巨匠旅発つ (original) (raw)

お二人とも、紳士的な批評家であられた。表面的には。

慶應義塾の池田彌三郎教授が、こんなふうにおっしゃったことがある。自分は生涯折口信夫の鞄持ちだった。そんな自分になにかオリジナルはあるかと問われても、あるはずがない。巨大な師が残した仕事をまとめるだけで、ちっぽけな自分の生涯など了ってしまう。かつて師の門下にあって、やがて一本立ちの仕事を残した人は、師の栄養を吸うだけ吸って、独立していった人たちだ。席にちょいと斜めに腰掛けて、旅発っていったのだ。たとえば山本健吉先輩のように、またたとえば村上一郎君のように、と。
武道か茶道から出た言葉らしいが、「守破離」ということだろう。師の教えを厳格に守る、やがて破る、いつしか離れる、ということだろう。
だが中央公論社折口信夫全集』がどれほど偉大な本か、また『全集ノート編』の多くが池田彌三郎による受講ノートであることを聴くにつけ、「生涯鞄持ち」との謙遜の偉大さに想いを馳せざるをえない。

その山本健吉だが、西洋文学から受けた影響の嵐が吹きすさぶ日本近代文学を、日本の伝統のがわから冷静に視詰めつづけた批評家である。国文学古典と現代文学との連関の由縁を明らかにしたともいえる。紳士的な批評家と見えたが、論争文などから邪推するに、温厚な癇癪持ちという横顔もあった人かと思う。
ともあれすべての著書が、私には勉強になった。『詩の自覚の歴史』『いのちとかたち』『行きて帰る』は、今では私の考えのように口にしているものの、もとはと申せば山本健吉からの受売りに過ぎない。『正宗白鳥』『私小説作家論』も想い出深き本だが、もはや再読の機会も訪れまい。


中村光夫の好い読者だったとは云えない。もっと熱心に読んでいれば、より広い視野で考えられるようになれたのかもしれない。ごもっともな読解力の正確さを感じはしたが、背景に西欧小説の規範が透けて見える感じを受ける場合もあって、夢中にはなれぬままになってしまった。
ゆっくり喋る人で、論証の手際も入念ではあったが、論争文などでは、人をカッとさせる言葉使いも見せた。いかにも好人物然とした風貌の奥に、あんがい辛辣な人柄を潜めていたのかもしれない。
いずれか一冊となれば『二葉亭四迷伝』だろうが、文庫本がある。『風俗小説論』も文庫がある。「『異邦人』論争」は私にとってことに興味深く、想い出多い発言ではあるが、相手の広津和郎の発言とともに『戦後文学論争』に全文採録されてある。初期の代表作と称んでいい『フロオベルとモウパッサン』を今からでも読んでみたい気にもなるのだが、さてその体力が私に残っているものやら無理なものやら。

ご両所は、上の世代の小林秀雄河上徹太郎といった侍たちとは異なって、落着いて勉強させてもらえる紳士的批評家だったにはちがいないが、もはや私には手遅れだろう。山本健吉中村光夫とを、古書肆に出す。
長く手もとに置いたものだから、いずれも美本とは申しがたいが、汚れ本として古書肆の晒し棚に廉価で並べば、後学の若者には必ずや役立つはずのものだ。
ただし山本健吉柿本人麻呂』『大伴家持』、中村光夫『明治文学史』の三冊は残す。また文庫化されてある著作については、場所をとらないからすべて残す。