島根県編 その1 (original) (raw)
今回から島根県編をはじめます。今年の夏に2007年以来の訪問をしましたが、東西に細長い県。東が出雲、西が石見ですが、今回は石見側を主に回りました。では…
〇亀井茲監(かめいこれみ) (1825~1885)
幕末の大名(最後の津和野藩主)、明治期の知藩事。江戸生まれ。筑後久留米藩有馬頼徳の六男。1839年に津和野藩亀井茲方の養子となる。学問を重視し、有能な人材を輩出した。特に国学の発展に力を入れ、福羽美静、大国隆正らの人材を明治新政府に送り出した。幕末は長州藩が隣藩のため中立を保った。明治政府では宗教関係の行政を任された。
<亀井茲監像>
場所:嘉楽園(島根県鹿足郡津和野町後田ハー17-1)
竣工:1890年
像高:
作者:菊地鋳太郎
撮影時:2024年8月21日
説明:屋外彫刻像としては、日本最古の銅像である。どうしても行きたかった津和野だが、行程に無理があり、夕方遅くの到着となった。津和野高校の部活終わりに重なり、嘉楽園で銅像を撮る私を怪訝そうに見る高校生。あたりの暗くなりかけていた。一番撮りたかった森鷗外記念館は閉館時間(と言うか工事中で入れなかった)で、残念な結果となった。
〇潮恵之輔(うしおしげのすけ) (1881~1955)
内務官僚、政治家。島根県美濃郡横田村(現島根県益田市)生まれ。東京帝国大学法科大学を出て内務省入省。内務次官を経て、貴族院議員となり、広田弘毅内閣で内務大臣兼文部大臣となる。枢密顧問官、枢密院副議長。戦後は公職追放され引退。
<潮恵之輔像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2024年8月21日
説明:小学校の校内にある。都会と違って地方の小学校は出入りがしやすいので良い。こんな偉いヒトとは思わなかった。
〇石号 (1931~)
柴犬の祖。(現島根県益田市美都町)生まれ。石州犬。下山信市氏の猟犬だったが、1936年に純粋な日本犬として東京に渡った。その後子孫に恵まれ、柴犬の祖となった。ちなみに東京で「日本犬保存会」に石を登録したのは、島根県浜田市出身で、東京で歯科医をしていた中村鶴吉さん。中村さんが石州犬の探索を続けたことで、柴犬の隆盛につながったと言える。
<石号像>
竣工:
像高:
作者:神取さん(石工)
撮影時:2024年8月21日
説明:石州犬「石」の出生地は、双川峡の奥の狭い道を上がるすごい山の中にあり、猟犬だとよくわかる場所。ここは飼っていた下山氏の自宅。他に下の写真の美都温泉湯元館の前(島根県益田市美都町宇津川口630-3)にもある。いずれも石像である。ちなみにこの2体には「石」という字が隠し彫られているそうです。
〇柿本人麻呂 (660?~724)
飛鳥藤原時代の歌人。「人麿」に表記も。後世、山部赤人と共に、「歌聖」と称えられた。出自は不明ながら、柿本臣は、春日臣の庶流。天武朝頃に出仕し、歌人としての活動をし、持統朝で花開いたようだ。『万葉集』第一の歌人。謎の多い人物であり、終焉の地も多説ある中、有力なのが、島根県益田市の鴨島という所。そこが平安後期の地震で水没し、島にあった神社のご神体が漂着し、それを祀ったのが高津柿本神社である。
<柿本人麻呂像>
場所:高津柿本神社(島根県益田市高津町 上市イ2612ー1)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2024年8月22日
説明:社殿に上がる階段には、多くの唱歌などが書かれたプラステック板が下げられている。社殿からの景色が良い。
〇小野沢勝太郎 (1891~1975)
実業家、政治家。長野県小県郡東部町(現長野県東御市)生まれ。16歳で家出し、東京で職業を転々とする中、栃木県の露天商の大島組に入り、「大島の小野沢」で有名になる。1920年に島根県の益田を訪れ、選挙の手伝いなどをしてここを拠点に商売をすすめた。益田町議会議員をしながら、サーカスなどの興業などを成功させ、劇場や映画館を次々と開き、小野沢興業を興した。一方政治家としては、戦後島根県議会議員となった。
<小野沢勝太郎像>
竣工:1983年10月
像高:
作者:
撮影時:2024年8月22日
説明:ホテルのビルには、2体の小野沢像がある。メインは立像とするが、下記の胸像の方が古く、竣工は1964年10月である。当初は益田市横田町の小野沢の別邸にあったようだ(寿像)。
〇伊藤正男 (1906~1965)
政治家。島根県美濃郡益田町(現氏漫研益田市)生まれ。益田町長から市長を17年間務めた。
<伊藤正男像>
竣工:1973年11月
像高:
撮影時:2024年8月22日
説明:益田市役所の正面左側に立つ。