国境を越えて活躍する日本人 第3回:吉原若菜 (original) (raw)

吉原若菜

国境を越えて活躍する日本人 第3回[バックナンバー]

吉原若菜:「チャレンジだった」ヘアメイクへの道、「ベルファスト」の現場裏話も

2022年3月17日 12:30 29

映画やドラマで作品の世界観を作り上げるために重要な役割を果たす、ヘアメイクという仕事。

連載「国境を越えて活躍する日本人」では18歳でイギリスに移住し、ヘアメイクデザイナーとして「ベルファスト」「スペンサー ダイアナの決意」「ナイル殺人事件」など多数の映画に参加してきた吉原若菜に取材。彼女の人生と映画業界におけるヘアメイクデザイナーの役割について、話を聞いた。

取材・文 / 尾崎南

両親の反対を押し切って進んだ美容師学校

──今日は間もなく公開される「ベルファスト」でのお仕事を含めて、吉原さんのこれまでのキャリアについてお伺いしたいと思います。まず吉原さんは、中学を卒業されて美容師学校に進まれたということですが、もともと美容師を目指していたのですか。

はい。小さい頃は絵を描くのが好きで、お絵描き教室に通っていました。その教室の先生が、絵を描きながら美容室で働いていた経験があって。絵画をやっていてもお金にならないと苦しいから、美容師をやるといいよと勧めてくれたんですね。それが私の中ですごく印象的でした。私が美容師学校に入学したのは1996年だったんですけど、当時は中卒でも入れる時代だったんですよ。その頃はもう、美容師になって世界を見ていきたいと思っていたので、手に職というか、早い歳から経験していけば身になるんじゃないかと考えました。両親にはすごく反対されましたが、高校の受験も受かったら美容師学校に行ってもいいよと言われたので、高校受験もしました。結果的にどちらも受かったので、美容師学校に行かせてくださいと頼み込んで入学させてもらったんです。美容師として働き始めたのも15歳なので、18歳になったときにはカットもカラーもできました。日本のサロンでは仕事が終わっても毎日2~3時間練習しましたね。そのおかげでイギリスに渡ってサロンに就職したときに「すごく上手ね」と褒められました。とても感謝しています。

──イギリスに渡ったきっかけを教えてください。

18歳になったときはサロンで2年半ほど働いていたので貯金もありましたし、これから美容師としてサロンのオーナーを目指すのか、それともほかの方向でやっていくのか迷いました。そこでやっぱり、もうちょっと世界を見てみたいなと思ったんですね。そんなときにサロンの方がシドニーへの旅行をプレゼントしてくださって、サロンの同僚と出かけたんですよ。シドニーの街を歩いたり、お友達を訪ねたりしたことで、ちょっと自信が付いたというか。英語もままならないけど、なんとかやっていけそうな希望がそこで芽生えたんです。イギリスといえば、Vidal SassoonだとかTONI & GUYが有名で、当時日本で活躍されていた美容師もパリやロンドンで勉強なさっている方が多かったんです。そこで、まだ若いんだから、イギリスに行ってみようと。はじめはこんなに長く海外にいるとは計画していなかったです(笑)。

映画の仕事には1つのものをみんなで作るという達成感があった

──イギリスに移住してからはどのような生活をされていましたか。

サロンで働きながら英語の勉強をしていました。そのうちに、小さなミュージックビデオの制作を手伝ってほしいと言われたことがあって。このような仕事に対応するには、メイクの勉強が必要だと感じました。リサーチをしたら、ある大学でメイクのコースを受講できることがわかったんです。そこで一度日本に帰り大検を取って、その大学に入りました。

──そこでの勉強が映画業界につながったのでしょうか。

そうですね。大学に入ってからは、勉強しながらサロンで仕事をして、さらにショートフィルムなどのお手伝いをたくさんやるようになりました。それを続けていたら、大学2年生のときに「アルゼンチンで映画の撮影があるんだけど手伝ってくれない?」と声が掛かって。大学を休学して、映画に参加しました。するとその撮影が終わったタイミングで、また次の仕事を紹介してくれた。今思えば、若くてそこまで給料が高くないし、私はけっこう“Easygoing(のんき)”というか、フットワークも軽いので。誘われると「うん、やるやる!」みたいな感じで引き受けるのもよかったんだと思います。このように2作目、3作目……とずっと続いて......今に至りますね(笑)。

