しばおの映画部屋 (original) (raw)

第37回東京国際映画祭に今年も参加してきた。レポート記事とは別に、鑑賞した作品の記録を残していく。まず最初は、カザフスタンの映画『士官候補生』(アディルハン・イェルジャノフ、2024)。以下、ネタバレ注意。

プロット

女々しい自分の息子セリックをコネを使ってエリート士官学校に半ば強制的に入学させた母親、アリーナ。年功序列で、力の強さに物を言わせる校風にセリックが馴染めるはずがなく、クラスメイトからいじめの標的にされる。セリックの傷に気づいたアリーナは、息子を慰めるどころか「なぜ反撃しないのか」と問い詰める。そんなとき、学内で学生の殺害事件が発生する。警察の捜査が入り、犯人探しが始まるのと同時に、息子が突如として「男らしさ」を身につけたことに違和感を抱き始める。

音と映像の連鎖がもたらすカタルシス
この映画の特徴は、プロットの時点でトキシックマスキュリニティをめぐる社会派ドラマかと思いきや、後半にはホラーテイストに作風が転換することだ。セリックが学校に初めて足を踏み入れた時に、何もいないはずの窓に吸い寄せられるのを皮切りに、士官学校に隠された闇が断片的に提示される。その散らばった情報は、視覚的なものに限定されず、聴覚にも訴えかけてくることが秀逸だ。例えば、ボールペンのクリック音、ナイフを突き刺す音、扉を開け閉めする音のような環境音を連鎖させて繋ぐことで、催眠術にかかった感覚に近い、まさしく作中でセリックが体験したような自分で制御できない不安を煽られる。

同じようにディゾルブを多用することで、次のショットへと気持ちよく導入しているように思えるが、むしろ違和感を増長させる。カードの絵柄から人の顔へ、ドアの開け閉めからナイフの抜き刺し、音の連鎖とリンクして、嫌でも頭の中に残ってしまう。繰り返され、少しずつ蓄積されていくこの気持ち悪さは、クライマックスにも訪れる。なんとなく予測できてしまうこの演出には、これまでの蓄積もあり、わかりきっている快感、ドラッグ的なカタルシスがもたらされる。

有害な男性性をめぐる議論
ホラーの手法を用いた観客への裏切りは、さらにもう一度訪れる。物語中盤でこの物語が息子であるセリックの視点ではなく、母親・アリーナ視点のトキシックマスキュリニティをめぐる議論であるということが明かされるのだ。アリーナはかつて将軍にレイプをされた過去を持ち、その息子がセリックだった。レイプによって生まれた息子への愛し方がわからないが故に、たくましさを押し付けてしまっていた。彼女は、自分の見て、体験した有害な男性像を、息子に投射することで、自らのトラウマを忘れないようにしているようにも思えた。このようにトラウマを通じてトキシックマスキュリニティが量産されていくケースもあるのだろうか。*1

また、将軍によって繰り返される「お前は醜い」(映画内では他にもあったと思う)のような短いフレーズを反復するのは、同じ男の顔が自分の前に現れ続ける『MEN 同じ顔の男たち』(アレックス・ガーランド、2022)と似たシンプルかつ忘れられない怖さを孕んでいた。

デカルトの法則が登場するが、監督の口から直接解説があり助かった。日本公開されたらまた見たい作品。他にも、アリーナの自分は法を犯すが、相手には守ることを強要する言動についても興味深い点が多かった。

上映後舞台挨拶の様子。左からシャリプ・セリク、アンナ・スタルチェンコ、アディルハン・イェルジャノフ監督

東京国際映画祭7本目。

*1:これは今読んでいる『感情のアーカイヴ:トラウマ、セクシュアリティレズビアンの公的文化』(アン・ツヴェッコヴィッチ、2024、花伝社)とも繋がりが見いだせそうだ。

11月1日公開の『ヴェノム:ザ・ラストダンス』(ケリー・マーセル、2024)のIMAX先行上映に行ってきた。以下、ネタバレなしのレビュー。

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『マダムウェブ』に続き今年2作目のSSU。公開延期が功を奏したのか、12月には『クレイヴンザハンター』も控えており、MCU、DCEUがともに充電期間にある今、まさに大躍進の1年。『ヴェノム』(2018)~のシリーズ含め、SSUはユニバース全体のバランスよりも1作1作のクオリティを確実に担保してくれるため、個人的にかなり期待度が高いフランチャイズ
本作にも別ユニバース『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』(2022)へのアンサー含め、現アメコミ映画へのアンチテーゼのようなものを感じた。この製作陣の確たるSSUのスタンス維持の姿勢は評価できる。

