さっさと帰りたい (original) (raw)

その日、人類は思い出した。

テーマパークの順番待ちに並ぶことの不毛さを。

いやぁ本日、両親と叔母とUSJ行ってきたんですよね。ええ、齢30過ぎにして、両親と叔母と。

両親ともUSJ行ったことがないってんで遠路遥々と。ありがたい話だ。

開園して殆どすぐに、スヌーピーが登ったり上がったりするアトラクションめがけて。

…と、その前に、頭が回っておりませんでした。今日も素晴らしい日差しで、30分と太陽に晒されていないのに皮膚が赤く、日焼けが始まっているのを感じたのでした。野球観戦の時は長袖着ていくのに、無策だった。

職場で日焼けを指摘されるのも嫌だったので、母から日焼け止めを借りて塗りたくった。

アトラクションを待つ列でも日差しは容赦なく照り付ける。例え陰にかかろうとも、暑さを前にして人々は無力だ。しばらくすると玉のような汗が出た。人類はわざわざサウナなんて生み出す必要はなかったんだ。

汗を拭う。と、日焼け止めも拭われる。初め、無意識に汗を拭う内に、その自らの行為にハッとさせられるものである。

多分ジョナサンに「お前は次に〜と言う!」と言われて現実になった時の心情はこれだ。それでも気にしている余裕はなく、何だろうが汗を拭うことに専念した。

その後、待っていたのはスヌーピーに乗って空中を登ったり、上がったりする子供騙しのそれだ。想像に難くないだろう。風は涼しかった。

その後、針生ポッチャリーの待つ新大阪城へ入場した。最近は時間も金で買う時代だ、ファストパスもデータ通信なしには入手出来ない。

幸運にも我が両親はインターネットに明るいので、ファストパスのようなものを事前購入してくれていた。2万円だって、オッタマゲー。

そう、折った曲げました。針生ポッチャリーのアトラクションは、想像のそれを大きく超えていた。

思えば20年ぶりぐらいに遊園地に来たかも知れない。その間に映画も3Dを経て4Kとなり(詳しくは知らない)、それが映像技術に取り入れられないはずがなかった。

素直に感動した。最近のアトラクションはここまで進化したのかと、子供騙しだとは微塵も思わなかった。よくもこの様なアトラクションを開発してくれたものだ。子供の目にはどのように映るのだろうか。良い意味でこの言葉を使う時が来たのだ。映像美に感動しましたね。

その後は三本の箒に行ったりして、バタービールを飲んだりなどした。

こちらも貴重な体験だった。食べたことのない味付け、バタービールも不思議なもので、ビールではないけど立派なビールだった。原作の再現度は相当なものである。知らんけど。なんかこう、スタバの甘い飲み物を微炭酸にした感じだ。現地で試してもらうだけの価値はあると思うのだ。

その後、ファストパスで乗った乗り物を記しておきます。ジョーズミニオンマリオカートだった。

ジョーズなんて水が結構かかるって前評判だ、全身ずぶ濡れになっても靴さえ濡れなければOKと思っていたが、現実は靴だけが濡れ、歩くたびに農作業来てるような気分になった(ちなみにジョーズは昔ながらのアトラクションって感じでしたね)。

(ジョーズの後、ジュラパエリアで買い物をし、ワンピのドリンクを買って休憩したあと、ウォーターワールドの観劇。その後ミニオンワールド)

ミニオンも映像技術が凄くて素直に感動できた。科学の進歩ってスゲェ。

お母様の乗りたがっていた宇宙系の何かは鬼滅の刃に侵攻され、待ち時間がとんでもないことになっていたので撤退。休憩してみんなでフロート系の何かを飲むも、1時間ほど時間が空いたので、自由時間。ハリポタワールドに戻ってタオルを買った。六千円もする。

日も沈み、最後にマリオワールドへ侵入し、今日の日は終わった。帰り際はとても名残惜しくなったので、両親の歩く姿を後ろから写真に映した。記憶は薄れていってもJPEGのデータは色褪せることないだろう。わぁケータイって便利。

楽しかったね。

楽しいなんて思うこと滅多にないが。何なら今日も楽しいまでは思わなかったかも知れないが。

少なくとも何の憂いもなかった。心配事何も考えずに1日過ごすことが出来たね。ありがとうUSJ。もう来ないと思うけど。改めて両親とも叔母とも感謝だね。

そう、ここは天国かって思った。何の憂いもない世界、素敵だ、無敵だ。前回の日記にも書いたことだが、死んだ後に思う憂いなどないのだろうなぁと思っている。

なんかこんな歌詞あったよなと思ったらエリックだ。クランプトンのtears in Heavenだ。

曲を簡単にまとめると、天国で流す涙は悲しみとは無縁だって話ね。私はこの曲が好きだ。早逝された息子さんには申し訳ないが、この曲が生まれるためにクランプトンの息子さんは亡くなったのだろう、とさえ思う。

以下、時系列順にメモ書き。

木曜日、丸一日有給を使っても良いところだったけど、なんやかんや休んだのは前半部分のみ。12時ごろには既について先方は梅田のスカイビルへ降り立ったらしい。業務に追われて同行することは適わなかった。

13時過ぎ、仕事から解放され急ぎ帰宅。自室のクーラーで少し涼み、着替えた後、 大阪城公園の改札出口にて先方一団へ合流。その前に最寄駅のファミマでお茶を買っていたが、合流した頃には空になっていた。園路遥々よくおいでなさった。

改札口を抜け、20分前後歩き、大阪城へ入場。我々の他には外国人しか入城券を求めていなかった。私にとっては2回目の入場だ。前回も思ったことだけど、大阪城って城の形をした博物館だよね。