──ヘアサロンで働く美容師ではなく、映画業界に進もうと決断なさったのはいつ頃ですか。

25歳くらいのときですね。当時シェアハウスをしていた衣装デザイナーの女の子が、よく「これ手伝って」と仕事に連れて行ってくれたんです。彼女がいろいろ紹介してくれたときに、「やっぱり楽しいな」と。映画の仕事はいろんな人とお仕事するし、とても社会的なんですよ。さまざまな人とお友達になれるし、1つのものをみんなで作るという達成感がありました。台本も読みますし、知識とセンスがないとうまく行かない仕事なので、自分にとってチャレンジでした。迷った時期もあったんですよ。サロンでも担当のお客さんがいましたし、それでも映画のお仕事もやっていきたいという気持ちがあって。一度、サロンでブッキングされていた予約を断らないといけないというときが訪れて、いよいよどうしようと。映画の仕事がたくさんあったわけではなかったから、金銭的にやっていけるか不安もありました。でもやっぱりサロンのほうのスイッチを切ってしまったら、もうこれしかないとがんばるんですね。その決断をしたのはよかったなと思いますね。

手がけた作品が、さらに次の作品をつなぐ

──映画業界のヘアメイクは、どういったルートでオファーが来るのでしょうか。

エージェンシーを経由して私の作品を見ていいなと思った方から台本や企画が送られてきます。「こういうプロジェクトがあるんですけどやってみませんか?」と。でもやっぱり私が選ぶ仕事は、自分が一緒に働いた方が紹介してくれたものが多いです。もう何十人、何百人もの方とお仕事をしていますので、その中で「もう一回あなたと仕事をしたい」と衣装デザイナーが声を掛けてくれたり、ディレクターの方から再びオファーが来たりだとか。例えばクリステン・スチュワートがダイアナ妃を演じた「スペンサー ダイアナの決意」を担当したときは、私が以前「アースクエイクバード」という作品でご一緒したプロデューサーがクリステンとベストフレンドで。そのプロデューサーの方にはよくしていただいたので、彼が私のことを薦めてくれたんです。

──映画制作において、ヘアメイクはどの段階から携わるのですか。

作品によって違いますね。「ナイル殺人事件」のときは、ケネス・ブラナーと以前から一緒にお仕事をさせていただいていたので、ケネスがこの仕事をやると決まった時点で教えてもらいました。撮影が始まるよと言われたときは、先にケネスのおひげのセッティングをしたりとか。ケネスのお仕事はとても組織的なので、早い段階からわかっていますが、プロジェクトによりますね。最近のお仕事は早いうちにわかっていて、ちゃんとR&D(Research & Development)の段階から入らせていただけるので、結果的にいいものを作ることができてうれしいです。ときには撮影の2~3カ月前に入ってくる仕事もあります。

──2~3カ月前に入ってくる仕事はスケジュール的に厳しいものですか。

ギリギリだと思います。私の場合は、撮影まで4~6週間しかないというお仕事はクオリティが下がってしまうので受けないですね。例えばカツラなんかを作るのには1カ月くらいかかるので、短いスケジュールで作っているとクオリティが落ちるんですよ。一度撮影を始めてしまうと、もう直すこともできません。だから私は4~6カ月前からわかっている仕事を受けるのが好きです。

──これまでお仕事をされている中で、日本との文化摩擦で苦労したことはありますか?