さて、本作はヴェノムとエディのロードムービーとして見るのと、アメコミ映画として見るのでは、かなり評価が分かれるだろう。

前者として見るならば、『ヴェノム』シリーズシリーズの完結作として相応しい。
1で出会い、2で新婚生活、3で熟年夫婦にといった、『ヴェノム』は一種のカップルムービーだと思っている。エディとヴェノムが「マルチバース」に振り回され、敵に身を追われ、その中の旅を物語の主軸とした本作で織りなされる『テルマ&ルイーズ』のような、少しアウトローで、見ていて少し不安を覚えるやりとりは、ラストに向けて徐々に加速し始める。この絶妙な感情の揺さぶりがうまい。

それは逆に、アメコミ映画として見たときに物足りなさなる。予告編でも名前が出ていた大ボスのヌルや、前作で登場したクレタス・キャサディことカーネイジと比較したとき、SSUがヴィランを中心としたコンセプトであることを加味すると、本作は少し礼儀が正しすぎた。

マルチバースの嵐の中でSSUはあえて時計の針を戻し、旧アメコミ体制を取り戻そうともがき、葛藤した結果できたものが本作なのだろうか。

9/20より公開されている『トランスフォーマー/ONE』(ジョッシュ・クーリー、2024)。全編フルCGで製作された本作。ネタバレなしの感想を綴る。

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オプティマスとメガトロンの過去

トランスフォーマーシリーズの顔、オプティマス・プライムと破壊大帝メガトロンの若かりし頃が描かれる本作。実写シリーズ(07-)やNetflixアニメシリーズWFC(20-)などで、2人が因縁の敵同士であることやサイバトロン星で起こった出来事は知っていたが、初めから対立していたために、2人の過去が明かされる本作は注目作。
危険を顧みないオプティマスと保守的なメガトロンが自分の境遇を変えるために冒険に出るティーンエイジモノ。予告編ですでに公開されているオライオンパックスがダークウィングに皮肉を放ちながら、それをD-16が静止する、2人の凸凹具合は最高のバディだ。しかし、2人の行く末がわかっているからこの掛け合いが尊く見えてしまう。悪く進んでいく物語に胸が締め付けられた。

表情豊かなロボットたち
なんといってもロボットたちの表情が豊か。「新次元リアルCGムービー」を謳っているだけあって、CGはとにかくすごい。今回はトランスフォームできる前の彼ら/彼女らのドラマにフォーカスしている。特に口の動きに注目して欲しい。オプティマス、メガトロンは実写だと口元が隠れている、もしくは”ロボット”感を出さないといけないため、いわゆる人間らしさが排除されているのだが、本作はその縛りがアニメであるため無い。笑ったり起こったりした時の口があるだけでこんなにもエモーショナルになるのか。加えて瞳孔が開いたり小さくなったり、顔のクロースアップのときに、口の動きに加えて強調される。これにより、例のシーンがより哀しく見えてくる。あとは、ピカピカのロボットや、苔が生えたアルファトライオン、肌の質感の表現も良かった。実写の暗くてよく見えない現象も改善されていて、見やすい作品。

2024夏アニメもクライマックスに差し掛かる。『推しの子』第2期『逃げ上手の若君』『夜桜さんちの大作戦』(第2クール)3つのジャンプアニメが名を連ねる中で『推しの子』に次ぐ視聴率第2位を抑えたアニメが『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』通称「ロシデレ」である。*1

『ロシデレ』は放送開始時の期待値を上回ることは無く、放送回を重ねるうちに緩やかにペースを落としていった。今回はその理由を述べていく。

思い返すと第1話が最もボルテージが上がった。隣の席のアーリャ(cv:上坂すみれ)が挑発してくる「ツン」にあたるシチュエーション。そして、主人公である久世政近(cv: 天﨑滉平)が不真面目な一面とは打って変わって時々見せる頼もしさにロシア語でボソッと「デレ」る、アーリャが政近を焦らし、焦らされるという受けにも攻めにも回れる2人のデュオが、これまでの学園ワンシチュエーションモノにはなかった楽しさであった。

