私は完璧にやり遂げるのであろうということが何となくわかっています。
大変で誰もやりたがらないことをやるのが私の得意分野。
空間や思考、場所を綺麗に整理整頓し、こんがらがった状況をあるべき姿に戻すことが私はとても得意なようです。
そんな自分の特性に気付けたのは、退職後7年間もの充電期間があったからこそ。
やっとやっと自分の得意とすることが分かりました。
それは私にすれば当たり前過ぎて得意とすら思ったこともなく、何か資格を取らねばと必死にもがいていた7年間でしたが、そして実際履歴書には書けない資格ばかりを取得してしまいましたが、こんな一見すると周り道も私にとっては必要な経験。
目の前の本質を知るには、反対を知らなければ分かりません。
全ての事に無駄はなく、全ての事が私にとっては必要な経験。
無駄を知ることで必要を知り、必要を知ることで無駄を知る。
まさに断捨離。
何も特別なことをせずとも、日々の生活にこそ気付きがあり、そこに気付ければしめたものです(笑)
さて、相変わらず話しは脱線しますが境内に戻って、こちらはダンスをしているかのような木。
私はこのような木をバレリーナの木と勝手に呼んでいます。
今思えば、よくもあんな場所に1人で行ったものだと、我ながら感心してしまいます^^;
枝分かれの面白い木々も星田妙見宮にはあり、境内を歩くだけでとても清々しい気分。
こちらは沢山の木々に囲まれた境内の豊かさの源であろう水の存在。
【飛龍の滝】
そばには御神木。
こちらの御神木の近くに、私と付かず離れずの距離を保ってカラスが二匹
まぁこのカラスが良く喋るのなんのって、このあと更に上空に一匹が加わりさながらカラスの大合唱(笑)
以前はとても長く感じたこちらの石階段も、今回の参拝では物足りなさを感じるくらいにあっという間に本殿へ。
御本殿向かって左手にある鎮宅社が毎度のことながら気になり、今回もご挨拶のあと、目の前のベンチでしばし休息。
御祭神は、鎮宅霊符尊、須佐之男尊、饒速日尊の三柱で雄々しい神々ばかり。
その側には御神体の織女石があり、男女揃って陰と陽。
今回で3度目の参拝となりますが、毎回新たな発見があります。
その発見は境内だけにはとどまらず、駐車場へと向かう道すがら今まで一度も気にならなかった箇所に目が留まりました。
こちらの画像中央に位置する木がとても気になり、そばに近寄ってみることに。
キターーーーーーッ!
ビンゴ!!
この一本だけが特別。
周りの木々とは全く異なり異彩を放っておりました。
この分かれた根元から縦横無尽に広がる枝ぶりは、兵庫県にある越木岩神社を彷彿とさせます。
この木の近くに『金剛生駒国定公園』とあり、この後参拝する磐船神社や以前参拝した四条畷神社(楠公さんの御嫡男である楠木正成公が御祭神です)も金剛生駒国定公園内に含まれるようで、公園の範囲は金剛生駒山系だけにはとどまらず、1996年には和泉山脈一帯を編入し、名称も金剛生駒紀泉国定公園へと変更されたようです。
思いもかけぬ場所で素晴らしい木に出会い興奮冷めやらぬまま、お次はご夫婦の奥さんたってのご希望で同じく交野市にある磐船神社へ。
久し振りにブログ記事が続きます(笑)