Svelandski氏の秘められた日記 (original) (raw)

2024-11-17 (日)(令和6年甲辰)<旧暦 10 月 17 日>(友引 乙酉 三碧木星) Naemi Naima 第 46 週 第 27671 日

大相撲九州場所も中日を過ぎた。いつもやや疑問に思ふのは、対戦相手の組み合はせはどの様に決められるのかなといふことだ。各力士の勝ち負けの成績は毎日更新されるので、その日までの成績に応じて対戦相手が決められていく。ずっと先までの対戦相手は決められないわけだ。その一方で、今日の試合が終はった時にはもう明日の対戦相手が誰であるか決まってないといけない。それって結構複雑で忙しい計算になることはないのかなと思ふ。AIに任せたら、きっとうまく決めてくれさうな気がするが、大相撲の世界にはあはないのかもしれない。呼び出しがあったり、行司が軍配を上げる姿は大相撲ならではの雰囲気があるので、いつまでも存続してほしい。だが現代人の中には、複数のカメラを設置して、勝敗は機械が判定することにしてはどうかと思ふ人もゐるかしれない。すると物言ひなどもなくなるわけだ。なんか味気ない。さらには、大関昇進などを決める会議もAIに任せても良いかもしれないが、それも何だか味気ない。やはり伝統的な相撲の行事はどこまでも古式豊かにやってほしいと思ふ。

雲間より漏れる十六夜の月

2024-11-16 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 10 月 16 日>(先勝 甲申 四緑木星)満月🌕 Vibeke Viveka 第 46 週 第 27670 日

石原裕次郎の歌に「わが人生に悔いなし」といふ歌がある(1987年、作詞なかにし礼、作曲加藤登紀子)。その生前にリリースされた最後のシングルであるといふ。その歌詞は何となくカッコ良い。それで、人は誰しも、それぞれの人生を振り返った時、この歌にあやかって「わが人生に悔いなし」と思ひたがるんだと思ふ。でもそれって、どこか自分を誤魔化してないかと思ふこともある。「わが人生に悔いなし」と言って自分を励ますのもひとつの生き方かもしれないし、もちろんそんな人たちの生き方に異を唱へるつもりは毛頭ないが、自分の心の奥の方に耳を傾けてみて、「わが人生に悔いあり」と、弱みを認めてしまった方が楽に生きられる人もあるのではないかと思ふ。反省すべきこと、後悔すべきことに蓋をして隠してしまはずに、素直に非を認めることからも明日への希望が生まれることだってあるのではないだらうか。

夕陽を照り返して流れる雲

2024-11-15 (金)(令和6年甲辰)<旧暦 10 月 15 日>(赤口 癸未 五黄土星) Leopold 第 46 週 第 27669 日

昨日の日経の夕刊「明日への話題」に佐々木譲氏が「デジタル・デトックス」について書いてをられた。僕はこの言葉をここで初めて知ったが、言はれることはよく分かった。高齢者として共感できることもたくさん書かれてあった。僕も自分が高齢者になってみて初めて、高齢者とはこんなに忙しい生活であるのかと知った。いや、生きる欲望のレベルを下げれば、もっと暇な暮らしもできるのだが、なかなかそれができない。なかでも大事にしてゐる時間は「生活習慣病を避けるための有酸素運動」の時間で、僕の場合は水泳である。今日も何とかプールへ行くことができた。優先度を上げると言っても、実際にプールに行けるのは週に2回くらいだらうか。この頃は行けば1000m泳ぐことにしてゐる。サウナにも入る。その他の時間は大抵家にゐるので、「お酒を居酒屋で飲む」などといふことは夢物語である。そんなことをすればたちまち家計が破綻する。家に居る時はほとんどコンピュータに向かってゐる。どんな風にコンピュータを使ってゐるのかまとめてみると11項目になった。使用頻度の高いものから並べると、メールの利用、健康データ記入、日記の作成、ブログの作成、家計簿記入、語学の学習、新聞を読む、本を読む、ホームバンキング、購入品の注文、ユーチューブを見る、ことくらいかな。SNS系はほとんど利用しない。こんな風に見ると、現代生活ではデジタル機器の使用を控えよと言はれてもなかなか難しいものがある。では、コンピュータを使はない時間は何をするのか?さっき言ったプールへ行くか、家の周りの散歩か、ラジオ体操か、掃除か、台所片付けか、お灸か、瞑想か、テレビのニュース番組を見るか、平家物語の転写か、ピアノのお稽古、くらいかな。これらのアイテムをフルコースで全てこなす日はない。それどころか、一日中何もせずに寝てしまふことの方が多い。ただくじけずに、目標だけは持って、一日にひとつでもできたら良いぢゃないかと、自分を慰めることにしてゐる。寝てばかりの人間がいふのもなんだけど、高齢者って結構忙しいよね。

飛行機雲と初冬の空

2024-11-14 (木)(令和6年甲辰)<旧暦 10 月 14 日>(大安 壬午 六白金星) Emil Emilia 第 46 週 第 27668 日

今年も大相撲九州場所が開かれて今日で序盤戦が終はった。ほぼ毎日観戦してゐる。人気大関貴景勝は引退してしまったが、新進の大の里が新大関として頑張ってゐる。昨日は阿炎に敗れたが、それでも勢ひはある様に見受けられる。大相撲は2ヶ月に1回場所が回って来るので、お相撲さんもなかなか忙しいと思ふ。およそ6週間稽古して2週間が場所となる。地方巡業もあるのかしれないし、個人的な用事もあるだらうし、お相撲さんの世界も現代は忙しいだらうと思ふ。

