青森県編 その10 (original) (raw)

〇円仁 (794~864)

平安時代天台宗の僧侶。慈覚大師。下野国都賀郡もしくは安蘇郡(栃木県下都賀郡もしくは栃木市)生まれ。15歳で比叡山延暦寺に上り得度。838年に唐へ向かう。この内容は『入唐求法巡礼行記』に詳しい。847年帰国。3代目延暦寺座主となる。後に延暦寺は円仁派と円珍派に分かれ、円仁派は山門派、円珍派は寺門派(園城寺を拠点とする)と呼ばれた。円仁は瀧泉寺目黒不動)、立石寺山形市)、瑞巌寺(松島)、中尊寺(平泉)などを開いたとされる。

<円仁像>

場所:川倉賽の河原地蔵尊青森県五所川原市金木町川倉七夕野426-1)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2022年8月22日

説明:川倉の賽の河原地蔵尊は、芦野公園北東部の北東部の小高い丘の上にある。下北半島の恐山同様に、イタコの霊媒で有名(旧暦の6月22日~24日)。地蔵尊のお堂の中や外に約2000体の地蔵が安置されている。お地蔵さんはそれぞれカラフルな服を身につけている。ここは西暦800年代に円仁が開山したとされる。

地蔵尊の内部)

〇菊池幸次郎 (?~?)

農政家、教育者。青森県弘前市生まれ。札幌農学校に学び、小学校から五所川原農林学校に招かれ、農業教育の普及に努め、校長になった(3代)。のちに青森県庁に勤め、植物の鑑定に優れ、「百科事典」とあだ名された。

<菊池幸次郎像>

場所:五所川原農林高校(青森県五所川原市一野坪朝日田12-37)

竣工:1946年10月(1979年5月現在地に移転)

像高:

作者:

撮影時:2022年8月22日

説明:当初は同校の栄町校舎に建てたが、校舎の移転に伴って現在地に移転された。農業高校はどこもそうだが、敷地が広く、広大な農園の中を抜けた校舎前に立っている。

〇しゃこちゃん

銅像ではないが…)近くの亀ヶ岡石器時代遺跡から発掘された「遮光器土偶」の愛称。

<しゃこちゃん像>

場所:JR木造駅(青森県つがる市木造房松10)

竣工:1991年

像高:17.3m

作者:

撮影時:2022年8月22日

説明:実は、駅に列車が入ってくる3分前から3分間、このでかい目、赤く光ったのだ。完成当時には、駅周辺の住民の「怖い」の声で(確かにこの大きさで目が赤く光るとね)、すぐに休止していたが、2020年に復活。さらに赤1色から7色に変化するようにバージンアップしたという。駅前でしばらく待ったが、なんせJR五能線、1時間に1本ペースのダイヤで、さらに2022年当時、水害の影響で鰺ヶ沢の先の橋が落ち、止まっていたかも?

気がつかなかったが、駅に隣接する「縄文公園」は、上空から見ると土偶の形をしているらしい…。

〇岩崎きみ (1902~1911)

薄幸の少女。野口雨情作詞の「赤い靴」のモデル。静岡県不二見村(現静岡県静岡市)生まれ。両親は諸事情できみが生まれてすぐに母に連れられ北海道に渡った。そこで母は鈴木志郎と再婚した。しかし養父の事業はうまく行かず、きみはアメリカ人宣教師チャールス・ヒュエット夫妻の養女となった。しかし結核に冒されていた彼女は、宣教師の帰国時に船の長旅に耐えられないと考えられ、東京の孤児院に預けられ、そこで亡くなったという。

<岩崎きみ像>

場所:海の駅わんど(青森県西津軽郡鰺ヶ沢町本町246-4)

竣工:2010年11月

像高:

作者:

撮影時:2022年8月22日

説明:なんで「岩崎きみ」像がここにあるかというと、鰺ヶ沢町が養父鈴木志郎の出身であったということ。童謡「赤い靴」の記念像は、全国に8つもあるという(神奈川県横浜市山下公園・JR横浜駅中央通路(元は南口に置かれていた)・静岡県静岡市日本平・東京都港区の麻布十番・北海道留寿都村赤い靴公園・北海道小樽市小樽運河北端・北海道函館市末広町)。2007年には「岩崎きみ」は童謡「赤い靴」のモデルではないという説(作家阿井涉介)も出ているが、菊池寛の唱えた「きみ」が「赤い靴」の主人公であるという説は浸透しているのだろう。(参考:「開発こうほう」2023年9月号:www.hkk.or.jp/kouhou/file/no721_bronzestatue.pdf

わさお (2007~2020)

秋田犬。青森県西津軽郡鰺ヶ沢町で飼われていた。元々迷い犬で、鰺ヶ沢町で焼きイカ屋を営んでいた菊谷節子に保護され、当初はその毛並みから「レオ」と名付けられいたが、2008年春にブロガーのメレ山メレ子のブログで「ワサオ」と名付けられ紹介されて話題となった。さらにマスコミが「ブサカワ犬」と取り上げられ全国的に有名となった。

わさお像>

場所:海の駅わんど(青森県西津軽郡鰺ヶ沢町本町246-4

竣工:2021年11月

像高:(等身大だそうです)

作者:はしもとみお

撮影時:2022年8月22日

説明:わさおって映画になっていたんですね…(2011年公開)。菊谷さん役が薬師丸ひろ子って…。写真集も出ているし、鰺ヶ沢町観光大使だし、鰺ヶ沢駅の観光駅長になっているし、すごいね!

ちなみにここ「海の駅わんど」の施設2階は、舞の海秀平氏の紹介フロアになっていたようでした(スルーしてしまった)。

〇工藤むら (?~?)

瑞穂教赤倉山神社の開祖。青森県中津軽郡大浦村(現青森県弘前市)生まれ。岩木山の北面のこの地域は、赤倉という霊場で、たくさんの霊場がある中の一つ。今の神社の前身である「鼻和の霊堂」を建てた人物。「鼻和のばさま」と呼ばれた。

<工藤むら像>

場所:赤倉山神社(青森県弘前市百沢東岩木山1-39)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2022年8月22日

説明:まるで人気がなく、ちょっと不気味であった(夏なのにちょっと冷気を感じた)。写真にも多くの光が写っているね💦。また雨で神社近くの未舗装の道は大きく抉れていて、車で上るのに四苦八苦した。青森県民間信仰の強いところで(恐山が良い例)、賽の河原地蔵尊もそうであったが、こんなところがいまだにあるようだ。

〇大浦光信 (1460~1526)

戦国時代の武将。陸奥国種里城主。南部守行の曾孫。南部光信とも。下久慈(岩手県久慈市)の城主であり、軍勢を率いてこの地に入ったとされる。光信の後3代目が大浦為信で、これがのちの津軽為信である(津軽氏の祖)。つまり江戸時代の弘前藩津軽氏は、ここから始まるわけである。

<大浦光信像>

場所:光信公の館(種里城址)(西津軽郡鰺ヶ沢町種里町大柳90)

竣工:1990年10月

像高:約1.8m

作者:長尾金之助

撮影時:2022年8月22日

説明:種里は、五能線陸奥赤石駅から南東へ入った谷にある。県道191号線沿いにある駐車場から山道を5分ほど登ると「光信公の館」に至るが、訪問時誰もいなかった。施設は金・土・日の9時から16時半までしか開館せず、訪れた日は月曜日だったから、誰もいないわけだ。館の周りはボタン園となっているので、春は人が集まるのかもしれない。銅像が立派なだけに寂しさが募った。