城の中で休憩しつつ策を練っていたら、城外は豪雨だった。仕方なく城内で粘っていたところ、17時の帰れコール。押し出された形となったが、最低限、歩けるぐらいには雨は小雨になっていた。

その後帰宅トレインに乗って、谷町四丁目駅へ、阿波座からなんばを伺った形だ。道頓堀へ続く14番出口を抜け、全国有数の観光地、グリ下で記念撮影だ。お望みのお好み屋「ミツノ」は定休日とのことで、法善寺横丁にあった良さげなお好み屋へ。名前はよく見てなかったけど、美味かったね。お好み定番3種と焼きそばを注文、シャンディガフ久々に飲んだ。お母様はレッドアイ、お父様は水割り。

法善寺には猫ちゃんが3匹おりましたので、構ったりしつつ、1日の締めとして、串カツだるまへ。なんと向こうは大阪に降りたって一度串カツ屋に入ったらしい。串カツでんがな。福島にもあった気がするが、間違いかも知れない。漬けるソースをご所望のようだったが、コロナで全滅した旨を告げると、納得したようだった。

食べ終わったらこの日はもう解散だ、御堂筋線で先方の宿泊先の梅田へ向かいましょう。大阪駅は複雑怪奇だ、駅から宿泊先に無事に着けるか心配だったので、途中まで着いていくことにした。

その実、私の方でも大阪駅周辺の土地事情はよく分かってはいない。ホテルモントレ・ルフレール。北新地駅の方にあると言うので、多少は分かりやすかったが、北新地自体行ったことがあまりないので、散歩してみたいとの気持ちもあった。

しかしこの日は阪神百貨店?の2階部分が終わる地点で別れることと相成った。実際地味に遠いしね。そして2日目、冒頭に至る。

名残惜しくも出場口を出た後は、ユニバシティ駅のお土産屋を物色。タコヤキの間のようなところでみんなでたこ焼きを食べた。くくると甲賀流甲賀流はイマイチ、不評だった。まぁみんなで食べりゃ何でも美味しいよね。

そして再びユニバ駅から首都ウメダへ。特別にウメダへの宿泊許可が降りていたので、今回は先方の宿泊先までついて行った。3つのベットが置かれたステキな場所だった。一方の私は近接するアパホテルへ。途中北新地を抜けたが、キャバ嬢と思われる不審者が4、5人並んで客引きしており、想像と違わぬ銀座のような場所だった。煌びやかと言えば、そうなのだろう。

その前に親殿がうどんを欲していたので、阪急下にある笑卵へ。一人前でなくても良かったけど、一人前からだと言うので、かすうどん2たとキツネとワカメ。みんなにかすうどん食べて欲しかったけど、美味しいって言ってくれたのでそれで良かったかな。

アパホテルの大浴場へ、北新地ブラブラしようかなとも思ったけど次の日の予定もあったし、適わなかったね。

翌日、9時45分目掛けて先方の宿泊先へ。先方も丁度出てきたようで、ホテルを出たところで合流となった。9時45分からなら泊まる必要ないのではとも思ったけど、合流してすぐタクシーに乗ったので、そこに泊まる必要性があったのだとも思う。

一向はダックツアーに参加すべく天満橋駅へ。初めての場所だ。駅にスーツケースを預ける。1人千円弱なので、合わせると結構な値段だ。我々は水上バスの発着場所を探し求め彷徨う。川辺ばかりを探していたが、川の駅のようなところがあり、陸上からの出発となるようでバスも路上に停まっていた。

快活なバスガイドのお嬢さんのアナウンスもあり、75分間(だったかな)、一度もケータイで時間を確認せずに過ごせた。バスのお嬢さんは地元民のようで軽快な大阪トーク、ですが私には何となく話す先が読めた。私にも大阪人の素養があったのかも知れない。今からでも吉本入りますか??

お別れの時間が迫っている。名残惜しくもダックツアーは終了し、天満橋から京橋、大阪は梅田を経由。阪急を使って蛍池駅からモノレールで伊丹空港へ。そこは行ったことのある関空へ比べればこじんまりとした小さな空港だった。14時前だっただろうか、朝飯を食べてなかった私は空腹を覚え、がんこでみんなでウナギを食ったサ。バスガイドの話にうなぎが出てきたからだろうね。ウナギ食うのに鵜、難儀してるわ、つって。私の方では寿司が食いたかった気分だけどみんなに合わせた。

その後は最後のお土産タイムだったのだが、その前にお母様と一緒に551の豚まんを2人で食べた。2人で食べると言うことはありそうであまりなく。忘れたくない味だったね。だから忘れないように日記を書こう。

そう言えばご飯中、何故だか叔母から今朝の昼食代として五千円もらった。貰う通りはなかったが、背に腹はかえられぬ。素直にありがたく頂戴することとした。

みんな重い思いのお土産、買うことが出来たのだろうか。空港のヨシモトショップを堪能し、お別れの時間だ。今際の際では不意に、ため息が漏れてしまった。私だって福島に帰りたいわ。ゲートに入り、人混みに消えゆく家族を名残惜しく私は最後まで見ていた。一緒に帰れたら良いのにな。どうして1人残されなからばならないのだろうか。泣けてきますね。

などとつらつらとまとまりもなく出来事を書いてしまった。時系列で。出来事だけを。

細部の描写には至らない。出来事と出来事との行間が、最も意味ある貴重な時間だと思う訳なのに。結局、移動時間とか休憩時間のような何事もない些細な時間こそ慈しむべきだと思う。

嗚呼、感謝、感謝。