たくさんありますね……。日本人はどちらかというと控えめというか、とても丁寧で相手を尊重するタイプが多いと思うんです。でも海外だと、競争するときに横の人をエルボーで倒して出てくるような人が成功するんですよ(笑)。だけど私は人に自分を売るということがあまりうまくできなかった。自分から声を掛けるのではなくて、地道に向こうから声を掛けていただくのを待つタイプでした。自分の技術を周りに見てもらうのに苦労したし、どういうふうにアピールしていけばいいのか悩みました。時間は掛かりましたが、今は結果がつながってよかったと思います。あとは、アジア人は欧米人からすると若く見える場合があるようで。私がデザイナーをしているときも、アシスタントと見られてしまうこともありました。そういうときには、少し強く出ていかないといけない。私はチームの面倒を見ていく立場なので、欲しいものをもらえないとか、チームに不利になることが起きないようにタフになろうとがんばった時期もありました。今は思ったことを思うように言えるようになったんですけど、このような大胆さを出していくのに苦労しましたね。

どうしたら効率よく仕事ができるか考える

──「ベルファスト」も監督のケネス・ブラナーとのつながりでオファーを受けたとのことですが、現場ではどのようなお仕事をされましたか。

デザイナーとして監督や役者と話し合って、キャストの皆さんのヘアメイクを決めました。私が現場で直接ヘアメイクを担当できない役者さんに関しては、フィッティングのあとにチームの子に「こういうふうにやってね」と指示を出して引き継ぎます。私はヘアもメイクも両方できるので、一番難しいものだとか、ほかの人に振れないようなキャラクターを担当します。「ベルファスト」の場合は母親役のカトリーナ・バルフがカツラだったんですけど、「カツラをカツラじゃなく見せる」というのに技術が必要なんです。なので私はカトリーナのヘアを担当させていただいて。それから父親役のジェイミー・ドーナン。彼は本来天然パーマで、髪の毛がくるくるなんです。それをああいうふうにきれいにまとめるのは少し難しいんですよ。ケネスはものすごいスピードで撮影をするので、「ベルファスト」も6週間という短い撮影期間の中で、できるだけ早く俳優さんたちを仕上げなければなりませんでした。カトリーナのヘアメイクで50分くらい、ジェイミーは20分、主人公のジュード・ヒルなんて10分くらいで。祖母役のジュディ・デンチはお歳を召していて長い間座ったままでいることが困難かと思い、35分まで。できるだけ時間を短縮して、どうしたら一番効率よく仕事ができるか考えてメンバーに仕事を配分していきます。

──「ベルファスト」はケネスの自伝的な要素も多い作品ですが、工夫された点はありますか。

彼が家族写真を私に渡してくださったので、まずはそこから似たような人物を探しました。例えばお母様の髪型は、50年代のブリジット・バルドーに似ていたんです。そこでバルドーをベースとして、きちんとしているときや無造作な雰囲気が出ている髪型の写真を集めていく。それをケネスに見せると「これすごく素敵だね」と。カトリーナにも「こういうふうにしたらいいと思うんだけどどうかな?」と相談すると、「これだったら私もバッチリ」と言ってくれて。こうやってみんなの意見が一致した中で進めていくんです。

──最後に、これから海外で活躍することを目指す人へのメッセージをお願いします!

大切なのは、旅上手になることじゃないですかね。あとは好きなことにたくさん時間を作ること。時間を作るっていう技術ってすごく必要なんですよ。本当に自分がやりたいと思ったら、朝少し早く起きて本を読んだり、絵を描いたりだとか、自分に時間を作ることがすごく大事なので。また、自分の意見をしっかり通すことも大事だと思います。自信を持ってやっていることを自覚して続ければ、いつか周りは認めてくれますから。

吉原若菜

1980年11月27日生まれ、東京都出身。幼い頃から美容師を目指し、15歳で美容師学校に進学。その後18歳でイギリスに渡った。主な代表作に「シンデレラ」「ハイ・ライズ」「オリエント急行殺人事件」「アースクエイクバード」「ナイル殺人事件」など。2022年3月25日に「ベルファスト」、2022年秋に「スペンサー ダイアナの決意」の公開を控えている。

「ベルファスト」(3月25日全国公開)

北アイルランド・ベルファスト出身のケネス・ブラナーが製作、監督、脚本を担当した自伝的作品。1969年の北アイルランド暴動を背景に、9歳の少年・バディと、その家族の愛と絆がモノクロ映像で描かれる。気丈な母にカトリーナ・バルフ、静かに家族を見守る祖母にジュディ・デンチ、出稼ぎで家を空ける父にジェイミー・ドーナン、いつもユーモアと遊び心を忘れない祖父にキアラン・ハインズ、バディにジュード・ヒルが扮した。