夕空

2024-11-13 (水)(令和6年甲辰)<旧暦 10 月 13 日>(仏滅 辛巳 七赤金星) Kristian Krister 第 46 週 第 27667 日

世界の温暖化対策を話し合う第29回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP29)が、アゼルバイジャンのバクーで開かれてゐる。何となく印象が薄い気がする。地球温暖化の影響はすでに、四季の喪失、猛暑、洪水被害などになって世界各地に現れてゐて、これからはさらに食糧危機にも影響が及ぶことが予想されてゐるが、何とかしようと世界の人たちが集まって話をしても、あまり力強い結論は得られない雰囲気がある。温暖化の原因は色々とあるのかもしれないが、この地上に人間が増えすぎたことが元凶ではないかと思ふ。ある予想では2064年に世界の人口は約97億人でピークに達し、以後は減っていくだらうとされてゐるが、気候変動のスピードの方が迅速なので、それまでに地球は何とかなってしまふかもしれない。この地上に起きるあらゆる問題は、自分の意識の中で起こってゐることだ。もっとマシな世界に住むこともできたかもしれないのに、自分の選び取った世界がこんな風になってしまったのは自業自得といふことかもしれない。あとは忍耐しかないのかな。自分の肉体と精神はこの地球といふ星の一部であるのだ。

朝焼け

2024-11-12 (火)(令和6年甲辰)<旧暦 10 月 12 日>(先負 庚辰 八白土星) Konrad Kurt 第 46 週 第 27666 日

「衆愚」と云ふ言葉は何だかエラさうに聞こえてしまふので、あまり使はない様にしようと思ふのだが、その一方で、現代の日本はやはり衆愚ではないかなと思ふ。むろん僕自身もその愚かな集団の一員であるのだから自戒をこめて云ふのだが、この愚かさから何とか抜けられないものかなと思ふ。政治の裏金問題で自民党は国民の信頼を失ったと言ひ、新政府は心を入れ替へて信頼の回復を図ると言ふが、熱が冷めれば長い年月のうちには似た様な状況は繰り返し起きるに違ひない。過去にも同じ様な問題が繰り返しあった様に。これは人間の本性が誰もがその様にできてゐるからであって、本人がよほど自発的に自分を抑制する意志を持たなければ、同じことは繰り返し起こると思ふ。「悪いやつだ」と言って批判してゐる人だって、もし自分がその立場に立てば同じようなことをする可能性はとても大きい。日本のこれからについて、環境問題とか教育問題とか、真剣に議論していただきたい場で行はれてゐるのは、相手をその場から引きずりおろさうとすることばかりだ。大事な時間にこんなことばかりに集中されたのでは巨大な費用の無駄ではないかと思ふ。あへていへば、日本はお金のことに細かいことを言ひすぎるのだ。マスコミが何を報じるかと云ふことで、世論はどの様にも動いてしまふ。太平洋戦争の時も、マスコミが戦争を煽った一面があるが、それと同じことはいつの時代でも起こりうる。それで報道されることは参考として受けつつも、ひとりひとりが自分の中に自分の考へをしっかりと持つことが大事ではないかと思ふ。

何日振りかで青空が見えた。

2024-11-11 (月)(令和6年甲辰)<旧暦 10 月 11 日>(友引 己卯 九紫火星) Mårten 第 46 週 第 27665 日

平清盛西行とは同い年の生まれである(1118年)。ふたりとも若い頃からエリートの北面武士として、鳥羽法皇の院の御所の守りについてゐた。顔見知りの同級生みたいなものだと思ふ。西行はその頃は佐藤義清といった。1140年に出家した。保元の乱(1156年)の時はもう出家の身であったので、いくさとは無縁な生涯であったと思ふ。そのいくさに敗れた悲運の帝王崇徳院の白峯陵を尋ねて四国へ旅したこともある。清盛の死の知らせが届いた時、西行はどんな思ひでそれを聞いたかな。その頃西行は多分伊勢国にゐたのではないかと思ふ。また、清盛は死ぬ前にこの西行のことをどの様に思ってゐたかなとも思ふ。清盛は西行の生き方を心のどこかで羨ましいと思ったかしれないが、西行が清盛を羨ましいと思ふことはなかったのではあるまいか、とまあこれは僕の全く個人的な想像である。また、西行は1186年(といふことは壇ノ浦の戦ひで平氏が滅んだすぐ後)に鎌倉で源頼朝に面会してゐると、吾妻鏡にあるさうである。有名な「命なりけり小夜の中山」と云ふ歌はその頃に陸奥国へ2度目の旅をした時のものと言はれてゐる(小夜の中山は静岡県掛川市にある)。帰ってからは弘川寺(大阪府南河内郡)に庵をむすび、彼の地で、「願はくは花の下にて春死なん」の歌を詠んで、その願った通りの日に、73歳で亡くなった。平家物語の時代は、やがて新古今和歌集が編纂されやうとするその舞台となる時代でもあり、また、道元親鸞日蓮などによって、鎌倉新仏教の新興してくる時代でもある。平家物語を読むことで、そんな時代の雰囲気が少し身近に感じられる気がする。

自動車整備のサービス会社で冬のタイヤに交換してもらった。