離宮にたずねよ3 (original) (raw)
山陽電鉄「須磨浦公園」駅から西へ100mほど西に行ったところに、史蹟「敦盛塚」があります。
伝承ではこの地で討たれた平敦盛の供養の塔といわれますが、鎌倉幕府の執権、北条貞時が平家一門の冥福を祈ったことから「集め塚」が「敦盛塚」に転じた、という説も。
上の写真だとその大きさがわかりにくいですが、4m近い大きさがあり、近くに寄るとその大きさに圧倒されます。中世に造られた五輪の塔では、全国で二番目の大きさを誇るそうです。(最も大きいのは京都・石清水八幡宮のもの)
周囲の石垣の高さが肩くらいの高さだったかと
「敦盛」の名前は源平合戦=平家物語の中でもちろん重要な人物ではあるのですが、その名前を更に有名にしているのは、幸若舞「敦盛」の次の一節でしょう。
人生五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり
ひとたび生を享け(得て) 滅せぬもののあるべきか
織田信長のドラマで「桶狭間の戦い」や「本能寺の変」のシーンで必ずと言っていいほど出てくる舞ですね。
が、前回の「離宮にたずねよ2」でご紹介したように、首を討たれたのは16歳の時。50年の三分の一も生きてはいないので、この一節は敦盛が発したセリフ(?)ではありません。敦盛を討った源氏方の武将、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)が後に出家する際に世をはかなんで発したものでした。
この敦盛塚から北東に30分強ほど歩いたところにある「須磨寺」を訪れるとこのあたりの流れが良くわかります。(坂道を登るので少し疲れます。)
平安時代に建立された古刹の境内には、敦盛公首洗いの池、義経腰掛の松があるのに加え、寺宝には敦盛が愛用した「青葉の笛(伝)」なども伝わっています。
次回は須磨寺の境内にある庭園「源平の庭」をご紹介しながら、敦盛と直実のやりとりなどご紹介していきたいと思います。