これに加えて、クール初めで多くの人が今後の視聴するか否かを決める第1話で『学園天国』、第2話以降で『可愛くてごめん』『晴れハレユカイ』といった昭和、平成、令和を代表するラブソングを上坂すみれがカバーする、毎話変わるエンディング曲も視聴を続ける大きな動機になっていた。

しかし、本編が生徒会選挙編へと突入すると徐々に失速を始める。

まず、アーリャがだんだんロシア語でデレなくなる。というよりも、デレることができなくなるといったほうが適切だろう。アーリャがロシア語でデレる際に、画面には日本語字幕が表示される。これはロシア語がわからない「フリ」をしているだけの政近の視点、つまりこのシチュエーションは2人がマンツーマン、もしくは至近距離で会話をすることで成立する。生徒会長選挙編においてはアーリャが大衆に話しかけるというケースが否応なしに増えるため、「デレ」を封印せざるを得なくなるのだ。『かぐや様は告らせたい』『からかい上手の高木さん』にも通底する身内でのみ成立するワンシチュエーションモノで、学生議会や、演説といった「大衆」の描写によって最大の見せ場が回を重ねるごとに減少していく。

また、政近がアーリャ(ヒロイン)を支えるというマッチョイズムが後半になるにつれて露骨になる。本作の序盤では頼りないオタク気質の主人公が、学園の高嶺の花である女子生徒に絡まれるという非日常感に憧れを抱き、妄想し、楽しんでいたのだが、主人公がかつては優等生で、しかも名家の出身、父は官僚、母は令嬢で離婚している、というエリート家系という設定が明かされてからは上流階級の遊戯としか見れなくなってしまった。これは1話で期待したものとは程遠い。特に、最終回に大衆の前で政近が演説する姿は、見ていていたたまれない気持ちになった。

もう少しヒロインをデレさせてほしい、そんなアニメだった。

*1:dアニメストアで7/19~7/26まで行われた「今期何見てる?2024夏アニメ人気投票|dアニメストア」によれば、『推しの子』が4,368票、『ロシデレ』が4,311票。ちなみに第3位は『俺は全てを【パリイ】する 〜逆勘違いの世界最強は冒険者になりたい〜』で3,096票。この時点で上記2作の大差であることがわかる。

新作

6/1『デッドデッドデーモンズデデデデデデストラクション後章』黒川智之

6/6『三日月と猫』上村奈帆

6/10『特捜戦隊デカレンジャー20thファイヤーボール・ブースター』渡辺勝也

6/13『ありふれた教室』イルケル・チャタク

6/14『あんのこと』入江悠

『帰ってきたあぶない刑事』原廣利

『マッドマックス:フュリオサ』ジョージ・ミラー

6/17『異国日記』瀬田なつき

6/21『関心領域』ジョナサン・グレイザー

6/23『正義の行方』木寺一孝

旧作

6/2『またまたあぶない刑事』(一倉治雄、1988)

6/2『もっともあぶない刑事』(村川透、1989)

6/4『マッドマックス』(ジョージ・ミラー、1979)

6/7『蛇の道』(黒沢清、1998)

6/7『あぶない刑事リターンズ』(村川透、1996)

6/8『あぶない刑事フォーエヴァーTHE MOVIE』(成田裕介、1998)

6/9『まだまだあぶない刑事』(鳥井邦夫、2005)

6/10『特捜戦隊デカレンジャー10years after』(竹本昇、2015)

6/13『さらばあぶない刑事』(村川透、2016)

6/14『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(ジョージ・ミラー、2015)

6/16『ゴジラvsデストロイア』(大河原孝夫、1995)

6/19『かもめ食堂』(荻上直子、2006)

6/19『回路』(黒沢清、2000)

6/22『きょうを守る』(菅野結花 、2011)

6/29『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック、1968』

合計 25本

6月後半はアニメを見ていたため、映画を見られなかった。翌月は映画を見る時間を死守したい。大半が邦画なことに驚いている。

新作

5/1 『ゴジラ×コング 新たなる帝国』アダム・ウィンガード

『異人たち』アンドリュー・ヘイ

5/3 『青春ジャック 止められるか俺たちを2』井上淳一

5/12 『シティーハンター』佐藤祐一

5/13 『辰巳』小路紘史

不死身ラヴァーズ』松居大悟

5/15 『悪は存在しない』濱口竜介

『水深ゼロメートルから』山下敦弘

5/16 『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』福田己津央

5/17 『ミッシング』吉田恵輔

i☆Ris the Movie - Full Energy!! -』博史池畠

5/20 『碁盤斬り』白石和彌

5/24 『ウマ娘プリティーダービー新時代の扉』山本健

5/29 『トラペジウム』篠原正寛

旧作

連続テレビ小説『ブギウギ』(2023)で羽鳥善一役を演じて記憶に新しい草彅剛と、『孤狼の血』(2018、2021)シリーズを監督した白石和彌がタッグを組んだ『碁盤斬り』(2024)。

