えっ? エセー。 (original) (raw)

夜ご飯を食べたあと、誰かが私の後頭部をぶん殴る。
どなただ、殴るのは。よしていただきたい。そんなことをされれば誰だって気絶してしまう。目覚めると21時を少し回っている。たしか19時頃、夜ご飯を食べたから2時間ほど意識を失っていた計算になる。体が酷く重いベッドから起き上がる気力すらないもし私が南極のペンギンだったらそのまま再び寝を開始するだろうが人間としての宿命を背負っているわたくしは類まれな気合と根性で高重力地帯から体を引き剝がして立ち上がり、その場でしゅっ、しゅっ、とシャドーボクシングを開始して私の延髄を鉄パイプで殴打した犯人を威嚇する。犯人の姿は見えない。透明人間か、あるいは幽霊かもしれない。部屋をうろうろしながら虚空を殴り続けているうちに目が覚めてきた。目が覚めてくるとだんだん自分のしていることが馬鹿げているように思われてきた。誰かが私を殴ったのではなく、たぶん夜ご飯を食べたことによる血糖値の急上昇、つまり血糖値スパイクという現象によってわたくしは気絶したのではないかと推理することが可能となった。きっとそう。叙述トリックだ。自作自演、自縄自縛、マッチポンプ。真犯人はわたくし。姿の見えない不思議現象をなんとか納得させるために昔の人は狐に騙されたとか、狸に化かされたとか、鬼っていう怖いモノがいると想像したり、とにかく空想の世界をでっちあげて納得してきた経緯がある。科学が発達していなかった頃は、想像の世界がその役割を担っていたのだと考えると感慨深い。ハエの発生を研究していた科学者のひとりは、ハエは「真空からでも発生することができる」と結論したことがある、とネットで読んだ。ほんとは管理が甘くて小さいハエが実験装置に潜り込んで増えただけなのだが、科学の世界でさえそのような認識の誤りは発生する。というか私はこの「ハエは無から生まれる」という理屈がとても好きだ。無から生まれたとしか思えないものはある。たとえばこの間お風呂場に長い髪がひと房落ちていて怖かった。明らかに私の髪の長さではなかったし、それが束になって落ちているというのはまったく意味不明だった。誰かがこの部屋に忍び込んで髪を洗って帰ったとしか思えないのだが、それもきっと真空から生まれたハエなんだろう。というかその人は銭湯に行け。謎髪の原因は不明だけれど害はないので追求はしなかったが、科学で解決できないことは想像によって補完するという人間元来の性質により「きっと私の部屋に忍び込んだのは黒髪の美女だな。いや、たぶん菅野美穂さんだな」と思い込むことによって恐怖心を減じることに成功した。科学の勝利ならぬ想像力の勝利だ。想像は軽視されがちかもしれない。それってあなたの空想ですよね!? と言われると私だってもじもじしながら謝る他ないけれど、想像によって人間は元気になったり不幸になったりするんだから想像の力はもっと認められるべきだ。その想像という言葉には自己像、自己認識も含んでいい。自分は憎まれている、と想像するより自分は愛されている、と想像するほうがずっと人生を豊かにする。現実と経験でしか物を語れなくなったら心の理論を未履修の3歳児になってしまう。想像で癒せるのはこの世界でただひとり、わたくしだけかもしれないが、それでも気休めで気が休まるのならセルフコントロールの有段者といっていい。誰もが心の中に安全地帯としての想像世界を創造することが今後の世界を良くしていくための急務であるといえるだろう。想像してみて、とジョン・レノンも言っていた。ハエは虚空から出ずるし、私は毎日後頭部を殴られているし、風呂場に時々菅野美穂さんが来るし、南極のペンギンたちは寄り添って体を暖めている。我々は平和と愛に包まれている。みんながあなたと私を愛している。さあ、隣の人と肩を組もう。そして愛の歌を歌うんだ。殺すぞ。えっ、お前だれ!? 俺は現実だよ。お前たち想像をぶち殺しにきた現実だよ。現実を見ろ。戦争は続いている。今も何万人もの人間が死に続けている。何万人もの人間が飢えている。職の無い人間が犯罪を犯している。俺だよ、俺、俺を見ろ。味方なんて誰もいない。この世界の原理は弱肉強食なんだよ。平和ボケしてるやつから殺していく。働け、夢を見るな、何も考えるな。生きろ。ただ生きろ。それが俺の言いたいことだよ。そうして想像と現実は激しくせめぎ合い、最終的にちょうどいい感じに融合して価値観は形成されていく。そういう世界に私はいる。それはそれで幸福かもしれない。
ところで今日、会社の余暇を利用してエッセイの書き方を検索してみたら、エッセイとは人に読ませることを意識した文章のことです、という定義がされていて色々と考えさせられた。もちろん、そうなんだろうと思った。どうやったら他者に喜んで貰えるかを考えて書くことがエッセイで、そうやって考えながら書き続けるうちに上手くなってもいくんだろう。でもそのエッセイ面白いのかな。作為が先走ってしまわないかな。見え透いた美辞麗句を並べてしまわないかな。その定義で書くとき、どうせこれがみんな好きなんでしょって思ってしまわないかな。私にはなにひとつわからないから今日はエッセイを書くことにしたよ。この文章を君が楽しんでくれるかはわからない。けれど私は私の中の君のためにたぶんこれを書いている。私は私の中の君に語りかけている。私は君に自由でいてほしい。教科書なんてゴミ箱に捨ててほしいと思っている。君はほとばしる。君は爆縮する。君は新しい星になって燃える。それは教科書には書いていない書き方だ。君は自然の摂理にしたがって、誰にも似ていない文章を書く。