歴史について【歴史・地理】 (original) (raw)

学生の頃、歴史の勉強というと思い出すのが年号の暗記です。私の時は「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」でしたけど、今は「いい箱(1185)作ろう鎌倉幕府」らしいですね。他にも創価学会員だけが分かる歴史年号の語呂合わせとして、「ぶんこぶんぶん・おうちょうえいえい・がんがんがんぱち・まいこたつ」というものがありますが説明は割愛します(笑)。「歴史=暗記」というイメージで学生の時は歴史はあまり好きではなかったです。もっとも学校で歴史を教えるのには自ずと限界があります。というのは、歴史というのは「事実の歴史」と「認識の歴史」があって「認識の歴史」は思想教育になってしまうので積極的に学校では教授できませんので「事実の歴史」が中心になり必然的に年号の暗記がメインになります。ただ大人になってから歴史の書籍などを読むと面白いです。ひとつの事実に対して様々な認識があり事実=歴史ではななく、認識=歴史であると知ることができます。事実に対してどのような認識を持つかが史観であり知性であると思います。例えば池田創価は「日顕上人が創価学会池田大作に嫉妬して創価学会を破門した」といいますが、この中で事実は「破門した」で、嫉妬云々は池田の認識です。日蓮正宗側は池田創価が宗門に対して誹謗中傷の言動を繰り返したから破門したしたという認識です。破門されるまで創価学会が約1年に亘って日顕上人や宗門僧侶を機関誌や怪文書で批判していたのは事実であり逆に創価の主張するC作戦の存在は裁判で否定されているようにで事実とはいえません。ここで分かるのは「認識の歴史」は、「事実の歴史」に対する知識量で変わってくるということです。創価学会員の正宗に対する史観は「事実の歴史」に対する知識量が極端に少ないので「日顕上人が池田に嫉妬した」などという知性に欠ける歴史認識になるのだと思います。それは池田創価の会員に対するMC(マインドコントロール)によるものです。いずれにせよ史観は認識ですから事実を列挙すれば全てが解決する問題でもありません。もちろん事実の歴史を多く提示すれば史観も変わっていきますが(MCされている場合は変わりませんけど)一度、認識したものはバイアスがかかってるのでなかな変わりません。日韓・日中の歴史認識の対立がなかなか解決しないのはその為です。解決する方法は過去の歴史ではなく現在の認識を変えることです。英国の歴史学者・E. H. カーの著書『歴史とはなにか』の中に「歴史は現在と過去のあいだの対話である」という有名な言葉がありますが、カーは現在によって歴史は変わりうると主張しています。日韓関係でも過去の歴史に囚われて対立するのではなく現在に友好関係を結べば過去の歴史認識も互いに変えることができるのですが、韓国は「恨の文化」の上に反日教育で国民をMCしているから残念ながら真の友好関係を結ぶのは困難であり日韓対立が解消に進むことは今の所ないでしょう。またカーの「歴史は変わる」という思想は、個人に約せば「過去は変えられる」とも考えられます。実はこの「過去を変える事が出来る」ということが現在の一念を変えれば未来も過去も変えられるという日蓮大聖人仏法の大きな特徴ひとつなのです。過去にどんなに苦難があったとしても今が幸福ならば過去の苦難は不幸という認識の歴史にならないわけです。教学的な事は省略しますが、日蓮大聖人の仏法は意識(認識)の届かない心(生命)の奥底に直接幸福の因を作ることのできる仏法なのです。自分の歴史をより良い方向に変えることができるのが日蓮大聖人の仏法なのです。私のような貧乏人の小倅で何の力も才能もない人間が数ある宗教・仏教宗派から日蓮正宗を選んだ理由のひとつが過去も未来も変えることができるという法門に魅力を感じたからです。過去の不幸を幸福に変える。今の幸福を未来の不幸にしない。それが日蓮大聖人の仏法なのです。

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