鯛の里日記 (original) (raw)
「宮本常一講演選集全8巻」農文協がAmazonから電子書籍化するそうです。
第7巻「日本文化の形成」別冊の月録に掲載されていた拙著「(忘れられた日本人)世間師ーショケンシかセケンシ」も本編巻末に収録されることになりました。バンザイ!(^^)!
発行は10月末日
イッパイ呑まんといけん。(ง `▽´)╯ハッハッハ!!
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原発事故で非難した地区に猿が繁殖
人がいなくなると野生動物の住処になるんですねえ。周防大島もイノシシが夜に闊歩する。
空き家も放置すると動物の住処になる。ウチがそうだった。父が死んだあとの空き家に狸と猫が棲みついていた。
最後の闘いは猫だった。鍵のかかっていない窓は開けて入り、家の一番奥の仏間まで開けて入っていた。戸を開けたら、猫が木魚を叩いて念仏をあげていた。鍵をかけても侵入を繰り返した。その場所が分かった。庭の給湯器が置かれていた溝の下で、外からは見えないところだった。廃品回収で持って行ってもらって、その穴が発見できた。
田舎の古い家は、土間と外につながる穴がある。恐らく通気性をよくするためだろう。
そういえば、この沖家室島の沖の無人島だった片山島(通称片島)に報道カメラマン福島菊次郎さんが住んでいた。現在はタレントの清水国明さんが所有してキャンプ場を開いている。
福島さんが語っていた。小屋を建てて住んだものの、だんだんと板が無くなっていった。それは鹿が食べたものだった。ところがある夜、バリっと大きな音がして出てみると、人が板を剥がしていた。釣り人が焚火にするためだった。
一番タチが悪いのって、実は人間なのかもしれない。
ちょっくら阿蘇。あっそう٩( ᐖ )۶コケッ
中学の修学旅行以来だけど、その時は霧の中で10メートル先も見えなかった。防空壕だけは見えた。
あれから50年。やっと観れた。快晴!(^^)!。ムトーハップの臭いがした。
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このサインは2005年(平成17年)のもの。周防大島の(どこだっけ?)、高石ともやさんと猿舞座の村崎修二さんとのジョイントライブが行われ、その翌日に泊清寺で一緒にお食事をしたときに書いてもらったもの。
恐縮だけど、ちょっと解説しますね。このサインは高石ともやさんと、猿舞座の村崎しゅうじさんの筆が入り混じっています。
(一行目)※これは村崎さんの字
槿(むくげ)の花の凛と咲く 夏の日
(上の段 二行目~四行目)※これは高石さんの字
命を削って
過ぎし日を語れ
さすらいの旅の涯
蒼空の記憶をたどる
槿の花の 美しい夏の日
(下の段に続く)
唄いながら
きみとゆく
このみちを
ゆく
(終わりから三行目から)※村崎さんの字
槿の花の美しい 夏の日
安登夢と 村崎しゅうじ
平成十七年九月十日 沖家室
キーポイントは「槿(むくげ)の花」
村崎さんのオリジナルの歌「槿の花」は、歌詞を全部覚えていないけど、故郷と母を思う愛情に満ちた歌。高石さんはきっとこの歌がとても好きだったのでしょう。
その高石さんの言葉に、村崎さんが返したもの。車には一緒に旅する愛猿の安登夢(あとむ)がいました。
高石さんがさらっと描いたイラストが素晴らしいですね。おふたりとも、字が絵のようです。きわめつつ歩む人柄がにじみ出ています。
僕もサインを練習しようかね。エッ、むり? 修行が足らんか。(;゚;ж;゚;)ブッ
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高石ともやさん訃報
なんども島に来てくださり、泊清寺でライブをしてくださった。泊清寺本堂での打ち上げは楽しかった。
こんなことがあった。島のあるところでライブを予定していた。ところが音響はカラオケセットだったことが直前にわかった。
「それは…」と高石さん絶句
「高石さん、ウチにローランドのPAがありますから良かったら使ってください」。PAとはコンサート用の音響機材。
「こんなところにこんな名機が。ぜひ使わせてほしい」
実家の二階にあったミキサーアンプとスピーカー。50センチウーハー搭載のスピーカひとつが50キロはある。それをロープで吊るし、大人4人がかりで降ろす。
会場に運び込んだものの、設営するエンジニアがいない。「松本くん、来てくれないか」。僕は民宿のお客さんが入っていて動けない。すると、会場にいた一人の男性が名乗り出てくれた。
「わたし、メーカーの者です。私がやりましょう」
そうして、ライブは盛況に終えた。
「お陰でいい音で歌えたよ。ありがとう」
と電話をくださった。いやいや、高石さんというフォークの大御所が僕の音響を使ってくださったことにこれほど名誉なことはない。
高石さん、たくさんの思い出をありがとうございました。
ご冥福をお祈りします
母の祥月 45年目の朝。
逆光ではあるが、後光でもある。(ง `▽´)╯ハッハッハ!!
去年は蝉が鳴いていたけど、今年はまだ。— 鯛の里/松本昭司 (@taitanuki) 2024年7月21日
親が高齢となったため、神奈川から青森に移住した女性の手記。生活費のバカ高さに驚いたという。
内容は読んでいただきたいとして、山口県の最南端に近い島暮らしをしている身として同じ思いがする。
例えばこのあたりで一番の都会は柳井。とりわけ市役所付近は、車なくてもなんでも揃う。ところが中央に遠ざかれば遠ざかるほど不便極まりない。僕の住む沖家室島からコンビニさえも往復1時間。柳井に出ようものなら半日仕事。しかも週一回でるだけで月に4.5千円のガソリン代。まだ橋があるからいい。浮島や情島など航路を使うか、漁業者なら船で往復。時間も燃料もかかる。周防大島の水道料金は山口県で一番高いと聞いた。
かつて宮本常一は、離島の生活環境の悪さについて「資本主義経済機構へ正しく仲間入り」することこそが貧困や後進性の解決に資すると説いた。
離島に住んでいようと、都心に住んでいようと支払う税金は同じ。しかし、生活基盤の整備は中心地が優先されて遠いとこほど後回し。これでは格差は広がる一方で、人は益々いなくなる。
今後は田舎を優先したインフラ整備をしていかないと、この国ますます衰退する。
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