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舞台は江戸。彦根藩士だった柳田格之進(草彅剛)は浪人として、娘のお絹(清原果耶)と家賃も払えないほどの貧しい生活を送っている。柳田は得意とする囲碁を嗜みながら「先生」と仰がれていた。実直すぎるが故に、数々の武士から恨みを買ってきた柳田にも、囲碁を通して平穏な日常が訪れようとしていた。しかし、柳田の日常は、彦根藩時代の部下から自分の罪が濡れ衣だったと知らされたことで復讐の日々に変わろうとしていた。

以下、『碁盤斬り』のネタバレを含みます。

本作で筆者が注目したのは主演である草彅剛の怒りが発露する瞬間だ。『ブギウギ』の羽鳥善一、『晴天を衝け』(2021)の徳川慶喜と近年では、その低い声のトーンと一定のリズムを保った口調に乗せられる台詞には夢心地な気分になった。一転して、本作の草彅はその知性を保ちながらも復讐の機会を虎視眈々と狙っている。そして、その感情が絶頂に達したときに草彅の口から放たれる怒号には恐悚(きょうしょう)するのだが、同時に上司に叱られた時のような自責の念に駆られる。なぜならば、その怒りの中にはどこか期待を込めた優しさを感じるからだ。

柳田(草彅)が濡れ衣を着せられた彦根藩の武士柴田兵庫(斎藤工)に復讐を果たすために、碁の勝負を挑み、負けを悟った柴田から介錯を頼まれた際にも、復讐が果たせなくなるにもかかわらず柳田は快諾した。金銭を盗んだと商人から疑惑をかけられた際にも、一度は首を斬首しようと試みたが、囲碁をした所縁から碁盤を斬ることで思い留まった。つまり、柳田自身の意志で手を下していないのだ。加えて、人を斬るのではなく“碁盤”を斬ったことに彼の侍としての異質な人間性が現れている。

本作はジャンルとしては時代劇に該当する。時代劇では男たちが仁義と名声を懸けて、本懐を遂げるために刀を握る。暗闇に飛び交う血しぶきと鈍い斬撃音が、チャンバラを盛り上げるために必須の要素であると筆者は心得ているが、『碁盤斬り』には時代劇的要素が最小限まで切り捨てられている。むしろ、サイレント空間における碁を打つ音/ちらつかせる音が登場人物間の緊迫したドラマを訴える手段として代替されている。柳田が碁を打つ際にクロースアップで何度も捉えられる手によって、彼の潔白が示唆されているのだ。本来刀を握り人を斬るための手は、柳田も例外なく血に汚れているはずだ。しかし、柳田が彦根藩で濡れ衣を着させられた時も、商人に嫌疑をかけられた際も彼が清廉潔白であることを私たち観客は事前のシーンを通じて知っている。柳田が藩士として、過去に決別していることは柴田の恨みを買い対峙した瞬間にスクリーンがフィルム撮影へと切り替わったことで明示される。

碁盤の裏側には、碁を置いた際に音を響かせるための血だまりという凹みがある。この構造は、対局中に口をはさんできた者の首を置いたという由来からこの名前が付けられたらしい。柳田は最後に商人の首を斬って置くことこともできたはずだ。にもかかわらず碁盤を斬ったのは、柳田自身が首を斬ることへの拒絶、また、白石和彌が時代劇の慣わしを断ったと読み取ることもできる。『孤狼の血』や『凶悪』のヴァイオレンスなイメージが強い白石和彌だが、本作において怒号や狂気は囲碁という静謐な闘いへと封印される。だからこそ、この『碁盤斬り』は白石和彌のフィルモグラフィにおいて特異であるし、草彅剛の封印されていた怒りが発露する瞬間のために碁盤の音が響き渡る環境が整えられていたように思える。草彅剛の普段温厚な先生が怒った時のような驚きと直後に訪れる静かな空間は映画館で味わえてよかった。